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第二部
第02話
しおりを挟む「私のことはオスカーとお呼びください。トレンメル侯爵家の家令を申しつかっております」
馬車に乗り込みステッキで天井を二回ノックすれば馬車が緩やかに動き出した。馬車の軋む音と蹄の音が忙しく聞こえる。馬車が動き出したしばしのち、エデルの正面に腰掛けた紳士はそう名乗った。
「トレンメル侯爵家?」
トレンメルの名を知らない者はこの町にいない。ここら一帯の領主だ。
「はい、あなた様は先代当主エドアルド様の長子でいらっしゃいます」
「僕が?侯爵家の嫡男だと?」
さすがにこれは酷い。騙すにしてももっとマシなものがあっただろうに。
「侯爵家?僕が?ありえない」
「トレンメル家の直系の長子には燃えるような眩い赤毛が現れます。その赤は他に類を見ないほどに」
内心ぎくりとした。脳内では無駄だとわかっていてもあがく言葉が出た。
「僕の髪は赤毛ではない」
「我が家は代々赤毛を戴くトレンメル家当主にお仕えしております。長子の証の赤毛を黒く染めれば何色になるかは承知しております。その赤毛を黒く染め上げれば濃い赤褐色になる、と」
茶と呼ぶには赤い。黒でいくら染め上げても鮮やかな赤を打ち消しきれず赤褐色となる。地毛の赤も相当だがこの赤褐色も珍しい色だ。
「当初は赤毛に肩に太刀傷のある青年で捜索いたしましたが見つかりませんでした。そこで赤褐色の髪としたところこちらにおいでだと一報が入りました。その上で私がエドゼル様を拝見し間違いないと判断いたしました」
「判断?」
「先代様と同じ見事な赤毛でございます。ですがそれ以上にエドゼル様は先代様によく似ておいでです」
なるほど、この髪もそれとわかっていれば探すのも楽だったろうと嘆息した。それでは変装の意味もない。父と同じ赤毛、顔も父に似ていたのか。少なくとも母似ではなかった。
なぜ母が森から出たがらなかったのかわかったような気がした。
「それで?僕に何の用だ?」
「先代当主であるお父君、エドアルド様の遺言により正当な後継者であられるエドゼル様をお迎えにあがりました」
先代当主、遺言。父は貴族だったのか。そして母より聞いていた暴君はやはり死んでいた。そして先代ということは新しい当主がすでにいて爵位をついている。そこまで理解した上で率直な感想が口をついた。
「今更か。意味がわからない」
「本来はエドゼル様が爵位を継ぐべきでございました。遺言状にもそのように指示がありましたが先代様が他界され少々騒ぎがございました。その最中、傷を負われたエドゼル様の行方がわからなくなりそこでエドゼル様は亡くなったとされ戸籍上は消滅しております」
はっきり言わなかったがお約束のお家騒動か。そこで僕を殺されかけて母は身を隠した。父を恐れて逃げたのかと思ったが逃げたのは父の死後。母が恐れたのは父ではなくこの侯爵家。見つかれば殺される、と。
「跡目を争う兄弟が僕にいたのか?」
「はい、一つ年下の弟君です。現在爵位をついておいてです」
「弟?何も聞いてない」
「異母弟でございます。遺言状では廃嫡にせよとされた御子です。弟君の母君が正妻でございました」
そこで全てを理解しエデルは息を吐き出した。長子とはいえ別腹の子を正妻が厭った。遺言状を握りつぶしその子を排斥した後に自分の子に爵位を継がせた。
へぇ?本来は僕が継ぐべき爵位は掠め取られ、僕は命を狙われ身を偽ってこそこそ暮らしている。随分じゃないか?
それは微かなものだったがそれを感じとったオスカーが目を細めた。
「このような事態を先代様は予見しておられました。その際はエドゼル様をお助けするようにと申しつかっております」
「助ける?僕を?」
「はい、御心のままに」
「家令の身でか?」
「我が家は正当な当主にお仕えする一族です。現当主ラルド様にその資格はありません」
オスカーは一冊の本を差し出した。随分汚れているが日記帳のようだ。
「火事で屋敷が焼け落ちましたがこちらは無事でございました。先代様の日記です。詳しくはこちらに」
本を受け取ったところで馬車が緩やかに停まった。
「到着したようでございます」
先に降りたオスカーが頭を下げて下車の道を開ける。いくつか疑問点もあったが主だった話は聞けた。今日はこんなもんだろう。
「御用がございましたら部屋の窓にハンカチを。終業後にお迎えにあがります」
オスカーは恭しく頭を下げた。
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