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1章・戦火繚乱編

43、愚か者達の行進

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 帝都よりエルグスティアが残った戦力全てを引き連れて出て行った時、帝都ではこれがチャンスと動き出した者達が居た。

 それはゴズとレイナ達だ。

 四人は城の出入りが激しく警備の手薄なうちに、城の中へと侵入していた。

 目的は皇帝ティタラの首。
 こういう時に役立ったのがゴズに従っていた二人。

 一人はアットラといい、鍵開けの達人であった。
 もう一人はソルモといって、忍び足とスリの達人である。

 この二人は自警団時代、その特異な能力で罪人の証拠集めに役立っていた。

 アットラが部屋の鍵を開けて、ソルモが巡回する兵士から地図から書類やらを盗んでいく。

「次の廊下を衛兵が通ったら、しばらくは通りませんな」

 ソルモが盗んだ地図に描かれている巡回経路を見て、進むべき通路を考えていた。

 これにダズは、さすがは我が両腕といたく喜ぶ。
 だが、アットラもソルモも、ダズのせいでこんな命懸けな事をしなくちゃいけないのだから褒められても嬉しくなかった。

 とはいえ、ダズは怖いし、それ以上にレイナが恐ろしかったので今さら辞めるだなんて言えない。
 いわば乗りかかった船であった。

 一方、四人が城へと忍び込んでいた頃のラドウィンの話をしようと思う。

 彼はモンタアナのゴズが皇帝の命を狙っているなどと知る事もなく山岳地帯の深い森を進んでいた。

 地元住民に案内を依頼し、順調な進みである。
 早ければ日暮れの前にカセイ国王ザルバールの控える砦へと到着するだろう。

 モンタアナの兵達には狩人や樵などの職業の人が多く、山や森の道を歩き慣れていたのも進軍速度が速い原因であった。

 そんなラドウィン軍に一騎の早馬がやって来る。
 
 森の中を無理くり馬で駆けてきたので、その馬の脚を使い潰してしまうほどだ。

 そのような急使にラドウィンは帝都で何かがあったのかと思った。

 ところが、それは違ったのである。

 その使者はなんとモンタアナの使者で、モンタアナ町長のトゥートゥーが寄越した使者であった。

 モンタアナで何かあったのかとラドウィンは自らその使者の元へ向かうと、使者は息も絶え絶えに「緊急事態でございます」と言う。

 どうしたのかと問うラドウィンに使者は、「奥様が病にかかり、危篤です!」と告げた。

「病だと?」

 ラドウィンは努めて冷静な態度をとる。
 ミルランスが病といえども兵を預かる一貴族として取り乱した態度は取りたくない。

 まずはミルランスがどの程度の症状なのかを知ろうと思った。

 すると、急使は少し顔を青ざめさせて、驚かないで下さいと前置きする。

「医者が言うには黒血症と.......」

 ラドウィンと.......そして周囲の将兵全てが驚き、そして血の気が引いた。

 黒血症とは体の血が赤色からどす黒い血に変わり、やがて全身に黒色のカサブタのようなものが出来る病気だ。
 高熱と意識の混濁。嘔吐と下痢。やがて発狂して死ぬと言われている。
 しばしば発症する者が居て、まずもって治る見込みの無い重篤な病だ。

 ラドウィンは深く動揺し、「ミルランスには.......お腹に僕との子が.......。戻ったら、一緒に子供を育てようと.......」と呟く。

 動揺するラドウィンに誰も声を掛けられず、誰もがただ呆然と見るしか出来なかった。

 そんな中、デビュイだけが、ここで立ち止まっていたら手遅れになると言う。

 進むか戻るか決めねばならなかった。
 事情の知らない末端の兵達は、進退決まらずにまごついている状況に困惑している。
 このまま足を止めていたら、さあやるぞと士気旺盛だった兵たちの士気が落ちてしまうだろう。

 ラドウィンは奥歯を噛み締めて手を強く握った。

 彼がこれほどの苦悶を浮かべて、存分に悩む姿など、誰一人見た事が無かった。

 デビュイが今一度、「いかがいたす?」と結論を急かした所、ラドウィンは口を開く。

「モンタアナに退く.......」

 それは苦しく辛い声であった。

 ここでラドウィンが引けば、帝都は落ちる可能性が高い。
 それはつまり、皇帝ティタラの死。ひいてはアーランドラ帝国の滅亡を示した。

 それでもなお、ラドウィンはミルランスのためにモンタアナへの撤退を選んだ。

 一将がこのような事の為に戦場を捨てたとなどと言うのは酷く不名誉な事だ。
 誰からも誹(そし)りを受け、人々の信用は失うだろう。

 だがそんな事はどうだって良かった。
 他人の評判や、後世の評価などラドウィンにとって吐いて捨てるようなものだ。

 ただ怠惰だった今までの人生に初めて手にした光だった。

 最愛の妻と、生まれ来る我が子。
 その二人を同時に失うなどとラドウィンには信じられない事だ。

 名誉も、富も、名声も、何もかもいらない。
 ただ平和で平穏な、ちょっとした幸せな暮らしだけで良いのだ。

 ああ、ああ、神さま。なぜ僕の幸せを奪うのですか。
 貴族の地位を望む者はごまんといます。富を求める人はごまんといます。
 その人達に僕の全て捧げます。
 僕にそんなものは要りません。
 だからミルランスと生まれ来る我が子を奪わないでください。

