上 下
13 / 17

*閑話:公爵家専属医ルーカス*

しおりを挟む

「痛いっ!お前、わざとやったでしょう!!」

 レイチェルは自身の治療にあたっていた医師の頭を殴りつけた。ロークリフォロ家のお抱え医師。王立アカデミーの医学部を主席で卒業し、二十代後半という若さで大貴族の専属医になった有能な男性を、レイチェルは無能呼ばわりし、甲高い声で罵倒する。

「役立たず!!ちっとも治らないじゃない!!何のためにあんたを雇ってると思ってるの!!?」

 若い娘の癇癪、ではある。
 美しかった顔が薬品によってぐちゃぐちゃに溶かされ、親ですら直視できない顔になった憐れな娘、ではある。

 医師ルーカスは医者として患者を安心させるため、穏和な笑みを浮かべ、レイチェルの言葉を黙って聞いた。ぶつけられる無遠慮で鋭利な言葉の数々。彼女が金切声を上げるたびに、控えているメイドたちがびくりと体を震わせたので、この暴言と暴力はこの部屋の中では日常的なものとなっているのだろう。

(……聖女アザリアは、こんなことは、一度もなさらなかったのですがね)

 治療のためにかけた眼鏡の奥でルーカスは思い返す。

 ルーカスが若くして公爵家に雇われたのは、その能力を買われた以外の理由もあった。

 神に奇跡を授けられた聖なる乙女アザリア・ドマ。
 悪名高き悪魔の一族ドマの娘でありながら、他人の為に涙を流し、その痛みを引き受けることを躊躇わない聖女。

 しかしその能力には条件があり、聖女は他人の傷や病をその身に移し、彼らの代わりに苦しむ必要があった。

 ルーカスの公爵家での主な仕事は、アザリアの看病だった。
 神の奇跡を受けた娘を「治療」だなどと大層なことはできない。死なせないこと、それがルーカスの役目だった。死なせさえしなければ、聖女は神の奇跡を受けた肉体で、己の身の内で病を打ち消す。その現象はどのようにして起きているのか、現代の医学では解明できないことだったが。
 
 貴族とはいえ、ルーカスの家は男爵家。

 ロークリフォロ家の傘下の、吹けば飛ぶような弱小貴族だった。公爵家は傘下の子息に見込みのありそうな者がいれば援助を惜しまず、若者の成長を助けてくれる正義の人だと言われており、ルーカスは公爵に対して一生かかっても返しきれない恩があると感じている。

 その公爵様がドマ家から救い出した聖女アザリア。ルーカスは彼女の存在が公爵様の名を高めていることを知っていたし、自分が医学では治せない病人も、聖女の力であれば治し公爵様の名誉となることを理解していた。

『共に、公爵様の為に身を奉げましょう』

 他人の病で苦しみもがくアザリアをルーカスは励まし続けた。
 その度にアザリアは困ったような、喜んでいるような、はにかむ笑みをルーカスに返してくれた。同じ志を持った者同士だと、ルーカスは口数の少ない聖女に友情を感じていた。

(その聖女アザリアが、なぜ……?)

 親友である公爵令嬢の治療を拒否して、ドマ家へ走ったと言う。その話を聞いて、ルーカスは信じられない、何かの間違いで、いや、ドマ家がついに、聖女を誘拐したのだと、そう判断した。

 だが一日、二日、三日が経ち、ルーカスの耳に入ってくる情報はアザリアが自分で望んでドマ家へ戻った事、レイチェルの治療を『嫌なものは嫌』と拒否し続けていることだった。

「……娘の様子は?」

 公爵令嬢の部屋を出ると、ロークリフォロ公爵が部屋の前の椅子に座っていた。疲れた様子。気の毒だと、この方の為に自分が出来る事はなんでもしたいルーカスは、自分が無能であると思われたくなくて、言葉を選んだ。

「公爵様。……お体に大きな変化はありません。栄養と睡眠を十分にとれていらっしゃますので……ただ、母体の興奮状態が続きますと……」

 お腹の子に影響が出ます、とは直接言わず、ルーカスは目で訴えた。

 あんな状態になりながら、レイチェルの身体は健康そのものだ。
 他人を罵倒し暴力を振るうが、彼女は眠くなったら眠り、十分に食事をとる。

 顔が溶けたことに対して絶望しているわけではないのだ。精神状態を説明すると『どうして私がこんな目にあわないといけないの』と、他人を恨み、嫌い、怒っている。そこに自分の精神が弱る要素はない。自分に非はなく、自分を『憐れ』だとも思っていない。だから彼女は痩せることも、衰弱することもない。

