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Ⅵ ✕✕ンシャ、俺。
069: ソフィア
しおりを挟むそんなある日。
「アスカに是非会って欲しい人がいるの」
「会う?俺に?」
俺、面会禁止なのに誰に会うの?
「うん、私の大切な人」
モジモジと頬を染め微笑む先生に婚約者でも紹介される?!と俺は内心ガクブルで最悪展開を想像したわけだが。
面会者は車椅子に座った品の良い老婦人だった。肌は浅黒くジプシーのような雰囲気、ものすごく高齢にも見えるが纏う気配は若々しい。真っ白い髪が眩しい、そして真っ青な瞳。先生の瞳よりはだいぶ薄いがそれでも青空みたいにきれいだ。それでいて雰囲気は威厳があるというか。見た目はちょっと厳しいおばあちゃん?
そのおばあちゃんからフランス語で話しかけられた。
「はじめまして坊や、アスカと呼んでもいいかい?」
「構いません、初めましてマダム」
「礼儀正しい、いい子だね。発音もきれいだ。私はソフィア・グリフィスだよ」
グリフィス?それは?
先生が頷いて微笑んだ。
「私の義理の母。私を引き取って育ててくれた恩師なの。私のたった一人の大事な家族。この病気をずっと研究してきた第一人者なのよ」
「え?そうなんですか?」
実はすごい人だった。老婦人の目尻には笑い皺。話してみればとっても知的で穏やかな感じだ。先生と並ぶと仲の良い曽祖母とひ孫のよう。シワだらけで温かい手が俺の手を取ると俺も暖かくなったような気がした。そこで老婦人がドイツ語でつぶやいた。
「これはまた‥随分と賢い子だね。それに強い」
「アスカはすごいの!何でも知ってるのよ?アスカは本が大好きだからかしら。それにね」
「いや、そんなことは」
初対面で賢いと褒められたのは初めて。内心びっくりだ。雑学王ではあるんだが。先生が嬉しそうに俺を紹介している。ちょっと持ち上げられ過ぎで照れくさい。
「ソフィアは私の先生なの。医学をたくさん教えてもらったわ」
「え?先生の先生?」
「そうよ」
「私はもう引退しているよ。どれ、坊やの治療は順調なようだね。‥‥賢い犬を飼っている。だいぶ高齢だ、大事にしておやり。料理はもう少し頑張りな、時間はかかるがうまくいくだろうよ」
「え?は、はい」
「アスカ、お前は必ず助かる。頑張るんだよ」
ガンドのことも料理が下手なことも先生にも言っていないのになぜこの人は知ってる?病気の完治も予言してくれた。俺の手を握っただけでズバズバ言い当ててる。まるで占い師みたいだ。
「私は魔女だからね、カンがいいんだよ」
俺の思考さえ見透かしたソフィアが俺に微笑んだ。
ソフィアとはその後通信ソフトやチャットでやり取りしていた。俺にばあちゃんはいなかった。話の合う博識なばあちゃんができたみたいで嬉しかった。
俺が色々と自分の話をする。通っていた中学のこと、高校でつまずいたこと、たまにものすごく感情的になって腹立たしくなること、読んだ本のこと、気に入っていたファンタジーゲームの話まで。先生は忙しい、他に会える人もいなかった。話し相手に飢えていたせいもあったかもしれない。それをソフィアはうんざりするでもなく聞いていた。
ソフィア曰く、内容ではなく知らないことを知ることが楽しいらしい。ものすごい知識欲だ。まあ俺もなんだが。
一方でソフィアは俺の疑問に全て答えをくれた。俺が納得できないものもあったがそれも答えの一つだと諭された。ソフィアの宗教観も俺に影響を与えた。それは俺の母国では聞いたことがないもの、俺の通った幼稚園がカトリックだったから聖書の知識もあったがそれとも違った。俺はソフィアの思想を抵抗なく受け入れていた。
出会ってから間もないが博識なソフィアは情緒不安定だった俺を導いてくれた。ソフィアは俺の掛け替えのない師になった。
俺が入院してから二つのことが起きた。
一つはガンドが死んだこと。
苦しむことなく息を引き取ったとじいちゃんから連絡があった。カメラ越し、昼寝するように横たわるガンド。だが命はもうそこにない。俺は結局ガンドの死に目に間に合わなかった。
「ガンド‥約束守れなくてごめんな」
死は誰にでも訪れる。俺にだってそうだ。ガンドの骸に俺自身を重ねる。ぶるりと身震いが出た。
「大丈夫?」
通信を終えてどのくらい経っていただろう。気がつけば先生が部屋の入り口に立っていた。涙を見せたくなくて俺は慌てて目を擦った。
「すみません、気がつかなくって。どうしたんですか?」
「なんとなく‥‥誰が亡くなったの?」
「‥‥‥‥家族です‥俺の‥兄貴でとってもいいやつで‥」
「‥‥そう」
俺とガンドが映るスマホの写真を一緒にのぞき込んだ。この先生もソフィアに似てカンがいい。特に俺の機微に敏感だ。俺の腕につけてる機械のせい?
気がつけば鼻血、最近特に多くなってきた。ティッシュで鼻を押さえてると先生がふわりと抱きしめてくれた。先生に抱きしめられたのは初めてのことだ。
「せ?先生?」
「怖いね、辛いね。ひとりじゃないから。そういう時はいつでも頼ってくれていいんだよ?」
ガンドを失った。じいちゃんだって父さん母さんだっていずれいなくなる。そうやって俺はひとりになっていく。俺だっていつか死ぬ。それは変わらない。それが今日か一年後か、じいさんになった時かの差だ。
その時を俺は誰と迎えるんだろうか。
でもひとりじゃないと言ってくれた先生のその言葉だけで俺は救われたような気がした。
もう一つは戦争が始まったこと。
俺の母国の隣の大国が陸続きの隣国に攻め入った。内乱やクーデータは今までだってあった。だが他国に攻め入る戦争はこの世界の情勢を暗転させていた。食料問題、エネルギー、難民、軍事、経済。ネットでは情報が溢れかえっていた。たくさんの家が燃やされ、たくさんの人々が殺された。
「人類はまた同じ過ちを犯しているね」
「歴史は繰り返すってやつ?」
「そうさね、もう人類はダメかもしれないね。だがこれも精霊の解放だ」
モニター越しのソフィアが悲しげにため息をついた。それが俺の不安を煽った。精霊の解放、文字通りの意味だとソフィアの宗教観でそれは世界の終末を意味する。ソフィアは何かを諦めたのかもしれない。
「‥‥‥‥ソフィア?」
「できれば最後まで見届けたかったが。私は行かなくちゃならない」
「え?どこに?」
「少し問題があって呼ばれているんだよ。今回は長い仕事になりそうだ。しばらくお前とも会えなくなる」
「そんな!なんで?」
「魔女にしかできない仕事なんだよ。安心おし、お前とはまた会える。アスカ、知ることを躊躇ってはいけないよ、知識は真の至高神からの賜り物だ」
それはソフィアが良く使う言葉だ。それは彼女の宗教観、常に探求し続けろと。
「優しい坊や、あの子のことを頼んだよ」
ソフィアは先生のことをなぜかあの子という。どうして名前で呼ばないのか。そこで自分も先生の名前を知らないことに気がついた。
「ソフィア?それはどういう」
「私はあの子に幸せになってもらいたいのさ」
微笑んだソフィアに一方的に通信を切られてしまった。
それがソフィアとの最後の通信になった。
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