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序章・帝国崩壊編
30、危険地域からの逃亡
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城を出ると吹雪いている。
既に日は落ちたのか? あまりにも厚い雪雲が空を覆うから昼も夜も分からなかった。
ダルバは思わずニヤけてしまう。
天を覆う陰気な曇天は我が心。
地を覆う冷酷な雪は我が虚言。
彼の心底を現すが如き景色に、なんとおあつらえ向きな天気だと思わずにいられなかった。
そんな外へと一歩踏み出したダルバが思ったのは「ぬるい」である。
顔を打つ雪が、足を包む積雪が、とんとぬるかった。
滾る血があまりにも燃え上がるので雪がぬるくてぬるくて仕方なかったのだ。
ダルバ、一世一代の覚悟。
緊張か興奮か。雪ですら生ぬるいほどに彼の肉体は燃え上がっていた。
ザクザクと新雪を踏み締めてダルバは兵舎の扉を開ける。
兵舎では兵達が馬鹿騒ぎしていたが、ダルバが勢い良く扉を開けるのでしんと静かになる。
そんな兵達を無視してダルバはラドウィンを見つけた。
ラドウィンは静かに一人、ミャンビャンという薄黄色をした未発酵の果実ジュースを飲んでいる。
彼の元へとダルバは大股で歩を勧めると、一騎討ちを申し込んだ。
暗殺では無く、正々堂々とした一騎討ち。
一騎討ちにてラドウィンを討ち取ろうというのか。
これに兵達は驚き、同時に冗談に違いないと爆笑が巻き起こった。
しかし、冗談ではなく、どうみてもダルバは本気なのだ。
「酒を飲んでいないとは都合が良い」
ダルバはラドウィンがへべれけに酔っていなかったのを天の助けだと言う。
足取りもおぼつかない相手を殺すのはプライドが許さないとダルバはラドウィンをせせら笑った。
そんなダルバに酒を飲んでいたタッガルが口髭を酒臭くにおわせながら、冗談にしても何のつもりだと殴りかかろうとしてくる。
ダルバが腰の剣を抜き、タッガルの眼前へ切っ先を向けた。
これに兵舎は再び静まり返る。
緊迫する空気の中で、ラドウィンが静かに立ち上がった。
いつもの飄々とした笑みのまま、一騎討ちを了承するとタッガルに退くよう命じる。
飄々とした笑みではあるが、その眼は油断なくダルバを見ていた、
なぜダルバが一騎討ちを申し込むのか分からないが、ダルバの眼が本気でその覚悟の程を感じたのである。
「ここは手狭じゃないか?」
ラドウィンが聞くもダルバは目にも止まらぬ抜剣をすると「ここで構わん!」と剣を振り下ろした。
なんと鈍い音をたてて机の端が切り裂かれる。
何と言う膂力であろう。
片腕で見事に机を切り裂くのだ。
兵達はあまりの力に恐れた。
そんな中、オーガの血を引くというアーモだけはダルバを止めようとしたが、アーモをデビュイが止める。
一騎討ちをラドウィンが快諾した以上横槍を入れるべきではないのだ。
彼らはただ事態を見守るしかできない。
アーモは心配げに一騎討ちを見届ける。
戦いは一見すれば熾烈であった。
剣閃が飛び、激しく火花が散る。
しかし、よくよく見ると、剣を振っているのはダルバでラドウィンは全く戦いに応じていない。
まるで赤子をあやすそうだ。
