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1章・家族の絆

闘争

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 しんと静まり返る。

 空気が張り詰める。

 誰もが予想していたのは、カイエンがガリエンド家の主であるニルエドへ、肌の浅黒い子をはっきりと娘などと言わないだろうと思っていた。
 申し訳ない顔をして、へりくだるように頭を下げながら言葉を濁すだろうと予想していたのであるが、今ここに居るカイエンは堂々と胸を張り、面をしっかりと上げてニルエドを見ているのだ。

 あの落ち着き払って不敵に笑っていてサリオンでさえ、笑みを消してニルエドの様子を見ている。

 誰もがニルエドの言動を見ていた。

「なるほど」

 ニルエドは背もたれに深くもたれ、溜息一つ、カイエンを恐ろしい眼で見ている。
 だが、カイエンは彼の眼が怒りを込めている訳では無く、若干の失望を込めている事をヒシヒシと感じた。

 また、カイエンにとって失望を抱かれるくらいなら、まだ激昂された方がマシだった。
 よもやそんな悲しい眼を父がするなどとカイエンは思いもしなかったのだ。
 
 だが、それでも父に引け目を感じて迎合するような真似はしない。
 ニルエドが父として伝統と格式を持ったガリエンド家を守ろうとしているように、カイエンもまた父としてサニヤとリーリルを護ろうとしているのである。

 もはやこれは一種の戦争と言っても良いほどの状態であった。

「そうだ。私の妻と娘をちゃんと紹介してませんでしたね」

 そう言ってダイニングルームに集まった親戚一同を見回す。

「妻のリーリルです。私が領主を務める村の生まれでした。不甲斐ない私の事をよく助けてくれて、縁があり結婚する事になりました」

 リーリルがぺこりと頭を下げた。
 貴族式の礼が分からないので、これで良いのか分からないが、頭を下げないよりはマシだろうと思うのである。

 しかし……「礼の仕方も分からないのかしら」と聞こえて来た。
 やはり無礼な行いだったのかと、リーリルは顔を上げられず、カイエンに恥をかかせたと思う。

「村娘よ。あの日焼け後、醜いわね」

 また、リーリルは白い肌をしているが、やはり日中には外を出歩くことも多く、顔や手は日焼けしていた。
 貴族の娘は日に当たるような事をせず、清水のように透けるような美しい肌をしている。
 リーリルはもう顔を上げることは出来ないと唇を噛みしめた。

「それに見て。あの指。汚らしいわ」

 リーリルの白魚のようだった指は、洗い物のし過ぎで、ヒビが入って硬くなっている。

 リーリルは改めてその指を指摘され、恥ずかしくて恥ずかしくて、サッと背中へ手を回して隠した。

「カイエン様は奥様の指をどう思いますか?」

 リーリルは耳を塞ぎたい気持だ。
 なぜならば、カイエンの口から、この指が汚いと出たら、きっと死んでしまうかも知れない。

「妻の指をこうしてしまったのは私の責任です。しかし、私はこの指が好きですよ。だって、私を毎日支えてくれる働き者の指ですからね」

 カイエンはリーリルの手を取って、優しく握った。

 カイエンはリーリルの指が好きだ。
 リーリルの健康的な日焼け後もむしろ好きだ。
 リーリルの優しい笑顔、長い髪、引き締まって細い手足、全てが好きだ。

「少なくとも、部屋でぬくぬくと過ごして脂肪ばかりの指よりも好きですよ」

 カイエンが皮肉を言った。
 
 突然の攻撃的な発言。
 婦人方はざわつき、まあ! と怒りを露わにする。

 リーリルやサニヤも、まさかカイエンが皮肉を言うなどと思わなかったので驚いた。

 しかし、カイエンは温和な性格であるが、そもそも彼は戦の人である。
 十五で成人してから戦働きで名を立て、弱冠十九歳で王都近くの裕福な町の領主となった男だ。
 戦の人であるカイエンは妻を侮辱されて大人しく出来る程、卑屈な男では無いのである。

 だが、誰も彼もが怒りの表情でカイエンを睨み、この場の全員を敵に回してしまった。
 いや、全員と言うのは誤謬があろう。
 リーリルは嬉しさのあまりに羽化登仙の気分であったし、サニヤは口元を微妙に上げて、さすがはお父様と思っていた。
 少なくとも、カイエンの妻と娘は、このカイエンの軽率とも取れる行為を誇りに思うのである。

