上 下
46 / 86
2章

ルビコン

しおりを挟む
「ああ、矢張り僕は正しいッ。」

那須太一はその身をさらに血に染めながらそう言う。

「それにしても随分呆気なかったね……」

物足りないように彼はそのまま宙を旋回する。

「悪は根絶やしにしなくちゃ」

正義。
義憤。
義侠。
偽善。

彼は冷たく幽邃なる森を見たのだった。

   ***

「……すまない。結局俺は君の兄を救えなかった。」

肩を落としてそう言う六花に「そう気になさらないで下さい」と彼女は呆然として答えた。

その声はしかし、彼女が放ったモノではなく、別の誰かが機械的に、事務的に答えたかのようであった。

「彼を救えなかったのはお客様ではなく、私なのですから」

あたりに沈黙が充満する。

「それより彼は最後になんと言ったのでしょうか?」

「私は気を失っていましたので」そうバツの悪そうに彼女は言った。

「マナを使うことってやっぱり疲れたりするもんなのか?」

閑話休題。

彼は彼女にそう尋ねた。

「俺がマナを使う時ってそれによる身体の酷使からくる疲れが多かったから……」

言い訳じみたことを言う。いいや、これは言い訳というより敵前逃亡なのだけれど。

「ええ。それはお客様が魔人であったからで普通、マナを扱う際にはコントロールするために精神的疲労を伴いますので。」

またビンタが飛んでくるのか、と歯を食いしばっていた六花にとってその彼女の律儀な回答は以外で、彼の心を深くえぐるかの様であった。

「そうか。俺は魔人だったから……か」

「ええ」

複雑な表情で彼女は曖昧にそうただ相槌を打つだけだ。

「それで、彼は一体なんと?」

六花を責問する。

何故彼を助けなかったのか、と。もうその事が不可能であった事を知りながらも彼女は六花を見つめた。

森に沈黙が反芻される。

「なにも私はあなたを糾弾しているわけではないのですよ」

その言葉が六花を糾弾した。

「君を助けて欲しい、そう彼は言って逝ったよ。」

もういっそどうにでもなれ、そのように六花は彼の最後の言葉を彼女に伝えた。

憤慨。
感謝。

一体どのような感情が彼女の中で湧き上がっているのか六花には到底解らなかった。

できれば憤慨が良い。彼はそう願った。

「ありがとうございます。」

彼女はその美しい碧眼を潤ませてそう言った。

それからどれだけの時間が経過しただろうか。

「君は救われたのかい?」

六花が辛抱出来ずにそう訊いた。

救われた。そう彼に対して言うべくは彼女であり、決してそれは彼から彼女に問いかける内容ではなかったのだ。

彼は後悔した。そう言った後に後悔した。後悔なんてするなら初めからそうしなければ良いのに。六花は本当にそう思った。

「ええ。だってアナタは私に言ってくれたじゃないですか。『もう君と俺は人間だ』って。」

六花は自責の念にかられた。

その彼女の言葉は彼女が言いたくて言った言葉ではなかった。

その言葉は六花がグレートヒェンにそう言うように仕向けてそう無理に言わせたモノであった。

彼女の安寧なその笑みがさらに六花の心を論詰する。

彼女は続けてこう言った。

「どうかこのお礼に私にアナタの手伝いをさせて欲しい」と。

遣る方ない。山本晶はもう既に死んでいて、彼女を救える筈の家族はもうどこにもいないのだ。

彼女の家族を殺した六花に家族を殺された彼女がそう言うのだからまったくもってこれは詭弁だ。

六花はグレートヒェンを嵌めたのである。

「そうか宜しく頼むよ。」

良心の呵責が無かったと言えば嘘になる。

彼はしかし心底嬉しそうにそう言って彼女に笑みを返したのである。

そして賽は投げられた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

妹を見捨てた私 ~魅了の力を持っていた可愛い妹は愛されていたのでしょうか?~

紗綺
ファンタジー
何故妹ばかり愛されるの? その答えは私の10歳の誕生日に判明した。 誕生日パーティで私の婚約者候補の一人が妹に魅了されてしまったことでわかった妹の能力。 『魅了の力』 無自覚のその力で周囲の人間を魅了していた。 お父様お母様が妹を溺愛していたのも魅了の力に一因があったと。 魅了の力を制御できない妹は魔法省の管理下に置かれることが決まり、私は祖母の実家に引き取られることになった。 新しい家族はとても優しく、私は妹と比べられることのない穏やかな日々を得ていた。 ―――妹のことを忘れて。 私が嫁いだ頃、妹の噂が流れてきた。 魅了の力を制御できるようになり、制限つきだが自由を得た。 しかし実家は没落し、頼る者もなく娼婦になったと。 なぜこれまであの子へ連絡ひとつしなかったのかと、後悔と罪悪感が私を襲う。 それでもこの安寧を捨てられない私はただ祈るしかできない。 どうかあの子が救われますようにと。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

ロリっ子がおじさんに種付けされる話

オニオン太郎
大衆娯楽
なろうにも投稿した奴です

幼馴染の彼女と妹が寝取られて、死刑になる話

島風
ファンタジー
幼馴染が俺を裏切った。そして、妹も......固い絆で結ばれていた筈の俺はほんの僅かの間に邪魔な存在になったらしい。だから、奴隷として売られた。幸い、命があったが、彼女達と俺では身分が違うらしい。 俺は二人を忘れて生きる事にした。そして細々と新しい生活を始める。だが、二人を寝とった勇者エリアスと裏切り者の幼馴染と妹は俺の前に再び現れた。

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

達也の女体化事件

愛莉
ファンタジー
21歳実家暮らしのf蘭大学生達也は、朝起きると、股間だけが女性化していて、、!子宮まで形成されていた!?

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

処理中です...