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7章・子の成長

友人

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 ラジートが貴族の息子の胸ぐらを掴んだパーティーから五カ月後。
 雪解けの季節。
 兵舎の広場では大量の資材が運搬されている。

 もうすぐ出陣。
 最終決戦なので、念入りに物資の最終点検だ。

 カイエンは馬に乗って、その準備の様子を観察していた。

 そんな時、物資を運ぶ兵へ指示を飛ばしていた将の一人が、カイエンに気付くと近づいてくる。

 その人へカイエンは「公爵自ら指揮を執るのですか」と驚いた。
 
 男の名前はニーゼン公。
 禿げ上がった頭と太った体が特徴。
 しかし、その太った体はかなり筋肉質だ。

 公爵であるが、役職は特にない。
 やる仕事が他に無いので、こうして現場指揮をしているのだろう。

 彼は元々、父の代から城内や市井(しせい)の書物から、王の文書作成の補助までの文書全般を取り扱う尚書武という役職に付いていた。
 また、その役職の特性上、当時の宰相の補佐に付く準宰相とも言う立場であった。
 しかし、反乱の折りに、あろうことかその父が反乱軍側に付いたのである。

 その後、ニーゼン公はルカオットの存在を知るやいなや、父の首を手土産に王都へ進軍する王国軍へすぐさま降伏したので、一時の迷いということにして爵位を保たれた。
 とはいえ、裏切った者は裏切った者なので、尚書武の立場を剥奪され、肩書きだけの公爵という立場に甘んじている。
 また、尚書武の時の知識を持っているので、王城に勤務をさせて貰えていた。

 このストレスが原因で髪の毛は抜け落ちて、体はどんどんと太った男である。

「パーティーの時は、私の倅(せがれ)がトンだご無礼を……」

 ニーゼンの息子は、あのラジートに胸ぐらを掴まれた少年である。

 カイエンは笑って、子供同士の事、お気になさらずと言う。

 あの日、あの時、ラジートが少年の胸ぐらを掴んだ時、ニーゼンは死ぬしか無いと思ったのだ。
 全身から血の気が引いて卒倒しそうになりながらも、急いで自分の子とラジートの間へ割って入り、「コレンスが失礼をしました」と頭を下げたのである。

 コレンスがニーゼンの息子だ。
 しかし、このコレンス、ムスッとして悪びれた素振りが全くない。
 ニーゼンはコレンスへ「頭を下げぬか!」と拳を振り上げた。
 カイエンは彼の拳を掴み、「事情も知らずに暴力はいけません」と止めたのだ。

 そして、ラジートとコレンスへ事情を聞いた。
 コレンスはムスッとしたまま押し黙っているし、ラジートは怒り任せな感情的言動だったので、全容はほとんど分からない。
 根気強くよくよく聞けば、どうやら、コレンスがカイエンとリーリルを侮辱したらしい。

 最初、子供達は、各々の親からザインとラジートと仲良くなるよう言われてたので、パーティーが始まれば、ザインとラジートは人気者もかくあるかという程に子供達に囲まれた。
 あれこれと両親の事を聞かれたので、ザインは気を良くしてカイエンとリーリルが素晴らしいかを語ったのである。

 曰く、カイエンは優しく、強く、普段は全く知的で大人しいのに、刃物を持った鬼ババアを素手で組み伏せてしまった。
 曰く、リーリルは穏やかで、それでいて元気だ。彼女は暇を見つけてはお菓子を作り、木の実を使ったそのお菓子は絶品で、メイド達ですら舌を巻いて作り方を乞うほどである。

 この話をラジートは隣で黙って聞いていた。
 ラジートは格好つけて、ニヒルを装っていた。物静かな男が、彼にとっての騎士像だったからである。
 しかし、そんなラジートは、両親の話に「良いなぁ」という子供達を見て、内心ではほくそ笑んでいた。

 そんな時、コレンスが「宰相様は自分の妻を働かせる甲斐性無しじゃないか」と言ったのである。

 最初、ラジートはあくまでもニヒルを装って、気にしてない素振りであった。
 一方、ザインが、何を言うんだとムッとしたのだ。

「何度でも言えるよ。お前のお父様は妻を働かせる甲斐性無しだ。それに、宰相は浮気をしているんだってぇ噂じゃないか。
 もしかしたら、お前のお母様も知らない男と付き合ってるかも――」

 瞬間、ラジートが彼の胸ぐらを掴んだ。

「もう一度言ってみろ」

 ラジートは、母リーリルが若い男に襲われても、カイエンに操を立てた事を知っている。
 父カイエンが、王様相手にリーリルへ義理を通した事を知っている。

 こんな偉大な両親が不貞を働いているなどともう一度言ってみろ。今すぐフォークをこいつの眼球に突き刺して、ナイフで喉を掻き切ってやる!

