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序章・帝国崩壊編

13、疲れ果てた男の昔話

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 ハルアーダがラドウィンの元へと身を寄せている間の帝都の話をしよう。

 当時の帝都の事を知るには、城で歴史記録を行っている公記書士ヌースの記録が一番だ。

 このヌースの記した歴史記録は皇帝にかなり肩入れした内容なので中立性に欠け、歴史的重要性が低いと後世では評価されている。
 しかしながら、この時期の帝都は皇帝ミルランスが居ない状態で宰相カルシオスと大将軍オルモードに分かれていた為、この時に書かれたヌースの記録だけは非常に公平性が保たれた歴史的価値の高い書物と言えよう。

 そのヌース記録によれば、『内乱は一ヶ月続き、帝都は栄華を失い権威が失墜す』と記されている。
 これほど長引いた理由は、まず第一に宰相カルシオスを始めとした文官達は秘密の抜け穴から帝都の方々へと散って、時に浮浪者に変装し、時に貧民に変装し、時に空き家に身を潜めて私兵を用いたゲリラ的反撃作戦を用いた為であった。

 しかし、理由はそれだけではない。
 帝都にとある噂が流れて、両者が動けなくなったからだ。

 その噂とは、『ミルランスとティタラは皇帝アロハンドの血を引いていない』という噂である。

 噂の出どころはアロハンドの第二王妃にしてミルランスとティタラを産んだリアト妃。

 帝都を二分し、アーランドラ帝国を混乱させている事態の中、暴走した兵達は王妃や側室の住まう後宮を混乱に乗じて襲ったのだ。
 リアト妃は齢(よわい)三十幾だが美しく、それはもう獣の如き兵達に襲われそうになったのである。

 リアトは逃げ惑って、側近のように世話をしてくれた側室達が兵達に襲われるのを見るとそれに発狂したのか、突如高笑いをあげた。
 そして、ミルランスとティタラを巡って相争うこの状況がいかに滑稽で狂っているのか言うのだ。

「滑稽も滑稽よ! ミルランスもティタラも、皇帝の血なんて引いていないというのにね!」

 そう言い残して、短剣で喉を突くと自害してしまったのである。

 この話を聞いた貴族は、もちろんその話を秘密にした。
 なにせ、あくまでも皇帝ミルランスか妹帝ティタラか、どちらが皇帝に相応しいかというのがこの争いである。
 それと無関係な後宮を襲ったと知れたら、この内乱が収まった時に、ミルランスかティタラか、どちらが皇帝にせよ処刑される可能性は高かった。

 だから、その貴族は全てを秘密にして、リアト死亡で騒ぎになる前に後宮から撤収したのである。

 しかし、人の口に戸は立てられない。
 ここだけの話……と兵達の口から口に、リアト妃が自害する直前にミルランスとティタラは皇帝の血を引いていないと言う話が噂として流れたのだ。

 もしその噂が事実ならば、この対立の大義名分そのものが揺るがされる。

 こうしてミルランス派もティタラ派も互いに動けず、帝都内では膠着状態が続いた。

 その内乱が終わったのは、男爵オルモンゾというカルシオスの部下の男が切っ掛けである。

 彼はかつて、皇帝直轄騎士に所属していた経緯の男であった。
 そして、昔、皇帝から何も教えられずにとある馬車を帝都近くの森にひっそりと佇む屋敷に護送する命令を受けた経緯がある。

 彼は宰相カルシオス派の文官が劣勢であるのを危惧し、かつて護送した不詳の馬車に乗っていた人物が、もしかしたらこの状況を打開出来る人だったのでは無いかと思った。

 そして、夜中のうちに十人ばかりの手勢を率いて、その屋敷へと向かうと、一人の老人を森の中の屋敷から連れ出したのである。

 その老人とは、名前をアッザムドといった。

 老人アッザムドを連れたオルモンゾが帝都へと近づくと、当然ながら大将軍オルモード派の軍が彼を囲んだ。

 帝都の中は膠着状態だったが、帝都の外では宰相派と大将軍派の軍が互いに帝都を囲んで、敵の援軍を中に入れまいと争っていた

 オルモンゾが宰相派の人間だから、ここで捕らえてしまおうとしたのである。

 しかし、オルモンゾは声を大きく「控えおろう! こちらにおわすは誰と思っておるか!」と威嚇した。

「こちらにおわすは、かの皇帝アロハンド陛下の弟君、アッザムド様であるぞ!」

 アッザムドといえば、ミルランスが生まれた同時期、およそ十四年前に兄アロハンドから何らかの不況を買い、地下牢へと投獄されていた。
 しかし、いつの間にか地下牢からその姿が消えていたので、密かに脱獄しただとか、密かに処刑されただとか噂されていた人物である。

