純白のレゾン

雨水林檎

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眠りの深層

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 その日の砂和さんは少し変だった。前日、夜遅くにぼんやりとして帰宅して、食事もとらずに寝てしまって。一週間の終わりだったし疲れていたのだろうか。しかしそれから半日以上たっても、彼は起きる気配はない。体調が悪くて起き上がれないのかと伺うも、どうやらそうでもないようで。

「砂和さぁん、ねえ起きなってば」
「……」

 穏やかな寝息が聞こえてくるだけだった。疲れているのなら、別にいいけど……。
 時刻はそろそろ昼も過ぎる、腹が減ったのはもちろんだけど、一人で食事をするのもなあ、と。とりあえず砂和さんの分も一緒に作って、先に食べてしまおうか。よく寝ているのを起こしてしまってもかわいそうだし。
 二人分の焼きそばを作り、一つの皿はラップをかけておいた。俺の料理にしては上手く出来た方。砂和さんの料理にはもちろんかなわないが。
 食べ終えた皿は台所で水に浸けて……そんなことをしていたらインターフォンが鳴る。土曜日の昼下がりに誰だ、新聞屋かな。

「よう」
「……結構でーす」
「おい、鍵閉めるなって! 無垢!」

 なんでいつも休みになると青海が来るんだろう。最近はやたらと毎週のように遊びに来て、タダ飯食らって帰って行く。来なくて良いのに、いつも弱いくせに決まって酒を飲むからうるさいんだ。その辺を考えると今日は特に来て欲しくなかった。

「なに、砂和寝てんの?」
「そう、疲れてたみたいだから起こすなよ」
「珍しいなあ、砂和が寝坊なんて。見てこよ」
「だから行くなよ、起こすな!」

 青海は遠慮も何もなく、砂和さんの部屋に入って行く。慌てて追いかけてみれば青海は神妙な顔して砂和さんの寝顔をじっと見つめていた。

「……青海?」
「いや、こいつも子供みたいな顔するんだなって思って」
「そりゃ砂和さんだって生きてるし」
「そうだなあ……、こいつも生きてるんだよな」

 何を今更、そんなにしみじみと。青海はなかなか砂和さんのそばから離れない。挙げ句の果てのそのまま汚い手で砂和さんの頬を撫でる、愛おしいものでも触れるように。

「なに、触んなよ」
「いいじゃねえか、減るもんじゃなし……よしよし」
「触んなって!」

 無理やり青海を砂和さんから引き剥がし、そのまま部屋から追い出した。不満げな顔をした青海は自分の家にいるかのように勝手に台所に行って冷蔵庫を開けて俺が飲むつもりだったジュースを取り出す。そのついでに青海はテーブルの上の焼きそばを発見した。

「あ、美味そうじゃん。いただきまーす」
「お前のじゃない!」
「まだ温かいな、作りたてか? これ冷めたら麺伸びるし美味くないぞ。だから今のうちに俺がいただいてやるよ」
「青海……!」

 本当にそのまま青海は食事を始めてしまった。俺が砂和さんのためにせっかく作った焼きそばなのに。

「あいつも幸せになったなあ」
「なにそれ」
「この街に来た頃はいつも一人でさ、俺が心配になって面倒みたものだよ」
「嘘つけ、逆に面倒みてもらってたんだろ? 飯作らせたり、家事させたり」
「そんなのは最近のことだ、あいつだって余裕のない若い頃はあったんだ」

 俺の知らない砂和さんの話だ。その頃の俺は突然出て行ってしまった砂和さんを追って毎日今日こそは帰ってくるんじゃないかと、いつも一緒に過ごした実家の縁側で夕焼け空を見ていた。寂しい日々、別れ際ひどいことを言ってしまった自分を後悔しても遅い。

「……俺はその頃を知らないから、だからいつまでたっても砂和さんのことわかってやれないのかな」
「無垢?」
「ずるいよ青海。俺だって、出来ることならずっと一緒に居たかった……!」

 離れては生きていけない人、兄以上の父親未満。でも俺の帰る場所はいつだって砂和さんの胸の中だった。俺の知らない彼の顔を知っている青海が羨ましくて涙まで浮かんでくる。嫌だ、青海前で泣きたくなかった。

「……でもお前、相当砂和に大切にされていると思うけどなあ」
「どの辺が?」
「お前が引っ越して来てから感情が見えるようになった。あいつそれまでずっと人形みたいにさ、無愛想だしそこまで本音も言うことはない。いまだに本音はあまり聞けないが、明るい顔するようになったぞ。離れていられない関係ってやっぱりあると思うがね」
「誰と?」
「だから、お前と砂和だよ」

