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第一部

第40話

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「‥どうしよう、怖いわ」
「怖い?」
「大変な責任があるもの。私、何も知らないの。きちんと皆を守れるかしら?」

 今度はエデルが固まった。そして意味を理解したようにくすくす笑い出した。その笑いをエルーシアはさらに誤解する。

「え?やっぱり難しいわよね?どうすればいいかしら」
「いえ‥十分だと思いますよ?参ったなぁ」

 ひとしきり笑ったエデルが笑顔でエルーシアの頭を撫でた。

「もうエルシャの中では爵位を継ぐことは決定事項なんだね。このまま逃げることもできるのに。うまくできるかどうかが不安なんですね?」

 そう言われればそうかもしれない。指摘されて初めて気がついた。

「大丈夫ですよ。全ての領主が領地管理を自分でやっているわけではありません」
「そうなの?」
「レストランのオーナーが素晴らしいシェフである必要はありません。オーナーはよいシェフを雇って店の運営に気を配り客によい料理を出して満足させる。あ、この例えで意味がわかりますか?」
「ええ、わかるわ。領地の皆はお客様なのね?」
「はい、客はオーナーの手料理が食べたいわけじゃない。ただシェフの人選には領主に責任があります。料理が美味しいか判断する知識も必要です。そこだけ間違わなければ大丈夫でしょう」

 なるほどとエルーシアは納得する。なんとなくイメージはわかった。そこで肝心なことに思い至った。

「エデルは‥‥いやじゃない?」
「何がです?」
「‥飛び出してきたのに‥あの家に戻るなんて‥怖い思いをしたしいやでしょ?」

 侯爵令嬢との結婚。エデルの立場は弱い。戻れば何を言われるかわからない。本当は駆け落ちして国を出るはずだった。何処へでも連れてってと言ったくせに、自分の我儘で今は戻ろうとしている。エデルに嫌だと言われたら自分はどうしたらいいだろう。

 エルーシアのその言葉にエデルはくすぐったそうに笑う。今日一番のとびきりの笑顔だと思った。

「別にどこだろうと構いません。貴方の側が僕のいる場所です。神様にもそう誓いました」

 魔法のように迷いが晴れる。その笑顔で決心がついた。

 あの家はエルーシアの牢獄。でもエデルと一緒なら構わない。エデルと一緒なら牢の中でも幸せになれる。二人を隔てる鉄格子はもう無い。エルーシアはエデルをぎゅっと抱きしめた。

「ありがとう‥家に戻るわ」



 ホテルを出て馬車に乗り本邸に向かう。やはり動けないエルーシアはエデルに抱き抱えられ馬車の中でも膝の上だ。

「クッション代わり位にはなります。一人ではまだ座れないでしょう?」

 オスカーは気を利かせて御者台に乗っている。馬車の中は二人きりだ。それでもやはり気恥ずかしい。
 エデルの膝の上で外を見やる。昨日は自分を閉じ込める家から逃げる為に必死だった。でも今はその家に戻ろうとしている。訃報を聞いても未だに義兄の死が信じられない。昨日家から連れ出してくれたエデルが酷いことにならないだろうか。そんなことをぐるぐる考えていれば本邸に戻ってきていた。

「エルシャ様!!」

 エデルに抱き上げられ馬車を降りればドロシーとドーラ、侍女たちが駆け寄ってきた。乳母のドーラが泣きじゃくっている。皆に何も言わずに飛び出した。心配をかけてしまったようだ。

「お嬢様‥ご無事で本当によかったです」
「心配かけてごめんなさい。ドロシーも‥いろいろ準備ありがとう」

 エルーシアの薬指の指輪に気が付いたドロシーは涙目で微笑んだ。




 ラルドはベッドで眠るように横になっていた。青白い顔をしているが声を掛ければきっと目を開ける。あの優しい笑顔を見せてくれる。そう思い側に寄り添いそっと呼びかける。

「お義兄さま、エルーシアです。今戻りました」

 でも目覚めない。義兄の手を取る。その冷たさと硬さで義兄がもう二度と目覚めないのだとやっと脳が理解した。体に縋り付けば両目から大粒の涙が溢れ出した。

「お義兄‥さま‥‥ごめん‥ごめん‥なさい‥」

 優くて愛おしい‥大好きな義兄だった。家を飛び出さなければこんな事にならなかったかもしれない。きちんと話をして説得する事だってできたかもしれない。あの時義兄の手を取っていればこんなことにはならなかったかもしれない。でも心の中にエデルがいたのにその選択をできただろうか。出てくる言葉はかもしれない、ばかりだ。悔やんでも悔やみきれない。

 ああ、私はやはりこの義兄のことも愛していたんだ‥‥

 冷たくなった義兄に縋り散々泣き腫らし、泣き枯らしても震えていたエルーシアをエデルが抱き上げ寝室に連れていった。優しくベッドに寝かされ上掛けを掛けられる。枕元の椅子に腰掛けるエデルにエルーシアは震える手を差し伸べた。

「ゆっくり休んで。いろいろあって疲れたでしょう?」

 ぎゅっと握られる手が暖かい。昨日生きていた義兄が死んだ。死は突然訪れる。人の死を肌身に感じたエルーシアが恐れですくんだ。

「エデル‥そばに‥」
「離れません。大丈夫です」

 エデルは生きている。その力強い手を握りながらエルーシアは安堵して眠りに落ちた。



 その後エルーシアは熱を出し三日ほど寝込んでしまった。肉体疲労と精神的なものだろうと医者に言われベッドでひたすら眠る。
 義兄にエデルの存在を知られてからずっと緊張しっぱなしだった。駆け落ち、結婚、義兄の死、そして爵位継承。たった二日でエルーシアを取り巻く状況が激変してしまった。特に義兄の死は精神的にかなりこたえた。

 処方された薬は眠りを誘った。深い眠りから目覚め目を開ければ側にエデルがいる。生きていると伝えるように手を握られ、エルーシアはそれだけで安心できた。

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