およそ三十合は打ち、ダルバに疲れが見える。
玉のような汗を流し、口息を荒くしながら、涼しい顔のラドウィンへダルバは吠えた。
「なぜ斬ってこない! 俺を赤子と思うか! 俺を戦士と思うなら斬ってこないか!」
実際、ラドウィンはダルバが一騎討ち仕掛けてくる理由が分からず、斬りかかる事ができなかったのである。
しかし、ダルバに言われてラドウィンも覚悟を決めた。
ダルバは大上段より斬りかかる超攻撃的な戦いを好むので、ラドウィンは身を屈めて飛燕が滑空するかのようにダルバの懐へと入ろうとする。
横抜きにダルバへと斬りかかった。
ダルバもまたラドウィンへと大上段から斬りかかる。
その時、一騎討ちを囲んで見ていた兵達の合間からナイフが飛んできた。
ラドウィンへ向けて一直線に飛んでいく凶刃。
ダルバはこの瞬間を待っていた。
振り下ろしている剣の機動を変えて、ダルバはナイフを斬り払ったのである。
結果、ラドウィンの一撃をダルバは受けてしまった。
腹部に一閃、ダルバは勢い良く後方へ吹き飛ぶと倒れ込んだ。
ラドウィンは床に落ちたナイフを見たあと、邪魔をしたのは誰だと叫ぶ。
タッガルとデビュイがナイフを投げた者を捕まえようとしたが、その者は窓から外へと飛び出ると銀幕の世界に消えてしまった。
ラドウィンはダルバの元へと駆け寄り、彼の体を抱きかかえる。
もしかして、こうなる事を予感していたのではないかとラドウィンが聞くとダルバはどうでしょうかとすっとぼけた。
ダルバはラドウィンの頭を掴んでグッと耳元にまで引き寄せる。
それで、帝国の連中がラドウィンの命を狙っているのだと伝えた。
そのために裏切ったフリをするなど、なんと馬鹿な真似をしたのだとラドウィンはダルバに言うのだが、ダルバは力無く笑う。
結局のところ、ダルバは皇帝に命を捧げた騎士の一族なのだ。
ラドウィンが皇帝の血を引くというなら、命をかけて守るのがダルバの立場なのである。
「キルムほど頭が良くないんでね、これしか良い方法が見つけられなかったのですよ」
ダルバは溜息をつくと、ラドウィンに今すぐに逃げるよう言う。
裏切り者の自分の事など忘れて、暗殺者の魔の手から逃げるのだ。
少なくとも、ダルバの策略で暗殺者は一時逃げた。
この隙に逃げるべきなのだ。
ラドウィンはダルバの言葉を聞き入れ、直ちに兵達を集めると帝都から脱出する事とした。
ダルバの裏切りに混乱状態ではあったが、ラドウィンの呼び掛けにひとまず兵達は無事に集まる。
それで迅速に帝都から脱出したのだ。
あまりにも素早い行動に、ダルバの暗殺が失敗に終わったとロノイ達が知った時にはラドウィン達が帝都を出ている程であった。
ならばせめて、暗殺に失敗したダルバの遺体を八つ裂きにして、裏切り者だと晒してやろうとロノイ達は思う。
ところがダルバの遺体を探しても見つからなかった。
ラドウィン達が持って行ったのだろうか。
まさか! 裏切り者の死体を雪の中わざわざ持って行って、故郷に帰すものか!
ロノイ達はダルバの死体が見つけられなかった。
ダルバが死んでいないとしたら、彼の口から自分達の計画が漏れてしまうかも知れない。
死体を見つけないと安心できなかった。
もしかしたら生きているのではないか?
