上 下
66 / 78
第二部

第23話

しおりを挟む



「夜だったからか?」
「屋敷の騒ぎで馬も興奮しておりましたが腹帯の破損が原因かと。医師を呼びましたが診断時すでに事切れておいででした」
「腹帯?当主専用の馬具が破損?馬鹿な!」
「馬具の破損については伏せております」

 腹帯は鞍を馬の腹に固定する帯だ。普通に切れるものではない。何者かが切ったことになる。
 エデルは馬丁だったが当主専用の厩は担当外だった。当主専用の厩には厩務員が厩内の部屋に寝泊まりして詰めている。警備もつく中で馬具も同様に管理されており、エデルがラルドの馬具に触れられる余地もない。

 だがこれでは僕がやった様じゃないか。

 ラルドが邪魔だとは思った。一方的に殴られ殺されそうになった。自分を人質にエルーシアを手に入れようとしたラルドに絞め殺したいほどの怒りが沸いた。復讐を誓った相手、だが本当に殺したいとまでは思っていない。こうして無事駆け落ちしエルーシアと結ばれてしまえばあとはどうでもいい話だった。そこまで意図していなかった。エデルは顔を顰める。

「ラルド様が亡くなりお嬢様もご不在で家人たちも動揺しております。どうぞお戻り下さい」
「だが‥‥」
「あなた様が正当なトレンメル家当主です」

 トレンメル家に近づいた理由。復讐、そして父の死の謎を探るはずだった。奪われたものを取り返すつもりだったがエルーシアに出会い恋に落ちてそれもすっかり有耶無耶になっていた。このまま駆け落ちし何処かで人知れず静かに二人で暮らせればいいと思っていた。それがラルドが亡くなり話が変わってしまった。

「正当な当主はエルーシアだ」
「同じことでございます。エドゼル様の血を分けた御子が次期当主となられます」

 なるほど、トレンメル家の血を絶やさないためか。わかりやすい。ここで拒否して身をくらませても僕の子供に爵位を継がせようとするだろう。こいつなら必ずやる。

 エデルが気だるげに諦めの息を吐いた。

 ラルドの死を事故死で落とす為に一度は戻らなくてはならない。このまま駆け落ちしては僕が殺人容疑で追われる羽目になる。だがそれを決めるのは僕じゃない。

「戻るかどうかはエルーシアが決める」

 でももうその答えは決まっているだろうな




 オスカーに出立の支度をするよう命じ部屋に戻りエルーシアに状況を説明した。
 義兄の死にエルーシアは青ざめていた。流石に最後の別れがあれだった。無理もない。直接の原因は落馬だが、落馬のきっかけはこの駆け落ちと思っているだろう。歪んでいたがエルーシアにとっては悪い義兄ではなかったはずだ。
 時間を与えたいがどうにもならない。爵位の件を伝えた。最後の爵位継承者。やはりエルーシアは帰還を決断した。領民を気遣う優しい彼女らしい。

「エデルは‥‥いやじゃない?」
「貴方の側が僕のいる場所です。神様にもそう誓いました」

 僕まで気遣うエルーシアがいじらしい。天涯孤独な馬丁が侯爵令嬢の、爵位継承者の配偶者になった。うまくやったと風当たりがきついだろうと僕の立場を気遣ってくれたとわかる。
 だが僕はそんなことを気にしない。身内の反対ならねじ伏せて見せよう。そのための証拠はすでに手の中にある。僕は君の血の繋がらない義兄。君はそれらを知らなくていい。公表するつもりもない。
 侯爵家当主は君。僕は君の配偶者。それでいいんだ。

 君は領民を気遣い戻ろうとしている。父の血を引いていないが立派な侯爵令嬢だ。領地など領民などどうでもいいと思う僕とは違う。

 あの屋敷は君と僕の牢獄
 領地と領民に隷属させられる
 だが君が望むなら君と共にあの檻の中に入ろう
 君と一緒なら牢獄さえ楽園となるのだから




 トレンメル家に戻って二日目、エデルは予想通り親族連中に呼び出された。
 難癖つけて結婚を無効にさせる腹だったろう。エルーシアには神前の宣誓は不可侵と言ったが、貴族のそれは実は金でどうとでもなる。まさに神をも恐れぬ所業というものだ。
 エルーシアは心労で深く眠っている。睡眠導入剤を服薬してしばらく目は覚めないだろう。ちょうどいい。そういうつもりならば、とエデルはオスカーを従え親族連中の集まる部屋に乗り込み全てをぶちまけた。
 先代エドアルドの日記。無精の診断書。ラルドもエルーシアもトレンメル家の血を継いでいない事実。遺言状。刻印入りの金の懐中時計。そしてトレンメル家長子に現れるとされるエドゼルの燃えるような赤毛。肩の太刀傷。

 染めを落とした髪の自分を久しぶりに見たがエデルは見慣れなさに違和感を感じていた。鏡の中の自分はまるで別人のようだ。だが年寄り連中はフードを落とし赤い髪を晒すエデルを息を呑んで見ていた。青ざめるほどに、それほどにこの赤毛は衝撃だったようだ。
 唯一の爵位継承者の配偶者になった家人。何処の馬の骨だと思っていた馬丁が十八年前に失踪した赤毛の嫡男だった。驚くのも無理もない。

 赤毛が決定打になりエデルは正当なトレンメル家長子と認められたが、その事実は厳重に封印された。あくまで当主はエルーシア、自分は配偶者であるとエデルは徹底させる。
 そもそも貴族戸籍上存在しない身。今更長子に戻るつもりもない。貴族はしがらみも多い。庶民出身という身元の方が自由に動ける。実権だけあればいい。エルーシアと結ばれた自分がエルーシアの兄になるなど外聞も悪い。親族は自分の子が本家の跡を継げば満足だろう。