 ***

 青海が一人でおやつの時間だとつまみの菓子を開けて酒を飲みだしても、砂和さんはやっぱり起きてこない。心配して何度見に行っても、その目は開く気配も無くて。このまま目が覚めなかったらどうしよう……。

「なあ、起きて、起きて砂和さん……!」

 揺すろうとも何度声をかけようとも少しの反応もしなかった。本当に息をしている?怖い、また昔のように俺は砂和さんを失うのか。離れていられない関係、青海の言ったとおりだ。俺は砂和さんがいないともう息をすることすら出来ないよ。

「そんなことを言ってもね、私だっていつかはいなくなるんだよ」
「え?」

 空耳だろうか、目の前の砂和さんは起きた様子もないのに、どこからかそんな声が聞こえるなんて。

「どんな子供だっていつかは大人になるだろう。その時がきっと私とお前が離れる時だ。関係は変化して、いつか遠ざかって行く。そう言うことだ、大人になるってことはさ」

 だから、砂和さんは居なくなったのか。俺から離れ、この街へ。まだ俺は砂和さんのこと全てを知っているわけじゃなかった。でもきっと子供相手に彼は本音は言わないだろう。最近見えて来た、砂和さんの本当のところ。まだ聞きたいことはいっぱいある。手首の傷の痛みとか、共感したいことは数え切れないくらい。果たして『弟』は本当の彼の『理解者』になれるのだろうか? でも言葉の意味どおり大人になる以上そうでも変化しなければ、この縁はきっと続かない。

「それでも、それでもこれから先も俺はずっと砂和さんのそばに居たいんだよ」

 ***

「……く、無垢ってば、おきろぉ」
「青海……?」
「何寝てんだよ、お前まで」
「さっ、砂和さんは……?」
「寝てるけど」

 砂和さんの布団に寄り添っていつの間にか寝てしまっていた。俺を揺り起こす青海、砂和さんは起きた様子もない。さっきの声は夢の話だったのか。

「砂和、いい加減起きろってば」

 青海が砂和さんを揺さぶった。その時いくら声をかけても起きなかった彼の目がゆっくりと開いて……。 

 ***

「珍しいですね、青海先生の料理とか」
「最近取っ手の取れる鍋のセット買ってさ、少し料理でもするかなぁって。もったいないだろ、使わないと」
「なんでそんなもの急に買ったんです?」
「深夜の通販番組観てたら欲しくなった」

 今夜の夕飯は青海が作った。親子丼の鶏肉に果たしてちゃんと火は通ったのかわからないし、味噌汁のネギは切りきれなくって繋がってワカメは量を間違えたのか増えすぎた。

「鍋買ってる暇があったら再婚でもすればいいじゃん。あ、肝心の相手がいないか」
「無垢、お前だって人生どこで踏み外すかわからねえんだぞ、あと十年もしたらお前も暇を持て余して通販で調理器具を買っているかもしれない……」
「何それ、呪い? 怖いからやめろよ」

 砂和さんは穏やかに笑って親子丼を食べている。やはりあの声は夢だったのだろう、だって今の砂和さんはそんなことを言う気配もなく、この時間をただ静かに楽しんでいる。小さい頃、食事時に話をやめない俺に箸を差し出して食べさせたっけ。でももう今なら俺だってきちんと静かに食べられるよ。

 つまりはそう言うことだ、関係は変わりながらも続いて行く。今日も明日も明後日も……。

 食事を終えた青海が風呂を洗っている。風呂を洗って沸かすから今夜は泊めろって、先週もこんなことしてなかったか? この家に置い行くく荷物は日に日に増えて、リビングの一角は最早青海の住処になっていた。

「砂和さん、青海いいの? あれ」
「いいんじゃない? 凝りだすとしつこいから今日はお風呂も隅々まで綺麗になるよ」
「でもあいついるとうるさい」
「自分以外の話し声は聞こえたほうがいいよ、寂しくないからね」
「砂和さんも一人で寂しかった?」

 その言葉に、少し考えるように言葉を止めて砂和さんは微笑む。

「無垢とずっと一緒にいたからな、寂しい時もあったよ」
「なあ、砂和さん。俺まだしばらくこの家に居てもいい?」
「……無垢」

 それは勇気を出した質問だった。だっていくら俺が想おうとも、肝心の砂和さんがどう思うのか……いつかは俺もここを離れることもあるだろう、でも、それでも最後に俺が帰る場所は。

「気がすむまで居なさい、無垢が幸せならば私はそれで良いから」

 彼の幸せは俺の幸せだ。砂和さんが大事で、いざとなれば彼のために身を引こうとも考えた。だけど、そう決心しても砂和さんはいつだって優しい。ねえ、かつての孤独な子供は幸せになったよ、今度、幸せになるのは砂和さんの方だ。

「砂和さん、俺をここまで育ててくれて……ありがとう」

(終わり)
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