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夏の青
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薄明かりに目を覚ました。
繰り返し悪い夢を見た気がする。なかなか熱が下がらなくて、眠りが浅くうなされたのか……。
「……はあ」
立ち上がると多少の眩暈を感じてふらつくものの、昨日よりは辛くはない。早朝五時、昨日一日はほとんど寝ていたようなものだからさすがに横になりすぎて背中や腰が痛かった。
軽く着替えて洗い物を持ってそっとドアを開けるとリビングのエアコンはつけっぱなし。誰だ、寝る前に消さなかったのは……そう思ってリモコンを探しに下を向いたら、青海が無言でソファに横たわって私を見ている。
「わっ……!」
「……よう、起きたか砂和」
青海の周りには一缶空いた缶酎ハイと、複数の食べ終わったお菓子の空のパッケージ。さては家を漁ったな、青海。
「なんですか、こんな時間に青海先生……徹夜ですか?」
「いや、酔い潰れてさっき起きた」
「酎ハイ一缶で?」
「悪かったな、弱くて」
そっと青海の隣のソファに腰掛ければ、青海はその大きな手で私の額に触れる。
「さすがに熱も下がりました、もう大丈夫です」
「お前の大丈夫はアテにならないからなぁ……今日はゆっくりしてろよ、用事はないんだろう?」
「家の掃除をしたいんですよね、あと洗濯も」
「ああ? そんなの今日やらなくても良いだろう。寝てろよ」
「あいにく夏休みはもう直ぐ終わります。私だけではなく青海先生も」
「う……」
夏休みらしいことが何も出来ていない。どこかに出かける以前に家の中の細々としたことが……しかし予想していたより台所は荒れていないし、洗濯物はベランダから取り込まれてしまわれている。
「片付けしてくださったんですか」
「まあな、無垢と一緒に。お前ももうちょっと無垢に家のことさせろよ」
「最近は昔よりたまに手伝ってくれることが多くなったんですけどねえ」
とりあえず洗濯機を回して朝食でも作ろうと台所に立てば、後ろから青海が背中越しに抱きついて来た。
「……なんですか、青海先生。まだ酔っ払ってます?」
「いや、別に」
「重いですよ」
「お前はさー、人にさんっざん心配かけやがって」
「え、心配してくださったんですか?」
本心から驚いての言葉だったのに、青海は良い音を立てて私の頭叩いた。彼はムッとした顔をして、私の頬をつまみ引っ張る。
「い、痛いですって青海先生」
「この……全く、砂和は馬鹿だなあ、人騒がせだなあ!」
「ごめんなさ、青海先生っ……」
散々引っ張り倒して、次の瞬間青海は今度は正面から私を抱きしめる。酒の匂いの混じった、男の香りがした。
「お前はこの俺を翻弄してあげくに振り回してどうしたかったんだ」
「してませんよ、そんなこと」
「俺の昨日を返せ」
「もう、その件に関してはすみませんってば。反省してます」
「砂和」
そのまま台所の隅に追いやられて、壁際に押さえつけられた。音がなるほどに青海が壁に手をついて、私との距離はもう十センチもない。そのまま彼は私の首筋に顔をうずめる。数分も経っていない時間は一時間くらいかと思うほどに長く、どうしたら良いのかわからなくて戸惑って。そんな私に青海は頭を撫でて、耳元で『冗談だよ』と呟き、リビングのソファに戻って行った。私は彼にからかわれたのだろうか……、青海の本気と冗談の違いが私にはよくわからない。
***
「砂和さん!」
「ああ、おはよう無垢。今朝はパン何枚食べる?」
「二枚! なあ、風邪治った?」
「おかげさまで、もともと大したことはなかったんだよ」
「嘘、俺砂和さん死んじゃうんじゃないかって心配したんだ」
「ふふ、大げさだよ、もう大丈夫」
テーブルの上には三人分の朝食を。サラダと目玉焼き、無垢はパン二枚。
「青海先生ー、パン何枚食べます?」
「……」
「青海先生?」
そっとソファをのぞけば、青海はすっかりいびきをかいて寝てしまっている。朝食、せっかく作ったのに。
「砂和さん、青海叩き起こす?」
「いや……静かに寝かせておいてあげよう。私のせいで寝不足だったみたいだし」
「じゃあ俺、青海の分のおかず食べて良い?」
「うーん、そうだね。青海先生はこのまま昼まで寝てそうだからなあ」