 併せてラルドの死は落馬による事故死で落とした。馬具の不具合だと他殺と疑われる。結婚を反対していた妹婿が馬丁。つまらない醜聞になりかねない。
 侯爵家当主の座から引きずり下ろそうと復讐を誓った相手。エルーシアを奪われそうになり烈火の如く怒りが湧きこの手で締め殺してやると思った。だが葬儀で棺の中に眠る骸を見てエデルに複雑な感情が湧いた。皮肉な運命の元に生まれ巡り合った義弟。父の遺言がなければ、真実を知らなければ、自分が落ち延びず共に暮らしていれば仲の良い異母兄弟になれたのだろうか。

 ———いや、エルシャがいる以上それは無理だったろうな。

 涙にくれるエルーシアの肩を抱きしめエデルは目を閉じた。



 そしてラルドの喪があけて爵位を継いだエルーシアにエデルは配偶者と選ばれ、あらためて二人は式を挙げた。
 領民にはエデルは歓迎されたようだ。庶民と貴族の恋の成就は得てして受け入れられやすいものだ。身分差の忍ぶ恋、そこに駆け落ちがつけばなおさらだ。王都にあがり王の御前で爵位継承と結婚の報告も行った。王より祝福を受けエルーシアとエデルの結婚は公のものとなった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。 あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。 そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。 翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。 しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。 ********** ●早瀬 果歩(はやせ かほ) 25歳、OL 元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。 ●逢見 翔(おうみ しょう) 28歳、パイロット 世界を飛び回るエリートパイロット。 ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。 翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……? ●航(わたる) 1歳半 果歩と翔の息子。飛行機が好き。 ※表記年齢は初登場です ********** webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です! 完結しました!

【R18】フェロモン -堕ちてゆく彼女ー

ちゅー
恋愛
フェロモンは動物が同種の個体に対し一定の行動や発育を促す生理活性物質である。 例えばミツバチは巣に危険が迫った際、針からフェロモンを出し仲間に危険を知らせる。雄のブタは発情期の雌に対し、アンドロステノンというフェロモンを出し、交尾を誘引したり、排卵を活性化させる。 生殖行為を促すフェロモンに絞っても 1600 種以上が既に発見されており、生物界におけるフェロモンによる行動促進は枚挙に暇がない。 動物の場合、フェロモンを感受する器官は主に鼻、嗅覚となる。そこから脳へ伝わり、無意識下で生理変化を促される。 対してヒトに関するフェロモンに存在が証明されたものはない。感受器官である嗅覚に関しては、視覚の進化に伴いヒトは退化を選んだ。 特にコミュニケーション手段が多様化している昨今、嗅覚に頼る必要も薄れてきているのかもしれない。 ただそんな現代社会で自由にフェロモンを操るヒトが存在したらどうだろうか。行動誘導、体質改造、生理現象管理を本人にすら気づかれずコントロールできるようなヒトが、下劣な下心を持ってしまっていたら… ※ノクターンノベルズにアップしていた同名作品を加筆修正したものです ※同一作者です< 麻色 = ちゅー太 >

【R18】今夜、私は義父に抱かれる

umi
恋愛
封じられた初恋が、時を経て三人の男女の運命を狂わせる。メリバ好きさんにおくる、禁断のエロスファンタジー。 一章 初夜:幸せな若妻に迫る義父の魔手。夫が留守のある夜、とうとう義父が牙を剥き──。悲劇の始まりの、ある夜のお話。 二章 接吻:悪夢の一夜が明け、義父は嫁を手元に囲った。が、事の最中に戻ったかに思われた娘の幼少時代の記憶は、夜が明けるとまた元通りに封じられていた。若妻の心が夫に戻ってしまったことを知って絶望した義父は、再び力づくで娘を手に入れようと──。 【共通】 *中世欧州風ファンタジー。 *立派なお屋敷に使用人が何人もいるようなおうちです。旦那様、奥様、若旦那様、若奥様、みたいな。国、服装、髪や目の色などは、お好きな設定で読んでください。 *女性向け。女の子至上主義の切ないエロスを目指してます。 *一章、二章とも、途中で無理矢理→溺愛→に豹変します。二章はその後闇落ち展開。思ってたのとちがう(スン)…な場合はそっ閉じでスルーいただけると幸いです。 *ムーンライトノベルズ様にも旧バージョンで投稿しています。 ※同タイトルの過去作『今夜、私は義父に抱かれる』を改編しました。2021/12/25

性欲の強すぎるヤクザに捕まった話

古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。 どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。 「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」 「たまには惣菜パンも悪くねぇ」 ……嘘でしょ。 2019/11/4 33話+2話で本編完結 2021/1/15 書籍出版されました 2021/1/22 続き頑張ります 半分くらいR18な話なので予告はしません。 強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。 誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。 当然の事ながら、この話はフィクションです。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

【R-18】悪役令嬢ですが、罠に嵌まって張型つき木馬に跨がる事になりました!

臣桜
恋愛
悪役令嬢エトラは、王女と聖女とお茶会をしたあと、真っ白な空間にいた。 そこには張型のついた木馬があり『ご自由に跨がってください。絶頂すれば元の世界に戻れます』の文字が……。 ※ムーンライトノベルズ様にも重複投稿しています ※表紙はニジジャーニーで生成しました

処理中です...