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私の経歴
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ここでひとつお断りしておきますが、この物語は私のホラ話です。
20年ほど前に何げなく友人に「アジア各地を旅して、空手のデモンストレーションをして回ったことがある」と話したところ、思いのほか興味を持たれました。
それで調子に乗った私はどんどん口が滑り、話に余計な尾ひれが付いてしまいました。
2000年ごろにイビジェカフェという投稿掲示板内の旅行カフェ(現在は閉鎖)に、このホラ話を元に「空手バックパッカー一代」というタイトルで連続投稿したことがあります。これも予想以上にウケたので、私もキーボードの指が滑りまして、ますます尾ひれが付いて壮大な冒険物語みたいになってしまいました。
もしかしたら読者の皆さんの中にも、90年代末ごろから2000年代初頭ごろにアジアの安宿などで私の噂を聞いたことがある方がおられるかもしれません。
「カンボジアで自動小銃を持ったポルポト兵と素手で戦った日本人空手家が居る」
「その男はスリランカの空手道場を片っ端から道場破りしてまわった」
「バンコクで空手を馬鹿にしたムエタイ選手を半殺しにした」などなど。
私自身がバンコク・カオサンの安宿でこれらの噂話を聞いて赤面したことがあります。
もしかしたら、これらの噂を本気で信じておられる方が居るかもしれませんので、この場ではっきりさせておきますが、ぜんぶ嘘です。
これらはバンコク在住の日本人の友人に話して聞かせたホラ話が独り歩きして、さらに尾ひれがついたものですのでまことに申し訳ございません。
真実の私はまったく強くはありませんし、そもそも空手家ですらありません。
私が空手と出会ったのは中学生のときで、当時はブルース・リーや空手バカ一代などで大変な空手ブームでした。近所の空手道場に稽古に通っておりましたが、それほど熱心というわけでもなかったので、さほど強くもなりませんでした。
高校生になってから、とても強いと評判の空手道場に移りました。
しかし私はどちらかというと、組手や実戦の強さよりも派手な大技・・ブルース・リーみたいなカッコイイ蹴り技が好きで、飛んだり跳ねたりそんなことばかりやっておりました。
見てくれだけの技なので、試合では一度も勝ったことがありません。
「中国拳法には花拳繍腿という言葉があってな、花の拳に刺繍の蹴り。見た目は派手だがぜんぜん強くないって意味だよ。富井、まさにお前のことだよ」
当時、黒帯の指導員だった中川先輩によく言われたものです。
私はどういうわけかこの中川先輩に大変かわいがられていたようで、稽古の後よく飯(たいていは牛丼)を奢ってもらっていました。
さて、そんな調子の私も緑帯くらいまでは昇級しましたが、遊びたい盛りの高校生。
だんだんと道場への足も遠のき、そのうちに空手のことなんかすっかり興味を失いました。
どこにでもよくある話、どこにもよく居るヘタレです。
それから歳月は流れ、私は平凡なサラリーマンになっていました。
20代も半ばになるとサラリーマン生活もすっかり板につき、いっぱしに彼女も出来ました。
そのままならば、私はもしかしたら彼女と結婚して子供ができて、平凡なサラリーマンの人生を歩んでいたことでしょう。す
な
そんなある日のこと、今思えば私の人生をすっかり変えてしまった一本の電話があったのです。
それは高校生の頃に通っていた空手道場の中川先輩からのものでした
20年ほど前に何げなく友人に「アジア各地を旅して、空手のデモンストレーションをして回ったことがある」と話したところ、思いのほか興味を持たれました。
それで調子に乗った私はどんどん口が滑り、話に余計な尾ひれが付いてしまいました。
2000年ごろにイビジェカフェという投稿掲示板内の旅行カフェ(現在は閉鎖)に、このホラ話を元に「空手バックパッカー一代」というタイトルで連続投稿したことがあります。これも予想以上にウケたので、私もキーボードの指が滑りまして、ますます尾ひれが付いて壮大な冒険物語みたいになってしまいました。
もしかしたら読者の皆さんの中にも、90年代末ごろから2000年代初頭ごろにアジアの安宿などで私の噂を聞いたことがある方がおられるかもしれません。
「カンボジアで自動小銃を持ったポルポト兵と素手で戦った日本人空手家が居る」
「その男はスリランカの空手道場を片っ端から道場破りしてまわった」
「バンコクで空手を馬鹿にしたムエタイ選手を半殺しにした」などなど。
私自身がバンコク・カオサンの安宿でこれらの噂話を聞いて赤面したことがあります。
もしかしたら、これらの噂を本気で信じておられる方が居るかもしれませんので、この場ではっきりさせておきますが、ぜんぶ嘘です。
これらはバンコク在住の日本人の友人に話して聞かせたホラ話が独り歩きして、さらに尾ひれがついたものですのでまことに申し訳ございません。
真実の私はまったく強くはありませんし、そもそも空手家ですらありません。
私が空手と出会ったのは中学生のときで、当時はブルース・リーや空手バカ一代などで大変な空手ブームでした。近所の空手道場に稽古に通っておりましたが、それほど熱心というわけでもなかったので、さほど強くもなりませんでした。
高校生になってから、とても強いと評判の空手道場に移りました。
しかし私はどちらかというと、組手や実戦の強さよりも派手な大技・・ブルース・リーみたいなカッコイイ蹴り技が好きで、飛んだり跳ねたりそんなことばかりやっておりました。
見てくれだけの技なので、試合では一度も勝ったことがありません。
「中国拳法には花拳繍腿という言葉があってな、花の拳に刺繍の蹴り。見た目は派手だがぜんぜん強くないって意味だよ。富井、まさにお前のことだよ」
当時、黒帯の指導員だった中川先輩によく言われたものです。
私はどういうわけかこの中川先輩に大変かわいがられていたようで、稽古の後よく飯(たいていは牛丼)を奢ってもらっていました。
さて、そんな調子の私も緑帯くらいまでは昇級しましたが、遊びたい盛りの高校生。
だんだんと道場への足も遠のき、そのうちに空手のことなんかすっかり興味を失いました。
どこにでもよくある話、どこにもよく居るヘタレです。
それから歳月は流れ、私は平凡なサラリーマンになっていました。
20代も半ばになるとサラリーマン生活もすっかり板につき、いっぱしに彼女も出来ました。
そのままならば、私はもしかしたら彼女と結婚して子供ができて、平凡なサラリーマンの人生を歩んでいたことでしょう。す
な
そんなある日のこと、今思えば私の人生をすっかり変えてしまった一本の電話があったのです。
それは高校生の頃に通っていた空手道場の中川先輩からのものでした
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