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第44話 風精エアリアル 1

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【登場人物】
野咲のざきあずき……十二歳。小学六年生。日本とイギリスのハーフ。
おはぎ……黒猫。あずきの飼い猫。
エアリアル……風の精霊。 

「何これ?」

 転移したあずきのすぐ目の前に扉があった。 
 のぞき穴に郵便受け。
 どう見ても玄関ドアだ。

 振り返ると、そっちには道路があった。
 住宅街のようで車の通りは少ないが、人は普通に歩いている。
 あずきの頭の中が真っ白になる。

 ――え? 何これ。アパート? わたし、誰かの住んでるアパートの前に転移しちゃったの? これって接続ミス? 

 あずきが軽く混乱しているそのとき。

『きゃぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!』

 悲鳴だ。
 目の前の部屋の中から女性の叫び声が聞こえた。
 あずきは反射的に、ドアノブを握った。
 不用心にも鍵が掛かってないようで、あっさりドアが開く。
 
「ごめんなさい! お邪魔します!」
 
 三和土たたきで靴を脱ぎ、ガラス製の引き戸を開けると、そこは八畳程の真っ暗な部屋だった。
 唯一の明かりでもあるテレビの前に置かれた座椅子に、赤いジャージの上下を着た髪の長い女性があぐらをかいて座っている。

 あずきは、用心しつつ部屋に入った。
 冷気でヒンヤリする。
 女性は、あずきの存在に全く気付いていないようだ。

 女性は悲鳴を上げながら、ゲーム用コントローラーを振り回していた。
 あずきは画面を見た。
 あずきもやったことのあるレーシングゲームだ。
 と、女性の操る車がNPC車の妨害攻撃で吹っ飛ばされた。

『いやぁぁぁぁ! やめてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!』
 
 ――ゲーム?
 
 あずきは思わず、おはぎと顔を見合わせた。

 女性の操る車が大ジャンプに失敗して水に突っ込んだ。

『あぁ、もぅ! 追いつけない!!』

 そのステージは、あずきが得意としているところだ。
 隅から隅まで知り尽くしている。

「あ、そのまま進んで、右に出てくるワカメの群生地に突っ込んでください」

 あずきが思わず口を出す。
 女性がギョっとして振り返る。

『え? あなた誰? いつからそこに……』
「そこ! ハンドル右に切って!」
『あ、はい!』

 ワカメの裏には岩盤をくり抜いて作られた通路があった。
 しばらく走って通路を抜けると、いつの間にか先頭集団を追い抜いていた。
 シークレットのショートカット用通路だったらしい。
 車はそのまま、ぶっちぎり一位でゴールした。

『凄い凄い! 初めて一位取った!!』

 女性がコントローラーを放り投げて、あずきに抱きついた。

「え、いや、あの、はい。おめでとうございます。えっと、それでこれはどういう……」
『あぁ、ごめんなさい。初クリアが嬉しくってつい。……ところで、あなたどなた?』

 あずきは思わず、おはぎと顔を見合わせた。

「わたし、初心者の試練に来たんですけど、なんか間違って繋がっちゃったみたいで」
『初心者の試練? あちゃー、すっかり忘れてた。確か、野咲あずきさんよね? うん、ここで合ってるよ。ごめんなさい、お出迎えもせずに』
「いえ、それはいいんですけど……。とりあえず、電気点けてもらっていいですか?」

 女性が慌てて立ち上がり、部屋の中央上部に付いているライトのヒモを
 引っ張った。
 格子の入った、どことなく古臭さを感じさせる和柄のライトだ。
 室内がようやく明るくなる。

『わたしは風精エアリアル。ようこそ我が家へ』

 エアリアルが八畳部屋の真ん中で胸を張った。
 その頭上でライトのヒモがプラプラ揺れている。
 威厳もへったくれもない。

 ――風の精霊? 普通のお姉さんにしか見えないけど。

 あずきはエアリアルの格好を頭から爪先まで、しげしげと眺めた。
 
 髪はボサボサ。べっ甲のような赤っぽいフレームのメガネを掛けているが、そのレンズはまるで牛乳瓶の底だ。
 着ている赤いジャージの胸には何やら校章が付いている。

 どうやら、中学校のジャージを室内着として再利用しているようだ。
 その校章のすぐ脇に付いたカピカピのご飯粒。  
 
 ――そんな格好でドヤ顔をされても……。
 
 あずきは失礼とは思いながらも、室内を見回した。
 男性の気配は毛ほども感じなかったので、基本、女性の一人暮らしで間違いは無いのだろうが、これが女性の部屋なら住人はとてつもなくズボラなのだろう。
 積み上げられたコミック本や、脱ぎ散らかした服がそこかしこに散らばっている。
 
 ――あんまり、頓着しない人なんだな、この人。
 
『えっと、この辺りに座布団があったはず……。あ、あった、あった。まぁ座って楽にしてよ』

 エアリアルが脱ぎ散らかした服の下から座布団を発掘し、あずきの前に置く。
 だが、臙脂色えんじいろの座布団は、何かスープでもこぼしたのか、茶色い染みが広範囲に渡って付いている。
 普段、母親からガサツだと叱られることの多いあずきではあるが、さすがにこの座布団にそのまま座るのは躊躇ためらわれたので、微妙に染みを避けて座った。
 
『ちょっと待ってね。お茶持ってくるから』

 バコン。

 台所に行ったエアリアルは、隅に置いてあった箱を開けると、そこから五百ミリリットルサイズのお茶のペットボトルを二本出し、あずきの前に一本を置いた。
 箱買いしてあったらしい。
 
 あずきの戸惑いをよそに、エアリアルは自分の分のペットボトルを開け、そのまま無造作に口を付けた。

「あの、エアリアル……さん?」
『エア、でいいわよ』
「はい。じゃ、エアさん。あの、わたし、試練を受けに来たんですけど、何をすればいいんですか?」
『あぁ、試練ね。うんうんうん、大丈夫、ちゃんと考えてあるから』

 エアが明後日の方向を見ながら答えた。
 あずきはその態度に微妙に違和感を感じ、目を細めた。

 ――この人、本当にちゃんと考えてる?

「訓練ステージはこの近くなんですか? ここで事前説明を受けてから試練会場に転移って感じなんでしょうか」
『んー、まぁそうなんだけど。……外、暑かった?』

 あずきがキョトンとする。

「そりゃまぁ。夏ですし」
『だよねぇ。……外、出たくないなぁ』
「……は?」
『クーラーの効いた部屋でグデグデしていたい』

 エアリアルが部屋の隅に置いてあったベッドにダイブする。

「え? ちょっと」

 エアリアルの予想外の行動に、あずきは口をあんぐり開けた。
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