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第一部

第03話

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 エルーシア・トレンメル侯爵令嬢の幼少期は他の貴族令嬢たちとは少々異なっていた。

 エルーシアはトレンメル侯爵家当主と側妻で子爵令嬢だった母の間に生を受けた。その時にはすでに歳近い異母兄がいた。普通であれば名家の侯爵家の長女として何不自由なく暮らせるはずだった。しかしそこからエルーシアの運命の歯車が狂い出す。

 まず生後一週間で母が亡くなった。産後の肥立ちが良くなかったとエルーシアの乳母であるドーラから聞かされた。朝眠る様に息を引き取っていた、と。母の死はドーラが侯爵家に到着して二日しか経っていなかったという。

「若奥様とはもっとお話ししとうございました」

 母のようにずっと寄り添ってくれたドーラが寂しそうにぽつりとそう言ったのは随分前の記憶だ。母が残したものはロケットのペンダント。エルーシアの名前が刻まれていた。息を引き取る前日に母がドーラに託したという。エルーシアはこのロケットをお守りがわりに毎日に身につけている。
 母を早々に亡くしたがさらにその三週間後、当時侯爵家当主だった父が亡くなった。こちらは自殺とのことだった。本邸の母家から火が出て父の焼死体が見つかった。館には父が火を放ったという。遺書もなく自殺の原因はわからない。だが溺愛していた側妻が亡くなって塞いでいたようだとドーラから聞かされていた。

 侯爵家当主が死んだ。突然の訃報の中でさらに事件が起こる。エルーシアの異母兄が何者かに襲われた。異母兄は無事だったが犯人は不明、不幸に続く事件で侯爵家は揺れたが、残された正妻であるヴィルマがその場を収めた。その事件からヴィルマが侯爵家での実権を握るようになる。
 その騒ぎの中、エルーシアは乳母ドーラと共に別邸に避難していた。事件も落ち着き本邸に戻ってきたが七歳の時に義母ヴィルマの命でドーラと共に再び別邸へと移り住んだ。

 義母に好かれていなかったのは幼いながらに自覚があった。それほど接触はなかったがある夏の日に顔を合わせた際、七歳のエルーシアの顔を見てヴィルマは青ざめていた。それ程に自分は嫌われているのかと子供心に傷つく。だが実際はそうではなかったとのちに知った。

「エルーシア様は若奥様にとてもよく似ておいででしたので‥‥」

 ドーラはエルーシアの母を若奥様、異母兄ラルドの母を奥様と呼んでいた。義母は側妻だった母を嫌っていたらしい。母の顔を知らないエルーシアは鏡の中を覗き込んだ。父が死んだ際の火事で母の姿絵も残っていない。義母が青ざめるほどに自分は母に似ているのだろうか。逆に自分は義兄ラルドと全く似ていない。自分は父の血を本当に継いでいるのかと疑問に思えるほどに。父の姿絵もなかったためたまにこっそり別邸に遊びにきてくれるラルドに父の面影を重ねていた。
 別邸は本邸から離れており森に囲まれ周りに民家もない。エルーシアはここで乳母ドーラ、ドーラの娘で乳姉妹のドロシー、それに数人の年老いた家人と共にひっそりと暮らしていた。

「シア、迎えにきたよ」

 それはエルーシアが十八になった時、ラルドが別邸にやってきた。義兄は十四の時にトレンメル侯爵家を継いで当主となっていた。異母兄とエルーシアは二カ月違い兄妹だ。同じ歳の二人はともすれば二卵性の双子のようだったが体格はラルドの方が大きかった。子供の頃は年上の兄のように甘えたものだった。
 領地管理で忙しい中でも別邸に住むエルーシアの元に顔を出してくれていた。正妻ヴィルマと同じ濃い茶髪に凛々しい顔立ち、そしていつも優しい義兄にエルーシアはとても懐いていた。

「迎えにとは?」
「本邸においで。一緒に暮らそう」
「え?でも‥‥」
「母のことなら気にしないでいいよ。もう‥‥」

 三ヶ月前に義母ヴィルマは他界した。流行病にかかり息を引き取ったのだ。お見舞いに行こうとしたエルーシアの本邸への帰還を気が強いヴィルマは最期の時まで許さなかった。
 徹底的に避けられた。まるでいとわしいと思われるほどに。側妻の子なのだからしょうがないとエルーシアはそれを受け入れたがとても悲しかった。

「母を気遣ってくれてありがとう」
「いえ‥何もできませんでした」
「そんなことないよ。‥‥皆死んでしまった。お前は私の最後の家族だ。ばらばらに暮らすのは寂しすぎる。だからどうか戻ってきて欲しい」
「お義兄さま‥‥」

 大好きな異母兄と一緒に暮らせる。それだけでエルーシアの心が高鳴った。

「身支度の応援もよこそう。みんな連れて本邸においで。いや、荷物は後でいい。必要なものは本邸にもある。先にお前だけでもおいで」
「ありがとうお義兄さま、嬉しいです」

 そしてエルーシアは十一年ぶりに本邸へ移り住んできた。本邸のある街は大きい。久しぶりの都会にドロシーは興奮気味だ。ドロシーはエルーシアより半年年上で乳母ドーラの娘、本当の姉妹のように一緒に育ってきた。今は膝を痛めたドロシーの代わりにエルーシアの侍女として身の回りの世話をしている。

「すごい!人がたくさんいますね」

 ドロシーははしゃいでいたがエルーシアは人混みに気後れしていた。別邸は広大な敷地に囲まれ人は少なかった。今まで住んでいた別邸と全く環境が違う。

「大丈夫ですよ!色々見て回ればここにもすぐ慣れますって」
「そうかしら‥」
「ゆっくり馴染まれればよろしいですよ。これドロシー、はしたない」

 母に嗜められドロシーがしぶしぶカーテンを閉めた。


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