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4章・大鷲は嵐に乗って大空へ

出逢

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 少年の足は石や草に切れて傷だらけ、泥だらけだ。

 手も泥だらけで爪の間に土が詰まっている。
 
 顔も泥まみれであるし、髪の毛も皮脂汚れでギチギチとしていた。

 明らかに浮浪児のような外見であるが、しかし、その服装は金糸で模様の描かれた黒いローブである。
 もちろん、このローブも泥だらけ擦り切れだらけなのであるが、浮浪児にしては明らかに高級なものだ。

 カイエンはその少年に声を掛けたいのであるが、少年がカイエンの手から逃れようとジタバタと暴れるので、とても話が出来る状態では無い。

 なんとかなだめようとした時、天幕の前に人の気配がした。
 このままでは少年の騒ぐ音が聞こえると思い、少年の手を背中へ回し、首を横へ回しながら地面へと押し付ける。
 少々乱暴な手段であるが、暴れようとすると関節が締まって痛むため、大人しくするしか無くなるのだ。

 しかし、カイエンが少年を大人しくさせたは良いものの、「カイエン様、火急の用にて失礼します。サルダラの兵長殿が急用にと来られました」と兵が入ってきてしまったのである。
 
 その兵はカイエンと少年を見て動きを止めた。
 で、あるが、問題はその兵よりも、その兵の後ろから別の人物が来ていた事だ。

 件のサルダラの兵長が「おい、早くしろ」と天幕の中へ入ろうとするのである。
 カイエンはまずいと思う。
 今、この少年とサルダラの兵を会わせる訳にはいかないと考えた。

 すると、兵がカイエンに背を向け「カイエン様は今、寝起きにて身支度を整えております。しばしお待ちを」と制したのだ。

 その兵がなぜそのような嘘をついたのか分からぬが、カイエンにとっては好都合てある。

 しかし、そのサルダラの兵長は「火急の用だといったろ。何を悠長な事を言うか」と、無理矢理にでも天幕へ入ろうとした。
 まったく強引な男であるが、本当に焦っているようにも感じられる。

 が、「我が主カイエン様は、公式の爵位をお持ちの名誉ある貴族であります。寝癖の頭やよれた寝間着にて他人と会えるような地位では無いと分かって頂きましょう」と、兵は機転を利かせて、カイエンの立場というものをハッキリと伝えると、サルダラの兵は舌打ちをして「どこの貴族も見栄ばかりか」と不服そうに言うのだ。
 きっと彼の主も、見た目や服装に拘る人間に違いあるまい。

 しかし、なんにせよ、カイエンはチャンスを得た。
 少年の耳元に口を寄せて「私はあなたの味方です。どうか落ち着いて天幕の隅に座っていてください」と、つとめて穏やかな口調で言った。

 少年は何とか大人しくなったので、カイエンはバッグより非常用のフラットブレッドを出して少年に渡すと、ゆっくりと手を離して解放する。

 少年は懐疑的な眼をカイエンへ向けるものの、手中のパンを見て腹が鳴ると、大人しく天幕の隅に腰掛けて、パンをもそもそと食べ始めたのだ。

「そこで待って頂ければ、他の食べ物も持ってきます」

 よほど腹が減っている様子なので、こう言っておけば、この少年が逃げ出す事もあるまい。

 なので、カイエンは大急ぎで着替えて、天幕を出て行った。
 あの嘘をついてくれた兵が何者であれ、そのチャンスを無駄にしないよう、大急ぎである。

 カイエンが出ると、天幕の外にはシュエンを始めとした兵達が、鎧を着て多人数用の天幕から出て来ていた。
 そして、カイエン達の天幕の前には二百から三百は居そうな軍兵がカンテラを掲げて、カイエン達を照らしている。

 シュエンはカイエンに気付くと「早くこいつらを何とかしてくれや。こう武装した奴らが居ちゃ、おちおち寝られねえ」と言った。

 自陣に、武器を持った連中が我が物顔で入ってきたら誰だっていい顔はするまい。
 特に、ゆっくりと寝ている時に来られたら、怒りもひとしおであろう。
 ゆえに、シュエンや兵達は今にもサルダラの兵達へ襲い掛かりそうな敵意に溢れているのだ。