「もう良い。やめろ」

 ざわつく皆をニルエドが静めた。

 さすがに一族の主であるニルエドが制せば、皆は静まる。

「それで、妻は分かった。娘はどうなのだ」
「はい。こちらはサニヤ。私の娘です。今年六歳。森の中で拾いました」

 サニヤはムスッとして椅子に座っているが、紹介に与かったので、母に倣って椅子を立った。

「ふむ。やはり、もはやその妻との間の子ではないか」
「いいえ。この子の名付け親は妻のリーリルです。ずっとリーリルが面倒を見てくれました。そしてこの子は家族に見捨てられていた私の活力となってくれた家族に違いはありません」

 またしても皮肉である。

 公然とガリエンド家を批判したようなものだ。
 
 皆に戦慄にも近い緊張が走った。
 先程まで口喧しくがなり立てていた夫人達でさえ、当主のニルエドへ皮肉を言って大丈夫なのかと緊張するほどだ。

 誰もがその皮肉にニルエドが何と返すのか気になり、その返答を待つ。

 一方のニルエドは溜息をついて緊張を解いていた。

「そうかそうか。だが、頬かぶりは外した方が良いな」
「事情がありますので」

 妙にニルエドの敵対心が消えている。
 カイエンは訝しむと同時に警戒した。

「ふむ。まあ良い。村娘と拾った娘ならば、まあ良いだろう」

 うんうんと勝手に一人で納得している。

「カイエンよ。結婚したと聞いて不安であったが、妻も娘も家柄が良くなくて良かった。これで地方令嬢であったらややこしくもあったが。その者らを妾として、本妻にラクラロール嬢を入れるが良い」

 ニルエドは平然とカイエンへそう命令した。

 ニルエドはきっと、これが最良の策だとでも思っているのだろう。
 彼はそう言う人間だ。
 ある種に置いては、ガリエンド家の勢力拡大とカイエンの家族を護るという両方を解決する合理的な命令なのであろう。
 しかし、それはカイエンの思いを全く汲み取っていない命令でもある。

 この父はいつもそうだ。
 家族をガリエンド家の地位と名声を拡げる為の道具としか見ていないのだろうとカイエンは思った。

 そして、若い頃のカイエンは父のこの強引で合理的な所に押し負けていたが、今は違う。

「父よ。私はこのリーリルしか妻にする気はありません。愛する妻はただ一人、それが礼儀というものです」

 バンと机が叩かれ、一人の男が立つ。

 目をカッと見開いていて、眉に皺を寄せている。
 歯を良く食いしばるせいか顎が角張っていた。

 別に怒っている訳では無い。
 彼はよく怒るために、怒りの表情が顔に張りついているのだ。

「兄上……久しぶりに会ったのですから、手合わせを」

 ジッとカイエンをねめ付けて、太く静かな声で言う。

「ルーガ……」
「お手合わせを」

 彼はルーガと言い、カイエンの三つ年下の弟だ。
 このルーガの声は力強く、威圧的で有無を言わさぬものであった。

 なぜこのタイミングで手合わせを申し出たのかは分からないが、ニルエドが頷き「手合わせをするが良い」と言ったので裏庭へと出ることとなった。

 裏庭は真っ青な芝生が綺麗に刈り揃えられている広い場所だ。
 手合わせをするにはちょうど良い場所で、カイエンとルーガは木の訓練用剣を持って裏庭へ出る。
 他の全員は廊下の窓から裏庭を見学している。

「兄上。お構え下さい」
「お手柔らかに頼みます。昔からルーガには勝てなかったですし、しばらく戦いから離れてましたからね」

 カイエンはそう言いながら構えた。
 正統派な中段構えの、いわゆる晴眼の構えである。
 しばらく戦いから離れていたと口では謙遜しつつ、その構えに一分の衰えも見せぬ隙の無い姿勢である。

 しかし、衰えの無いカイエンであるが、この三歳年下の弟に一度も勝ったことが無い。
 カイエンどころかサリオンでさえ勝ったことが無い。
 少なくともルーガが十三歳の時には、カイエンやサリオンどころかもう誰もルーガに勝てない程の強さであった。

 現在、猛将ルーガと言えば、知らぬ者居ないほどの強者である。 

 そのルーガは剣を中段よりやや高めに持つ独特の構えでカイエンに相対した。

「兄上。聞きますが、父上の言葉を聞く気はありますか?」
「いや、無いです」

 瞬間、ルーガの訓練用剣が雷の如く振り下ろされ、カイエンの剣先を叩き下げた。

 隙の無い構えに隙が出来る。

 容赦なく剣がカイエンの喉へ叩き込ませた。

 カイエンは、喉を叩かれて、呼吸が一瞬止まり、脳への血液も一瞬止まり、視界が白黒となりながら地面へ無様に倒れる。

「う、腕を上げましたね」

 カイエンはそう言いながら咳き込む。
 もしもカイエンが本当に戦いから離れ、その平和にかまけていたら、今頃頚椎をへし折られて死んでいた。
 実際のカイエンは村を守る領主として、いつ魔物や盗賊が来ても良いように鍛錬に励んでいたため、首の筋肉によって紙一重で一命を取り留めたといったところである。