そんな不安を抱くが、しかし、誰が裏切り者を殺さないというのか。
「そうだ。死んでいるに違いない。死体が見つからないだけさ」
彼らはそう心を慰めたのだ。
その頃、ハルアーダは部屋で静かに目を瞑っていた。
カーンから任務失敗の報せを受けている。
もっとも、カーンの姿は見えず、ハルアーダが静かに瞑想しているようにしか見えないが。
ハルアーダはカーンに続いてラドウィンの暗殺を命じる。
そして、ロノイ達が私兵を率いてラドウィン達を追うようにしようと考えた。
これにカーンはラドウィンをすぐに追う必要があるのかと問う。
外は雪。夜には吹雪となる日もある。
そんな中を行軍するなどあり得ないのでは無いかとカーンは指摘した。
どうせ帝都の近くの集落で越冬せねばならないのだから、雪解けに追撃を加えても間に合うだろうとカーンは考える。
しかし、ハルアーダは静かに首を左右に振って、ラドウィン達を追うように命じた。
そもそも、ラドウィン達は北方地域の将兵である。
つまり、雪における備えはあってしかるべきなのだ。
現にラドウィン達は鉄製の鎧一切を城に捨て置き、懐に飼葉や寝床の藁草を詰め込み、手足にはタコウジの実をすりおろした粉末を手袋や靴下に入れていた。
タコウジは小さな実が十個前後一房として生る実で、干した物が香辛料として使用される。
北方では寒い日にそのまま齧る事で体をポカポカ温める効果もある他、すりおろしたものを手足の末端に塗ると血流促進して指先の凍傷を防いでくれるのだ。
そういった備えのあるラドウィン達はこの積雪を強行して故郷へと向かったのである。
一方、ハルアーダはロノイ達に私兵を向かわせた。
ハルアーダとロノイは明確な同盟関係では無く、ハルアーダが彼らにそれとなく情報を横流ししてラドウィンを狙うように仕向けていたのである。
カーンらの一族の力を使えば、例えばメイドに扮装させた者や兵に扮装させた者に立てさせた噂をロノイ達に聞かせれば、後は勝手にラドウィンを狙わす事が出来た。
ハルアーダはロノイ達文官を影で操る事にしたのだ。
かつて、帝都の武官は長い歴史の中で何度も文官と敵対し、その都度、権力争いに負けたものである。
だがハルアーダは古来からの武官と違って、文官と正面切って権力争いをするつもりは無かった。
ティタラを護りながら邪魔者を文官に始末させる。
ハルアーダはそう計画したのだ。
果たして三日後、ハルアーダの計略通りにロノイ達は依子騎士に二千の私兵を率いさせて出陣させた。
依子騎士は貴族が独自に弟子として騎士爵を叙勲した騎士の事である。
北方の天険な行路は雪で通れないので、ラドウィン達は帝都東部に広がる平野地帯を通るだろうと予見された。
それで帝都東部、カルバーラ地方へと向けてロノイらの部隊は出たのだが、雪の寒さにたちまち凍傷となって逃げ帰ったのである。
結局、ロノイ達は雪解けまで出陣すること能わず。
その雪解けの頃になるとラドウィン達はクヮンラブル河近傍の、サスパランドという城塞都市を中心に、二、三の村や町で成り立つ場所にいた。
城塞都市サスパランドから半日ほど離れた名も無い町の宿や空き家に泊めてもらっている。
帝都から馬車で一週間くらいはかかるほど離れていて、まだ雪が溶け切っていない事を考えても帝都から追撃が来るには日数がかかる場所で冬を越したのだ。
ラドウィンは雪解けと共に使者をサスパランドに住まう領主へと送る。
サスパランドの領主はトルノットという男爵で、クヮンラブル河に港要塞を持っており、ラドウィン以下兵らを一度に対岸へと輸送する軍船を持っていたのだ。
トルノットはラドウィンの使者に対して見返りを要求する。
もちろんラドウィンは相応の謝礼を払うつもりであったが、提示した金額にトルノットは不服を申し立てた。
かなりこじれそうなので手紙のやり取りは止めてラドウィンはサスパランドへと向か事にする。
護衛にアーモとデビュイ、それと補佐でキルムを連れてサスパランドの重厚な門をくぐった。
戦争の際に本隊の総指揮所となる事を想定されたこの要塞都市は高く分厚い城壁に囲まれている。
内部はその城壁に塞がれた家々がせせこましく肩身を寄せ合いながら建っていた。
太陽があまり照りつけないのか妙にジメジメとしている。
通りの両脇に建つ家は三階にも及び、威圧的で狭苦しい印象を与えた。
そのように威圧的な通りを抜けてトルノットの待つ屋敷は開けた場所にドッシリと鎮座している。
門を叩くと、メイドが出迎えて、幾度か使者を出した辺境伯ラドウィンだと伝えると客間へと通された。
予め訪問は手紙で伝えていたため、すぐにトルノットはラドウィンの前にやって来て、どっかりと椅子に座る。
トルノットは三十後半ほどの男で、酒の飲みすぎで腹が出ていた。
彼は横柄にも肘掛けに乗せた肘で頬杖をつき、軍船を貸し出す話をする。
軍船は二隻あって、しかし貴重品だ。
相応の報酬を寄越せと言う。
ラドウィンは手紙で申し立てた通りの金銭しかなく、それ以上の金銭はモンタアナに帰ってから贈りたいと申し立てた。
トルノットはジロジロとラドウィンを見る。
このサスパランドの地はモンタアナともそう離れていないのでラドウィンの噂を聞く事はあった。
えらく怠惰な貴族で皇帝の呼び掛けの一切に答えようなどとしないという話だ。
そのような愚かな貴族がどれほどに領土を発展させられるというものかと思う。
このようにトルノットはモンタアナの発展具合を知らなかったから、後で払うと言われても信用出来なかった。
詰まる所軍船を貸す気が無いのだとタッガルやデビュイは思う。
キルムもこれ以上は無駄な時間であるから諦めるようラドウィンに耳打ちした。
ラドウィンも軍船の事は諦める事にする。
だけどその顔には残念な様子も無く、いつもの飄々とした笑みのままトルノットと適当に世間話を始めたのである。
茶菓子がとても美味しく、茶葉も中々良い。
そのように褒めると、トルノットはすこぶる機嫌を良くした。
貴族として客人をもてなす用意は当然だ。
その努力を分かって貰えればトルノットも嬉しい。
そのように二人で茶葉の話で盛り上がるのだからキルム達三人は困った。
軍船が借りられないなら渡河する別の手段をさっさと探さねばならないからだ。
まあ良いじゃないかとラドウィンはトルノットと話していた。
そんな時である。
トルノットの配下の兵が勢い良く客間の扉を開けてやって来たのは。
トルノットが無礼者といきり立つが、兵は焦燥の汗を浮かべて「敵襲です!」と報告した。
既に日は落ちたのか? あまりにも厚い雪雲が空を覆うから昼も夜も分からなかった。
ダルバは思わずニヤけてしまう。
天を覆う陰気な曇天は我が心。
地を覆う冷酷な雪は我が虚言。
彼の心底を現すが如き景色に、なんとおあつらえ向きな天気だと思わずにいられなかった。
そんな外へと一歩踏み出したダルバが思ったのは「ぬるい」である。
顔を打つ雪が、足を包む積雪が、とんとぬるかった。
滾る血があまりにも燃え上がるので雪がぬるくてぬるくて仕方なかったのだ。
ダルバ、一世一代の覚悟。
緊張か興奮か。雪ですら生ぬるいほどに彼の肉体は燃え上がっていた。
ザクザクと新雪を踏み締めてダルバは兵舎の扉を開ける。
兵舎では兵達が馬鹿騒ぎしていたが、ダルバが勢い良く扉を開けるのでしんと静かになる。
そんな兵達を無視してダルバはラドウィンを見つけた。
ラドウィンは静かに一人、ミャンビャンという薄黄色をした未発酵の果実ジュースを飲んでいる。
彼の元へとダルバは大股で歩を勧めると、一騎討ちを申し込んだ。
暗殺では無く、正々堂々とした一騎討ち。
一騎討ちにてラドウィンを討ち取ろうというのか。
これに兵達は驚き、同時に冗談に違いないと爆笑が巻き起こった。
しかし、冗談ではなく、どうみてもダルバは本気なのだ。
「酒を飲んでいないとは都合が良い」
ダルバはラドウィンがへべれけに酔っていなかったのを天の助けだと言う。
足取りもおぼつかない相手を殺すのはプライドが許さないとダルバはラドウィンをせせら笑った。
そんなダルバに酒を飲んでいたタッガルが口髭を酒臭くにおわせながら、冗談にしても何のつもりだと殴りかかろうとしてくる。
ダルバが腰の剣を抜き、タッガルの眼前へ切っ先を向けた。
これに兵舎は再び静まり返る。
緊迫する空気の中で、ラドウィンが静かに立ち上がった。
いつもの飄々とした笑みのまま、一騎討ちを了承するとタッガルに退くよう命じる。
飄々とした笑みではあるが、その眼は油断なくダルバを見ていた、
なぜダルバが一騎討ちを申し込むのか分からないが、ダルバの眼が本気でその覚悟の程を感じたのである。
「ここは手狭じゃないか?」
ラドウィンが聞くもダルバは目にも止まらぬ抜剣をすると「ここで構わん!」と剣を振り下ろした。
なんと鈍い音をたてて机の端が切り裂かれる。
何と言う膂力であろう。
片腕で見事に机を切り裂くのだ。
兵達はあまりの力に恐れた。
そんな中、オーガの血を引くというアーモだけはダルバを止めようとしたが、アーモをデビュイが止める。
一騎討ちをラドウィンが快諾した以上横槍を入れるべきではないのだ。
彼らはただ事態を見守るしかできない。
アーモは心配げに一騎討ちを見届ける。
戦いは一見すれば熾烈であった。
剣閃が飛び、激しく火花が散る。
しかし、よくよく見ると、剣を振っているのはダルバでラドウィンは全く戦いに応じていない。
まるで赤子をあやすそうだ。
およそ三十合は打ち、ダルバに疲れが見える。
玉のような汗を流し、口息を荒くしながら、涼しい顔のラドウィンへダルバは吠えた。
「なぜ斬ってこない! 俺を赤子と思うか! 俺を戦士と思うなら斬ってこないか!」
実際、ラドウィンはダルバが一騎討ち仕掛けてくる理由が分からず、斬りかかる事ができなかったのである。
しかし、ダルバに言われてラドウィンも覚悟を決めた。
ダルバは大上段より斬りかかる超攻撃的な戦いを好むので、ラドウィンは身を屈めて飛燕が滑空するかのようにダルバの懐へと入ろうとする。
横抜きにダルバへと斬りかかった。
ダルバもまたラドウィンへと大上段から斬りかかる。
その時、一騎討ちを囲んで見ていた兵達の合間からナイフが飛んできた。
ラドウィンへ向けて一直線に飛んでいく凶刃。
ダルバはこの瞬間を待っていた。
振り下ろしている剣の機動を変えて、ダルバはナイフを斬り払ったのである。
結果、ラドウィンの一撃をダルバは受けてしまった。
腹部に一閃、ダルバは勢い良く後方へ吹き飛ぶと倒れ込んだ。
ラドウィンは床に落ちたナイフを見たあと、邪魔をしたのは誰だと叫ぶ。
タッガルとデビュイがナイフを投げた者を捕まえようとしたが、その者は窓から外へと飛び出ると銀幕の世界に消えてしまった。
ラドウィンはダルバの元へと駆け寄り、彼の体を抱きかかえる。
もしかして、こうなる事を予感していたのではないかとラドウィンが聞くとダルバはどうでしょうかとすっとぼけた。
ダルバはラドウィンの頭を掴んでグッと耳元にまで引き寄せる。
それで、帝国の連中がラドウィンの命を狙っているのだと伝えた。
そのために裏切ったフリをするなど、なんと馬鹿な真似をしたのだとラドウィンはダルバに言うのだが、ダルバは力無く笑う。
結局のところ、ダルバは皇帝に命を捧げた騎士の一族なのだ。
ラドウィンが皇帝の血を引くというなら、命をかけて守るのがダルバの立場なのである。
「キルムほど頭が良くないんでね、これしか良い方法が見つけられなかったのですよ」
ダルバは溜息をつくと、ラドウィンに今すぐに逃げるよう言う。
裏切り者の自分の事など忘れて、暗殺者の魔の手から逃げるのだ。
少なくとも、ダルバの策略で暗殺者は一時逃げた。
この隙に逃げるべきなのだ。
ラドウィンはダルバの言葉を聞き入れ、直ちに兵達を集めると帝都から脱出する事とした。
ダルバの裏切りに混乱状態ではあったが、ラドウィンの呼び掛けにひとまず兵達は無事に集まる。
それで迅速に帝都から脱出したのだ。
あまりにも素早い行動に、ダルバの暗殺が失敗に終わったとロノイ達が知った時にはラドウィン達が帝都を出ている程であった。
ならばせめて、暗殺に失敗したダルバの遺体を八つ裂きにして、裏切り者だと晒してやろうとロノイ達は思う。
ところがダルバの遺体を探しても見つからなかった。
ラドウィン達が持って行ったのだろうか。
まさか! 裏切り者の死体を雪の中わざわざ持って行って、故郷に帰すものか!
