41 / 78
第一部
第40話
しおりを挟む「‥どうしよう、怖いわ」
「怖い?」
「大変な責任があるもの。私、何も知らないの。きちんと皆を守れるかしら?」
今度はエデルが固まった。そして意味を理解したようにくすくす笑い出した。その笑いをエルーシアはさらに誤解する。
「え?やっぱり難しいわよね?どうすればいいかしら」
「いえ‥十分だと思いますよ?参ったなぁ」
ひとしきり笑ったエデルが笑顔でエルーシアの頭を撫でた。
「もうエルシャの中では爵位を継ぐことは決定事項なんだね。このまま逃げることもできるのに。うまくできるかどうかが不安なんですね?」
そう言われればそうかもしれない。指摘されて初めて気がついた。
「大丈夫ですよ。全ての領主が領地管理を自分でやっているわけではありません」
「そうなの?」
「レストランのオーナーが素晴らしいシェフである必要はありません。オーナーはよいシェフを雇って店の運営に気を配り客によい料理を出して満足させる。あ、この例えで意味がわかりますか?」
「ええ、わかるわ。領地の皆はお客様なのね?」
「はい、客はオーナーの手料理が食べたいわけじゃない。ただシェフの人選には領主に責任があります。料理が美味しいか判断する知識も必要です。そこだけ間違わなければ大丈夫でしょう」
なるほどとエルーシアは納得する。なんとなくイメージはわかった。そこで肝心なことに思い至った。
「エデルは‥‥いやじゃない?」
「何がです?」
「‥飛び出してきたのに‥あの家に戻るなんて‥怖い思いをしたしいやでしょ?」
侯爵令嬢との結婚。エデルの立場は弱い。戻れば何を言われるかわからない。本当は駆け落ちして国を出るはずだった。何処へでも連れてってと言ったくせに、自分の我儘で今は戻ろうとしている。エデルに嫌だと言われたら自分はどうしたらいいだろう。
エルーシアのその言葉にエデルはくすぐったそうに笑う。今日一番のとびきりの笑顔だと思った。
「別にどこだろうと構いません。貴方の側が僕のいる場所です。神様にもそう誓いました」
魔法のように迷いが晴れる。その笑顔で決心がついた。
あの家はエルーシアの牢獄。でもエデルと一緒なら構わない。エデルと一緒なら牢の中でも幸せになれる。二人を隔てる鉄格子はもう無い。エルーシアはエデルをぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう‥家に戻るわ」
ホテルを出て馬車に乗り本邸に向かう。やはり動けないエルーシアはエデルに抱き抱えられ馬車の中でも膝の上だ。
「クッション代わり位にはなります。一人ではまだ座れないでしょう?」
オスカーは気を利かせて御者台に乗っている。馬車の中は二人きりだ。それでもやはり気恥ずかしい。
エデルの膝の上で外を見やる。昨日は自分を閉じ込める家から逃げる為に必死だった。でも今はその家に戻ろうとしている。訃報を聞いても未だに義兄の死が信じられない。昨日家から連れ出してくれたエデルが酷いことにならないだろうか。そんなことをぐるぐる考えていれば本邸に戻ってきていた。
「エルシャ様!!」
エデルに抱き上げられ馬車を降りればドロシーとドーラ、侍女たちが駆け寄ってきた。乳母のドーラが泣きじゃくっている。皆に何も言わずに飛び出した。心配をかけてしまったようだ。
「お嬢様‥ご無事で本当によかったです」
「心配かけてごめんなさい。ドロシーも‥いろいろ準備ありがとう」
エルーシアの薬指の指輪に気が付いたドロシーは涙目で微笑んだ。
ラルドはベッドで眠るように横になっていた。青白い顔をしているが声を掛ければきっと目を開ける。あの優しい笑顔を見せてくれる。そう思い側に寄り添いそっと呼びかける。
「お義兄さま、エルーシアです。今戻りました」
でも目覚めない。義兄の手を取る。その冷たさと硬さで義兄がもう二度と目覚めないのだとやっと脳が理解した。体に縋り付けば両目から大粒の涙が溢れ出した。
「お義兄‥さま‥‥ごめん‥ごめん‥なさい‥」
優くて愛おしい‥大好きな義兄だった。家を飛び出さなければこんな事にならなかったかもしれない。きちんと話をして説得する事だってできたかもしれない。あの時義兄の手を取っていればこんなことにはならなかったかもしれない。でも心の中にエデルがいたのにその選択をできただろうか。出てくる言葉はかもしれない、ばかりだ。悔やんでも悔やみきれない。
ああ、私はやはりこの義兄のことも愛していたんだ‥‥
冷たくなった義兄に縋り散々泣き腫らし、泣き枯らしても震えていたエルーシアをエデルが抱き上げ寝室に連れていった。優しくベッドに寝かされ上掛けを掛けられる。枕元の椅子に腰掛けるエデルにエルーシアは震える手を差し伸べた。
「ゆっくり休んで。いろいろあって疲れたでしょう?」
ぎゅっと握られる手が暖かい。昨日生きていた義兄が死んだ。死は突然訪れる。人の死を肌身に感じたエルーシアが恐れで竦んだ。
「エデル‥そばに‥」
「離れません。大丈夫です」
エデルは生きている。その力強い手を握りながらエルーシアは安堵して眠りに落ちた。
