上 下
45 / 78
第二部

第02話

しおりを挟む



「私のことはオスカーとお呼びください。トレンメル侯爵家の家令を申しつかっております」

 馬車に乗り込みステッキで天井を二回ノックすれば馬車が緩やかに動き出した。馬車の軋む音と蹄の音がせわしく聞こえる。馬車が動き出したしばしのち、エデルの正面に腰掛けた紳士はそう名乗った。

「トレンメル侯爵家?」

 トレンメルの名を知らない者はこの町にいない。ここら一帯の領主だ。

「はい、あなた様は先代当主エドアルド様の長子でいらっしゃいます」
「僕が?侯爵家の嫡男だと?」

 さすがにこれは酷い。騙すにしてももっとマシなものがあっただろうに。

「侯爵家?僕が?ありえない」
「トレンメル家の直系の長子には燃えるような眩い赤毛が現れます。その赤は他に類を見ないほどに」

 内心ぎくりとした。脳内では無駄だとわかっていてもあがく言葉が出た。

「僕の髪は赤毛ではない」
「我が家は代々赤毛を戴くトレンメル家当主にお仕えしております。長子の証の赤毛を黒く染めれば何色になるかは承知しております。その赤毛を黒く染め上げれば濃い赤褐色になる、と」

 茶と呼ぶには赤い。黒でいくら染め上げても鮮やかな赤を打ち消しきれず赤褐色となる。地毛の赤も相当だがこの赤褐色も珍しい色だ。

「当初は赤毛に肩に太刀傷のある青年で捜索いたしましたが見つかりませんでした。そこで赤褐色の髪としたところこちらにおいでだと一報が入りました。その上で私がエドゼル様を拝見し間違いないと判断いたしました」
「判断?」
「先代様と同じ見事な赤毛でございます。ですがそれ以上にエドゼル様は先代様によく似ておいでです」

 なるほど、この髪もそれとわかっていれば探すのも楽だったろうと嘆息した。それでは変装の意味もない。父と同じ赤毛、顔も父に似ていたのか。少なくとも母似ではなかった。
 なぜ母が森から出たがらなかったのかわかったような気がした。

「それで?僕に何の用だ?」
「先代当主であるお父君、エドアルド様の遺言により正当な後継者であられるエドゼル様をお迎えにあがりました」

 先代当主、遺言。父は貴族だったのか。そして母より聞いていた暴君はやはり死んでいた。そして先代ということは新しい当主がすでにいて爵位をついている。そこまで理解した上で率直な感想が口をついた。

「今更か。意味がわからない」
「本来はエドゼル様が爵位を継ぐべきでございました。遺言状にもそのように指示がありましたが先代様が他界され少々騒ぎがございました。その最中さなか、傷を負われたエドゼル様の行方がわからなくなりそこでエドゼル様は亡くなったとされ戸籍上は消滅しております」

 はっきり言わなかったがお約束のお家騒動か。そこで僕を殺されかけて母は身を隠した。父を恐れて逃げたのかと思ったが逃げたのは父の死後。母が恐れたのは父ではなくこの侯爵家。見つかれば殺される、と。

「跡目を争う兄弟が僕にいたのか?」
「はい、一つ年下の弟君です。現在爵位をついておいてです」
「弟?何も聞いてない」
「異母弟でございます。遺言状では廃嫡にせよとされた御子です。弟君の母君が正妻でございました」

 そこで全てを理解しエデルは息を吐き出した。長子とはいえ別腹べっぷくの子を正妻がいとった。遺言状を握りつぶしその子を排斥した後に自分の子に爵位を継がせた。

 へぇ?本来は僕が継ぐべき爵位は掠め取られ、僕は命を狙われ身を偽ってこそこそ暮らしている。随分じゃないか?