ロノイ達はダルバの死体が見つけられなかった。
ダルバが死んでいないとしたら、彼の口から自分達の計画が漏れてしまうかも知れない。
死体を見つけないと安心できなかった。
もしかしたら生きているのではないか?
そんな不安を抱くが、しかし、誰が裏切り者を殺さないというのか。
「そうだ。死んでいるに違いない。死体が見つからないだけさ」
彼らはそう心を慰めたのだ。
その頃、ハルアーダは部屋で静かに目を瞑っていた。
カーンから任務失敗の報せを受けている。
もっとも、カーンの姿は見えず、ハルアーダが静かに瞑想しているようにしか見えないが。
ハルアーダはカーンに続いてラドウィンの暗殺を命じる。
そして、ロノイ達が私兵を率いてラドウィン達を追うようにしようと考えた。
これにカーンはラドウィンをすぐに追う必要があるのかと問う。
外は雪。夜には吹雪となる日もある。
そんな中を行軍するなどあり得ないのでは無いかとカーンは指摘した。
どうせ帝都の近くの集落で越冬せねばならないのだから、雪解けに追撃を加えても間に合うだろうとカーンは考える。
しかし、ハルアーダは静かに首を左右に振って、ラドウィン達を追うように命じた。
そもそも、ラドウィン達は北方地域の将兵である。
つまり、雪における備えはあってしかるべきなのだ。
現にラドウィン達は鉄製の鎧一切を城に捨て置き、懐に飼葉や寝床の藁草を詰め込み、手足にはタコウジの実をすりおろした粉末を手袋や靴下に入れていた。
タコウジは小さな実が十個前後一房として生る実で、干した物が香辛料として使用される。
北方では寒い日にそのまま齧る事で体をポカポカ温める効果もある他、すりおろしたものを手足の末端に塗ると血流促進して指先の凍傷を防いでくれるのだ。
そういった備えのあるラドウィン達はこの積雪を強行して故郷へと向かったのである。
一方、ハルアーダはロノイ達に私兵を向かわせた。
ハルアーダとロノイは明確な同盟関係では無く、ハルアーダが彼らにそれとなく情報を横流ししてラドウィンを狙うように仕向けていたのである。
カーンらの一族の力を使えば、例えばメイドに扮装させた者や兵に扮装させた者に立てさせた噂をロノイ達に聞かせれば、後は勝手にラドウィンを狙わす事が出来た。
ハルアーダはロノイ達文官を影で操る事にしたのだ。
かつて、帝都の武官は長い歴史の中で何度も文官と敵対し、その都度、権力争いに負けたものである。
だがハルアーダは古来からの武官と違って、文官と正面切って権力争いをするつもりは無かった。
ティタラを護りながら邪魔者を文官に始末させる。
ハルアーダはそう計画したのだ。
果たして三日後、ハルアーダの計略通りにロノイ達は依子騎士に二千の私兵を率いさせて出陣させた。
依子騎士は貴族が独自に弟子として騎士爵を叙勲した騎士の事である。
北方の天険な行路は雪で通れないので、ラドウィン達は帝都東部に広がる平野地帯を通るだろうと予見された。
それで帝都東部、カルバーラ地方へと向けてロノイらの部隊は出たのだが、雪の寒さにたちまち凍傷となって逃げ帰ったのである。
結局、ロノイ達は雪解けまで出陣すること能わず。
その雪解けの頃になるとラドウィン達はクヮンラブル河近傍の、サスパランドという城塞都市を中心に、二、三の村や町で成り立つ場所にいた。
城塞都市サスパランドから半日ほど離れた名も無い町の宿や空き家に泊めてもらっている。
帝都から馬車で一週間くらいはかかるほど離れていて、まだ雪が溶け切っていない事を考えても帝都から追撃が来るには日数がかかる場所で冬を越したのだ。