その後エルーシアは熱を出し三日ほど寝込んでしまった。肉体疲労と精神的なものだろうと医者に言われベッドでひたすら眠る。
義兄にエデルの存在を知られてからずっと緊張しっぱなしだった。駆け落ち、結婚、義兄の死、そして爵位継承。たった二日でエルーシアを取り巻く状況が激変してしまった。特に義兄の死は精神的にかなり堪えた。
処方された薬は眠りを誘った。深い眠りから目覚め目を開ければ側にエデルがいる。生きていると伝えるように手を握られ、エルーシアはそれだけで安心できた。
0
お気に入りに追加
367
あなたにおすすめの小説
愛人の子を寵愛する旦那様へ、多分その子貴方の子どもじゃありません。
ましゅぺちーの
恋愛
侯爵家の令嬢だったシアには結婚して七年目になる夫がいる。
夫との間には娘が一人おり、傍から見れば幸せな家庭のように思えた。
が、しかし。
実際には彼女の夫である公爵は元メイドである愛人宅から帰らずシアを蔑ろにしていた。
彼女が頼れるのは実家と公爵邸にいる優しい使用人たちだけ。
ずっと耐えてきたシアだったが、ある日夫に娘の悪口を言われたことでとうとう堪忍袋の緒が切れて……!
ついに虐げられたお飾りの妻による復讐が始まる――
夫に報復をするために動く最中、愛人のまさかの事実が次々と判明して…!?
子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。
さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。
忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。
「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」
気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、
「信じられない!離縁よ!離縁!」
深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。
結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?
離婚が決まった日に惚れ薬を飲んでしまった旦那様
しあ
恋愛
片想いしていた彼と結婚をして幸せになれると思っていたけど、旦那様は女性嫌いで私とも話そうとしない。
会うのはパーティーに参加する時くらい。
そんな日々が3年続き、この生活に耐えられなくなって離婚を切り出す。そうすれば、考える素振りすらせず離婚届にサインをされる。
悲しくて泣きそうになったその日の夜、旦那に珍しく部屋に呼ばれる。
お茶をしようと言われ、無言の時間を過ごしていると、旦那様が急に倒れられる。
目を覚ませば私の事を愛していると言ってきてーーー。
旦那様は一体どうなってしまったの?
離婚してくださいませ。旦那様。
あかね
恋愛
元の体がミスで死んじゃったから入れ替えねと魂を入れ替えられて異世界のご婦人アイリスになった私。身分差+借金の形に売られて不遇な結婚生活を送っていた元のアイリスと同じように生活……できるかっ! とさくっと離婚に乗り出す。全力ですれ違っていた?そんなの知りません。断捨離です。
ごめんなさい、全部聞こえてます! ~ 私を嫌う婚約者が『魔法の鏡』に恋愛相談をしていました
秦朱音@アルファポリス文庫より書籍発売中
恋愛
「鏡よ鏡、真実を教えてくれ。好いてもない相手と結婚させられたら、人は一体どうなってしまうのだろうか……」
『魔法の鏡』に向かって話しかけているのは、辺境伯ユラン・ジークリッド。
ユランが最愛の婚約者に逃げられて致し方なく私と婚約したのは重々承知だけど、私のことを「好いてもない相手」呼ばわりだなんて酷すぎる。
しかも貴方が恋愛相談しているその『魔法の鏡』。
裏で喋ってるの、私ですからーっ!
*他サイトに投稿したものを改稿
*長編化するか迷ってますが、とりあえず短編でお楽しみください
メリバだらけの乙女ゲーで推しを幸せにしようとしたら、執着されて禁断の関係に堕ちました
桃瀬いづみ
恋愛
母親の再婚により公爵令嬢となったアンナは、はまっていた乙女ゲームに転生したラッキー体質の元オタク。彼女は義兄が攻略キャラであり、自身の最推し・ロイだということを知る。片目が赤いオッドアイを持ち、「忌み子」として周囲に恐れられてきたロイの設定は、ゲームヒロインによって心を開いていくというもの。だけど、ゆくゆくは監禁や薬漬けといった壮絶な事件を引き起こし、メリーバッドエンドを迎えてしまう――。最推しを不幸にしたくないアンナは、ラッキー体質を生かしてロイをハッピーエンドに導くことを決意! それから10年、ようやく義兄との距離が縮まったけれど、アンナが18歳になった時、二人の関係が変わり始めて……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる