孤立無援の糸

雨水林檎

文字の大きさ
上 下
8 / 10

失踪

しおりを挟む
「モデルですか……」
「もともと雲雀先生がそう言っていとがこの家に来るきっかけを作ったようなものだからね」
「はあ」
「どうした、気が乗らない?」
「その、下はどうするんですか」
「下って?」

 いとから『その件』について聞いた潤一郎は雲雀の昼寝している居間に乗り込んだ。

「なんだい、潤一郎。昼間とはいえさわぐんじゃあないよ」
「いとから聞きましたよ、先生! 本当ですか、いとに女性ものの下着だけ着せて一日中カメラで撮り続けたって」
「本当だが」
「そ、そんなことしたらいとが……」

 まだ幼く不安を抱きながら見知らぬ家で心を打ち解けてもいないのに、そんなことをしたらかわいそうじゃないか、そう潤一郎が言うと雲雀は鼻で笑う。

「芸術だよ、潤一郎」
「猥褻物は作らないって昔から言ってるのに?」
「時に芸術とは様々な形があってだな」
「通報されますよ……」
「過激なものは着せなかった、そんなこと言ったら裸婦モデルの立場がないじゃないか」
「いとはまだ子供です!」

 雲雀はこたえていないようだった。確かにそう言った芸術作品は多いし、お互い同意の上なら法律に引っかからない程度で作品にしても良いだろう。しかしいとは行く場所も無く帰る家もない。その不安の中で雲雀と出会い吉祥寺の屋敷に連れて行かれて言うことを聞かなかったら追い出されるとか、そんな恐怖がないわけないだろう。

「ボクだって子供だったけどね」
「なんの話ですか」
「十七で日本を出てから生きるためには、なんだってやったと言うことだよ」

 ***

「芸術か……」
「なんですか、先生?」
「いや、なんでもないよ。その角度、もうしばらくそうしていて」

 この家のアトリエに人を招いたのは初めてかもしれないと、潤一郎は白い着物を着せたいとの姿をキャンバスに描いて行く。丁寧に、その雰囲気を壊すことはないように。いとは美しい、これじゃあ雲雀も『あんなこと』をしたくなるだろう。
 芸術とは心の中でくすぶっている情熱を表現することだ。こんなに美しく見えるいとを誰かに見せてやりたい、だって自分だけのものにしておくのは勿体無いから。
 雲雀と潤一郎は芸術に関する意識の違いがある。雲雀はあくまで自分のために創作活動をして、潤一郎は誰かのために絵を描くようになった。単なるこだわりの話だが、それでも芸術は芸術で、それを捨てたらお互い生きているとは言えない。一生を捧げるものが存在しなければ、人は弱く儚いものになってしまう。もうすぐ枯れる花も手入れをしたら美しくなる、枯れてしまうその前に。

「先生、私の絵を描いてどうするんですか?」
「ああ、それを考えていなかったね。そうだなあ、この絵が良いものになったらどこかで飾ってもらおうか」
「ええ、私の絵ですよ」
「うん、だからさ」

 その時アトリエのドアの隙間から視線を感じた。小さな音をきしませて、その目はじっとこちらを見ている。

「雲雀先生、そんな覗きかたするくらいなら入ってくればいいじゃないですか」
「……」
「拗ねてるんですか?」

 しばらくののち、雲雀がひょいと顔を出した。いとの着物に眉を顰める。

「潤一郎、着せるならせめて襦袢にしないか」
「だから嫌ですって、下着姿なんてかわいそうでしょう」
「いとの色気は透けてからこそ」
「透けちゃ駄目でしょう、せめて成人するまでは」

 どうしても譲らない雲雀に潤一郎は苦笑する。雲雀は潤一郎の描いていたキャンバスに手を伸ばした。

「ちょっと先生、動かさないでくださいよ」
「……」
「だからなんなんです? さっきからもう黙ってしまって。俺の作品を見るくらいならご自分の創作活動にあててくださいよ。描きたいもの、あるんでしょう」
「……潤一郎、少し見ない間に絵が変わったな」
「そうですか? 未だに代表作と言えるものを世に出す事が出来ないんですけどね」
「この絵がきっと君の代表作になるよ、水無月静潤」

 キャンバスを潤一郎に渡して、雲雀はアトリエを出て行った。その頃にはもうすっかり夕方で、夕焼け空が血のように赤い。
 いとは着替えて夕食の支度をすると言って台所に向かう。潤一郎は汚れた衣服を洗いがてら風呂の掃除に。二人がそれぞれの仕事を終えて居間に集まるまでの少しの時間に雲雀群童は何も言わずに姿を消した。居間の床には彼がよく聴いていたクラシックのレコード盤が割られて床に散らばって。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

倫理的恋愛未満

雨水林檎
BL
少し変わった留年生と病弱摂食障害(拒食)の男子高校生の創作一次日常ブロマンス(BL寄り)小説。 体調不良描写を含みます、ご注意ください。 基本各話完結なので単体でお楽しみいただけます。全年齢向け。

初恋はおしまい

佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。 高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。 ※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。 今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

君に咲く花

有箱
BL
カノンは体が弱く、シンは心が弱い。そんなシンにとっての薬は血で、同居しているカノンが見せる事で落ち着かせるという習慣があった。 そんな日々が長いこと続いていたのだが。 2016年の作品ですが置いていきます╰(*´︶`*)╯

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

処理中です...