「じゃあ良いじゃん、いただきまーす」
***
無垢は朝食を終えると友達と約束をしたからと言って家を出る。青海は未だ起きる気配は無く、私は溜まっていた洗濯物を干すためにベランダに出た。
「ああ……」
なんて綺麗な青だろう、一面のその青に染まった夏の空。自然の多かった実家から出てこの街ではいままでそこまで空を意識して見たことがなかった気がする。綺麗なものはここにもあったのに、私は下を向いて過ごしすぎてしまった。この街で生きて行くと決めたのだから、もう少しその景色を大切にしよう。私にはもう帰る実家もないのだから。
「おー外が眩しいなぁ、今日も暑い一日か」
「青海先生」
ベランダのサッシを開けて、青海が大きな身体をくぐらせて出てきた。夏の風が吹き、汗ばんだ肌を撫でて行く。
「そろそろ家に帰るかなぁ、お前今日も暇だろう? ついて来いよ、無垢も遊びに出かけたみたいだし」
「私もそれなりにやることはいっぱいあるんですが……」
「良いじゃねえか、エアコン壊れてるから扇風機しかないけどな」
***
駅までの道を歩くだけで汗がにじんで、電車に乗ることで少しホッとする。青海の家の最寄駅では遊びに出歩く学生らの姿であふれていた。
「スーパーでも寄るか、砂和。惣菜コーナーのメンチカツが美味いんだ」
「はあ……」
「なに、砂和のくせに暑いのか?」
「私だってそこまで暑さに鈍感なわけじゃあないんですよ」
「缶ビール買ってやるからそれで許せ、ほら急ぐぞ。いまならタイムセールでメンチカツ、安いんだよ」
青海に無理やりスーパーマーケットに連れて行かれて、件のメンチカツを。ビールとつまみのお菓子類を買った袋を持って青海のアパートを訪れると、ドアの前に何かが置いてあった。
「……ぬいぐるみですか? これ」
「……」
「青海先生?」
青海が口をつぐんで、しばし呆然としている。彼のこのような表情は珍しい。
「麻理だ」
「え?」
子供の笑う顔が見たくってよくくまのぬいぐるみばかり買い与えていた、かつてそんなことを言っていた気がする。ドアの前に置いてあるのは一匹のテディベア。ここ数年の古さではないほど綻びているが、愛着を持って大切にしていたのだろう。愛らしい表情がどこか悲しい。
次第に青海の顔が崩れて行く。私は彼のそんな顔を見るのは初めてで、なんて言ったら良いのかわからなかった。
繰り返し悪い夢を見た気がする。なかなか熱が下がらなくて、眠りが浅くうなされたのか……。
「……はあ」
立ち上がると多少の眩暈を感じてふらつくものの、昨日よりは辛くはない。早朝五時、昨日一日はほとんど寝ていたようなものだからさすがに横になりすぎて背中や腰が痛かった。
軽く着替えて洗い物を持ってそっとドアを開けるとリビングのエアコンはつけっぱなし。誰だ、寝る前に消さなかったのは……そう思ってリモコンを探しに下を向いたら、青海が無言でソファに横たわって私を見ている。
「わっ……!」
「……よう、起きたか砂和」
青海の周りには一缶空いた缶酎ハイと、複数の食べ終わったお菓子の空のパッケージ。さては家を漁ったな、青海。
「なんですか、こんな時間に青海先生……徹夜ですか?」
「いや、酔い潰れてさっき起きた」
「酎ハイ一缶で?」
「悪かったな、弱くて」
そっと青海の隣のソファに腰掛ければ、青海はその大きな手で私の額に触れる。
「さすがに熱も下がりました、もう大丈夫です」
「お前の大丈夫はアテにならないからなぁ……今日はゆっくりしてろよ、用事はないんだろう?」
「家の掃除をしたいんですよね、あと洗濯も」
「ああ? そんなの今日やらなくても良いだろう。寝てろよ」
「あいにく夏休みはもう直ぐ終わります。私だけではなく青海先生も」
「う……」
夏休みらしいことが何も出来ていない。どこかに出かける以前に家の中の細々としたことが……しかし予想していたより台所は荒れていないし、洗濯物はベランダから取り込まれてしまわれている。
「片付けしてくださったんですか」
「まあな、無垢と一緒に。お前ももうちょっと無垢に家のことさせろよ」
「最近は昔よりたまに手伝ってくれることが多くなったんですけどねえ」
とりあえず洗濯機を回して朝食でも作ろうと台所に立てば、後ろから青海が背中越しに抱きついて来た。
「……なんですか、青海先生。まだ酔っ払ってます?」
「いや、別に」
「重いですよ」
「お前はさー、人にさんっざん心配かけやがって」