 だが、実を言うと、アロハンドは弟であるアッザムドを激しく憎んだものの、牢屋にいつまでも入れておくのは忍びなかったので密かに帝都近くの屋敷に軟禁していたのだ。

 その時にアッザムドを護送したのがオルモンゾだったのである。

 こうしてオルモンゾはアッザムドの威光を笠に帝都へと舞い戻ったのだ。

 これに宰相カルシオスは喜ぶ。
 そして、カルシオスは弟帝アッザムドを使って、『講和』を申し込んだのである。

 これに関して公記書士ヌースは『非常に驚いた』と記録している。

 カルシオスの事だから弟帝を使って大将軍オルモードを屈服させると誰もが思ったのだ。
 しかし、カルシオスは「帝都から姿を消したミルランス陛下とティタラ妹帝を探すのが先ではないか!」と、このような内乱を起こしているオルモードと、そして、自分の配下達を叱りつけたのである。

 そして、大将軍と宰相が互いに和解し、協力してミルランスとティタラを探す方向で講和に持ち込んだ。

 これは非常に上手い方法だった。
 カルシオスは私利私欲では無く、あくまでも皇帝陛下の臣としての立場をアピールして、自己の正当化を図ったのである。

 もちろん、ミルランスとティタラが皇帝の血を引いているのかという疑問はあったが、疑惑は所詮疑惑だとして、今はミルランスとティタラを見つけるべしとした。

 純粋な武力闘争では負けてしまうカルシオスは、弟帝アッザムドという切り札を得ながらもオルモードへ譲渡した動きを見せる事で武力衝突を収める動きへ変えた。
 しかも、あくまでも対等な講和としつつも、反乱を起こして帝都を乱したオルモードと反乱を収めて帝都の被害を食い止めたカルシオスでは、明らかにカルシオスの方が功績も民衆の心象も上だと分かった上での行為だ。

 一方、大将軍オルモードは弟帝アッザムドが出て来て大人しく従わざる得ず、オルモード派の諸侯をその領土へと戻し、講和締結となった。

 荒れ果てた城の、右翼の間と呼ばれる部屋で、カルシオスとオルモード、そして彼らに従った代表的人々が左右に分かれ、講和の書類に署名した。

 アッザムドはそれを見届けると、帝都近辺の屋敷へと戻る事にする。

 カルシオスとオルモードはミルランスを見つけるまでの旗頭としてアッザムドに帝位へついて欲しいと引き止めた。

 しかし、アッザムドは「兄アロハンド陛下に疎まれて軟禁の身。今さら表舞台へ出てくる資格などありません」と辞退するのである。

 だがカルシオスもオルモードも、もしもミルランスとティタラが皇帝の血を本当に引いていなかった時の為、唯一残った皇帝の血としてアッザムドを皇帝に立てたかったので、何としてもアッザムドには残ってほしい。
 隠居なんてさせたくなかった。

 そのアッザムドは、ミルランスとティタラに皇帝の血が流れていないと聞かされるとショックを受けた様子でふらつく。

 大臣の一人が赤いビロードの椅子を持ってくると、アッザムドはその椅子に座った。

「なるほど。だが、そうか。血が繋がってないなら……なるほど、合点が行く……」

 アッザムドも、どうやらミルランスとティタラがアロハンドの血を引いていないという事に心当たりがある様子だ。
 その様子を見た人々は、噂の信憑性が高まったとざわついた。

 しかし、そうなると問題は、誰が皇帝の座につくのかという点だ。

 アッザムドは老齢で、一時的に皇帝となろうが子を作るのも難しかろう。
 だが、今の所はそれが一番良い案だろうか。

 あるいは、家系図を辿って皇帝の血を引く者を見つけ出すか。
 しかし、皇帝の歴史は兄弟相食む骨肉の歴史。生き残って血を残している者が果たして居るのかどうか分からなかった。

 そうなるとやはり、アッザムドに頑張って貰うしか無い。
 歳ではあるが子を成せない訳ではあるまい。
 当人はいささか皇帝という地位に興味が無く、余生を森の屋敷で過ごすつもりだが、子を作るくらいはできようと誰もが思う。

 しかし、アッザムドは寂しく笑って、そもそももう自分は子を作れないのだと、ローブの裾をまくって股間を露にした。

 そこは睾丸が二つとも潰れて無くなっていたのである。
 あまりにも痛々しいそれを見た右翼の間にいる人々は言葉を失った。

「牢獄に入れられた時にな、兄君に潰されたのだ」と言う。

 だからもう、子供を作れないのだ。

 ではどうすれば?

 八方塞がった。
 あるいは、ミルランスとティタラがアロハンドと血が繋がっていないという情報を隠して皇帝として擁立するか?
 しかし、既に噂は広まっており、各地の諸侯領主に不信感を抱かせるだろう。後の禍根の原因となる。

 ではどうすれば!