 せっかく……せっかく見つけた幸せなのに……。

 ラドウィンは馬を駆けた。
 鞍と腿(ひにく)が擦れて皮が破れて血が流れても、それでも駆けた。

 ラドウィンは人生で初めて我を失い、涙を流し、感情を発露して、涙を流した。

 多分、自分が死ぬ時が来ても「ああそうか」としか思わないラドウィンが、全てをかなぐり捨ててミルランスの元へ向かうのであった。

 その頃、ハルアーダは死闘に居た。

 砦の友軍と合流し、カセイ国軍の砦へ向かったハルアーダ隊二千の兵は激烈な敵軍一万の攻勢に晒されたのである。

 圧倒的な戦力差にハルアーダは撤退し、敵軍は追撃に来た。

 ハルアーダ隊は満身創痍、全身血みどろの凄惨(せいさん)な状態である。

 それでもハルアーダはニヤリと笑う。

 敵の大部分が追撃に来たという事は、カセイ国王ザルバールの防衛戦力は少なくなるのだ。
 これこそハルアーダ隊の役目。

 既に隊皆、総死兵。
 もって敵軍戦力の釣り出しを行った。
 あとはモンタアナ軍がカセイ国王を捕えるだけだ。

 もっとも、ラドウィンは既に撤退していたのであるが。
 つまり、いくらハルアーダ達が耐えても作戦が成功するわけがなかった。

 そんな中、森の道を撤退していると、オルモード麾下のザウラスの放った矢が、撤退の乱戦中のハルアーダの側頭部を抉ったのである。

 ザウラスはカルシオスを射殺した弓の名手で、ハルアーダも寸での所で殺される所であった。

 こめかみに当たった矢はハルアーダの骨に当たって僅かに軌道が変わり、肉を抉って酷い出血を出すに留まる。

 ハルアーダはその拍子に落馬したけど側近の騎士達がハルアーダを助けて後退した。

 バルリエットが矢継ぎ早に放ち、敵兵やザウラスを牽制して距離を取る。

「ラドウィンはまだか」

 だくだくと血が流れるこめかみを布で押さえながら騎士とタンデムするハルアーダは呟くように聞いた。

「まだその様子はございません」

 ハルアーダを乗せて馬を駆ける騎士が言うと、ハルアーダは顔を顰めた。

 もう誰もが疲労困憊。
 これ以上は耐えられそうにない。

 ハルアーダがそう思っていると、前方から帝国の旗がやって来る。

 援軍かと思う。

 果たしてその帝国軍を率いるのはエルグスティアであったから、やはり援軍だと誰もがホッとした。

「酷い有様じゃないか!」

 エルグスティアが驚いた様子でハルアーダを見る。

 ハルアーダは荒い息を落ち着かせようとしながら、「後方から敵が来る。悠長に話してる間は無いぞ」と警告した。

 ハルアーダは木々の頭から覗く砦を指差し、「砦に籠城するぞ。体勢を立て直さねばならぬ。お前が来てくれて助かった」と言うのだ。

 ハルアーダは、なぜ帝都の守りのはずのエルグスティアが兵を連れてやって来たのか分からなかった。
 だが、その理由を聞くよりもエルグスティアが来てくれた事の方が嬉しい。
 あたかも天の助けであった。

 だが、エルグスティアは首を振り「ハルアーダ。すまないが戦いは終わりだ」と言う。

 ハルアーダが眉をピクリと動かしてエルグスティアの次の言葉を待つ。
 無言ながら、どういうことか説明しろと態度が言っている。

「ハルアーダ、聞け。戦いを終わらせて、今すぐ逃げるのだ」
「逃げる? 何故だ。今俺が逃げたら帝都が陥落するのだぞ?」

 ハルアーダが睨んだ。
 そして、ラドウィンが裏を突くまで籠城をするように将兵に後退の指示を出す。

 その指示をエルグスティアが遮って、「俺はお前を殺すように言われたのだ」と言った。

 誰に言われたのかとハルアーダは怒鳴る。
 今は冗談を言っている時ではなく、一致団結をもってカセイ国と相対すべき時なのだからハルアーダの怒りも分かるところだ。

「分かってる。冗談みたいな話だと思うだろうが、皇帝陛下に言われたのだ」
「皇帝陛下に? 馬鹿な。何故そんな事になるのだ」
「城はもうダメだ。己の利権しか考えていない大臣や文官共に陛下は支配されている。俺たちがこれだけ血を流しても、奴らはいかに皇帝陛下の側近になるかという事しか頭に無い。ハルアーダ、お前は陛下に近付き過ぎた。奴らにとって邪魔者なのだ」

 エルグスティアは深く息を吐いて、天を仰いだ。

 彼のその仕草は深い虚無感。

 血を流し、肉を捧げ、命を賭けて帝国に尽くした果てがこのような結末という絶望。

 エルグスティアの様子から、全てが本当なのだと悟ったハルアーダもまた、虚無感に襲われた。
 いや、ハルアーダやエルグスティアのみならず、その場にいた騎士まで顔をしかめていた。

 ハルアーダはハルアーダなりに実の娘のティタラの為に全身全霊を尽くしたのに、ティタラはあの文官達を信じるのかと言う虚無感がある。

「エルグスティア。俺は逃げんよ。戦いが終わって、それで生きていたらどこへなりとも姿を消そう。だが、この戦いだけは俺の責務を果たさせてくれ」

 そう言ってハルアーダは騎士達を見ると、共に帝国の為に戦ってくれと言う。

 それに騎士達は従った。
 このようの仕打ちを受けてなお、騎士としての忠節を尽くそうというのか。
 彼らだって愚かな事だとは分かっていたが、それが騎士というものであった。

 どんな仕打ちを受けてなお、忠節を誓った主の為に命を尽くすのだ。

 ハルアーダはそんな彼らを砦へ後退させる。

 エルグスティアはしばらくハルアーダの背を見たあと、溜息をついて彼の後に着いていくのだった。
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