ラドウィンは雪解けと共に使者をサスパランドに住まう領主へと送る。
サスパランドの領主はトルノットという男爵で、クヮンラブル河に港要塞を持っており、ラドウィン以下兵らを一度に対岸へと輸送する軍船を持っていたのだ。
トルノットはラドウィンの使者に対して見返りを要求する。
もちろんラドウィンは相応の謝礼を払うつもりであったが、提示した金額にトルノットは不服を申し立てた。
かなりこじれそうなので手紙のやり取りは止めてラドウィンはサスパランドへと向か事にする。
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太陽があまり照りつけないのか妙にジメジメとしている。
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そのように威圧的な通りを抜けてトルノットの待つ屋敷は開けた場所にドッシリと鎮座している。
門を叩くと、メイドが出迎えて、幾度か使者を出した辺境伯ラドウィンだと伝えると客間へと通された。
予め訪問は手紙で伝えていたため、すぐにトルノットはラドウィンの前にやって来て、どっかりと椅子に座る。
トルノットは三十後半ほどの男で、酒の飲みすぎで腹が出ていた。
彼は横柄にも肘掛けに乗せた肘で頬杖をつき、軍船を貸し出す話をする。
軍船は二隻あって、しかし貴重品だ。
相応の報酬を寄越せと言う。
ラドウィンは手紙で申し立てた通りの金銭しかなく、それ以上の金銭はモンタアナに帰ってから贈りたいと申し立てた。
トルノットはジロジロとラドウィンを見る。
このサスパランドの地はモンタアナともそう離れていないのでラドウィンの噂を聞く事はあった。
えらく怠惰な貴族で皇帝の呼び掛けの一切に答えようなどとしないという話だ。
そのような愚かな貴族がどれほどに領土を発展させられるというものかと思う。
このようにトルノットはモンタアナの発展具合を知らなかったから、後で払うと言われても信用出来なかった。
詰まる所軍船を貸す気が無いのだとタッガルやデビュイは思う。
キルムもこれ以上は無駄な時間であるから諦めるようラドウィンに耳打ちした。
ラドウィンも軍船の事は諦める事にする。
だけどその顔には残念な様子も無く、いつもの飄々とした笑みのままトルノットと適当に世間話を始めたのである。
茶菓子がとても美味しく、茶葉も中々良い。
そのように褒めると、トルノットはすこぶる機嫌を良くした。
貴族として客人をもてなす用意は当然だ。
その努力を分かって貰えればトルノットも嬉しい。
そのように二人で茶葉の話で盛り上がるのだからキルム達三人は困った。
軍船が借りられないなら渡河する別の手段をさっさと探さねばならないからだ。
まあ良いじゃないかとラドウィンはトルノットと話していた。
そんな時である。
トルノットの配下の兵が勢い良く客間の扉を開けてやって来たのは。
トルノットが無礼者といきり立つが、兵は焦燥の汗を浮かべて「敵襲です!」と報告した。
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※※楽しかった……続きが気になると思って頂けた場合、お気に入り登録……このエピソード好みだなとか思ったらコメントを貰えたりすると軽い絶頂を覚えるくらいには喜びます……メンタル弱めなので、誹謗中傷てきなものには怯えていますが、気軽に頂けると嬉しいです。※※
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