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序章・帝国崩壊編

26、反撃の狼煙。最強、堕つ

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 帝国軍は気づけば五千にまで兵数が減っていた。

 この異常にさすがのガ・ルスも気付いていて、いつの間に兵が減ったのか疑問に思っていた。

 落伍者が出たにしては道中に疲れた兵士は見なかった筈だ。
 ではなぜ一万数千も居た軍隊が五千以下にまで減っているのか?

 ガ・ルスはその疑問を少し考えて、結局考えるのをやめた。
 ガ・ルスは自分が最強だと信じている。

 アーランドラ帝国の国境を越えた西の出身であるガ・ルスは荒野と山岳が大半を占める西域で暮らしていた。
 小さな部族が集落を作って暮らす平穏な日々。
 そんな日々は彼が幼い頃、戦争で終わりを告げた。

 彼は家族を皆殺しにされ、自身も奴隷として捕まったのだ。
 遠い異国の地に連れてかれたガ・ルスは蛮族と戦わせる見世物に出された。

 戦わせるとは物の言い方、その実はただの虐殺ショーである。
 異民族の子供が蛮族に惨たらしく殺されて喰われる残酷な見世物なのだ。

 そんなショーにガ・ルスは出されたのである

 百歩ほどの広さの円陣。人二人分は高い壁に覆われた闘技場でガ・ルスは――オーガをナイフで殺した。

 まだ六歳の話であった。
 恐るべき話だ。

 大人だってまず倒せないオーガをガ・ルスは六歳にしてナイフ一本で倒したのである。

 それからずっとガ・ルスは闘技場にて最強であった。
 その異国で知らぬ者いない無敵の剣闘士といえばガ・ルスで決まりだった。

 彼にはかつて家族を殺される悲しい過去があったが、そんな事はガ・ルスにとってどうでも良いことである。

 生と死こそがガ・ルスの全て。
 生還と殺戮こそがガ・ルスの悦び。

 闘技場の暮らしの中でガ・ルスはそのような価値観を見出していた。

 むしろ、家族が殺されていなければこのような悦びを享受する事も出来なかったと考えた程だ。

 そんなガ・ルスは十六歳になって、とある傭兵に大金で買われた。
 もっとも、金なんてどうでも良くて、「俺についてくればたくさん戦えるぞ」という言葉に二つ返事で飛び付いた。

 闘技場の運営者は客がガ・ルスの活躍を期待していて出場を求めるのに、ガ・ルスのせいで賭けが成り立たなくなっていたので喜んで大金を懐に入れたのだ。

 こうしてガ・ルスは数多(あまた)の戦場を駆けた。
 だが、彼は強過ぎたのだ。

 傭兵として彼が敵国に雇われる危険性を嫌った異国の各国々はガ・ルスの命を狙った。
 ガ・ルス、二十五歳の時だ、

 そして、その首に多額の懸賞金を掛けたのである。

 すると、ガ・ルスを買った男はあろう事かガ・ルスを王に引き渡そうとしたのだ。
 ガ・ルスは怒った。

 死んだら何者も殺せないでは無いか!

 だからその男を殺した。

 そして、ガ・ルスは敵しか居ない異国を出たのである。
 行き場が無かったから、せっかくなので故郷を目指してひたすら逃げたのだ。

 その道中は決して短いものでは無かった。
 六つか七つの国を越え、道すがら、盗賊に襲われている人が居れば盗賊を殺し、兵達に略奪されている村があれば兵達を殺戮する、

 彼は戦いを欲しながら故郷を目指した。

 そうして三十五歳。
 ようやく故郷に辿り着いたガ・ルスは故郷の平穏さに絶望した。
 なんという平穏な日々!

 彼は鬱憤を晴らす為に盗賊団や略奪者、外国の侵攻を聞くと殲滅し続けた。
 そして今、彼の武勇を聞きつけたオルモードに頼まれて、このアーランドラ帝国にやって来たのだ。

