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3章

六枚目

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「昨晩は随分と遅かったじゃないか」

いつも通りの朝、那須太一の父はそう言った。

「心配しなくて良いよ。少し遅くまで勉強してただけだから」

何気なく、二人はその心情を隠してそう言葉を紡ぐ。

一方は心配を、もう一方は……

「そうか。勉強、頑張れよ」

優等生の太一の弁は容認される。

「父さん、今日は帰り遅いから」

父は男手一つで太一を育ててくれた。その点は感謝しても仕切れない。

「父さん」

「ん、なんだ?」

「いってらっしゃい」

手短に感謝の気持ちを込めて彼は見送る。

「ああ、いってきます。太一も気を付けろよ」

ありきたりな、けれども幸福な日常が始まる。

「よう」

「おはよう、太一君」

ちらほらと人影が集まりつつある教室でそう挨拶を交わすのは件の同級生であった。

件の事件の後、太一が殴った青年達は彼がマナで攻撃していた為、まもなく傷が塞がり、太一はお咎め無しという事になった。

「アイツだぜ」「ほら」周囲の陰口が届く。

全く不便なものだ。人の耳には戸は立てられないらしい。

「今日、放課後空いてる?」

聞こえて来るものは仕方が無い。太一は無視してそう尋ねる。

「え……今日」

どうやら彼は失語症の様な傾向があるようだ。否、どちらかというと吃音症である。

「良いよ」

そんな些細な事で彼はクラスメイトからあの様な迫害を受けていたのか。そう思い太一はなんだかやりきれなくなった。

それとも、彼等がこの青年をこの様にしてしまったのだろうか……義憤の情が起こる。

「そうか、良いもん見せてやるよ」

太一はその後、彼のクラスに戻る。

この中の一体何人が善人なのだろうか、ふと彼はそんな事を考える。そして、考えたまま結論を求める事が出来ずに約束の時間を迎えた。

「ど、どこ行くの?」

彼は興奮しているのかそう訊いて来る。

「良いからついて来いよ」

「痛く、しないでね」

その言葉を聞いて太一の義の心は燃えた。

「安心して欲しい。僕は君を守るし、ましてや君を傷付ける様な事は絶対にしない」

振り返り、そう言った。

「うん」

未だ暗い青年の声音はしかし、幾許かの明るさを取り戻していた。

「もう着いたよ」

件の廃工場が、そこにはあった。

「ここ?」

警戒心は大分薄れたが、不審そうに彼はそう言う。

「まあ、ここに座って」

工場には矢張り様々な機械が陳列されている。

バン。

大きな破裂音と同時にコンクリートの塀が崩壊する。

「え、これどうやって」

驚きを隠せない様子で青年はそう言う。

「面白いだろ?」

それも無理が無い。なにせ彼には太一のマナが見えないのだから。

「こんな事も出来るんだぜ」

オーケストラの指揮者の様に太一は大きくその袖を振り上げる。

一気に振り下ろす。

「う、うわぁ」

怯えた様な声が青年から上がる。

工場のあらゆる機械が動き出したのだから無理も無い。

「ふんっ」

さらにマナを流し込む。

その結果、引っ張られる様な形で重機械達は車両の様に工場の中を縦横無尽に走り出した。

それらがぶつかりかけたその瞬間、先程のマナで崩壊したコンクリート塀が復活する。

粉砕された無機物からスパンコールの様に粉塵が上がる。

「俺、なったんだよ」

「え、何に?」

「救世主にさ」

太一は彼に天使の事を話した。

それは彼が決めたからである。弱者は善人であると、傲慢に。

予期した通りの、いやそれよりも大した事のない声が青年から上がる。

「だから、俺に遠慮なく頼って欲しい」

マナで動かしたといっても重機達は粉砕されたまま元に戻らない。

それがひどく苛立たしかった。

世界の定めた物理法則が、人間の味方が憎たらしく思われて仕方がなかった。

太一は青年と別れた後、正義を執行する。

復讐の為に。
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