 何も気づいていないのだ。

 自分は何も失っていないと。アザリアが顔を治せば何も問題ないのに、治さないアザリアが悪い。治せないルーカスが悪い。アザリアを連れて来れない父が悪いと、彼女は『早くして』と思うばかりで、何も気づいていない。

「……そうか」

 聡明で他人への思いやりのあるロークリフォロ公爵は思慮深い瞳を伏せ、それ以上何も言わなかった。ルーカスが娘の顔の治療に少しも貢献できなかったことを責めることもしない。

 これほど人格者の父親からどうしてあんな娘が育つのか。

「……アザリアは、なぜ……私の元から、離れてしまったのだろうか」

 ぽつり、と公爵様が呟かれる。

 弱音を吐かれているのだと、ルーカスは身が震えた。

 自分のようなものに、心の弱さを見せてくださっている。

「公爵様が聖女アザリアをご自身の娘のように大切に慈しまれていたことは、私のような者でもよく知っております……!」
「だが、きっと、彼女自身の中では、私は……父にはなれなかったのだろう。グェス・ドマの元へ……あんな、悪魔の元へ、あの優しい子を走らせてしまうとは……」

 ルーカスは公爵の慈悲深さに涙した。
 こんな状況でありながら、公爵様はアザリア嬢のことを心配していらっしゃるのか……!

「……あの子がドマ家に戻ってすぐ、グェスは娘を平民の男と婚約させると、社交界に発表した。貴族の娘を……あれほど優しく、美しい子を……グェスは早速、道具として扱う気なんだ……!」

 今頃ドマ家で酷い仕打ちを受けているのではないか。あの心優しい子が、聖女の力を悪魔の一族に利用され悲しい思いをしているのではないか。

「……公爵様!」

 無礼とは思いながら、ルーカスはロークリフォロ公爵に提案しようと、決意した。

「私が……この、私が、アザリア嬢を連れ戻します……!」

 婚約発表の為のパーティーが、ドマ家で開かれるという話はルーカスも耳にしていた。
 これでも男爵家、貴族の人間であるルーカスはそのパーティーに出席する資格がある。

 招待状はアカデミー時代のツテを使えば手に入れることができるだろう。

 公爵令嬢の治療はかなわなかったが、それは聖女の力で確実に行えることだ。自分がアザリアを連れ戻せば問題ないこと。

「……ありがとう、ルーカス!!」
「こ、公爵様……!!」

 ばっ、と、ロークリフォロ公爵がルーカスを抱きしめた。
 実の父親にもこれほど強く抱きしめられたことはない。

「……私は君を、実の息子のように思っている。その君が、私の娘であるレイチェルのために、アザリアのために……ありがとう……!!」

 ルーカスは胸がいっぱいになった。

 そうか……自分にとって、お二人は妹のような、ものだと、そのように思ってもいいのか。

 そうなると、ルーカスはレイチェルの先ほどの罵倒や暴力が途端に可愛いもののように思えた。わがままな妹の癇癪。それを宥めて、慰めてやるのが兄としての務めではないか。
 そして反抗期からか、道を踏み外そうとしている世間知らずな妹を連れ戻し、家族の輪の中に導いてやる。これも、兄の務めだろう。

「お任せください……!!」

 ルーカスは何度も頷き、自分がこの公爵家という「家族」を救えるのだと使命感でいっぱいになった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者のいる側近と婚約させられた私は悪の聖女と呼ばれています。

鈴木べにこ
恋愛
 幼い頃から一緒に育ってきた婚約者の王子ギルフォードから婚約破棄を言い渡された聖女マリーベル。  突然の出来事に困惑するマリーベルをよそに、王子は自身の代わりに側近である宰相の息子ロイドとマリーベルを王命で強制的に婚約させたと言い出したのであった。  ロイドに愛する婚約者がいるの事を知っていたマリーベルはギルフォードに王命を取り下げるように訴えるが聞いてもらえず・・・。 カクヨム、小説家になろうでも連載中。 ※最初の数話はイジメ表現のようなキツイ描写が出てくるので注意。 初投稿です。 勢いで書いてるので誤字脱字や変な表現が多いし、余裕で気付かないの時があるのでお気軽に教えてくださるとありがたいです٩( 'ω' )و 気分転換もかねて、他の作品と同時連載をしています。 【書庫の幽霊王妃は、貴方を愛することができない。】 という作品も同時に書いているので、この作品が気に入りましたら是非読んでみてください。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

ふしだらな悪役令嬢として公開処刑される直前に聖女覚醒、婚約破棄の破棄?ご冗談でしょ(笑)

