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2019年8月
最終話:御影探偵事務所
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「ええと・・山口君。せっかくお土産買ってきてもらって悪いけど、このワンピースは私にはちょっと派手すぎないかなあ」
真奈美が手に取って拡げて見ているのは、恐ろしくサイケな色合いで、しかも欧米人好みの胸元が大きく開いたバティック製のリゾートドレスだった。
「ええ~?そうかなあ。俺、これ見たとき、ぜったいに真奈美ちゃんに似合うと思ったけんだけどなあ。真奈美ちゃんいつもおとなし目な服ばっかだし、たまにはちょっと派手でもいいんじゃない?セクシイだと思うよ」
「うーん・・・これを着て行くところが思いつかない。ていうか山口君。なんか性格が変わってない?御影さん、山口君にどんな修行させたんですか」
ふたりの若者のやりとりを、先ほどから微笑ましく見ていた御影が答えた。
「それは内緒だ。山口君は十代のころから『消える』ために、感情を極力殺す訓練をしていたからね。武道でも気配を完全に消して、インビジブルとよく似た能力を発揮する達人がいる。修行を積み武道の奥義を極めたものは、探しても目には見えない、聞いても耳に聞こえない、触っても指先に感じないものなのさ。しかし山口君には逆の修行が必要だった。はっきり存在する状態と、インビジブル状態のON、OFFの切り替えだね。その修行の成果で、存在する状態の彼は少々性格が変わったかもしれない」
「うーん・・しかも、なんかいきなり私、下の名前で呼ばれてるんですけど」
「いいじゃないか。何しろ君たちは中三から交際をやり直すんだよ。のんびりしてたら、高一になる前に三十過ぎてしまうぞ。だから宮下君もまずは『肇くん』からはじめたまえ。さあ」
そう言われた真奈美は顔全体が火照っているのを感じていて少々気恥ずかしい。
「ええと・・・肇くん・・あのね」
「なんだい、真奈美ちゃん」
「ごめん、私やっぱり、このワンピースは無理」
近くで聞いていた御影が吹き出した。
「ぷっ・・・前にも言ったけど、男性からのギフトに期待しちゃだめだ。でも今度は何か綺麗な石を買ってもらいたまえ」
「ええ、期待せずに待ちます。それはそうと、今回の事件でひとつ気になっていたことがあるんですよ。井土さんが花城社長の研究を盗んでいたという証拠って、結局は花城社長が三上さんに宛てた手紙だけですよね?あれって本当の事だったのでしょうか?」
真奈美の言葉を聞いて、御影は生徒が期待以上の回答を出して来た時の教師の表情で頷いた。
「よく気が付いたね。それが確証バイアスに陥らないための第一歩だ。井土さんが研究を盗んでいても、いなくても、それはどっちでもよかったのさ。彼らは同居していたのだから、盗んでいなければ、書類を社長自ら隠して、それを三上さんに発見させればよかった。必要だったのは『研究を盗んでいた井土さん』という役柄であって、それが必ずしも事実である必要はない。このような、僕が事件の解明で触れなかった細かい仕掛けは他にもいろいろあると思うよ。時間があれば調書を読み返してみるといい。意外な事実が見つかるかもね」
「そうなんですか。花城社長はすごい知能犯だったんですね」
その言葉を聞いた肇が言った。
「すごいなんてもんじゃないよ、天才だよ社長は。悪人だったけど、それだけは間違いない」
「そういえば肇君はなんで花城レンズ工芸に就職したの?」
「そりゃ真奈美ちゃん、インビジブルシート。あれを見たら、もうここに入らなきゃって思うって。御影さんなら分かるっすよね?あれは本当に天才にしか作れない、奇跡みたいな作品ですよ」
どうやら御影もそれには同意のようだ。
「宮下君は、『インビジブルスーツは実在する』という仮説の上に論理を組み立てたんだろう?僕は逆に『実在しない』と仮説を立てたんだ。僕の持っている科学の常識の範囲では、インビジブルスーツを鏡とレンズで作るなんて絶対に不可能だからだ。しかしね、花城レンズ工芸に行って、実際にインビジブルシートを見たときには、その仮説が揺らぎそうになったよ。うっかり花城社長ならインビジブルスーツだって作れるかもしれないと思いそうになったもの」
御影の立てた仮説すら揺るがす花城社長の天才。彼がサイコパスでなければ、どれほど世の中のためになったかしれないのに。と真奈美は思った。
「それから山科警部が驚いてましたよ、三上さんが隠していた二通の手紙の内容が、ほとんど御影さんの想像のままだったって。御影さん、透視とかそういう能力使ったんじゃないですか」
御影は大げさに首を横に振った。
「使ってないよ。僕は今回は金田探偵への挑戦の意味もあって、ノックス十戒を厳守したんだ」
「金田探偵も言ってた、そのノックスってなんなんですか」
「別にどうということのない、一種の慣習みたいなものさ。そんなことより、ひとまずお茶にしないか。スリランカの新鮮な茶葉があるからね。穂積君、すまないが紅茶の用意を頼む」
「はい。じゃあ、スコーンも用意しますね」
そう言うと穂積恵子は湯沸室に向かった。
ここで真奈美は、以前から気になっていることを御影に尋ねた。
「御影さんは、穂積さんのことをどうするおつもりなんですか?」
「どうするって・・穂積君にはこれからも秘書として、僕の仕事を手伝ってもらいたい」
「そうじゃなくて、御影さんは穂積さんの御影さんへの思い、気づいてますよね」
「えっ?なんだって?宮下君、穂積君が僕に・・・そうなのか?」
宮下は御影の言葉にかなり腹を立てた。
「いつも私の感情を読み取るくせに、穂積さんの気持ちがわからないはずないじゃないですか。とぼけないでください!」
「いや、怒らないでくれ。僕は第三者視点でなら他人の感情が読めるのだが、自分に向けられた感情は、害意や殺意以外は読めないんだ」
「ええっ」
このような事で、稀代のサイキックである御影純一の思わぬ弱点が見つかるとは。
「でも普通、サイキックじゃなくても気づきますって、さあ」
「さあ・・ってなんだい?」
「湯沸室に行って、お茶を手伝うんですよ。そうそう、穂積君じゃなくて、恵子ちゃんて呼ぶんですよ。第一歩です」
「う・・・わかった、行ってくる」
御影がソファから立ち上がり湯沸室に歩いて行く。
その後ろ姿を見て、肇が言った。
「なんか御影さん、動きがぎこちなくない?まるでロボットじゃん」
真奈美が声を出して笑った。
「ふふふ・・サイキック探偵なんて、恐るるに足らずだよね」
インビジブル(了)
真奈美が手に取って拡げて見ているのは、恐ろしくサイケな色合いで、しかも欧米人好みの胸元が大きく開いたバティック製のリゾートドレスだった。
「ええ~?そうかなあ。俺、これ見たとき、ぜったいに真奈美ちゃんに似合うと思ったけんだけどなあ。真奈美ちゃんいつもおとなし目な服ばっかだし、たまにはちょっと派手でもいいんじゃない?セクシイだと思うよ」
「うーん・・・これを着て行くところが思いつかない。ていうか山口君。なんか性格が変わってない?御影さん、山口君にどんな修行させたんですか」
ふたりの若者のやりとりを、先ほどから微笑ましく見ていた御影が答えた。
「それは内緒だ。山口君は十代のころから『消える』ために、感情を極力殺す訓練をしていたからね。武道でも気配を完全に消して、インビジブルとよく似た能力を発揮する達人がいる。修行を積み武道の奥義を極めたものは、探しても目には見えない、聞いても耳に聞こえない、触っても指先に感じないものなのさ。しかし山口君には逆の修行が必要だった。はっきり存在する状態と、インビジブル状態のON、OFFの切り替えだね。その修行の成果で、存在する状態の彼は少々性格が変わったかもしれない」
「うーん・・しかも、なんかいきなり私、下の名前で呼ばれてるんですけど」
「いいじゃないか。何しろ君たちは中三から交際をやり直すんだよ。のんびりしてたら、高一になる前に三十過ぎてしまうぞ。だから宮下君もまずは『肇くん』からはじめたまえ。さあ」
そう言われた真奈美は顔全体が火照っているのを感じていて少々気恥ずかしい。
「ええと・・・肇くん・・あのね」
「なんだい、真奈美ちゃん」
「ごめん、私やっぱり、このワンピースは無理」
近くで聞いていた御影が吹き出した。
「ぷっ・・・前にも言ったけど、男性からのギフトに期待しちゃだめだ。でも今度は何か綺麗な石を買ってもらいたまえ」
