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序章 紅烏登場
不死身の紅烏
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暗い夜道を紅烏を追って源三郎は走った。
冨井流の鍛眼法のひとつに夜目を鍛える法がある。
その訓練のおかげで、源三郎はわずかな月明りの中でも赤烏の後ろ姿を見逃すことはなかった。
しかも路上には赤烏が流した血の跡も点々と残っている。
(しかし紅烏の野郎、これだけ出血していてよく走れるもんだな)
大島川(現在の大横川)の川辺まで追いかけたところで、紅烏は立ち止まりこちらを向いた。
肩が上下しているのは息を切らしているからだろう。
さしもの紅烏も手傷を追って走り続けるのは最早限界のようである。
(野郎、決着を着けるつもりだな)
その紅烏が声を発した。
「俺だよ、源三郎」
紅烏は自らの覆面に手をかけた。
覆面が解け露わになったのはよく見知った顔であった。
「幸助?・・・おめえが紅烏だったのか」
源三郎も覆面を解いた。
「今まで気付かなかったとは鈍いな源三郎。俺はお前の手筋を見て気づいたぞ」
言われて見れば冨井流秘伝の一息五撃を防げるのは、同じ冨井流の秘伝を授かった者だけのはずだ。
源三郎も幸助も共に冨井流抜刀術の免許皆伝を受けている。
「源三郎、どうして黒河豚なんぞに腕を売った?仕事なら紹介したろう」
「ちょいと訳ありなんだよ。おめえこそなんでこんな真似をしている」
「こちらも訳ありなんだ」
幸助はかすかな笑みを浮かべるとその場に膝を落とした。
源三郎が駆け寄り抱きかかえる。
紅烏の羽織をめくると、着物の左上腕部あたりが裂けて五寸ほどの刀傷が見えた。
「幸助、話は後だ。出血がひどい。すぐに血止めをするぞ」
源三郎は幸助の羽織を脱がせると懐より手ぬぐいを取り出し、肩口を縛って止血の応急手当をする。
「とりあえず血は止まったが、早く医者に診せた方がいいな」
「いや、源三郎。それよりも間もなくお前のお仲間たちの追っ手がかかるだろう。ずいぶんと血の跡を残しちまったからな。撒き菱の足止めの効果もそう長くは持つまい」
源三郎は来た道を振り返る。遠くに複数の提灯の灯りが見える。
「確かにそのようだ。思ったより早いな。ありゃ黒河豚一家だ」
「源三郎、俺と一緒に居るところを奴らに見られるとまずいだろう。早くここを立ち去れ」
そう言うと幸助はふらつく足で立ち上がろうとした。
それを源三郎が両手で押しとどめる。
「おめえその体でまだ戦うつもりか?そりゃいくら幸助でも無理だ」
「案ずるな、源三郎。紅烏は神の使いだぞ。やくざ数匹ごときにやられはしないさ」
--------------------------------------------------------
血の跡を追って黒河豚一家が夜道を行く。
手にはそれぞれ黒河豚の代紋入りの提灯を持っている。
先頭を行くのは蝮の松吉で、六人の手下を引き連れている。
「血の量がかなり多いな。これじゃ紅烏の野郎、そう遠くへは行けめえ。すでに三浦先生に始末されてるかもしれんな」
「代貸、血は大島川の方へ続いていますぜ。おっ、あれは?」
手下の一人が道の彼方を指さす。
松吉が見ると、かすかな月明りに照らされて、黒服面の侍が足早に歩いて行く姿が見えた。
「あれは先生だな。おーい、先生!」
松吉は呼んだが、その侍の姿は夜の闇にかき消された。
「なんだ先生、行っちまった。紅烏の野郎がまだ見つからねえのかな。野郎、いったいどこへ隠れやがった」
「・・・いやいや代貸。紅烏は案外、代貸のすぐ傍らに居るかもしれませんぜ」
