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百目鬼(どどめき)
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将門はかなり魔物に近い存在だったんだが、それ以外にも俺は本物の鬼や魔物を何度も退治したことがある。
たとえば現代でいう栃木県の宇都宮市にある百目鬼通りというのは、俺が目が百個もある気味の悪い鬼を退治してやったことに因んで付けられた地名だ。
俺は将門討伐の武功で下野・武蔵二ヶ国の国司に任命されたんだ。
現代でいうなら栃木県知事と埼玉県知事を兼任した思ってもらえば、かなり近いだろうな。
さらに東京の多摩とか、神奈川の川崎や横浜も含む、広大な地域を治めたんだから、なかなか大したものだろう?
ところで平安時代というのは、現代と比べると人間の住む現世と、鬼や死者の住む黄泉、妖怪や魔物の住む魔界の境目がまだ曖昧だった時代なんだな。
当然、俺が赴任した当時の下野・武蔵なんかも、鬼や魔物がウヨウヨ居てさ、民衆に悪さするもんだからみんな困ってた。
しかしこのころの俺は将門討伐だけじゃなく、後に語ることになるであろう三上山の蜈蚣切なんかでもたいへん有名だった。
ようするに、当代随一の妖魔退治のエキスパートだったんだ。
その俺が赴任したことで、ここいらの鬼やら妖怪やら死霊やらも恐れをなしてね、ほとんどが退治するまでもなくどっかに消え去っちまった。おかげで領民の暮らしは安泰になり、ずいぶんと感謝されたもんだ。
なもんで、俺も城を構えてわりとのんびりと過ごしていた・・もちろん政治はきっちりやってたけどな。
ある日のことだ。俺は仕事の余暇で趣味の狩猟に出かけたんだ。
俺は弓矢の名手として有名なんだが、この日も弓矢を持って出かけた。
ひとしきり狩猟を楽しんだ帰り道、宇都宮の大曾あたりを通りかかったとき、ひとりの爺さんが俺を見かけて声を掛けてきたんだ。
「すみません藤太様、最近このあたりに恐ろしい百目鬼が住み着いておりまして、悪さをするんですよ。なんとかしてもらえませんか?」ってね。
俺は今で言う県民の皆様に親しまれる良い知事さんだったからさ、わりとみんな親しく『藤太』の名で呼んでくれてたんだ。
「お爺さん、そういうことなら明日とは言いません。今行って退治しましょう」って、即答してやった。
そのくらい俺は県民サービスは素早くきっちりとやる、立派な知事さんだったんだぜ。
今どきの知事さん連中も、少しは俺を見習うといいぞ。
話を聞くとどうやら百目鬼は、そこから北西に位置する兎田という所に住み着いているらしい。
それで早速行ってみたんだな。
当時のそのあたりは、死んだ馬を捨てる場所で、馬の腐った死体がごろごろ転がっている臭くて気味の悪いところだった。
そんなところで俺は夜になるまで待ったさ。
県民の皆様へのサービスってのはそのくらい大変なものなんだよ。
現代でいうところの午前2時ごろまでかな?
当時は街灯なんかなかったから、月明りしかない。
俺は夜目が効いたもんだからいいが、それでもしんどい仕事だったぜ。
とにかくその時間になってようやく馬の死骸にしゃがみこんで、もそもそやってる奴を見つけたんだ。
黒い大きな影みたいなのが、馬の死骸をむしゃむしゃ食っていやがった。
そこで、とりあえず矢を射てやったんだな。
ところが矢は奴の身体に通らず跳ね返りやがった。
俺の弓は並の奴なら5人がかりでも引けない強弓だぜ、かなり驚いたよ。
月明りに照らされて立ち上がった奴の姿を見たときは、さすがの俺も身震いしたね。
いや、怖かったわけじゃない。
すごく気持ちが悪かったんだ。ゴキブリに遭遇したときみたいなもんだよ。
なにしろ黒い体は全身が剣みたいな毛で覆われている。
そうだな、ヤマアラシとかを想像してくれ。それも身長3mほどで立ち上がる奴だ。
しかもその体中の毛の間には、無数の光る目があって、それらが一斉にこちらをギロリと睨んでるんだ。
鳥肌が立つくらい気味の悪い奴だった。
あんまり気味が悪いものだから、今度は奴の目の一つめがけて矢を放ったんだ。
やはり目は弱いみたいで、これは見事に刺さった。
百目鬼はギャーと悲鳴を上げやがったね。
しかしこの調子で目をひとつづつ潰していってたんじゃ、何日かかるか知れやしない。
臭いし気味悪いしであまり近づきたくなかったんだが、俺は腰に差していた魔物を断ち斬ることができる霊剣・蜈蚣切丸を引き抜いて百目鬼に躍りかかったよ。