 それは微かなものだったがそれを感じとったオスカーが目を細めた。

「このような事態を先代様は予見しておられました。その際はエドゼル様をお助けするようにと申しつかっております」
「助ける?僕を?」
「はい、御心のままに」
「家令の身でか?」
「我が家は正当な当主にお仕えする一族です。現当主ラルド様にその資格はありません」

 オスカーは一冊の本を差し出した。随分汚れているが日記帳のようだ。

「火事で屋敷が焼け落ちましたがこちらは無事でございました。先代様の日記です。詳しくはこちらに」

 本を受け取ったところで馬車が緩やかに停まった。

「到着したようでございます」

 先に降りたオスカーが頭を下げて下車の道を開ける。いくつか疑問点もあったが主だった話は聞けた。今日はこんなもんだろう。

「御用がございましたら部屋の窓にハンカチを。終業後にお迎えにあがります」

 オスカーは恭しく頭を下げた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛人の子を寵愛する旦那様へ、多分その子貴方の子どもじゃありません。

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵家の令嬢だったシアには結婚して七年目になる夫がいる。 夫との間には娘が一人おり、傍から見れば幸せな家庭のように思えた。 が、しかし。 実際には彼女の夫である公爵は元メイドである愛人宅から帰らずシアを蔑ろにしていた。 彼女が頼れるのは実家と公爵邸にいる優しい使用人たちだけ。 ずっと耐えてきたシアだったが、ある日夫に娘の悪口を言われたことでとうとう堪忍袋の緒が切れて……! ついに虐げられたお飾りの妻による復讐が始まる―― 夫に報復をするために動く最中、愛人のまさかの事実が次々と判明して…!?

子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。

さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。 忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。 「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」 気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、 「信じられない!離縁よ!離縁!」 深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。 結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?

離婚が決まった日に惚れ薬を飲んでしまった旦那様

しあ
恋愛
片想いしていた彼と結婚をして幸せになれると思っていたけど、旦那様は女性嫌いで私とも話そうとしない。 会うのはパーティーに参加する時くらい。 そんな日々が3年続き、この生活に耐えられなくなって離婚を切り出す。そうすれば、考える素振りすらせず離婚届にサインをされる。 悲しくて泣きそうになったその日の夜、旦那に珍しく部屋に呼ばれる。 お茶をしようと言われ、無言の時間を過ごしていると、旦那様が急に倒れられる。 目を覚ませば私の事を愛していると言ってきてーーー。 旦那様は一体どうなってしまったの?

離婚してくださいませ。旦那様。

あかね
恋愛
元の体がミスで死んじゃったから入れ替えねと魂を入れ替えられて異世界のご婦人アイリスになった私。身分差+借金の形に売られて不遇な結婚生活を送っていた元のアイリスと同じように生活……できるかっ! とさくっと離婚に乗り出す。全力ですれ違っていた?そんなの知りません。断捨離です。

ごめんなさい、全部聞こえてます! ~ 私を嫌う婚約者が『魔法の鏡』に恋愛相談をしていました

秦朱音@アルファポリス文庫より書籍発売中
恋愛
「鏡よ鏡、真実を教えてくれ。好いてもない相手と結婚させられたら、人は一体どうなってしまうのだろうか……」 『魔法の鏡』に向かって話しかけているのは、辺境伯ユラン・ジークリッド。 ユランが最愛の婚約者に逃げられて致し方なく私と婚約したのは重々承知だけど、私のことを「好いてもない相手」呼ばわりだなんて酷すぎる。 しかも貴方が恋愛相談しているその『魔法の鏡』。 裏で喋ってるの、私ですからーっ! *他サイトに投稿したものを改稿 *長編化するか迷ってますが、とりあえず短編でお楽しみください

地味すぎる私は妹に婚約者を取られましたが、穏やかに過ごせるのでむしろ好都合でした

茜カナコ
恋愛
地味な令嬢が婚約破棄されたけれど、自分に合う男性と恋に落ちて幸せになる話。

離婚の勧め

岡暁舟
恋愛
思いがけない展開に?

メリバだらけの乙女ゲーで推しを幸せにしようとしたら、執着されて禁断の関係に堕ちました

桃瀬いづみ
恋愛
母親の再婚により公爵令嬢となったアンナは、はまっていた乙女ゲームに転生したラッキー体質の元オタク。彼女は義兄が攻略キャラであり、自身の最推し・ロイだということを知る。片目が赤いオッドアイを持ち、「忌み子」として周囲に恐れられてきたロイの設定は、ゲームヒロインによって心を開いていくというもの。だけど、ゆくゆくは監禁や薬漬けといった壮絶な事件を引き起こし、メリーバッドエンドを迎えてしまう――。最推しを不幸にしたくないアンナは、ラッキー体質を生かしてロイをハッピーエンドに導くことを決意! それから10年、ようやく義兄との距離が縮まったけれど、アンナが18歳になった時、二人の関係が変わり始めて……?

処理中です...