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第二章

―Happiness In Anxiety.3―

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 そうして幾分かの後、食前と注文したホットコーナーが持ち運ばれてきた。
 香ばしさに惹かれながら、その黒く済んだ清潔な汚濁に、白銀の砂たっぷりと、甘い白濁を入れると、それはパレットの中の絵の具のように、たちどころに色を薄く変えて行く。それを銀のスプーンで、絵の具を混ぜるように、或いは絵を描くように、ゆっくりと混ぜ合わせてゆく。
 そうした後でソーサーより引き剥がし、口元で一息吹きかけると、芳醇ほうじゅんを思わせる匂い――最も庶民の味しか持ち合わせていない菜奈花には、そうか否かの判断などつかないのだから、そう思わざるを得ない――を堪能したあとで一口、軽く舌鼓したつづみを打つ。
「どう?美味しい?」
「はい、とっても」
「それは良かった」
 とはいえ、やはりまだ苦いらしく、再度ソーサーへと戻し、僅かに残る苦味に対し消え失せるようにと無意識に思いながら、またそのスプーンでゆっくりとかき混ぜてゆく。
 一方の叔母さんは、菜奈花の後で一口、カップのふちに唇を重ね、傾けた後に、それを置いてから、
「うん、美味しい」
 と一言だけ感想を述べた。
 その一連の動作の後、叔母さんは不意に、菜奈花に話を投げてよこした。
「どう?学校は」
「普通です」
 咄嗟とっさに出た答えは、それだけであった。普通、とは菜奈花の言葉からすると、良いと同義であった。悪ければ、菜奈花はまあまあと言うのだから。
 それを叔母さんも理解しているのか、
「そっかそっか、それは良かった」
「うん」
「で、部活はなにするの?」
 その一言で菜奈花は、そういえば欲しいもの――と言うより必要なもの――はある、と思い出した。
「……ソフトテニス部」
「あら、菜奈花ちゃんテニスやるんだ」
「それで、あの――」
 しかしその言葉を遮り、叔母さんは菜奈花の言葉の先を言った。
「じゃあ、ラケット買わなくちゃね」
「いいん、ですか?」
 控えめな表情の菜奈花とは対照的に、叔母さんの表情は極めて柔和にゅうわなものであった。
「だって、無いと困るでしょ?マイラケット」と叔母さん、「買ってあげるから、この後スポーツショップ行きましょ」
「うん」 
 同じ返事ではあったものの、二回目のその相槌は先程とは違って、熱を帯びていたように思えた。
 菜奈花自身がそう思えたのならそれは、素直に嬉しいと言うことであり、そもそもその事を忘れていた事実に今度は困惑する。
 そうして包容する喜びと共に、混色の汚濁をまた一口、口の中に放り込むと、熱と共に、溶けるような甘さ、その中に眠る苦味が入り込み、けれどそれも悪くないと、今度はそれをすんなりと受け入れた。
「美味しい」
 小さく虚空に洩らしたその一言は、けれど先ほどの機械的なそれではなく、感情故の確かな本心であった。
 自然と肩も下がっていたらしく、表情も柔和なものへと変わった菜奈花を見て、叔母さんも密やかに微笑むと、またカップに唇を重ね、傾けた。
「本当、美味しい」
 先ほどよりもほんの少しの一時そうした後に、空中でゆっくりととカップごと回してみせると、 カップの半分ほどになった芳醇の正体が、その香ばしさを再度放つように、波打った。
「それに、いい香り」
 菜奈花もまた唇にカップをふれ、目を閉じ、香りと味に再度舌鼓を打つと、先程よりも多量に口内に放り込んだ。
 苦味は直ぐに甘味を融和、侵食し、であれば口内に広がるのは甘味と苦味の混色。対極の味覚がそれぞれに互を覆い、そうしてそれをのど奥へと通して行く。残るのはほんのわずかな苦味と熱だけで、それもまた悪くないと目を開く。
 思わず、ため息が漏れた。
 叔母さんもまた、静かに、けれど確かに楽しげに、この静かな一時を過ごしており、菜奈花にとっての居心地の悪い静寂は、そこには存在しなかった。
 カップを置く音と、銀のスプーンが揺らす波の音。外気の喧騒が嘘のようであり、シックな店内の音楽がさらに虚構のようなその一時を、さらに現実から切り離す。店内の喧騒すらも最早二人には聞こえないらしく、正しく二人の空間、或いは各々の空間へと化していた。
 そうして、飲み切ったのを見計らうようなタイミングで、店員がワゴンを引いてやってきた。
 (別に二人だけなのだし、ワゴンは必要ないんじゃ……)
 しかしそうではないようで、別のテーブルの注文も載せているらしかった。
 菜奈花の前に置かれた手ごねプレミアムハンバーグ。そして叔母さんの前に置かれた――溶岩焼き熟成フィレステーキ。菜奈花の記憶が確かなら、確か千六百円程ものだったはずである。
 熱に跳ねる肉汁と香りとを楽しみながら、右手に持つナイフで丁寧に切り分けていく。
 ともすれば崩れてしまいそうなそれは、けれど形成を保っており、先程とは違った香りと、その熱量を受けながら、丁寧に左手に持つ銀の四又、その先端を刺仕入れる。微かな綻びを描きながら、すんなりと奥まで入り切ると、それを中程で止め、そうしてそれをプラスティックを思わせる、しかし鉄製の白い容器、カレー色の液体の入ったその中へと僅かに浸し、口に運ぶ。
 一連の動作の中で叔母さんを一瞥すれば、菜奈花よりもはるかに優雅に、それでいて清楚に事を運んでいた。
 ――味については、あえて言及しない。
 食事の最中に会話を交えるでもなく、各々がただただ味覚と嗅覚とで食品とのみ会話を交わし、同じ空間にいながら、確かな、けれど決して悪くはない隔たりがそこにはあった。
 時々叔母さんが「美味しい?」と聞く程度で、ならば菜奈花もそれに「うん」とか、「はい」と相槌を入れるに留まる。
 何ら変わりのない、場所さえ違えど、そこは確かに普段の食卓――二年間経験して、感じてきた二人っきりの一時――であった。
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