 ざわざわとした会話はやがて怒りと焦燥を孕んだ声へと変わっていく。

 そんな折、アッザムドがカカカと笑い、「安心せよ。どこかに皇帝の血を引いているものはおる」と言ったのだ。

 それに人々は驚く。

「ナリア王妃の子だよ」

 ナリア王妃。
 その名はアロハンドの第一王妃の名である。

 しかし、アロハンドとの間に子が産まれず、そうこうしている間に若い側室のリアトが二人も子を産んでしまったので、子を産めぬ女と罵られて帝都を追放されたと言う。

 しかし、アッザムドは首を左右に振って「子供が産めない女だから追放されたのは間違いだ」と否定した。

 そして、彼はナリア王妃、追放の経緯を話しだした。

 元々アロハンド十五歳の時にナリアと結婚したが、二人の間にはどうも子が出来なかった。
 毎晩、行為におよんだのになんと五年経っても子が出来ず、アロハンドは焦ったのである。

 皇帝として子を残すのは第一。
 しかし子が出来ない。

 焦ったアロハンドは子が出来ない理由はナリアにあると激しく叱責し、元々苛烈な性格も相まって時には暴力までふるったのだ。
 そして、焦ったアロハンドは何名かの側室を迎え入れて行為に及んだが、やはり子は出来なかった。

 その姿を哀れみ、悲しんだのは誰であろうナリアだった。
 そして、アロハンドに子を残したいと思ったナリアは、なんと、アッザムドにその体を預けたのである。

 人倫にもとる行為だ。
 アッザムドも最初のうちは拒否し、ナリアと肉体関係を持つのは兄に対する酷い裏切りだとした。

 だが、日に日に狂っていくアロハンドを見ると、アッザムドもナリアの提案に乗らざる得なかったのである。

 愛は無かった。悦びも無かった。
 あったのはただ、哀れなアロハンドを助けたいという思いだったのだ。

 幸い、二人は行為一回で子を成した。
 そして、この事は二人の秘密にして、あくまでもアロハンドとの子が出来たとナリアは伝えた。

 その時のアロハンドの喜びようと言ったら……。
 アッザムドは強い罪悪感を抱く程だった。

 しかし、実を言うとこの不貞行為は、見回りの騎士に見られていたのだ。
 そして騎士からアロハンドへとその話は伝わった。

 アロハンドはどれほど衝撃を受けただろうか?
 だが、アロハンドは皇帝の血を残すという使命感もあったし、結局、弟と妻との間に子が出来たという事は、自分が種無しだという事実を認める事になるのでその話を聞かなかった事にした。

 聞かなかった事にしたのだが、やはり、弟と妻との間に出来た子を愛する事は出来なかったのだろう、アロハンドはその子を後宮の人目につかない所で育てる事にしたのである。

 それから十数年後には、後宮でスクスク育った子を皇帝直轄騎士としてアロハンドは配置させた。
 アロハンドの、自分の子では無いから身近に置きたくないが、我が子として後継者に据えねばならないから城の事を教えなくてはならないという葛藤が読み取れる。

 その後、二十年後も経って第二王妃であるリアトがアロハンドとの間にミルランスを設けたのだ。
 すると、アロハンドは今まで自分が子を成せなかったのが悪いと言い聞かせて我慢していた、弟と第一王妃に対する怒りが爆発した。

 ナリアを不貞行為で追放し、アッザムドを投獄して睾丸を潰した。
 そして、弟と妻との不貞で出来た子を追放したのである。
 しかも、その不貞の子は既に女中の一人と付き合っていて男児を一人産んでいたので、その男児も一緒に辺境の地へと追放したのだ。

 その時、アッザムドは、未開拓も同然の地にまだ幼い男児を追放しては生き延びられないと熱弁し、どうかその男児だけでも帝都に置いて欲しいとアロハンドに頼んだのである。

「貴様の孫が愛しいだけであろうが! 本来ならば貴様と一緒に子も孫も牛裂きの刑に処す所だが、弟のよしみで許してやると言っているのだぞ!」

 アロハンドはそのようにアッザムドへ鞭を打ち、アッザムドの子とそのまた子を冷酷にも未開拓の地へと追放してしまった。

「その子がまだ生きているならばあるいは、皇帝の血はまだ残っている」

 アッザムドは溜息をついてそう話すのだ。

 オルモードが「そ、その子はどこに行ったのですか!」と、その話を聞いて興奮気味に質問した。
 その子供も今ではいい歳だろう。
 皇帝として即位させるにはもってこいだ。

 だが、アッザムドは首を左右に振って「私は何も聞かされていない」と答えるのだ。

「それに、あの子達がまだ生きているのかも分からん」

 アッザムドは深く深く溜息をついた。

「なあ、もう私は疲れたのだ。屋敷に戻って良いかな?」

 アッザムドは疲れ果てていた。
 人生に疲れ果てて、夢も希望も無い世界を、せめてゆっくりと暮らして行きたいとささやかに願う老人の姿がそこにあるだけだった。
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