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第一部
第15話
しおりを挟むその体が再びベッドに押し倒された。寝具から勢いよく出てきたエデルがエルーシアを見下ろしている。その表情で相当に怒っているとわかる。昼間の比ではない。声は殺しているが囁く声が一段と低い。
「エ‥‥エデル」
「エルシャ様、あれはなんですか?」
「あ、あれ?」
口ごもり視線を外そうと横向く顔の両脇にエデルの両手が突き刺さる。
「誤魔化さないで!あのキスは?いつもやっているんですか?」
「え?キス‥‥」
「まさか毎晩ラ‥旦那様とあんなことを?!」
昼間のエデルもおっかないと思ったが今のエデルは本当に怖い。ぎりぎりと歯軋りが聞こえてきそうだ。眼光鋭くエルーシアを見つめる。
「た、ただの兄妹のキスよ?みんなするんでしょ?」
「は?なんですかそれは?」
「‥‥だってお義兄さまがみんなしてるって、そう言ってたわよ?」
おずおずとそう説明すればエデルが目元に手を当てて力なく俯いた。その口から盛大なため息が漏れる。
「そんなものありません」
「え?ないの?」
「どう考えてもおかしいでしょ?兄妹でキス?ありえません!あんな風に淫らに触れるとか‥旦那様の言うことを鵜呑みにしすぎです!もう少し疑ってください!」
「で‥でも子供の頃からああやって撫でてぎゅってしてもらってるし‥」
「子供の頃から?!それもおかしいんです!!」
エデルに否定されエルーシアは大混乱だ。じゃあなんでお義兄さまはそんなことを?エルーシアはおろおろと言い訳を口走る。
「で、でも家族のキス程度だし‥お義兄さまとは血が繋がって‥」
「半分だけでしょう?血が繋がっていてもキスやいやらしいことはできるんです!義兄だろうが男は男です!」
それでもエルーシアはエデルが怒る意味がわからない。その様子にはぁと再びため息をついてエデルが額を手で覆った。
「そうですね。もし僕がエルシャ様じゃない女性とキスしていたらどうです?」
「いやッそんなの絶対ダメ!!」
「僕がその女性は妹で、家族だからキスしていいと言ったら?」
その例えにぞくりとした。相手が家族かどうかじゃない。エデルが自分じゃない女性とキスをする。それ自体が受け付けられない。震える声が出た。
「‥‥そんなの‥‥」
「仲がいい妹だからキスはいいと僕が言えば受け入れられますか?僕がその女性と深いキスをして裸で抱き合っていても家族ならいいですか?」
その生々しい様子を思い浮かべてエルーシアの目から大粒の涙が溢れだした。それは今自分が平然と言った言い訳だ。エデルの気持ちを無視したんだと心が痛んだ。エデルが怒った気持ちがやっとわかった。
「ごめんなさい‥‥ごめん‥」
肩を震わせながら顔を伏せ啜り泣けばふわりと抱きしめられた。
「わかってもらえたようですね?」
「エデル‥‥」
縋りつけばさらにきつく抱きしめられる。背中を優しくさすってきた。
「僕はエルシャ様が好きです。だから他の男とキスすれば当然怒ります。例え旦那様でも」
「‥‥もうしないわ」
「そうお願いします。こんなこと何度もあったら僕は憤死してしまいます」
「うん‥エデルも‥」
「僕には家族も‥‥妹もいません。エルシャ様以外の女性にも興味はないです」
苦笑気味にそう言われれば心が落ち着いた。エデルが自分以外の女性と触れ合っていたら悲しくて死んでしまいそうだ。
「旦那様との遠乗りも断ってください。馬車はやっぱり怖いとでも言い訳できるでしょう?」
「わかったわ‥」
いつものエデルの包み込むような抱擁にほっとして目を閉じる。この恋人はやはり優しい。義兄に感じる抱擁と似てとても甘い。だがうっとりしていたところをいきなり肩を押され体を離されてエルーシアは目を瞠る。
「エデル?」
「ですがエルシャ様を僕が許すかどうかは別です」
エデルのとてもいい笑顔にエルーシアがガチンと固まった。とてもいい笑顔、でもいつもの優しい笑顔じゃない。エデルはまだ怒っていたのだ、それも猛烈に。
「さて、と。お説教も終わりましたし。そろそろお仕置きの時間ですよ、エルシャ様?」
「え?お、お仕置き?」
「悪いことをした子には罰を与えないと。また悪いことをしてしまいます」
エルーシアの鼻の頭を指でくすぐってエデルは目を細める。顔は笑顔だが目が笑っていない。初めて見るエデルの仄冥い笑顔にぞくりとした。
罰とはなんだろう?叩かれるのだろうか。いつも優しいエデルがそういうことをするところを想像できない。でも悪かったのはエルーシアだ。ここは罰を受けるべきだ。
「わかったわ。罰って何をすればいいの?」
「脱いでください」
キッパリ言われエルーシアが絶句した。言われた言葉が信じられない。
「え?ええ?」
「僕の目の前で裸になって。自分で脱ぐんですよ?」
顔を左右に振り座ったまま後じさるエルーシアをエデルが壁際まで追い詰めた。
「ム‥ムリよ。できない‥」
「罰ですからね、拒絶は許しません」
先ほどラルドに乱されたままの夜着をぎゅっと握り締める。夜着に触れれば先程の狂おしい淫行が思い出されてぶるりと体が震えた。その様子にエデルの目が鋭く細められた。
「何を思い出していますか?」
「え?何も‥‥」
「先程旦那様に触れられて感じてましたよね?」
「だからそれは」
「嘘はダメです。たくさん濡れてました」
「あれは‥エデルが‥触ったから‥‥」
そう言ってから言い淀む。本当にそうだっただろうか。与えられた快楽にどちらのものなどなかったはずだ。そもそも最初はラルドの愛撫しかなかった。空をかいた手。あそこでエデルに止められなかったら自分は何をしていたのだろうか。
だからエデルは怒っている。ラルドの愛撫にエルーシアが応えたから。
「本当は抱きしめてキスするだけと思ってやってきたのに愛おしい恋人が自分以外の男ととんでもないことをしたんですよ?しかも自分の目の前で。それ以上のことはしていただかないと」
楽しげな声色に有無を言わせない圧を感じた。逆らうことは許さない。エデルの毅然とした態度も初めて見た。
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