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第二部

第23話

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「夜だったからか?」
「屋敷の騒ぎで馬も興奮しておりましたが腹帯の破損が原因かと。医師を呼びましたが診断時すでに事切れておいででした」
「腹帯?当主専用の馬具が破損?馬鹿な!」
「馬具の破損については伏せております」

 腹帯は鞍を馬の腹に固定する帯だ。普通に切れるものではない。何者かが切ったことになる。
 エデルは馬丁だったが当主専用の厩は担当外だった。当主専用の厩には厩務員が厩内の部屋に寝泊まりして詰めている。警備もつく中で馬具も同様に管理されており、エデルがラルドの馬具に触れられる余地もない。

 だがこれでは僕がやった様じゃないか。

 ラルドが邪魔だとは思った。一方的に殴られ殺されそうになった。自分を人質にエルーシアを手に入れようとしたラルドに絞め殺したいほどの怒りが沸いた。復讐を誓った相手、だが本当に殺したいとまでは思っていない。こうして無事駆け落ちしエルーシアと結ばれてしまえばあとはどうでもいい話だった。そこまで意図していなかった。エデルは顔を顰める。

「ラルド様が亡くなりお嬢様もご不在で家人たちも動揺しております。どうぞお戻り下さい」
「だが‥‥」
「あなた様が正当なトレンメル家当主です」

 トレンメル家に近づいた理由。復讐、そして父の死の謎を探るはずだった。奪われたものを取り返すつもりだったがエルーシアに出会い恋に落ちてそれもすっかり有耶無耶になっていた。このまま駆け落ちし何処かで人知れず静かに二人で暮らせればいいと思っていた。それがラルドが亡くなり話が変わってしまった。

「正当な当主はエルーシアだ」
「同じことでございます。エドゼル様の血を分けた御子が次期当主となられます」

 なるほど、トレンメル家の血を絶やさないためか。わかりやすい。ここで拒否して身をくらませても僕の子供に爵位を継がせようとするだろう。こいつなら必ずやる。

 エデルが気だるげに諦めの息を吐いた。

 ラルドの死を事故死で落とす為に一度は戻らなくてはならない。このまま駆け落ちしては僕が殺人容疑で追われる羽目になる。だがそれを決めるのは僕じゃない。

「戻るかどうかはエルーシアが決める」

 でももうその答えは決まっているだろうな




 オスカーに出立の支度をするよう命じ部屋に戻りエルーシアに状況を説明した。
 義兄の死にエルーシアは青ざめていた。流石に最後の別れがあれだった。無理もない。直接の原因は落馬だが、落馬のきっかけはこの駆け落ちと思っているだろう。歪んでいたがエルーシアにとっては悪い義兄ではなかったはずだ。
 時間を与えたいがどうにもならない。爵位の件を伝えた。最後の爵位継承者。やはりエルーシアは帰還を決断した。領民を気遣う優しい彼女らしい。

「エデルは‥‥いやじゃない?」
「貴方の側が僕のいる場所です。神様にもそう誓いました」

 僕まで気遣うエルーシアがいじらしい。天涯孤独な馬丁が侯爵令嬢の、爵位継承者の配偶者になった。うまくやったと風当たりがきついだろうと僕の立場を気遣ってくれたとわかる。
 だが僕はそんなことを気にしない。身内の反対ならねじ伏せて見せよう。そのための証拠はすでに手の中にある。僕は君の血の繋がらない義兄。君はそれらを知らなくていい。公表するつもりもない。
 侯爵家当主は君。僕は君の配偶者。それでいいんだ。

 君は領民を気遣い戻ろうとしている。父の血を引いていないが立派な侯爵令嬢だ。領地など領民などどうでもいいと思う僕とは違う。

 あの屋敷は君と僕の牢獄
 領地と領民に隷属させられる
 だが君が望むなら君と共にあの檻の中に入ろう
 君と一緒なら牢獄さえ楽園となるのだから




 トレンメル家に戻って二日目、エデルは予想通り親族連中に呼び出された。
 難癖つけて結婚を無効にさせる腹だったろう。エルーシアには神前の宣誓は不可侵と言ったが、貴族のそれは実は金でどうとでもなる。まさに神をも恐れぬ所業というものだ。
 エルーシアは心労で深く眠っている。睡眠導入剤を服薬してしばらく目は覚めないだろう。ちょうどいい。そういうつもりならば、とエデルはオスカーを従え親族連中の集まる部屋に乗り込み全てをぶちまけた。
 先代エドアルドの日記。無精の診断書。ラルドもエルーシアもトレンメル家の血を継いでいない事実。遺言状。刻印入りの金の懐中時計。そしてトレンメル家長子に現れるとされるエドゼルの燃えるような赤毛。肩の太刀傷。

 染めを落とした髪の自分を久しぶりに見たがエデルは見慣れなさに違和感を感じていた。鏡の中の自分はまるで別人のようだ。だが年寄り連中はフードを落とし赤い髪を晒すエデルを息を呑んで見ていた。青ざめるほどに、それほどにこの赤毛は衝撃だったようだ。
 唯一の爵位継承者の配偶者になった家人。何処の馬の骨だと思っていた馬丁が十八年前に失踪した赤毛の嫡男だった。驚くのも無理もない。

 赤毛が決定打になりエデルは正当なトレンメル家長子と認められたが、その事実は厳重に封印された。あくまで当主はエルーシア、自分は配偶者であるとエデルは徹底させる。
 そもそも貴族戸籍上存在しない身。今更長子に戻るつもりもない。貴族はしがらみも多い。庶民出身という身元の方が自由に動ける。実権だけあればいい。エルーシアと結ばれた自分がエルーシアの兄になるなど外聞も悪い。親族は自分の子が本家の跡を継げば満足だろう。

 併せてラルドの死は落馬による事故死で落とした。馬具の不具合だと他殺と疑われる。結婚を反対していた妹婿が馬丁。つまらない醜聞になりかねない。
 侯爵家当主の座から引きずり下ろそうと復讐を誓った相手。エルーシアを奪われそうになり烈火の如く怒りが湧きこの手で締め殺してやると思った。だが葬儀で棺の中に眠る骸を見てエデルに複雑な感情が湧いた。皮肉な運命の元に生まれ巡り合った義弟。父の遺言がなければ、真実を知らなければ、自分が落ち延びず共に暮らしていれば仲の良い異母兄弟になれたのだろうか。

 ———いや、エルシャがいる以上それは無理だったろうな。

 涙にくれるエルーシアの肩を抱きしめエデルは目を閉じた。



 そしてラルドの喪があけて爵位を継いだエルーシアにエデルは配偶者と選ばれ、あらためて二人は式を挙げた。
 領民にはエデルは歓迎されたようだ。庶民と貴族の恋の成就は得てして受け入れられやすいものだ。身分差の忍ぶ恋、そこに駆け落ちがつけばなおさらだ。王都にあがり王の御前で爵位継承と結婚の報告も行った。王より祝福を受けエルーシアとエデルの結婚は公のものとなった。


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