 ――二人の喧嘩はそう言う経緯であった。

 この話が出てしまったものであるから、ニーゼンは過呼吸を起こしかけてしまう程に焦った。

 間違いなく、侮辱罪で処刑だ。

 かくなる上は仕方ない。
 ニーゼンはマントを床へ敷き、膝をつこうとする。
 カイエンへ貴族式の謝罪で以て、自分と妻の首を幾らでも斬って晒して構わないので、コレンスだけは許して貰おうと思った。

 だが、コレンスが「そんな謝罪は止めてよお父様!」と、ニーゼンが膝を付こうとするのを止めたのである。
 これにニーゼンは激怒し、顔を真っ赤にしながら「誰のためにやると思っているのだ!」と怒鳴った。

 しかし、その様子を見たカイエンは思うところがあり、二つの木剣を持ってくるよう、近くの兵へ言ったのである。

 そうして、カイエンは騒ぎを観に来ていたルカオットへ、パーティーの最中ですが、一つ、スペースを借りさせて頂きますと言った。

 一体全体、何をするのであろう。
 誰もが疑問に思う。

 兵が木剣を持ってくると、カイエンはそれをラジートとコレンスへ渡して言う。

「子供の喧嘩とは言え貴族の息子同士。譲れない争いならば、正々堂々、剣で決着をつけようじゃあないか」

 これに貴族の皆々方、ほほうと感心したような声を出した。
 侮辱を簡単に許す事は立場上難しい。
 しかし、こんな子供の喧嘩で処罰は余りに可哀想。と、皆は思っていたのだ。
 
 ラジートは我が意を得たような気分で木剣を構えた。

 キネットとお姉様から戦い方は学んでるんだ。今こそ見せてやる。

 ラジートは自分の力を衆目に見せたい気持ちを少なからず抱いていた。
 そして、今がその時だと思う。

 ムスッとした顔のまま、コレンスも構えた。
 
 これに貴族達は興味深く見学する。
 その心は、宰相の息子が戦うぞという興味だ。

 コレンスの父、ニーゼンは祈っていた。
 コレンス、負けるんだ。負ければ許される。頼む、負けてくれぇ。

 ニーゼンは思う。
 これはつまり、宰相が暗に負けろと言っているに違いないと。
 しかし、この愚かな息子がわざと負けるだろうか?

 もう駄目だか分からないとニーゼンは絶望していた。

 そんなニーゼンほどでは無いが、他にも不安な気持ちを抱いている者は他にも居る。
 不安を抱くその人はリーリルである。

 彼女は、ラジートがキネットとサニヤから戦いの稽古を付けて貰っているのだと知っていた。
 だから、このままではコレンスをラジートが傷付けてしまうのでは無いかと不安になったのである。

「大丈夫。心配いらないよ」

 リーリルを見てカイエンは微笑み、「多分、ラジートが負けるからね」と囁いた。

 果たして、無様に床に伏せったのはラジートである。

 ラジートは、サニヤの戦いを真似て、跳躍しながら大上段より斬り掛かったのだ。
 これにコレンスはラジートの胸元を突き、体勢を崩させた。
 そして、剣を横薙ぎにラジートの右腕ごと胴を叩きつけたのである。

 ラジートは右腕を抑えてうずくまり、動かなくなった。

 右腕が折れている。
 しかし、ラジートが動かないのは痛みからでは無い。

 恥だ。

 まず、衆目で格好付けたばかりの攻撃をして失敗した恥。
 次に、せっかくサニヤとキネットが自分へ戦いを教えてくれたのに負けてしまった恥。
 この上に、痛みでのたうちまわる恥を乗せるのは、サニヤとキネットへの面目の為にも出来なかった。
 だから、歯を食いしばり、涙を堪え、ひたすら痛みを凌いでいたのだ。

