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4章

怠惰

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「ここが、ね」

忌々しげに顔を歪めて男はそう吐き出す様に言った。

「やっぱりこうなったか」

どうやら彼女は最後まで彼の渡した心ばかりの手袋を付けていた様だ。

グレートヒェンは肌身離さず。

それは役に立たなかったのかもしれない。

きっと彼女にしてみれば良い迷惑だったに違いない。

「これで良かったんだよな……」

最後に、男はグレートヒェンから魂を抜き取ろうとした時、その手を空中で停止させた。

けれども彼女はその手首を掴んだ。

「儚いなぁ」

それが綺麗なのだけれど。

「誰だ」

監獄、楽園。

凶悪な犯罪者にとっては監獄が楽園である様に、男と同じ悪魔にとってもそれは当てはまるのだろう。

「迎えに行かなくては」

焼却と冷却。いつか割れてしまうだろう。

地上には万魔殿は築けないのだから。

完璧は存在しないのだから。

「人間の完璧を求めるその矛盾とも言える愚かな行為が、悪魔の糧となる」

欲望、七つの大罪。

それらは向上心によるものかもしれない。

ゆっくりと近ずいて行く。右足、左足と交互に交差させて。

流石に手と足を同時には出さなかったが、その姿は人間に似合わないものだった。

正確には人型には。

「お前はもう終わりだ。すぐに我々の思念体が集まって来るだろう」

「黙ってろ」

「お前に武器を使ったらきっと武器の質が落ちる」

武器屋はそう言い、武器を腰に下げて素手で目の前の男の首を締め上げた。

血が飛び散る。

「お前なんかでも血が赤いんだな」

手持ち無沙汰に、秋水が揺れていた。

  ***

「お兄ちゃんなの?」

鈴の様な声音で、頼りげなく麻友はソレに向かってそう言った。

「お兄ちゃんっ!」

そっと近付こうとする。

けれどもソレは気配を感じるや否や闇の奥へ奥へと逃げて行く。

まるで大事なものを傷つけない様に。自分の手で守れるギリギリの境界に置きたいかの様に。

ヤマアラシのジレンマだ。

「待って、置いてかないで」

血に汚れて黒く染まったソレは足の動きを止める。

「もう、帰ろうよ」

目が、合った。烱々と光るソレが。

「どこに?」

聞いた事もない様な、彼女の兄のその冷たく窪んだ声に思わず少女は肩を震わせる。

「………。」

黙り込む目の前の怯えた少女を見て、六花はさらに追撃を行った。

「お前の事を覚えている人間なんていない」

目の前の彼女が本当の深雪麻友なのか、六花には分からなかった。

魔王は言った。深雪麻友を守る、と。

六花にはただ、目の前の少女が自分の妹ではなく、人三化七に思われて仕方がなかった。

化け物よりも、むしろ彼は自分に都合の良い解釈を取ったのだ。

「連いて、来ないでくれ」

それはどうしょうもなく別れの挨拶だった。

逃げる化け物とそれを追う少女。

彼女は検非違使なんぞではなく丸腰だったが、その悲哀の表情が化け物をただ追い詰めていた。

   ***

「邪魔だなぁ」

蠅を払う様に手足を乱暴にやたらと振り回し男は暗い館内を歩く。

「おっと」

男に纏わりつく彼等の内、一人が彼の腰にぶら下がった利器の存在に気付き奪おうと腕を伸ばす。

「これを手に入れたいのならもうすこし腕を伸ばしてからにしな」

腕を引き千切る。

「おや。深雪、六花じゃないか」

金屋はまたゆっくりと近付きながら、面倒臭そうにそう言った。

「お客には振るえるな。『猿の腰掛け』さんの宅配サービスだ」

「受け取りな」そう言って男は疾風の様に床を滑る。

一の太刀は火花と共に弾かれる。

「甘い」

その反動からか上体を反らした六花の胴に今度は反対側の手で獲物を打ち込む。

着物が肌蹴ていた。どうやら男はもう一腰、刀を懐に隠していたらしい。

「これが本当の懐刀ってね。まあ、この場合単位は一腰ではないと思うけど」

一ヒと言うのだけれど。

「お兄ちゃん」

彼女が、彼の妹でもある深雪麻友が後ろにいた。

六花がもしこの刀を避けたら、そのまま麻友が裂かれる事は明白だった。

「人形だから、見捨てても良いんだよ」

見透かした様に、男はそう言った。

少なくともその目は六花ではなく、彼の後ろに向けられていた。

「そうだ。それで良いんだよ」

鮮血が飛び散る。

「君の血はやっぱり赤くあるべきだ。僕の血は赤いのかな?」

デジャブ。

一日の内に同じ構図で二つの命を奪う様な日があったらそれは紛れもなく最悪の日だろう。

それに愛する人の死が加わっているのなら尚更だ。

「その刀の銘を教えていなかったよね」

息を切らしながら彼はそう言う。

「その刀は鬼袈裟。まあ、といってもあまり袈裟切りは出来ていない様だけれども」

無意識の内に手が伸びていたのだ。

それはこれ以上の苦痛を厭う六花の無意識だったのかもしれない。この腑の痛みに構わないパラケルススのモノなのかもしれない。

「まあ、なんにせよ合格だ。その判断は間違っていなかったと思うよ」

「君になら僕の全てを任せられる」そう言う男の声は弱々しくて、今にも消えてしまいそうだった。

「行こう、麻友」

「お兄、ちゃん?」

不安げに瞳を大きく見開く。

「安心しろ。人間が麻友の事を忘れたなら俺がちゃんと覚えててやるから」

そう言って頭を撫でる。

六花には向かうべき場所が分かっていた。

「その前に、こいつを運ばなきゃだな」

そう言って男の死骸を担ぎ上げる。

「ここで眠っていてくれ。せめて、人格と肉体だけでも」

溶けてしまったグレートヒェンの横に安置する。

「……?」

微かに男の体が動く様な気配がした。きっと思い過ごしだろう。

「行こう、麻友」

手を引いて瞳で空を仰ぐ。

「……面倒臭いなぁ。」

でも、俺の頑張りで君が怠惰になるのならそれで良い。

怠惰の悪魔はそう笑って、惚れた女の隣でその息を静かに引き取った。
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