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第一部

第01話

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 エルーシアはそっと窓の鉄格子越しに外を窺った。

 陽が沈み辺りはすっかり暗くなっていた。その暗がりの中、エントランスホールを出て馬車に乗り込む義兄の姿が遠目に見えた。トレンメル侯爵家の紋章が描かれた馬車の扉が閉じられ蹄の音と共に馬車が走り出す。馬車が門の奥に姿を消すのを息をひそめて見つめていたエルーシアは窓から離れ駆け出した。踵のない靴を履き暖炉の脇の壁を押し込めば隠し扉が現れる。

 夜着にショールを纏いエルーシアは隠し扉を開け通路に入り内側の壁を押し込むと扉が閉じた。うっすらと発光する壁を手で辿りながら進み正面の扉を開ける。そこは部屋から少し離れた裏庭だった。
 夜着を纏っているのは部屋に戻ってすぐベッドに入ればずっと寝ていたと偽れるから。それともう一つ。

 薄暗い裏庭を抜けて隠れ家に向かう。誰かに見られないように慎重に辺りを窺った。見つかって義兄に知れては大変なことになってしまう。義兄の出発が遅れてだいぶ時間が経ってしまった。もう着いているだろうか。待ちきれず帰ってしまっていないだろうか。自分の足の遅さに焦れてしまう。
 息を弾ませ隠れ家の扉を開けたところで、エルーシアは何者かに背後から口を塞がれはがいじめに押さえ込まれる。エルーシアの咄嗟にあげた悲鳴はくぐもっていて辺りに響かない。廃屋はいおくのような部屋に連れ込まれ強引に押し倒された。そこでようやく相手の顔を見ることができた。

「エデル!もう!驚かさないで!」
「遅れた罰です」

 自分にのしかかりくすくすと笑う青年にエルーシアは頬を膨らませた。

 名はエデル。四ヶ月前に住み込みで奉公にやってきた青年だ。馬丁なのだがその仕事内容をエルーシアはよくわかっていない。
 エルーシアより一歳年上だが大人びた言動と温和で礼儀正しい性格、しかも背も高く実は賢くてさらに美男子だとやってきた当初は侍女たちが大騒ぎしていたのは記憶に残っていた。ゆるい癖の赤褐色の髪を長く伸ばし一つに束ね背に流している。この髪は珍しい色のため目を引く。蕩けそうな飴色の瞳も素敵だと評判だ。きゃあきゃあ騒ぐ侍女たちを尻目に自分には関係のない話と聞き流していた。そのエデルと偶然出会いエルーシアは恋に落ちた。

 エデルと恋仲になるなんてあの時は考えもしなかったわ‥

 遅れたのに待っていてくれた。その嬉しさにふくれっ面を消してエデルの胸に縋りつく。

「ごめんなさい、義兄がなかなか出発しなくて‥‥」
「その様ですね。旦那様が先程出られてのを見ておりました」
「もう!なら遅れた理由はわかっていたのね?!」
「今日はもうおいでにならないかと心配してました。お会いできてよかったです」

 そんなのありえない。待ちに待った夜なのに。

 エルーシアの手にそっと口づけるエデルにエルーシアの呼吸が上がる。男性なのにその色香がエルーシアを惑わせた。
 何事にも手慣れた恋人はこんなにあっさり自分をとろかせる、憎らしいほどに。いつでも自分をリードして快楽を教えてくれる。かっこ良くて優しい。経験だってきっとたくさんしてる。女たらしの噂もあるし今までに散々女の子を泣かしてきたんだろう。そう思えばずきりと胸が痛んだ。

 侯爵令嬢と家人けにんの恋。成就するほど簡単なものでないことはわかっている。けれどもこの好きを止められない。今だけでも一緒にいたい。

「今日は王宮での夜会なの。戻ってくるのは夜更けになると言っていたから」
「でしたら今日はゆっくりできますね」

 ここから王宮までは遠い。王宮近くでも渋滞になるだろう。そういう日は義兄の戻りは夜明けに近い。自分にのしかかり上目遣いに見上げてくる恋人にエルーシアは頬を染めてこくんと頷いた。

 ゆっくりできる。今日はいつもより長くエデルと一緒にいられるのね。

 その甘美な予感に勝手に体が震えた。それを誤解したエデルがそっとエルーシアを抱きしめる。

「エルシャ様、寒いですか?」
「え?あ、えっと少し‥‥」
「まだ暑い日もありますが夜は冷え込みますね。毛布をもっと準備します」

 別に寒くない。いやらしいことを考えて体を震わせたと悟られたくなくそう答えてしまったがエデルの意味深な言葉でさらに体を震わせてしまった。

「でも今晩くらいなら大丈夫ですね‥‥エルシャ様はすぐ熱くなりますから」

 見つめ合う。そして親指で唇をなぞられる。それがいつもの、情事の始まりの合図。エデルがそっと口づけた。優しい浅いキスからすぐに深いキスに変わる。薄い夜着の上から全身を撫でられエルーシアはたまらず身を仰け反らせた。薄手の夜着はまるで何も纏っていないかのようにエデルの手を肌に感じられる。堪えていたのに塞がれた口の奥から甘い声が出てしまった。

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