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第二章

―Happiness In Anxiety.6―

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「本当に、良いのでしょうか」
 茜に染まった西の空の光りが、カーテンの隙間から漏れでていた。
 ベッドに腰掛けた弘の正面には、その羽で空に浮かぶトカゲ――火の精霊サラマンダー
「構わない」
「けれど、その判断は――」
 しかし弘はサラマンダーを見ているようで、その実虚空に行き場のない視線を向けていた。
「構わない」と弘、「お前が言いたい事もわからなくはない。けれど、俺の――は、そうまでして手に入れたいものではない」
「それは即ち、感情にまつわるもの、でしょうか」
 けれど弘はそれ以上は口を開かない。
 そうして、見計らったようなタイミングで、代わりにスマホがなりだした。無骨な、デフォルトのままの着信音が、マナーモードを解除されたばかりの彼のスマホから鳴り響く。
 視線を落とせば、その電話の主の名前に、ゲンナリと顔をしかめた。
 直ぐに出ることはなく、けれど出るしかないと、一度深呼吸をし、やや震える手で、その電話を取る。
「もしもし」
 スマホから聞こえた声は、予想通りのものであり、聴き慣れた女性の――否、女子の声であった。
「何のようだ?」
 あくまで冷静にそう返す弘の様子を、サラマンダーは静かに隣へと着地し、首だけを伸ばして耳を傾けていた。
「明日、わかっていますよね?」
「けど、まだ四人目は現れていない。行く必要はあるのか?」
 そう返すと、声の主は少しの間を置いて、
「えぇ、ひょっとしたら無いかもしれません」
「なら――」
 けれど、その言葉の先を声の主はさえぎった。
「ですが、保証は出来ません」と彼女、「事実、『魔術師マジシャン』は出揃う前に、実体化しました」
 それは、弘にとっては初めて聞いた事実であった。従って、安易に言葉を返すよりも、沈黙を返してみせた。
「今回だって、現れるかもしれない」と彼女、「それに、ひょっとしたら、空白の時間の間に四人目が現れるかもしれない」
「だったら、お前が行けばいいんじゃないのか?」
「明日は菜奈花ちゃんは、叔母さんとの折角のお出かけですから、邪魔はしたくありません」
「本当に、それだけか?」
 今度は、彼女が沈黙を返した。
 けれど弘も言葉を続けるでもなく、電話の奥で、互いに推し量るような透明な言葉が行き交った。
 そうしてまた少しすると彼女は言葉を濁した。
「適材適所と言う言葉があります」
 けれどそれは、果たして質問の答えであったのだろうか。
「接触するならば、それは――の方がより当てはまると思うのだが?」
「それは――としての話です」と彼女、「『オーナー』としてであれば、適しているのは紅葉君だと……そう、思ったのですけれど?」
 再度、沈黙が押し寄せた。やはり行き交うのは透明な、隠匿いんとくされた、包容された言葉だけであり、互の内で完結されたそれは、決して相手に届くことはない。
「わかった。俺は行く」と弘、「けど、あくまで偵察、干渉する気は無い」
「それで構いません」と彼女、「けれど――」
「わかっている。もしそういう自体になったら――、アルカナが現れたら、俺は出る」
「えぇ、あれは現れれば気配でわかります」と彼女、「だから、紅葉君は是非、気分転換に遊んできてください」
「気分転換とは、皮肉が効いてるな」
 あまりいい気はしなかったらしく、つい皮肉を洩らしてしまう。 
 けれど彼女はあまり気にしていないらしく、「うふふ」と弾むような、茶化すような、それでいて上品な微笑みを声に乗せると、
「それでは、何かあったら連絡します」
 それっきり、スマホはツー、ツー、と通話の切れた合図を鳴らすのみであった。
 弘は嘆息すると、閉じられたカーテンの向こうを、見えないそこを見るように、視線を向けた。その先に広がるのは、幼馴染の家であり、また弘は嘆息した。
「意思は、変わらないのですね」
 思い出したように、サラマンダーがようやく口を開いた。
「あぁ……変わらない」
 けれどその表情はどこかはかなげで、見ようによっては苦虫を噛み潰したようにも見えたかもしれない。
「その意思が、変わらないのであれば、私は弘様に従うのみです」とサラマンダー、「それが、私たち精霊の立ち位置であり、存在意義であります」
 弘は何も言わない。
「ですから、私は弘様の意思を尊重しますし、とやかく言う筋合いもございません」とサラマンダー、「けれど、問いただす――いえ、確認をする事くらいは、許されましょう」
 それでも弘は、まだ何も言わない。
「ですから、再度、確かめさせてください」
 サラマンダーは同意を得たいのか、その言葉の後に、弘へと視線を向けて、表情を推し量った。
     けれど、弘は沈黙だけを返してよこす。
 そうして寸分の沈黙の後に、
「それで、いいのですね?」
 けれどやっぱり、弘は何も言わず、立ち上がった。
 その瞳は明らかに未だ定め切れていない、迷いを表しており、表情はやや暗く、視線もまた下へ下へと自然と下がっていた。
 そっと物音を忍び、自室を後にした。ドアを閉める音さえも、極力の音を嫌って消し去り、けれど締め切ったあとの隔たれた空間の奥から、ため息が洩れ出てきた。
 無意識か、或いは故意にか、その音だけは、ハッキリと隔たれた内側にいるサラマンダーに届いてしまう。
「弘様――」
 けれどサラマンダーのその呟きも、聴く人は居らず、時計の相槌だけが、彼への相槌となった。
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