 彼は世界を知っている。
 そして自分がこの世界で最強だと知っていた。

 ガ・ルスはラドウィンがどんな策を弄(ろう)して、どこから奇襲を仕掛けて来ようと潰す自負があったのだ。

 ラドウィン隊が沢へと降りるのでガ・ルスも後を追う。
 針葉樹の木々が群生する森山の沢だ。

 雪が薄ら積もるその沢は凍えるような冷たさである。
 その沢を駆けながらラドウィンを追っていると、またしてもラドウィンの兵が減っている気がしてきた。

「俺を前に‪兵を減らすとは何を考えている?」

 ガ・ルスは自分が侮られているような気がする。
 侮られるなんて何年ぶりか分からないが、これ程までに自分の実力を見せ付けたのになお侮る行為に怒りすら覚えた。

「俺をなめているのか? そうか。そうか」

 独りごちて頷くと、少し笑う。

 侮られる感覚に懐かしさすら感じたからだ。
 そして、心底腹が立ったてきたから殺してやろうと思った。

 ガ・ルス隊が追っていくとラドウィン隊が突然、足を止める。
 彼らの前方に岩や土木があって道を塞いでいたのだ。

 嵐の日に増水した沢が運んできた岩や土木であろうか?
 何にせよ、それらが道を塞いでいたお陰でようやくガ・ルスはラドウィンを追い詰めた。

「ラドウィンよ。前に出て来い。俺が殺してやろう」

 ガ・ルスの言葉にラドウィン隊、今となってはおよそ五百人程に減った兵が振り向く。

 その五百人をガ・ルスはゆっくりと見渡すと眉をひそめた。

「む? ラドウィンはどいつだ?」

 先日、槍と斧を交えたあの飄々と人をおちょくる笑みを浮かべた青年が居ない。

 ガ・ルスが訝しんだ瞬間、なんとラドウィン隊五百人が岩や木々を一斉に登り出した。
 彼らは猿を彷彿とさせるような速さで登る。

 それもそのはず、彼らはモンタアナにて林業を営む者達や、あるいは幼い頃から木々の実を採取していた者達なのだ。

「矢を放て!」

 ガ・ルスは振り向いて兵に命じ、その一兵が弓を構えた。
 その瞬間、どこからか矢が飛んで来てガ・ルスの顔の横を通るとその兵を射る。

 兵の悲鳴を聞きながら、ガ・ルスは耳を押さえた。

 左耳が熱い。
 押さえた手を見ると、真っ赤な血が付着している。

 矢で射られたのだ。
 もしも後ろの兵へ命じる為に振り向いていなければ顔面へ飛んで来た矢の一つや二つ切り落としてやったというのに!

 久しぶりに見る自分の血。そして痛み。
 ガ・ルスは自分が矢に射られたと気付き、怒りにわなわなと口を震わせながら正面へと向く。

 キラリ。
 沢の土手から僅かな光。

 ガ・ルスは雄叫びを挙げて斧を振るう。

 軽い音をたてて矢が吹き飛んだ。

 吹き飛んだ矢じりが味方の兵に当たって悲鳴が上がったが、そんな事はどうでも良い。

「囲まれたか!」

 気付けば、沢の上、森の木々や茂みに大量の兵士。

 弓を構えている。

 ガ・ルスは歯噛みした。
 罠に嵌っていたのだ。

 しかし、この程度の窮地など今まで何度だってあった。
 そして、その度に武力を奮って窮地を切り抜けて来たのである。

 むしろ、ここまで追い詰められ、その窮地を乗り越えた時こそがガ・ルスにとっての悦びなのだ。

「ガ・ルス様!」
「なんだ!」

 どう切り抜けようか考えている時に話し掛けられて、その兵にイラつきながらガ・ルスは応える。

「さ、沢の水が!」

 その兵に言われて沢に流れる川を見ると、川に何かが浮いていた。

 半透明でヌメリとした液状の物体。

 馬に乗っているガ・ルスにはイマイチ分からなかったが徒歩の兵士には分かった。

「油です!」

 その兵の声と同時に、沢の上流にある、あの岩や木々の隙間から火が現れて、一気に下流のガ・ルス達を襲う。

 沢の穏やかな川はたちまち地獄絵図。
 火炎の踊る狂乱の園と化した。

 同時に沢へとラドウィンの声が響く。

「一斉射撃!」

 無数の矢が燃え上がる火炎地獄に放たれた。

 ガ・ルスは目の前の炎を手で必死に払いながらラドウィンの声がした方を探す。

 ここにラドウィンが居る。俺と戦いながらも笑っていた愚かな男が近くにいるのだ!