百目鬼は長い腕を振り回して応戦してきやがった。
奴の毛はなにしろ一本一本が剣みたいなものだったからね、かなり骨が折れる仕事だったな。
普通に斬りかかったんじゃ、刃が通らないんだ。
そこで俺は、趣味の狩猟の知識から狼を斬る要領で、百目鬼の腰のあたりから上に跳ね上げるように斬ったんだな。
つまり毛並みの逆方向から斬ってみたんだ。
これがビンゴで、百目鬼の肉を斬る手応えがあった。
しかし斬ったと思った瞬間、左腕に熱湯を浴びたような痛みを感じたんだ。
百目鬼の血しぶきを腕に浴びたんだが、奴の血は強酸性なのか浴びた部分に火傷を負ったんだ。
現世の映画のエイリアンみたいなもんだよ。始末の悪い野郎だ。
もっと大量に浴びてたら、さすがの俺も命が危なかったかもね。
このとき腕に負った火傷の痕は、結局死ぬまで消えなかったよ。
この一撃で百目鬼は地面に倒れ伏した。
即死だったね。
なにしろ俺は日本一の怪力の持ち主で、刀は霊剣・蜈蚣切丸だ。
どんな鬼でも妖怪でも死霊でも、一撃必殺できるんだ。
ただ百目鬼ってやつは死んでからも始末が悪い。
死骸はすごい高熱と悪臭のガスを放って、目は痛くなるしで近づくこともできない。
しかたないので、その夜はもうそのまま放置して城に帰ったんだ。
翌日、家来を連れて百目鬼の死骸を回収しようと行ったんだけど、地面には奴の体の焦げた跡が残っていただけだった。
燃え尽きたのかもしれないね。
まあ、それで百目鬼退治も大変な評判になって現代でも地名として残っているんだ。
このように俺はちょっと偉くなったからって、知事室の椅子にふんぞり返ってる知事さんじゃなく、まさに身を粉にして、汗を流して県民の皆様のために働いていたということを知っておいてもらいたいね。
たとえば現代でいう栃木県の宇都宮市にある百目鬼通りというのは、俺が目が百個もある気味の悪い鬼を退治してやったことに因んで付けられた地名だ。
俺は将門討伐の武功で下野・武蔵二ヶ国の国司に任命されたんだ。
現代でいうなら栃木県知事と埼玉県知事を兼任した思ってもらえば、かなり近いだろうな。
さらに東京の多摩とか、神奈川の川崎や横浜も含む、広大な地域を治めたんだから、なかなか大したものだろう?
ところで平安時代というのは、現代と比べると人間の住む現世と、鬼や死者の住む黄泉、妖怪や魔物の住む魔界の境目がまだ曖昧だった時代なんだな。
当然、俺が赴任した当時の下野・武蔵なんかも、鬼や魔物がウヨウヨ居てさ、民衆に悪さするもんだからみんな困ってた。
しかしこのころの俺は将門討伐だけじゃなく、後に語ることになるであろう三上山の蜈蚣切なんかでもたいへん有名だった。
ようするに、当代随一の妖魔退治のエキスパートだったんだ。
その俺が赴任したことで、ここいらの鬼やら妖怪やら死霊やらも恐れをなしてね、ほとんどが退治するまでもなくどっかに消え去っちまった。おかげで領民の暮らしは安泰になり、ずいぶんと感謝されたもんだ。
なもんで、俺も城を構えてわりとのんびりと過ごしていた・・もちろん政治はきっちりやってたけどな。
ある日のことだ。俺は仕事の余暇で趣味の狩猟に出かけたんだ。
俺は弓矢の名手として有名なんだが、この日も弓矢を持って出かけた。
ひとしきり狩猟を楽しんだ帰り道、宇都宮の大曾あたりを通りかかったとき、ひとりの爺さんが俺を見かけて声を掛けてきたんだ。
「すみません藤太様、最近このあたりに恐ろしい百目鬼が住み着いておりまして、悪さをするんですよ。なんとかしてもらえませんか?」ってね。
俺は今で言う県民の皆様に親しまれる良い知事さんだったからさ、わりとみんな親しく『藤太』の名で呼んでくれてたんだ。
「お爺さん、そういうことなら明日とは言いません。今行って退治しましょう」って、即答してやった。
そのくらい俺は県民サービスは素早くきっちりとやる、立派な知事さんだったんだぜ。
今どきの知事さん連中も、少しは俺を見習うといいぞ。
話を聞くとどうやら百目鬼は、そこから北西に位置する兎田という所に住み着いているらしい。
それで早速行ってみたんだな。
当時のそのあたりは、死んだ馬を捨てる場所で、馬の腐った死体がごろごろ転がっている臭くて気味の悪いところだった。
そんなところで俺は夜になるまで待ったさ。
県民の皆様へのサービスってのはそのくらい大変なものなんだよ。
現代でいうところの午前2時ごろまでかな?
