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*兄のこと*
しおりを挟む「大丈夫だ。兄ちゃんがいるからな」
いつもそう、兄はそう言って笑って、アキラの手を握ってくれた。
生まれたのは関東の田舎町。電車に乗れば30分ほどで都心には出られるが、まず駅に行くまでにバスで50分はかかった。車がないとどうしようもない。そういう土地に生まれて、両親が交通事故でそろって亡くなったのはアキラがまだ小学生の時だった。
「俺が働きます。アキラだって来年には中学生だ。家は持ち家だし、遺産もありますし、なんとかします」
葬式の時に、親戚たちがアキラたちをどうするかで揉めたとき、正座をした兄はまっすぐに背筋を伸ばしてそう言った。
親戚たちはバクバクと、寿司を食べていた手を止めて「子供が何を」と反対した。田舎町のことだ。子供たちだけにしたら外聞が悪い。本家が引き取るのはどうかという話も出た。アキラの父は三男だった。本家の長男のところには子供が三人いたが、女しかいなかった。
兄は優秀で既に都内の進学校に通っていて、来年は受験を控えていた。
優秀な跡継ぎが欲しくないかと、親戚は無責任に伯父に言った。伯母がわっ、と泣いて出て行ったのを気にする者はいない。様子を伺っていた従姉妹がアキラと兄を睨んだ。兄と同じ年の従姉妹は何かと兄と比べられていて、その度にその妹たちがアキラをいぢめた。
あんな家に引き取られたらどうなるか。
幼いアキラは怯えた。
優秀な兄は伯父に可愛がられるだろうが、対して頭のよくない自分はどうだろう。跡取りに欲しがられるのは兄だけで、自分はいらない。
「……」
ぎぃっと、アキラは兄の服を掴んだ。
「大丈夫だ」
兄は微笑み、アキラの頭をぽん、と叩いた。
結果、兄は高校を辞めて働きに出た。親戚の会社を手伝わせて貰えることになり、アキラは安心した。兄と離れ離れにされずに済むと幼い心で、随分とまぁ、自分勝手に思ったものだ。
「あんたがいなかったら、源ちゃんはずっと楽だったのにね」
中学に上がって、色々入用になってきた。
新しいスニーカーに、服。毎日の弁当。部活の後に仲間と寄るコンビニでの軽食代。
移動教室の積立金。吹奏楽部のコンクールの時の交通費。
アキラはわかっていなかった。
両親が生きていたころ、兄がそうしていたように集金袋や、いくらいくら必要かという紙を書いて渡せば、兄が「そうか、わかったよ。ちょっと待ってな」と財布を取りに行く。
そういうものだと思っていた。
アキラは音楽が好きで、中学では吹奏楽部に入った。サックスの演奏のためには必要なものがあれこれあって、兄は「へぇ、すごいな!俺は楽譜は全然読めなくてな!」とアキラを褒めて、道具を揃えてくれた。
兄にもできないことが自分にできる。それが嬉しくて、アキラは別にうまくはなかったけれど部活を続けた。レギュラーになれるほどではなかった。けれど部活は楽しかった。
自分のサックスが欲しいな、と思って、さすがに金額が金額だったので言えずにいた。
中学二年生になったころ。自分のものを買っている友人もいたが、そうでない子も多かった。けれどアキラは欲しくて、兄に話をした。
兄はアキラが何か欲しいというと喜んだ。サックスは「そうか!いつか買ってやれたらと思ってたんだ!」と満面の笑みで言って、二人は町の楽器屋に行った。
そこには従姉妹がいて、楽譜を探しに来たという。
サックスを買いに来たアキラたちを見て「ふーん」と目を細め、一緒に来ていた伯父と兄が話し始めたので、アキラと従姉妹は二人で店の中を回った。
そして「あんたがいなかったら」と、そんなことを言ってきた。
「……え、なんで?」
しかし言われたアキラは意味がわからない。
兄とアキラは兄弟だ。一緒にいて何か問題があるわけがない。
「だって、あんたバカだもん。お荷物じゃん。楽器なんて買って、本当にバカね。知らないの?源ちゃん、叔父さんに頭下げてお金借りたのよ」
「え……なんで?」
「あんたのサックスを買うためでしょ」
「……そんなのウソだ。だって、兄ちゃんは働いてるじゃないか」
「……はぁ、ほんと、バカ」
従姉妹は呆れた。
アキラは子供だった。
働いている人間がいたら、生活は何の問題もないと子供だから、思っていた。
自分たちの暮らしに毎月いくら必要か知らなかった。
中卒という肩書しかない兄が、いくら親戚のところとはいえ、賃金の安い地方で稼げる金額がどれくらいであるのか知らなかった。
考えたことも無かった。
「源ちゃん、うちの子になればよかったのよ。あたしはお兄ちゃんが欲しかったし、パパも言ってる。でももう駄目よね。折角入った私立も辞めちゃったし、今更元のレールには戻れないじゃない?あんたを背負っちゃったし、選べないっか」
「……」
従姉妹は兄を心配しているようだった。アキラが子供だから、わかっていないから、教えてやっているという親切心もあったのかもしれない。
アキラは楽器屋を飛び出して、慌てて追ってきた兄に「いらない!僕、もう、辞める!」と喚いた。
そうして気づいてみれば、兄は、源一郎はいつもアキラを優先する。
「アキラはどうしたい?」
「アキラは何がいいんだ?」
「なぁ、アキラ。お前は遠慮なんてしなくていいんだぞ」
「大丈夫だ。兄ちゃんがついてるからな」
「お前は何も心配しなくていい」
「父さんや母さんはいなくなったけど、俺はお前の兄ちゃんだ。お前を守るからな」
言って、笑って、兄はアキラに優しくする。
もちろん喧嘩もするし、怒られたこともあった。やさしいばかりではなかったけれど、けれど、それにしても……アキラを何よりも、優先しすぎている。
(あ、そうか。僕が、駄目なやつだからか)
心配なんだ。
自分と違って出来が悪いと、兄はわかってしまっているから。兄は優秀だから、どうにかうまくやれるとわかっているのだろう。それに引き換え弟は、どうしようもないとわかっているんだ。だから守らないといけないと、そう思われているんだ。
アキラは勉強した。
なりふり構わず勉強した。
自分が守る必要がなくなれば、兄から見て心配な弟でなくなれば。
兄はもう、弟を守らなくてよくなる。
自分の人生を生きることが出来る。
そうして、そう思って。
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勇者様、救ってください。
兄だって、最初は戸惑っていた。
これはどういうことだ、なんだ、どうして、と混乱していたのがアキラにもわかった。
けれど自分たちを調べる偉そうな人間たちが、アキラを「おまけ」「役立たず」「邪魔」とそう判断して言い放っているのを聞いた途端、兄はころり、と、態度を変えた。
兄は朗らかに笑い、受け入れた「わかりました、任せて下さい」と、そう言った。
あぁ、ちくしょう。
また守られたんだ、とアキラはわかった。
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