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第二部

第05話

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 忘れてしまえ。そう思っていたが続きが気になって仕事にも集中できない。
 日記を読んで二日後の朝、エデルは諦めて窓にハンカチを巻いた。終業後に物陰に佇んで待っていたオスカーにエデルは開口一番で苦言を吐いた。

「よくもやってくれたな。続きをよこせ!」
「続きはございません」

 予想外の答えにエデルが絶句する。

「なぜだ?」
「先代様が亡くなられたからでございます」
「は?あのタイミングで?」
「詳しくはあちらで」

 そして例により黒塗りの馬車にオスカーとともに乗り込む。オスカーが出発の合図を送り馬車が動き出すなりエデルが家令に続きを急かした。

「亡くなったとはどういうことだ?」
「先代様は自害なさいました」
「自害?自殺?なぜ?」

 側妻が亡くなったから?妻たちに裏切られて絶望した?嘆いてはいたが自殺するほど愛し合っていた様子でもない。少なくとも日記では。

「本邸母家おもやから火が出ました。母家は半焼で消し止められましたが寝室より先代様の焼死体が発見されました」
「火を放って自殺‥‥したと?」
「少々違います」

 オスカーは黒いアタッシュケースから資料の束を取り出した。火事の調査報告書のようだ。調査報告書なのになぜか一次と書かれている。

「解剖の結果、先代様の気管に火事による炎症が見られなかったとのことでございます」
「火事の時にはすでに息をしていなかった?」
「左様でございます」

 一を聞いて十を知る。エデルの察しの良さに初老の家令は目を細めて頷いた。エデルが育った村は小さかったが蔵書は多かった。エデルは大量の本を読み込んでいた。母の指導の元で速読も身につけている。

 火事の前にすでに死んでいたのか。あのタイミングで、妻たちの不貞が発覚し側妻が死亡。そして当主も死んだ。
 報告書にエデルは目を走らせる。オスカーの言を裏付ける状況証拠が書かれていた。分厚い資料だったがページをめくり速読で全てに目を通す。

「体に外傷や苦しんだご様子もございませんでした。微かな薬物反応が検出されましたが、普段服薬されておられましたので毒とも断定できません。ですが」

 言い淀むオスカーにエデルは報告書から視線を上げる。

「なんだ?」
「その報告書に記載はありませんが、火災を起こす装置の跡が先代様の部屋にありました」

 自分が事切れた後に出火するように父が置いたものか。それとも殺人犯が逃走後に出火するように置いたものか。細かい状況証拠も燃えてしまえば何もわからないだろう。父が置いたのなら何を燃やしたかったのだろうか。

「遺書は?」
「ございません。運良く残されたあの日記以外は」
「父に自殺の兆候は?」
「塞いではおいででした。ですが日常の領地運営業務は行なっておいででした」
「それでなぜ自殺と断定した?」
「ご遺体に外傷も毒物反応もなく他殺とする証拠もございませんでした。衝動的な自殺であると親族方の総意で調査は打ち切られた次第です」

 エデルから舌打ちが出た。

「——— 醜聞を嫌ったか」

 こんな微妙な火災では他殺も疑われる。庶民はこういったゴシップが大好きだ。嗅ぎつけられれば有る事無い事書かれるだろう。エデルから盛大な嘆息が出た。

「では話せ。この後どうなったんだ?」
「先代様の死後、遺言状が公開されました。爵位はエドゼル様に継承させよと。その夜何者かが母家に侵入、エドゼル様が襲われました」

 エデルがそっと左肩の傷に触れる。目立たないがみみず腫れの様に一筋綺麗に切り付けられたそれは太刀傷だ。

「僕は何歳だ?」
「一歳半になられたばかりの頃でした。私が応急手当を致しましたが医者の手配をしていた最中、行方がわからなくなりました」
「母が僕を連れて逃げた、と」

 オスカーが静かに瞑目する。

 さもあらん。跡目争いで息子が襲われた。後ろ盾のない、妻でさえない母は相当に怯えただろう。そしてあの森深くの村に逃げ込んだ。

「エドゼル様行方不明のままヴィルマ様より戸籍取り消しの届けが出されました」
「ヴィルマ?」
「先代様の正妻です」

 初めて名を知った。日記の最後までその名が出てこなかった。

「残された男子は一人。ラルド様を廃嫡にと指示のあった遺言状は封印、エドゼル様の戸籍抹消手続き完了後その存在をなかったものとし、次男ラルド様が嫡男となられました。後見人はヴィルマ様がなられ四年前、十四の歳にラルド様が爵位を継がれました」

 一つ下の異母弟。父の血を継いでおらず一緒に暮らしていないならエデルの弟でさえない。そいつが今、トレンメル侯爵を名乗っている。

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