当時は街灯なんかなかったから、月明りしかない。
俺は夜目が効いたもんだからいいが、それでもしんどい仕事だったぜ。
とにかくその時間になってようやく馬の死骸にしゃがみこんで、もそもそやってる奴を見つけたんだ。
黒い大きな影みたいなのが、馬の死骸をむしゃむしゃ食っていやがった。
そこで、とりあえず矢を射てやったんだな。
ところが矢は奴の身体に通らず跳ね返りやがった。
俺の弓は並の奴なら5人がかりでも引けない強弓だぜ、かなり驚いたよ。
月明りに照らされて立ち上がった奴の姿を見たときは、さすがの俺も身震いしたね。
いや、怖かったわけじゃない。
すごく気持ちが悪かったんだ。ゴキブリに遭遇したときみたいなもんだよ。
なにしろ黒い体は全身が剣みたいな毛で覆われている。
そうだな、ヤマアラシとかを想像してくれ。それも身長3mほどで立ち上がる奴だ。
しかもその体中の毛の間には、無数の光る目があって、それらが一斉にこちらをギロリと睨んでるんだ。
鳥肌が立つくらい気味の悪い奴だった。
あんまり気味が悪いものだから、今度は奴の目の一つめがけて矢を放ったんだ。
やはり目は弱いみたいで、これは見事に刺さった。
百目鬼はギャーと悲鳴を上げやがったね。
しかしこの調子で目をひとつづつ潰していってたんじゃ、何日かかるか知れやしない。
臭いし気味悪いしであまり近づきたくなかったんだが、俺は腰に差していた魔物を断ち斬ることができる霊剣・蜈蚣切丸を引き抜いて百目鬼に躍りかかったよ。
百目鬼は長い腕を振り回して応戦してきやがった。
奴の毛はなにしろ一本一本が剣みたいなものだったからね、かなり骨が折れる仕事だったな。
普通に斬りかかったんじゃ、刃が通らないんだ。
そこで俺は、趣味の狩猟の知識から狼を斬る要領で、百目鬼の腰のあたりから上に跳ね上げるように斬ったんだな。
つまり毛並みの逆方向から斬ってみたんだ。
これがビンゴで、百目鬼の肉を斬る手応えがあった。
しかし斬ったと思った瞬間、左腕に熱湯を浴びたような痛みを感じたんだ。
百目鬼の血しぶきを腕に浴びたんだが、奴の血は強酸性なのか浴びた部分に火傷を負ったんだ。
現世の映画のエイリアンみたいなもんだよ。始末の悪い野郎だ。
もっと大量に浴びてたら、さすがの俺も命が危なかったかもね。
このとき腕に負った火傷の痕は、結局死ぬまで消えなかったよ。
この一撃で百目鬼は地面に倒れ伏した。
即死だったね。
なにしろ俺は日本一の怪力の持ち主で、刀は霊剣・蜈蚣切丸だ。
どんな鬼でも妖怪でも死霊でも、一撃必殺できるんだ。
ただ百目鬼ってやつは死んでからも始末が悪い。
死骸はすごい高熱と悪臭のガスを放って、目は痛くなるしで近づくこともできない。
しかたないので、その夜はもうそのまま放置して城に帰ったんだ。
翌日、家来を連れて百目鬼の死骸を回収しようと行ったんだけど、地面には奴の体の焦げた跡が残っていただけだった。
燃え尽きたのかもしれないね。
まあ、それで百目鬼退治も大変な評判になって現代でも地名として残っているんだ。
このように俺はちょっと偉くなったからって、知事室の椅子にふんぞり返ってる知事さんじゃなく、まさに身を粉にして、汗を流して県民の皆様のために働いていたということを知っておいてもらいたいね。
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