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3章

夜営

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成る程どうやら男が言っていた通り店の奥は寝室になっているらしい。

寝室と思われる場所は店先とは異なり、目の頼りに出来るものは何も無い。しかし、徒に秋水が散乱している場所に臥すよりは良いだろう。

万年床がその部屋の面積の殆どを占領していた。

手持ち無沙汰なグレートヒェンの様子が分かる。

「私はこちら側で寝ますね」

暗がりの中、彼女はそう言って店の方の布団を指差す。

ぼんやりと頼りげ無い蝋燭の光が彼女の背中から漏れていた。

心の擦れた六花にとってそれは後光が射している様であった。

「君は湯を浴びてきなよ」

六花は気遣う様にしてそう呟く。

「はい。ありがとう御座います」

彼女はそう言って部屋を後にした。

ブロッケン現象。
彼女の後光が、彼女の触れた襖などの全てが六花を糾弾する。

先程の六花の言葉も何も彼女を気遣う為に放ったモノではなかった。

ただ今はそっとして欲しかった。

自分の中にいる未知の生物が六花には恐ろしくて、気持ちが悪かった。

ブロッケン現象を見たものは間も無く死ぬ、そういう不吉な言い伝えもあるらしいが六花はいつ死ぬのだろうか。

いや、いつ死んだのだろう。そして彼の魂は今一体どのくらいまで死んでしまっているのだろうか。

太腿の辺りに違和感が感じられる。

春野芽生のくれた思い出が、そこにはあった。

思い出しかそこにはなかった。

「なんだ?外に呼び出して」

急な彼女の呼びかけに驚いたのかこの店の店主はそう言った。

「すいません。急にお呼び立てして」

目線の先にはグレートヒェンがいた。無論、彼の背には年季の入った掛札が掛けてある。

「アンタの連れもそれだけ気丈だったらな」

店内とは一転して、蝋燭の光の届かない外では互いの顔が良く見えない。

「アンタ、やっぱり綺麗だな。今なら絵師になりたいよ」

木漏れ日の様に雑多な有象無象から溢れて来た光に照らされて彼女は美しかった。

絵に成るとはこの事だろう、男はそう思った。

「お客様は決して悪いお方ではないのですよ」

折り目正しく彼女はそう言う。

「ふん、まあ自分の父親でもあるわけだもんな」

見透かした様に、馬鹿にした様に店主はそう言う。

「貴方はどうして知っているのですか?」

「そりゃ、アンタがアイツに話していたのを聞いたからだろう」

「とぼけないで下さい。貴方はどうしてお客様の過去を知ってらしたのですか?」

そう、彼は知っていたのである。六花の過去を。そしてワザと喧嘩になる様に仕向けていたのである。

「なんだか随分と嫌われているみたいだな」

「はい」

はっきりと彼女はそう言う。

「俺はな、聞こえるんだよ」

「魂の声が」

男はなんでも無い様にそう呟いた。

「それはまたどうして……」

「理由なんて無い。何もそんなに可哀相な目で見ることはないだろ」

男は続ける。

「嬢ちゃんは聖遺物って知ってるかい?」

見透かした様に男はまたしてもそう言う。

彼女の嵌めている手袋をその目に据えて、まるで値踏みをしている様に。

「はい」

男の掴み所の無い言葉に戸惑いながら彼女はまたしても折り目正しくそう答える。

「魔力回路がどうとか言っていたよね」

「はい、たしかにそう申しました」

「魂は広義には魔力回路に当たることはじゃあ知ってるね」

「はい」

その機械的な応答には裏腹に彼女の内側に一つの疑問符が渦巻いていた。否、無数の。彼女は今にもその応答に乗せてこの折り目のついていない何度も折り返した様な疑問を嘔吐してしまいたかった。

「吐きなよ」

「?!」

「履けないのかい?その手袋?」

グレートヒェンの戦力はゼロに等しかった。

「この通り、俺は聖遺物をつくるその仕事柄か魂の声が聴こえてくるのさ」

男は続ける。

「だいたい普通の人間は魂と人格は一緒だろ?でも、アイツは違う。

彼女は思い出した。この目の前の男の正体を。

彼は狂っていた。

「でも今は違う。そう、アイツは狂っていたんだよ」

男は見透かす様に、彼女のその視線の先を、彼と彼の背中で臥す者を見透かす様にそう言った。

「私が悪いのです。私が……全て」

吐き出す。
真っ暗な闇に向かって彼女はそう呟いた。

「そうさ。君は、君等は利用したんだよ。あのまま放置すれば良かったのに」

しかし、男は不幸なことにその呟きを逃さなかった。

闇に埋もれて行く筈の彼女の小さな呟きを。

「本当に非道いよ。でもまあ、彼にとっては幸運な事だったのかもね」

「だって君等に出会わなければ彼女に再会出来ないんだから。あのフラスコには出会えなかったんだからね」

男はそう言う。見透かした様に。

闇の中でひかる二つの目の放つ直線が交差する。

Y=ax+bの直線が交差する。

その方程式はいかにも簡単なモノであったが、彼からのその方程式はきっと難解なのだろう。

自分を螺子であると言い張った人形はふとその様に考えた。

煤けた都心の路地を抜けた先で、男女二人が見つめ合う。

「人間なんだよ。アンタは」

この目の前に悠然と立つ婦人は美しかった。

人間では無い位に超越していた。しかし、彼女は人間なのだ。

彼が絵師になりたいと一瞬でもそう望んだ彼女の美しさは矢張り人間のソレであったのだ。

「アンタは優しい。だから俺には優しくなくても良いんだぜ」

煩雑な魂の叫びの中から彼女のモノだけを拾い上げる。

「だからアンタを守る為に俺は打ってやるよ。アイツにな」

男はそう言った。

目の前は闇だ。ひどく暗い。

「では、彼の為に打って下さるのですね」

彼女はそう嬉しそうに言った。どこまでも優しさを忘れて、彼の思いを偲ぶ事無く。

「ああ、勿論。」

「それにしても、月が綺麗ですね」

「?月など見えていませんよ。最初から」

男はこの美しい女性に気付かれる事が無い様に、忍んで泣いた。

「ここで死んでも良い」

「それは困ります」

ヘーパイストスはアテーナーに拒絶された。

それならば残る道は一つしかない。

「冗談さ。きっと良い獲物をつくってやるよ。なあ、兄弟。」

彼の打つ武器を彼女が彼に与える瞬間を見るしかない。

金屋は黙ってエリクトニオスをアテナに捧げるしかないのだから。

「この店は結構古くからあるのですね。貴方は一体何代目ですか?」

百合の様に無邪気に彼女はそんな事を尋ねる。

「一代目さ」

闇の中で大きく彼女が動く気配がする。

「私の方が先輩ですね!」

彼女はそう悪戯っぽく言う。

「いや、違うよ。」

「僕は紀元前からだ」

鍛治の神、ヘーパイストスはそう闇に答えた。

「貴方は……一体」

「さあ、早く部屋に戻ろう。」

男は掛札をそっと撫でて店へと消えていった。

「ああ、風呂はコッチだから。安心してくれ。乙女に不純な事はしないから」

それはもう彼女で懲りたから、男は最後にそう言った。

掛札には『一五八六~』と書かれていた。

そこに本当に紀元前とあるか否かは藪の中だった。周囲は闇に包まれていたのだから。
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