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第二部

第07話

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 そうと決めればエデルの動きは速かった。勤め先に退職願を出す。相当に残念がられたが安い給料で財務ができる人材だった故だろう。寄宿先も荷をまとめ引き払う。大したものもない。
 付き合っていた彼女とは別れた。ただじゃれあう程度、それほど思い入れもない。トレンメル侯爵家はここから馬車でも二時間。遠距離恋愛など面倒臭いだけだ。
 準備が整い窓にハンカチを吊るす。入念に髪を染めたが赤毛は何度黒く染めても赤褐色のままだった。

 そうしてエデルはオスカーの迎えの馬車に乗り三ヶ月暮らした街を離れた。

「私の知人の推薦状をつけました。エドゼル様の身元を詮索されることはございません」
「馬丁如きに紹介状がいるのか?」
「旦那様が警戒なさいます。特に若い男は身元の確認と紹介状が必須です。エドゼル様を警戒ということではございません」
「男を警戒?随分だな。まあいい、今後はエデルと呼べ。その名は封じている」
「かしこまりました」

 二時間馬車に揺られトレンメル家に向かう。道中でオスカーから諸々の情報がもたらされた。
 トレンメル侯爵家は侯爵家の中でも歴史は古い。領地は肥沃だが最近の天候不順で麦の不作が続いている。馬車から畑を見やれば農夫たちの使う農具もボロボロだ。最近は改良された新しい農具も多い。天候不順もあるだろうが施策はもっとやりようがありそうだ。馬車から外の様子を窺いながらそんなことを思う。

「お前は家令なのに屋敷を離れて大丈夫なのか?」
「執事は何人かおります。業務は多岐に渡ります故私は先代様の頃より自由な裁量をお許しいただいております」

 過去当主の背後でこの男が暗躍したのだろう。もはや家令という役職で語れなさそうだ。

 トレンメル家に着きオスカーと別れエデルは雇用の手続きを行う。給金が恐ろしく良いのは住み込み奉公だからだろうか。オスカーからも資金を預かっていたがそうそう外出できない住み込みならこの給金で十分だろう。
 エデルは初日から厩舎で仕事に着いたが馬の数は多くはない。穏やかな馬が多く広大な馬場もあり放し飼いにすれば手もかからない。掃除にグルーミング、給餌、馬具の手入れ。仕事もすぐにのみ込めた。歳のいった厩務員は気さくで、真面目に仕事をするエデルはすぐに気に入られた。仕事がさほどない日は自由時間も許された。
 さすがは侯爵家、家人に与えられた住み込み部屋は今までのエデルの部屋より綺麗で大きかった。他の部屋もそうだというからエデルが特別扱いされた訳でもなさそうだ。だが場所は棟の外れの角部屋。しかも隣室は物置。これはオスカーの手配だろう。悪巧みや部屋を抜け出すのに都合がいい。

 一ヶ月は黙々と仕事をこなす。新人は注目される。目立ちたくない。ただでさえこの髪の色は目を引く。やたら侍女や掃除婦たちから声をかけられたが世間話程度に留める。遊びに来たわけではない。おかげで若いのに真面目で謙虚な馬丁というイメージがついた。

 馬を馬場に放し戻る途中、焦茶の髪に品が良い長身の青年の姿が遠目に入った。執事を従え外廊下を歩く。あれが当主ラルドとひと目でわかった。当主と馬丁。仕事上で接する機会はない。髪もそうだが顔立ちもエデルと全く似ていなかった。
 初めて見た義弟、その姿を凝視する。爵位を奪われたが当時一歳だったラルドが意図したわけではない。恐らくは母親の正妻ヴァルマの差配だろう。だがそれでもエデルと母の居場所を奪った。復讐には十分だ。

 その座にいられるのもあと少しだ
 僕が引き摺り下ろす



 奉公に入って一ヶ月後、エデルは動いた。夜中にオスカーの手引きで執務室に窓から入る。ラルドは夜会に出向いて不在であった。手袋をはめたエデルが続き部屋の資料庫に入った。

「父の書いた指示書が見たい」
「こちらでございます」

 黄ばんだ紙が年季を感じさせた。二十年近く前の書類に視線を落とす。その筆跡は確かに日記と同じだった。
 まず最初に確認したかったこと——父の筆跡。日記は偽造じゃないと安堵する。

「父の姿絵はないか?」
「ございません」
「全てか?」
「先代様が本邸の火事の直前に全ての絵を集めさせご自身で焼き捨てたようです。これは複数の目撃者がおります」

 よくわからない。これから本邸が燃えるのにわざわざ自分の姿絵を焼き捨てた?なぜ?これは偶然か?

「ないのなら仕方ない。戸籍か家系図はあるか」

 オスカーが差し出す貴族簿をめくる。エドゼルの名はない。削り取られた箇所があり抹消されたとわかる。資料庫を出て執務席で家系図を広げた。
 父エドアルドの家系。両親、死亡。妹一人、死亡。妻二人、死亡。子供二人。そしてエドアルド死亡。

「生きているのは子供二人のみ、か。死人だらけだ。呪われた一族のようだな」

 生存者二名。他全員死亡。エドゼルに至っては存在すら戸籍簿上から消されていた。うっすら跡が残っている。エデルは目を細め家系図を指でなぞる。
 父の側妻の名はリーナ。初めて知った。もっと読み込みたいが時間もない。

 
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