 そんなガ・ルスの胸に矢が刺さり、彼は吐血した。

 ダイケンやシンサンの弓に慣れた正規兵からモンタアナの弓に不慣れな志願兵に至るまで、当たる当たらないに関係無くただひたすら、矢を放ったのだ。

 これがラドウィンの策であった。

 キルム隊に沢で待機させる。
 ラドウィンは途中まで兵を率いて、アーモが敵の足止めをしている間にラドウィンは隊から離脱して沢へと急行。

 前進する兵を貴族の一人、リンドベルに任せ、崖や山道、森林などで隊が見えなくなる瞬間を狙って兵を隠す。

 隠れた兵を貴族の一人アッドオウルが後方から進んで隠れた兵士を回収していった。

 そして、隊はやがてモンタアナにて身軽な者達のみとなって、この行き止まりにガ・ルスを誘い込んだのである。

 岩の後ろから油と火を放ち、敵を燃やすと包囲して散々に矢を射掛けるのだ。

 そしてこの策の肝要な点として、火と矢を嫌って後退しようものなら、アッドオウル率いる後方から進んでくる隊にぶつかってしまうという点だ。

 しかし、ここでラドウィンにとって不測の事態が起こった。

 それは、ガ・ルスが逃げるどころか雄叫びを挙げてラドウィンへと突撃してきた事だ。

 全身を火に巻かれて顔すら分からない火だるま。
 全身に突き刺さった矢がハリネズミのようであった。

 ガ・ルスはそれでもラドウィンを見つけて一直線に燃え上がる馬を駆けさせたのだ。

 ラドウィンはこれには驚いたが、咄嗟に槍を構えてガ・ルスへと槍を突き立てようとした。
 しかし、人馬共に燃え上がっていた為に輪郭を見間違え、馬の眉間を突いてしまったのである。

 馬は悲鳴を挙げたがそれでも脚を止めない。

 ラドウィンは槍を抜こうとするも、引き抜くより早く馬が前進するためにむしろ柄が大きくしなる程であった。
 これでは武器が使えない。

 完全なる無防備――

 そのラドウィンの脳天へと斧が振り下ろされる――

 ――刹那――

 しなった槍が勢い良く元へと戻り、柄の石突がラドウィンの鳩尾(みぞおち)を打った。

 その衝撃でラドウィンの体は後方へと吹き飛び、斧は空を切るのである。

 ガ・ルスは雄叫びを挙げた。
 それは悲痛な雄叫びであったが、苦痛の雄叫びでは無かった。

 炎や矢の痛みに悲鳴を挙げたのでは無く、ここまでチャンスを得ながらラドウィンを殺せなかった怒りの雄叫びである。

 ガ・ルスを乗せた西方馬が全身を焼かれて脳天を貫かれながらなお前進し、茂みへと飛び込んだ。
 枝葉をへし折る音がして、その直後、ガ・ルスの雄叫びが急速に離れていく。

 そして、彼の気配は茂みの向こうから消えたのだ。

 ラドウィンは鳩尾の痛みに咳き込みながら兵に助け起こされ、辺りを見渡すと状況を確認した。

 沢の方ではガ・ルス隊がことごとく焼け死んでいる。
 それを確認したラドウィンは肝心のガ・ルスはどこに行ったのかと誰へとも無く聞く。

 茂みの向こうに消えて、そのまま気配がしなくなったと駆け寄ってきたキルムが説明すると、ラドウィンは茂みの向こう側へと案内するよう命じた。

 キルムが彼に肩を貸して茂みを掻き分けるとすぐに崖があったので、キルムは足を踏み外しそうになって驚く。

 そして、すぐにガ・ルスに何が起こったのか察した。
 ガ・ルスは制御を失った馬ごとこの崖を落ちたのだ。

 キルムは生唾を飲み込んで崖の下を見る。

 高い。

 そそり立つ断崖絶壁。
 下には真っ青な針葉樹林が広がっていて、その先には広大なクヮンラブル河が見えた。

 さすがにガ・ルスの姿は見えなかったが、ここから落ちては命もあるまい。

 ラドウィンとキルムは二人してホッと胸を撫で下ろして崖から戻った。
 わざわざ口に出して状況を確認しない。

 ガ・ルスは崖から落ちた。そして、死んだ。
 それが事実なのだ。

 ラドウィンが生きていたのは本当に偶然だ。
 偶然、しなった槍に吹き飛ばされていなければ脳天から叩き割られていた所である。
 しかし生き残った。
 それが事実なのだ。

 ラドウィンとキルムが沢に戻ると、人の燃える脂の嫌な臭いが立ち込めて、ガ・ルス隊の兵達は一網打尽となっていた。

 帝国軍の兵達は殆ど無傷だったので驚くべき戦果だ。

 これに帝国軍の兵達は沸きに沸いた。

 あのガ・ルスを倒したのだ。
 歓喜しない方がおかしい。

 その様子にラドウィンは笑って「さあ皆、戦争はまだ終わっていないよ」と言うと、隊を編成し直してラクペウスへと戻った。

 兵の士気は高い。
 特にモンタアナの兵達は自分達が掴んだ勝利に酔いしれ、兵として一皮向けていた。

 一方、ラクペウスの砦に居たオルモード隊はガ・ルスが戻らないというのにラドウィン率いる帝国軍が戻って来たのだから堪らない。

 特に兵士達は動揺し、ざわつき、ガ・ルスは負けたと噂されたり、酷い噂では「あのガ・ルスが負ける訳ないのだから、裏切ったに違いない」「奴は所詮、西方の民。蛮族のようなものだ。信用出来ん」などという噂まであった。