黒河豚一家の一番後方を歩いている男が言った。
「なんだ、おめえ。怪談話みてえに気味悪りいこと言ってんじゃねえぞ・・・ん、おめえは?」
その男は足元を照らしていた提灯をすっと胸前あたりまで持ち上げた。
提灯の灯りに照らし出されたのは紅い三本足のカラスの紋。
「ひっ!!紅烏!」
前を歩いていたやくざ共はそれぞれ腰を抜かさんばかりに驚き、飛びのいた。
松吉も胆を冷やしてはいたが、それでもすぐに提灯を投げ捨てると長ドスを引き抜いたのはさすがであった。
一方の紅烏は派手な羽織を翻すと、左手には朱塗りの鞘、右手には抜き身の刀を握り、その両腕を翼のように左右に広げた。
「てめえら怯むんじゃねえ!野郎は深手を負っている」
確かに紅烏の羽織の数か所は源三郎に斬られた跡があり、血の染みらしきものも見える。
檄を飛ばされた黒河豚一家の三人が長ドスを引き抜くと、一斉に紅烏に斬りかかっていった。
紅烏は音も無く彼らの間をすり抜ける。
三人のやくざはそれぞれが前方に崩れるように倒れた。
瞬きする間の出来事だ。
「ひいっ!」
悲鳴を上げて、やくざのひとりが後ろを向いて逃走する。
それに促されて、もうひとりのやくざも後を追って走っていった。
残るは蝮の松吉ひとりである。
この時、松吉は腹の底から凍り付くような恐怖を感じていた。
ただ一家の代貸としての意地だけで紅烏と対峙してたのである。
かなりの深手を負っているのに紅烏の動きはまったく鈍っていない。
(こいつは人間じゃねえ。化け物だ・・いや神?本当に神の使いなのか?)
紅烏が声を発した。
「蝮の松吉。その度胸の良さに免じてお前たちの命は助けてやろう。手下の命は奪っておらん。当身で眠らせただけだ」
松吉は金縛りにあったように身動きできなくなっていた。
声も出ず、ただ長ドスを構えて立っているだけだ。
後退るように紅烏の姿が闇に溶けたあと、ようやく金縛りが解けた松吉はへなへなと腰が抜けたように崩れ落ちた。
冨井流の鍛眼法のひとつに夜目を鍛える法がある。
その訓練のおかげで、源三郎はわずかな月明りの中でも赤烏の後ろ姿を見逃すことはなかった。
しかも路上には赤烏が流した血の跡も点々と残っている。
(しかし紅烏の野郎、これだけ出血していてよく走れるもんだな)
大島川(現在の大横川)の川辺まで追いかけたところで、紅烏は立ち止まりこちらを向いた。
肩が上下しているのは息を切らしているからだろう。
さしもの紅烏も手傷を追って走り続けるのは最早限界のようである。
(野郎、決着を着けるつもりだな)
その紅烏が声を発した。
「俺だよ、源三郎」
紅烏は自らの覆面に手をかけた。
覆面が解け露わになったのはよく見知った顔であった。
「幸助?・・・おめえが紅烏だったのか」
源三郎も覆面を解いた。
「今まで気付かなかったとは鈍いな源三郎。俺はお前の手筋を見て気づいたぞ」
言われて見れば冨井流秘伝の一息五撃を防げるのは、同じ冨井流の秘伝を授かった者だけのはずだ。
源三郎も幸助も共に冨井流抜刀術の免許皆伝を受けている。
「源三郎、どうして黒河豚なんぞに腕を売った?仕事なら紹介したろう」
「ちょいと訳ありなんだよ。おめえこそなんでこんな真似をしている」
「こちらも訳ありなんだ」
幸助はかすかな笑みを浮かべるとその場に膝を落とした。
源三郎が駆け寄り抱きかかえる。
紅烏の羽織をめくると、着物の左上腕部あたりが裂けて五寸ほどの刀傷が見えた。
「幸助、話は後だ。出血がひどい。すぐに血止めをするぞ」
源三郎は幸助の羽織を脱がせると懐より手ぬぐいを取り出し、肩口を縛って止血の応急手当をする。
「とりあえず血は止まったが、早く医者に診せた方がいいな」
