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序章 紅烏登場

折檻

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「お兄様たち、昨夜は明け方まで話し込んでおられましたわね。私、心配で眠れなかったのですよ」

朝餉あさげの支度をしながら静音がぼやいている。

「だいたいお兄様はお疲れだったのに、あんな夜中に尋ねてきて話し込むなんて迷惑だわ」

静音は兄に対しては敬語で話す癖に、源三郎に対してはぶっきらぼうな口調である。
しかし源三郎は返す言葉も無く頭を掻いた。

その様子を見て薄ら笑いを浮かべている幸助の顔色はずいぶん血色が良くなっている。
普段と変わらず背筋を伸ばして正座していた。
例の蘭方薬が効いたのであろう。
そのおかげで静音の機嫌は口ほどには悪くなさそうだ。

間もなく静音が朝餉の膳をふたりの前に運んできた。

「お静ちゃん手を煩わせてすまねえな。馳走になるぜ」

その言葉を聞いた静音は唇を尖らせ頬をふくらませる。

「ほんとにもう、朝ごはんまで食べていこうなんて図々しいんだから。それに私はもう子供じゃないんだからお静ちゃんてのもやめてちょうだい。静音殿とか言えないの?」

「悪かったな。気を付けるよ、お静ちゃん」

「もう~!」

静音はぷいっとして踵を返すと部屋を出て行った。
その後ろ姿を見送りながら幸助が笑う。

「ふふふ・・・あれも何のかんの言っても年頃の娘なんだ。無礼は許してやってくれ。ところで源三郎。お前、今日はこれからどうする?」

ふたりは飯を食いながら話し始めた。

「そうだな。まずは長屋に戻って着替える」

「たまには洗濯しろよ。昨晩借りた着物はかなり臭ったぞ」

「その後は黒河豚一家に顔を出す。幸助が4人もぶった斬っちまったから今ごろ大騒ぎしているだろうぜ」

幸助は苦笑した。

「おいおい、俺は斬ってないぞ。みんな鞘を使って当身を入れただけだ。見えなかったのか?まだまだ未熟だな」

「本当か?俺はやたら簡単に人を斬りやがる野郎だと思ってたんだ」

「俺はそこまで非情な人斬りじゃない。しばらく痛むだろうが、命に別状はないさ」

「そうか。それを聞いて少し安堵したぞ。奴ら外道とはいえ同じ釜の飯を食った仲なもんでな」

源三郎は飯を食い終わった茶碗に急須から茶を注ぎ、それを一息で啜った。
幸助も箸を置く。

三下奴さんしたやっこには用はないさ。昨夜は岡田を締め上げて晒上げる絶好の機会だったんだがな。源三郎、お前のせいで計画が狂った。屋敷に引きこもられたんじゃ容易には手が出せない」

「すまなかったな。だが俺は俺で仕事をしたまでだ」

「用が済んだらここに戻って来い。一緒に源内先生のところに行って計画を練り直す。紅烏の羽織も新調しなきゃならないしな」

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長屋に戻った源三郎は、共同の井戸の水を汲み手ぬぐいを絞って身体を拭いた。
そこに大工の平吉がやって来た。

「旦那、先だっては危ないところを助けていただき、ありがとうございました」

「同じ長屋の顔なじみ、困ったときはお互い様だ、気にすんねえ。それよりおめえ二度と博打なんぞに手を出すんじゃねえぞ。かわいい娘のためにも仕事に精を出せ。いいな」

「へえ、肝に銘じます。では仕事がありますんでこれで」

ぺこぺこと頭を下げながら平吉は長屋の木戸から出て行った。

着物を着換えた源三郎は、そのまま休む間もなく黒河豚一家に出向いた。

「これはこれは先生、昨夜は大変なお働きでしたな」

大きな体を揺すって黒河豚の駒三自らがやってきて源三郎を出迎える。

「いや、紅烏の野郎を取り逃がしちまった。面目ねえ」

「いえいえ、先生が紅烏に深手を負わせたと松吉から聞いております。おかげさまで岡田様も無事でしたし、次は必ず仕留めていただけるものと信じておりますぜ。もちろんタダとは言いません。紅烏の命には20両支払わせていただきます」

(俺か幸助の命の値は20両か・・安いもんだな)
源三郎は腹の中でつぶやいた。

「昨夜やられた連中の容態はどうだね」

「へえ、おかげさまで皆大した怪我ではございません。さあ先生、酒と食事を用意いたしますのでお上がりください」

ちょうど腹が減っていたところなので、遠慮なく馳走になることにする。

「どうこちらへ」
若い者が先導して部屋に案内する。
その途中、先日稽古に使用した中庭が見えた。

「おい、あれはなんだ?」

中庭ではふんどし一丁の裸体を荒縄で縛られたふたりの男が太い竹竿のようなもので、したたかに打ちのめされていた。
竹で体を打ち付けられる音と、男たちの枯れた悲鳴と血しぶき。凄惨な光景である。
竹を奮っているのは蝮の松吉だ。

「おい松吉、いったいこれは何なんだ」

顔を上げて源三郎の方を向いた松吉が応えた。

「こりゃ先生。へい、このふたりは紅烏に凄まれて尻尾を巻いて逃げ出した、やくざの風上にも置けねえ野郎どもでさあ。懲らしめに折檻せっかんしておりやす」

やくざの折檻とは惨いものである。
その本質は弱い者を鍛えるためのものではない。
下の者を打ち据えて恐怖と苦痛を植え付けることによって、上の者に逆らえなくなるすることが目的だ。
火の中に飛び込めと言われれば黙って飛び込むほどの徹底的な服従を強いるのだ。
しかし、今回の一件は源三郎が大いに関係しているので少々気の毒ではある。

「松吉、やくざの仕来りに口を出す気はねえが、そいつらも十分に懲りたんじゃねえか?そのくらいで勘弁してやってくれよ」

蝮の松吉は頬の傷を引きつらせるようにかすかな笑みを浮かべ、竹を持った手を下した。

「先生の頼みとあっちゃ聞かねえわけにゃいきませんな。おい、おめえら先生に礼を言え」

縛られているふたりの男たちは腫れあがった顔で口をもごもごさせるが、ほとんど声にならなかった。
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