 しかし、そんなシュエンを無視して「ようやくか」と、先ほどの兵長。

「どうされましたか?」とカイエンが聞けば、兵長は、サルダラで泥棒を働く子供が、富豪の家宝を奪ってサルダラを逃げ出したと言うのである。
  
「なので、怪しい子供を見ませんでしたか?」と聞いてきた。

 怪しい子供なんて、今まさに目の前の天幕の中に居るのであるが、「いえ、見ていませんね」とカイエンは白を切る。

 兵長は、子供はこっちへ向かった筈だというのである。
 足跡は草地で消えてしまったが、見回りをしていた兵が居るなら見たはずだと述べたのだ。

 カイエンはまずいと思う。
 なにせ、先ほどの兵に少年の姿を見られていたので、正直に話してしまうかもしれないのである。

「ええ。それなら、私は見ました」

 そして、ああ。
 先ほどの兵がカイエンの懸念通り、そのように言ってしまうのである。

「私は見回りをしていたのですが、草地を小さな影が走って行きました。犬か何かかと思ったのですが、その話を聞いて合点がいきましたね。そのこそ泥だって訳ですね」

 その話を聞いた兵長は目を輝かせて「それは! それはどこへ? どこへ!」と焦りからか言葉足らずに聞くのである。

「あちらへ」と、兵が指差した先は完全に明後日の方向。
 草原の広がる夜闇であった。

 兵長達は知りたいことさえ知れたら良いのか、感謝の言葉も謝罪の言葉も無く、まるでもう用なしだとでも言うかのように「よし、行くぞ」と兵達を率いて闇の中へと進んでいくのである。

 シュエンは舌打ち一つ、「眠りを邪魔しといて謝罪もねえのかよ」と鎧を脱いで天幕へと戻っていく。
 他の兵達も「ふざけんなよ」とか「眠いってのに」とぶつくさ文句を言いながら天幕へ戻るのである。

 そんな中、カイエンは先ほど嘘を付いてくれた兵を呼び止めた。
 彼も他の兵達と共に天幕へ戻ろうとしていたのであるが、カイエンが呼び止めると、不思議そうに振り返って「何でしょうか?」と聞く。

「なぜサルダラの兵に嘘をついたんだ?」

 カイエンはその兵が、なぜあそこまで機転を利かせてくれたのかが気になったのだ。
 なにせ、カイエンはあの少年をサルダラの人に隠したかったが、この兵はそんな事を知らない筈なのに隠してくれた。
 その訳が知りたい。

 すると、その兵は事も無げに「彼らが嘘を付いていたからです」と即座に答えたのである。

 サルダラの兵が嘘を付いていたとカイエンにはトンと分からず、その兵に嘘とは何か聞いた所、たかが子供の泥棒相手に衛兵では無く、兵長が率いる軍兵が二百も三百も探すのはおかしく、明らかな嘘であると答えた。

 カイエンはその聡明さに感嘆の息が出る。
 この兵士、鎧も鉄兜もブカブカであり、ブカブカの鉄兜がずり落ちてきて目元が隠れているため、まだ若い青年だと分かるのであるが、その若さでこの聡明さは、さすがのカイエンでも感心したのだ。

 だが、その兵は不安そうにもじもじとしながら「あのう。私、余計な嘘をつきましたか?」と聞いてくるのである。

 カイエンはいえいえと否定し、「そう言えば、僕の天幕へ報告に来たとき、少年の事を隠したね? それはなぜだい?」と聞く。

 確かに、先ほどの話は説得力があったが、それならばそれ以前の天幕における嘘はなぜなのであろうか?
 
  しかし、その質問に兵は不安げに、だって、カイエン様はいまだにマルダーク国に忠誠を誓っているのですから、あの方を守るのは当然ですよね? と言ったのだ。

 カイエンはドキリと心臓が鳴るのを感じながら、「あの子が誰だか知っているのか?」と聞くと、「もちろんです」と兵は答えた。

「マルダーク国王の末子か、あるいはマルダーク国王子ですよね?」と言ったのである。

 ズバリ正解だ。

 あの天幕にいる少年は、マルダーク国王が壮年に生んだ第八王子のルカオット・マルダークと言う。

 カイエンはルカオットの顔にマルダーク国王の顔の面影を見たため、マルダーク国王の子であると分かったのであるが、しかし、なぜこの兵士はマルダーク国王の子と分かったのであろうか?