「いや、源三郎。それよりも間もなくお前のお仲間たちの追っ手がかかるだろう。ずいぶんと血の跡を残しちまったからな。撒き菱の足止めの効果もそう長くは持つまい」
源三郎は来た道を振り返る。遠くに複数の提灯の灯りが見える。
「確かにそのようだ。思ったより早いな。ありゃ黒河豚一家だ」
「源三郎、俺と一緒に居るところを奴らに見られるとまずいだろう。早くここを立ち去れ」
そう言うと幸助はふらつく足で立ち上がろうとした。
それを源三郎が両手で押しとどめる。
「おめえその体でまだ戦うつもりか?そりゃいくら幸助でも無理だ」
「案ずるな、源三郎。紅烏は神の使いだぞ。やくざ数匹ごときにやられはしないさ」
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血の跡を追って黒河豚一家が夜道を行く。
手にはそれぞれ黒河豚の代紋入りの提灯を持っている。
先頭を行くのは蝮の松吉で、六人の手下を引き連れている。
「血の量がかなり多いな。これじゃ紅烏の野郎、そう遠くへは行けめえ。すでに三浦先生に始末されてるかもしれんな」
「代貸、血は大島川の方へ続いていますぜ。おっ、あれは?」
手下の一人が道の彼方を指さす。
松吉が見ると、かすかな月明りに照らされて、黒服面の侍が足早に歩いて行く姿が見えた。
「あれは先生だな。おーい、先生!」
松吉は呼んだが、その侍の姿は夜の闇にかき消された。
「なんだ先生、行っちまった。紅烏の野郎がまだ見つからねえのかな。野郎、いったいどこへ隠れやがった」
「・・・いやいや代貸。紅烏は案外、代貸のすぐ傍らに居るかもしれませんぜ」
黒河豚一家の一番後方を歩いている男が言った。
「なんだ、おめえ。怪談話みてえに気味悪りいこと言ってんじゃねえぞ・・・ん、おめえは?」
その男は足元を照らしていた提灯をすっと胸前あたりまで持ち上げた。
提灯の灯りに照らし出されたのは紅い三本足のカラスの紋。
「ひっ!!紅烏!」
前を歩いていたやくざ共はそれぞれ腰を抜かさんばかりに驚き、飛びのいた。
松吉も胆を冷やしてはいたが、それでもすぐに提灯を投げ捨てると長ドスを引き抜いたのはさすがであった。
一方の紅烏は派手な羽織を翻すと、左手には朱塗りの鞘、右手には抜き身の刀を握り、その両腕を翼のように左右に広げた。
「てめえら怯むんじゃねえ!野郎は深手を負っている」
確かに紅烏の羽織の数か所は源三郎に斬られた跡があり、血の染みらしきものも見える。
檄を飛ばされた黒河豚一家の三人が長ドスを引き抜くと、一斉に紅烏に斬りかかっていった。
紅烏は音も無く彼らの間をすり抜ける。
三人のやくざはそれぞれが前方に崩れるように倒れた。
瞬きする間の出来事だ。
「ひいっ!」
悲鳴を上げて、やくざのひとりが後ろを向いて逃走する。
それに促されて、もうひとりのやくざも後を追って走っていった。
残るは蝮の松吉ひとりである。
この時、松吉は腹の底から凍り付くような恐怖を感じていた。
ただ一家の代貸としての意地だけで紅烏と対峙してたのである。
かなりの深手を負っているのに紅烏の動きはまったく鈍っていない。
(こいつは人間じゃねえ。化け物だ・・いや神?本当に神の使いなのか?)
紅烏が声を発した。
「蝮の松吉。その度胸の良さに免じてお前たちの命は助けてやろう。手下の命は奪っておらん。当身で眠らせただけだ」
松吉は金縛りにあったように身動きできなくなっていた。
声も出ず、ただ長ドスを構えて立っているだけだ。
後退るように紅烏の姿が闇に溶けたあと、ようやく金縛りが解けた松吉はへなへなと腰が抜けたように崩れ落ちた。
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