「ええ、期待せずに待ちます。それはそうと、今回の事件でひとつ気になっていたことがあるんですよ。井土さんが花城社長の研究を盗んでいたという証拠って、結局は花城社長が三上さんに宛てた手紙だけですよね?あれって本当の事だったのでしょうか?」
真奈美の言葉を聞いて、御影は生徒が期待以上の回答を出して来た時の教師の表情で頷いた。
「よく気が付いたね。それが確証バイアスに陥らないための第一歩だ。井土さんが研究を盗んでいても、いなくても、それはどっちでもよかったのさ。彼らは同居していたのだから、盗んでいなければ、書類を社長自ら隠して、それを三上さんに発見させればよかった。必要だったのは『研究を盗んでいた井土さん』という役柄であって、それが必ずしも事実である必要はない。このような、僕が事件の解明で触れなかった細かい仕掛けは他にもいろいろあると思うよ。時間があれば調書を読み返してみるといい。意外な事実が見つかるかもね」
「そうなんですか。花城社長はすごい知能犯だったんですね」
その言葉を聞いた肇が言った。
「すごいなんてもんじゃないよ、天才だよ社長は。悪人だったけど、それだけは間違いない」
「そういえば肇君はなんで花城レンズ工芸に就職したの?」
「そりゃ真奈美ちゃん、インビジブルシート。あれを見たら、もうここに入らなきゃって思うって。御影さんなら分かるっすよね?あれは本当に天才にしか作れない、奇跡みたいな作品ですよ」
どうやら御影もそれには同意のようだ。
「宮下君は、『インビジブルスーツは実在する』という仮説の上に論理を組み立てたんだろう?僕は逆に『実在しない』と仮説を立てたんだ。僕の持っている科学の常識の範囲では、インビジブルスーツを鏡とレンズで作るなんて絶対に不可能だからだ。しかしね、花城レンズ工芸に行って、実際にインビジブルシートを見たときには、その仮説が揺らぎそうになったよ。うっかり花城社長ならインビジブルスーツだって作れるかもしれないと思いそうになったもの」
御影の立てた仮説すら揺るがす花城社長の天才。彼がサイコパスでなければ、どれほど世の中のためになったかしれないのに。と真奈美は思った。
「それから山科警部が驚いてましたよ、三上さんが隠していた二通の手紙の内容が、ほとんど御影さんの想像のままだったって。御影さん、透視とかそういう能力使ったんじゃないですか」
御影は大げさに首を横に振った。
「使ってないよ。僕は今回は金田探偵への挑戦の意味もあって、ノックス十戒を厳守したんだ」
「金田探偵も言ってた、そのノックスってなんなんですか」
「別にどうということのない、一種の慣習みたいなものさ。そんなことより、ひとまずお茶にしないか。スリランカの新鮮な茶葉があるからね。穂積君、すまないが紅茶の用意を頼む」
「はい。じゃあ、スコーンも用意しますね」
そう言うと穂積恵子は湯沸室に向かった。
ここで真奈美は、以前から気になっていることを御影に尋ねた。
「御影さんは、穂積さんのことをどうするおつもりなんですか?」
「どうするって・・穂積君にはこれからも秘書として、僕の仕事を手伝ってもらいたい」
「そうじゃなくて、御影さんは穂積さんの御影さんへの思い、気づいてますよね」
「えっ?なんだって?宮下君、穂積君が僕に・・・そうなのか?」
宮下は御影の言葉にかなり腹を立てた。
「いつも私の感情を読み取るくせに、穂積さんの気持ちがわからないはずないじゃないですか。とぼけないでください!」
「いや、怒らないでくれ。僕は第三者視点でなら他人の感情が読めるのだが、自分に向けられた感情は、害意や殺意以外は読めないんだ」
「ええっ」
このような事で、稀代のサイキックである御影純一の思わぬ弱点が見つかるとは。
「でも普通、サイキックじゃなくても気づきますって、さあ」
「さあ・・ってなんだい?」
「湯沸室に行って、お茶を手伝うんですよ。そうそう、穂積君じゃなくて、恵子ちゃんて呼ぶんですよ。第一歩です」
「う・・・わかった、行ってくる」
御影がソファから立ち上がり湯沸室に歩いて行く。
その後ろ姿を見て、肇が言った。
「なんか御影さん、動きがぎこちなくない?まるでロボットじゃん」
真奈美が声を出して笑った。
「ふふふ・・サイキック探偵なんて、恐るるに足らずだよね」
インビジブル(了)
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