「え、心配してくださったんですか?」
本心から驚いての言葉だったのに、青海は良い音を立てて私の頭叩いた。彼はムッとした顔をして、私の頬をつまみ引っ張る。
「い、痛いですって青海先生」
「この……全く、砂和は馬鹿だなあ、人騒がせだなあ!」
「ごめんなさ、青海先生っ……」
散々引っ張り倒して、次の瞬間青海は今度は正面から私を抱きしめる。酒の匂いの混じった、男の香りがした。
「お前はこの俺を翻弄してあげくに振り回してどうしたかったんだ」
「してませんよ、そんなこと」
「俺の昨日を返せ」
「もう、その件に関してはすみませんってば。反省してます」
「砂和」
そのまま台所の隅に追いやられて、壁際に押さえつけられた。音がなるほどに青海が壁に手をついて、私との距離はもう十センチもない。そのまま彼は私の首筋に顔をうずめる。数分も経っていない時間は一時間くらいかと思うほどに長く、どうしたら良いのかわからなくて戸惑って。そんな私に青海は頭を撫でて、耳元で『冗談だよ』と呟き、リビングのソファに戻って行った。私は彼にからかわれたのだろうか……、青海の本気と冗談の違いが私にはよくわからない。
***
「砂和さん!」
「ああ、おはよう無垢。今朝はパン何枚食べる?」
「二枚! なあ、風邪治った?」
「おかげさまで、もともと大したことはなかったんだよ」
「嘘、俺砂和さん死んじゃうんじゃないかって心配したんだ」
「ふふ、大げさだよ、もう大丈夫」
テーブルの上には三人分の朝食を。サラダと目玉焼き、無垢はパン二枚。
「青海先生ー、パン何枚食べます?」
「……」
「青海先生?」
そっとソファをのぞけば、青海はすっかりいびきをかいて寝てしまっている。朝食、せっかく作ったのに。
「砂和さん、青海叩き起こす?」
「いや……静かに寝かせておいてあげよう。私のせいで寝不足だったみたいだし」
「じゃあ俺、青海の分のおかず食べて良い?」
「うーん、そうだね。青海先生はこのまま昼まで寝てそうだからなあ」
「じゃあ良いじゃん、いただきまーす」
***
無垢は朝食を終えると友達と約束をしたからと言って家を出る。青海は未だ起きる気配は無く、私は溜まっていた洗濯物を干すためにベランダに出た。
「ああ……」
なんて綺麗な青だろう、一面のその青に染まった夏の空。自然の多かった実家から出てこの街ではいままでそこまで空を意識して見たことがなかった気がする。綺麗なものはここにもあったのに、私は下を向いて過ごしすぎてしまった。この街で生きて行くと決めたのだから、もう少しその景色を大切にしよう。私にはもう帰る実家もないのだから。
「おー外が眩しいなぁ、今日も暑い一日か」
「青海先生」
ベランダのサッシを開けて、青海が大きな身体をくぐらせて出てきた。夏の風が吹き、汗ばんだ肌を撫でて行く。
「そろそろ家に帰るかなぁ、お前今日も暇だろう? ついて来いよ、無垢も遊びに出かけたみたいだし」
「私もそれなりにやることはいっぱいあるんですが……」
「良いじゃねえか、エアコン壊れてるから扇風機しかないけどな」
***
駅までの道を歩くだけで汗がにじんで、電車に乗ることで少しホッとする。青海の家の最寄駅では遊びに出歩く学生らの姿であふれていた。
「スーパーでも寄るか、砂和。惣菜コーナーのメンチカツが美味いんだ」
「はあ……」
「なに、砂和のくせに暑いのか?」
「私だってそこまで暑さに鈍感なわけじゃあないんですよ」
「缶ビール買ってやるからそれで許せ、ほら急ぐぞ。いまならタイムセールでメンチカツ、安いんだよ」
青海に無理やりスーパーマーケットに連れて行かれて、件のメンチカツを。ビールとつまみのお菓子類を買った袋を持って青海のアパートを訪れると、ドアの前に何かが置いてあった。
「……ぬいぐるみですか? これ」
「……」
「青海先生?」
青海が口をつぐんで、しばし呆然としている。彼のこのような表情は珍しい。
「麻理だ」
「え?」
子供の笑う顔が見たくってよくくまのぬいぐるみばかり買い与えていた、かつてそんなことを言っていた気がする。ドアの前に置いてあるのは一匹のテディベア。ここ数年の古さではないほど綻びているが、愛着を持って大切にしていたのだろう。愛らしい表情がどこか悲しい。
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