 オルモードはその噂を阻止する為に、噂を酷く言い回っていた貴族の首を切り、晒したのである。

「事実無根の噂を流して士気を乱す輩は首を切る!」

 そうして噂を止めると、今度は士気高揚の為に帝国軍へと攻撃する事に決めた。

 後方の砦からも将と兵を呼び、オルモードは百旗騎士を並べる。

 百旗騎士(ひゃっききし)とはオルモードが各地で見出した勇士達である。
 もっとも、オルモードは百人も騎士を任命する権利を持っていないのでその殆どは騎士爵を持っていないが、しかし、そんな事は些末な問題だ。

 先の戦いでダルバにやられたガクゼも百旗騎士の一人である。
 デビュイ、それと元匪賊達によって五名の騎士もやられていたので、九十五人に減っていたがそれでも九十五人も居た。

 この九十五人を使って目の前のラドウィン率いる帝国軍を打ち倒し、士気高揚にするのだ。

 オルモードは両隣の砦からも出陣を要請し、百旗騎士の旗を掲げて砦を出陣する。

 先頭に百旗騎士を並べ、その後ろに全兵を配置する。
 三角形のその陣は上から見ると錐のように見える事から、錐行の陣と呼ばれ、機動力と突破力に優れる陣だ。

「突撃!」

 オルモードは錐行の陣の突破力と多量の兵による重厚さで帝国軍を一息に潰すつもりなのである。

 これを見たラドウィンは、これだけの兵量差で正面攻撃されては奇襲も奇策もあったものでは無いと思いながら天を見上げた。
 雪はなお降っており、そして空は曇天。
 もうじき天候が崩れるだろう。

 ラドウィンは兵達を並べ槍を構えさせた。

 多数の兵を維持するのは難しいので、ここを耐えれば連合軍は指揮系統が崩れて末端の兵から次第に崩れていくはずだとラドウィンは考えたのである。

 帝国軍の士気は高い。
 死ぬ気で堪えれば守りきれる筈だ。

 兵站も指揮能力も無視して今この瞬間の賭けに出た連合軍。
 それを前に寡兵で守りの姿勢へ入る帝国軍。

 まさにぶつからんとした時、帝国軍の後方より数千の騎馬部隊を率いた二騎の騎士が現れて、連合軍へと突撃した。

 二騎の騎士とは、ダルバとタハミアーネである。

「ダルバ! 直前まで手綱は離すな! ギリギリまで敵に近付いてから剣を抜け!」

 双剣使いのタハミアーネは騎乗しながら両手を手綱から離して戦う方法をダルバに教えた。

 すると、ダルバは隻腕を器用に操って、言われた通り百旗騎士の一人へギリギリまで近付くと剣を抜く。

 そして百旗騎士へと剣を振った。

 その剣は防がれたが、その隙にタハミアーネがその騎士の首を切る。
 さらに双剣で左右の百旗騎士を斬り殺した。

 ダルバはそんなタハミアーネの後方を追従しながら百旗騎士の軍勢を駆け抜ける。

 こうして錐行の陣がダルバとタハミアーネによって乱れた。

 恐らく、本来であれば、百旗騎士によって帝国軍の槍衾(やりぶすま)は砕かれて、その隙を後方の連合兵達によって蹂躙されていただろう。

 ところがダルバとタハミアーネ以下数千の騎兵によって百旗騎士が崩れた。
 錐の先端が壊れては長所の突破力も発揮出来ない。

 なぜダルバとタハミアーネがこの戦場に来たのかはともかく、彼らによって連合軍の陣は崩れてその機能は不能に陥った。

 さりとて今更止まる事も出来ない。
 なぜならば兵数があまりにも多すぎるからだ。

 後方のオルモードは百旗騎士が斬られて行くなどと知らない。
 先頭の兵達は立ち止まりたかったが、後方の兵達から圧されて立ち止まれない。

 哀れ、連合兵達は後方の味方に圧されて順次、槍に刺されて死んでいくのであった。
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