青の雀
恋愛
病弱な公爵令嬢ビクトリアは、卒業式の日にロバート王太子殿下から婚約破棄されてしまう。病弱なためあまり学園に行っていなかったことを男と浮気していたせいだ。おまけに王太子の浮気相手の令嬢を虐めていたとさえも、と勝手に冤罪を吹っかけられ、断罪されてしまいます。 父のストロベリー公爵は、王家に冤罪だと掛け合うものの、公開処刑の日時が決まる。 断頭台に引きずり出されたビクトリアは、最後に神に祈りを捧げます。 ビクトリアの身体から突然、黄金色の光が放たれ、苛立っていた観衆は穏やかな気持ちに変わっていく。 慌てた王家は、処刑を取りやめにするが……という話にする予定です。 お気づきになられている方もいらっしゃるかと存じますが この小説は、同じ世界観で 1.みなしごだからと婚約破棄された聖女は実は女神の化身だった件について 2.婚約破棄された悪役令嬢は女神様!? 開国の祖を追放した国は滅びの道まっしぐら 3.転生者のヒロインを虐めた悪役令嬢は聖女様!? 国外追放の罪を許してやるからと言っても後の祭りです。 全部、話として続いています。ひとつずつ読んでいただいても、わかるようにはしています。 続編というのか?スピンオフというのかは、わかりません。 本来は、章として区切るべきだったとは、思います。 コンテンツを分けずに章として連載することにしました。

冷遇された王女は隣国で力を発揮する

高瀬ゆみ
恋愛
セシリアは王女でありながら離宮に隔離されている。 父以外の家族にはいないものとして扱われ、唯一顔を見せる妹には好き放題言われて馬鹿にされている。 そんな中、公爵家の子息から求婚され、幸せになれると思ったのも束の間――それを知った妹に相手を奪われてしまう。 今までの鬱憤が爆発したセシリアは、自国での幸せを諦めて、凶帝と恐れられる隣国の皇帝に嫁ぐことを決意する。 自分に正直に生きることを決めたセシリアは、思いがけず隣国で才能が開花する。 一方、セシリアがいなくなった国では様々な異変が起こり始めて……

嫌われ聖女さんはとうとう怒る〜今更大切にするなんて言われても、もう知らない〜

𝓝𝓞𝓐
ファンタジー
13歳の時に聖女として認定されてから、身を粉にして人々のために頑張り続けたセレスティアさん。どんな人が相手だろうと、死にかけながらも癒し続けた。 だが、その結果は悲惨の一言に尽きた。 「もっと早く癒せよ! このグズが!」 「お前がもっと早く治療しないせいで、後遺症が残った! 死んで詫びろ!」 「お前が呪いを防いでいれば! 私はこんなに醜くならなかったのに! お前も呪われろ!」 また、日々大人も気絶するほどの魔力回復ポーションを飲み続けながら、国中に魔物を弱らせる結界を張っていたのだが……、 「もっと出力を上げんか! 貴様のせいで我が国の騎士が傷付いたではないか! とっとと癒せ! このウスノロが!」 「チッ。あの能無しのせいで……」 頑張っても頑張っても誰にも感謝されず、それどころか罵られるばかり。 もう我慢ならない! 聖女さんは、とうとう怒った。

処刑直前ですが得意の転移魔法で離脱します~私に罪を被せた公爵令嬢は絶対許しませんので~

インバーターエアコン
恋愛
 王宮で働く少女ナナ。王様の誕生日パーティーに普段通りに給仕をしていた彼女だったが、突然第一王子の暗殺未遂事件が起きる。   ナナは最初、それを他人事のように見ていたが……。 「この女よ! 王子を殺そうと毒を盛ったのは!」 「はい?」  叫んだのは第二王子の婚約者であるビリアだった。  王位を巡る争いに巻き込まれ、王子暗殺未遂の罪を着せられるナナだったが、相手が貴族でも、彼女はやられたままで終わる女ではなかった。  (私をドロドロした内争に巻き込んだ罪は贖ってもらいますので……)  得意の転移魔法でその場を離脱し反撃を始める。  相手が悪かったことに、ビリアは間もなく気付くこととなる。

【完結・全7話】「困った兄ね。」で済まない事態に陥ります。私は切っても良いと思うけど?

BBやっこ
恋愛
<執筆、投稿済み>完結 妹は、兄を憂う。流れる噂は、兄のもの。婚約者がいながら、他の女の噂が流れる。 嘘とばかりには言えない。まず噂される時点でやってしまっている。 その噂を知る義姉になる同級生とお茶をし、兄について話した。 近づいてくる女への警戒を怠る。その手管に嵌った軽率さ。何より婚約者を蔑ろにする行為が許せない。 ざまあみろは、金銭目当てに婚約者のいる男へ近づく女の方へ 兄と義姉よ、幸せに。

処理中です...