 しかし、ラジートが負けたのも仕方ない話だ。
 なぜならば、コレンスは何年も前から既に父ニーゼンより剣稽古を付けて貰っていた。

 カイエンはそんなコレンスの手のひらに、剣を振ることで出来る剣ダコがあったのを見たのである。

 ラジートの師が良くても、所詮は一ヶ月にも満たない稽古しか積んでいないラジートが勝てる訳も無かった。

 しかし、それでもラジートは悔しさの余りに動けずにいる。
 あまりにもラジートが動かないので、人々は不安になる程だ。
 何人かの貴族は、宰相へのアピールだとばかりにラジートへ近寄ったのだが、ラジートは彼らの手を振り払って、ガバッと立ち上がる。

 そして、相変わらずムスッとしているコレンスへ、ラジートは「オレはローリエット騎士団に入団する」と言う。

「お前も来い。決着を付けてやる」

 コレンスは唇をツンと尖らせたまま、「俺は長男だからローリエット騎士団には入らない」と答えた。

 だが、ラジートは「逃げるな」とだけ言ってヨロヨロとパーティー会場を出て行ったのである。
 その後、ラジートは兵に医務室へと連れていかれた。

 その医務室でようやくラジートは泣き、医師はよく腕が折れていたのに今まで頑張ったと褒める。
 しかし、ラジートは痛くて泣いたのでは無い。
 悔しくて泣いたのだ。

 サニヤとキネットという腕に覚えのある人から戦いを教えて貰いながら、何も活かせる事なく同い年くらいの男の子に負けた。
 この悔しさたるや、筆舌に尽くしがたく。

 やり場の無い情けなさを感じていたのである。

 その日から、ラジートはより一層、稽古に励むようになったのだ。

 一方のコレンスも何か思うところがあったか。
 ニーゼンは額の汗を拭きながら「倅がローリエット騎士団に入団したいと言い出してまして」と、カイエンへ言った。

 カイエンはそんな彼へ「別に、長男を必ずしも父親が指導しなければならないわけでは無いでしょう」と言う。

 実を言えば、何も必ず長男が父親の弟子に入るとは決まっていない。
 例えば、リーリルの兄サマルダの、その長男と次男は、来年にローリエット騎士団へ入団する予定だ。
 サマルダは貴族となったが、彼自身は戦い方も礼儀作法も詳しくないので、貴族として息子へ教えることが何も無いのである。
 だから、息子を二人ともローリエット騎士団へ入団させるのだ。

 このように、何らかの事情があれば、何も父親が子を指導するわけではなかった。
 しかし、父親としては、子供へ自分が受け継いできた事を教えたいもの。

 ニーゼンは「もっと色々と教えたかったのですがね」と淋しそうに笑った。

「ですが……その、コレンスはラジート様に無礼を働くと思うのです。それか不安で不安で」

 コレンスは、ぽっと出で偉くなったカイエンが嫌いで、また、へこへこせこせことするニーゼンが嫌いだったのだ。
 
 俺のお父様は偉大なんだ!
 こんな情けない人じゃ無い!
 俺は偉大なお父様が好きだ。
 お父様が誇りを失うくらいなら、俺は死んだ方がマシだ!

 そう言う思いから、ザインとラジートの目の前でカイエンとリーリルを侮辱したし、ニーゼンがマントの上での謝罪を行う事を良しとしなかったのである。

 そのような具合なので、ローリエット騎士団へコレンスが入団しても、きっとラジートを侮辱するだろう。
 ニーゼンはそれを心配していたのだ。
 
 だが、カイエンは高らかに笑って、「だからこそ、コレンス君が良かったのです」と言う。

 これからラジートはローリエット騎士団で鍛えられ、様々な事を学ぶだろう。
 その成長に必要なのは、無条件で手放しに褒める下僕でも、意のままに動く奴隷でも無い。
 時に憎しみ合おうが、互いに切磋琢磨しあうライバル。あるいは、対等な相手が必要なのである。

 おべっかは人の心を曇らせ、揉み手は人の思考を奪う。
 結果できあがるのは、太鼓持ちという井戸に囲まれて威を張る愚かな蛙(かわず)なのだ。

 だからこそ、コレンスのような媚びへつらわない相手が必要であった。

「ラジートを打ち負かして、あいつの伸びかけた鼻を折ってくれたらと思いましたが、一緒にローリエット騎士団へ入団してくれるなら、これ程嬉しい事はないです」

 カイエンはそう言うのであった。

 想いを広げれば、コレンスの挑発に腹を立てながら頑張るラジートが見えた。
 果たして、ラジートはそのようになるか。
 はたまた、腐って努力する事無く日々を無為にしてしまうか。

 息子の成長を見たいとカイエンは思った。

 強い風吹く春。
 カイエン、いよいよ実兄サリオンとの決戦である。
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