「金糸といえば貴族ですが、黒い地味な色の生地は兄弟でも下の方だと分かります。
 また、普通の貴族の子ならば、あそこまでボロボロに逃げる必要も無い筈。つまり、それほどに命を狙われる身分の高さ。
 そしてマルダーク国王の在位した期間を考えたら、末子か、あるいは孫に当たる子かと思ったのです」

 彼は少しおどおどとした様子でそう言うのだが、これにはカイエンは舌を巻いた。
 これほどの博識と利発な人が、なぜ片田舎のカイエンの一兵卒に甘んじているのか、少々信じられない。 

 そして、彼ほどの賢き者なら、きっと自分の力になってくれるに違いないと思うのである。
 いいや、軍師のハリバーが弟子を探してたな。彼を引き合わせても面白いかも知れないなどと考えたカイエンは、その兵の名を聞いた。

 兵はブカブカの兜を脱いで「ラキーニと言います」と自己紹介する。
 
 茶色い髪の毛と態度通りの気弱そうな表情。

 カイエンはラキーニと言う名に聞き覚えがあった。

「もしかして、開拓村の」

 大人しくて影が薄い印象だったが、確かに開拓村にいた少年である。
 そう言われれば面影もあった。

 そして、ラキーニはサニヤより一つ年下だと思い出し、鎧や兜が妙にブカブカなのは彼が今年十三歳だからだと思い出したのである。

 カイエン軍は成人してからの入隊の筈であるが、なぜラキーニが入隊しているのやら。
 だが、そんな事はどうでも良いだろう。
 とにかく、サマルダが居ない以上、ラキーニは今のカイエンにとって心強い味方だ。
 なので、カイエンはラキーニに食料を持ってこさせて天幕へと入る。

 その少年は隅の方で丸くなって眠りこけていた。 

 十歳を迎えたか迎えてないかのこの少年は、恐らくよほどの危険と恐怖から逃げ回っていたのであろう。
 久しぶりに眠りにつけたと言わんばかりの態度であったが、ラキーニの持ってきた食べ物の匂いを嗅いだ瞬間、ガバと跳ね起きたのである。

 彼はカイエン達の姿を認めると、怯えた様子であったが、しかし、その眼は乾し肉やフラットブレッド等に釘付けであった。

「このようなものしか用意できませんが、どうぞお召し上がりください」と、カイエンが言うと、少年は貪りついて食べたのである。

 乾し肉を力一杯噛み千切り、パンを千切らず折り畳んで口へ突っ込む。
 そしたら羊の胃袋を加工した水筒から、水をこれでもかと飲み込むのである。

 ゴクンと食べ物を胃の中へ流し込むと、ようやく人心地ついたのか「なんで僕を助けてくれたの?」と聞いた。

「その前に、足の泥を落とさないと、病気になります」

 カイエンとラキーニは水筒の水を少年の足に流して、清潔なタオルで拭うのであるが、どうやら少年にはその親切が不気味なようで「あのう。誰かと勘違いしてませんか?」と聞くのだ。

「勘違いしてません。あなたはマルダーク王家のルカオット様ですね?」

 少年はその名を聞き、「なればこそ、なぜ?」と不可思議そうに言うのである。
 ルカオットは自分の首の価値を理解していた。
 なにせ誰も彼もが、反乱軍への手土産のためにルカオットの首を欲して追い回したのである。

 母も兄弟姉妹も次々と捕まり、処断され、付き従ってくれた騎士達も追っ手にやられてしまったのだ。
 ようやく生き残ったのは自分一人。
 今さら助けてくれる人なんて信じられぬ事である。

 しかし、カイエンは王国がどんなになろうが、マルダーク王家に忠誠を誓ったのであるから、その忠誠を裏切らないのである。
 そう、領主として領民を裏切らなかったように。あるいは、父として家族を裏切らなかったようにだ。

 カイエンはそう言う人間なのである。

 しかし、ルカオットを助けるとして、いかにして助けるかが問題であろう。

 カイエンはラキーニへどうすべきか聞いた。
 
 ラキーニは考え、ひとまずは味方にも内密にするべきと言うのだ。
 なにせ、ルカオットの首は価値が高い。
 金に目が眩んで裏切る者も居るかも知れない。

 しかしそれはカイエンも分かっている。
 だが、ルカオットを味方に隠しながらハーズルージュへなど戻れるものか。
 そこが一体どうすべきか分からぬポイントなのである。

 すると、ラキーニは、いっそのこと嘘を誠にしてしまおうと言った。

「嘘を誠に?」

 カイエンもルカオットも首を傾げたが、ラキーニは自分の替えの服を引き裂き、ボロにすると、それをルカオットのローブと着替えさせたのである。
 
 なるほど確かに、これで彼はもうマルダーク王家のルカオットでは無く、名も無き盗っ人小僧だ。
 これで金に目が眩む仲間は居なくなったと言うわけである。

 少なくとも、ハーズルージュへ進行する分には問題が無くなったのであった。
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