「兄上。まだ手合わせは終わってません。お立ち下さい」

 ルーガはカイエンを冷たく見下ろしていた。

 冷たい眼だ。
 冷たい眼で見下ろし、冷たい口調で言うのだ。

 カイエンは溜息をついて、やれやれと立ち上がる。

「もう一度聞きます。父上の頼みを聞く気はありますか?」
「いいえ。無いです」

 瞬間、額へ鋭く剣が振り下ろされた。
 直後、返す刀でカイエンの顎を打ち上げ、またしてもカイエンは無様に倒れる。

 額からドロリと血が流れ、舌を切って口から血が出た。

「兄上。お立ち下さい。まだ手合わせは始まったばかりですよ?」

 この『手合わせ』はカイエンがニルエドの命令を聞くと言うまで続くのだろう。

 カイエンはクククと笑うと、立ち上がって剣を構える。

 まったく奇妙な事だ。
 なぜカイエンは笑えるのだろうか。

 ルーガはカイエンの笑いを訝しんだ。
 その訝しい気持ちを表情にも出さず、カイエンへもう一度聞く。

「父上の頼みを聞く気になりましたか?」と……。

 カイエンは不敵に笑いながら「いいえ」と答え、木の剣で思いっきり殴られるのだ。

 この『手合わせ』は、本当にカイエンが首を縦に振るまで続くのか、十回以上も続いたのである。

 さすがに十回以上も殴られれば、カイエンの片瞼と頬は腫れ上がり、唇も舌も切れて血だらけであった。
 手首も幾度となく籠手を喰らって、折れたのでは無いかという程に赤く腫れ上がっている。

 まさに満身創痍という状態にも関わらず、カイエンは立ち上がり、ニヤリと腫れ上がった顔で笑みを浮かべるのだ。
 
「もう一度聞きます。父上の命令を聞きますか?」
「いいや。きけませんね」

 今まで、無表情に業務的だったルーガの眉がピクリと動いた。

「なぜそこまで意固地になりますか? 死にますよ。例えここで死ななくても、この国の貴族がメンツの為に兄上を殺す事になるでしょう。そんな結末を兄上の家族も望みますか?
 妾でも何でも良いじゃ無いですか。少なくとも、ここで意地を張るよりは、よっぽど幸せな未来が待っています」

 ルーガは喋った。
 この男は生来無口であったが、しかし、喋った。
 一年分は喋ったでは無いかという位に喋ったのである。

「ルーガの言うことは正しいだろう。でも、僕は何があってもリーリルとサニヤを守り抜く。理屈じゃ無いんだ。心なんだ」

 ルーガはカイエンの言葉を噛み締めるように、少しだけ目を瞑った。

 そして、カイエンの言葉を理解したのか、カッと眼を見開き、剣を頭上に構える。

「せめて、ここで葬るのが兄への配慮と理解しました……ご免!」

 ルーガの持つ剣先が消えた。
 本当に、あまりの速さに眼で追えないのだ。

 これだけの速さならば、カイエンの脳天を叩き割り、即死させることなど容易いであろう。

 その瞬間、ガッと木と鉄がぶつかる鈍い音が響いた。

「お父様をいじめるな!」

 サニヤが跳躍し、ルーガの剣を鉄の剣で弾いたのだ。

 鉄の剣と言っても刃が付いている剣では無く、屋敷の廊下に飾られている装飾用の剣だ。
 重いだけで切れ味は無い。

 サニヤはカイエンの窮地に屋敷の装飾用の剣を持って助けに来たのである。

 ルーガはそんなサニヤに弾かれた剣を素早く振り戻す。
 そしてサニヤの剣を弾いた。

 サニヤは空中に跳んでいたため、踏ん張りもできず、弾かれた拍子にバランスを崩して地面へ倒れた。

 そんなサニヤを尻目にルーガはほんの一瞬、自分の右手を見る。
 剣を握っていた右手は痺れていた。
 そして、ルーガは自分の剣を弾かれた時のサニヤの眼を思い出す。

 恐ろしい眼だ。
 本当に殺意が籠もっていた、戦鬼のような恐ろしい眼であった。
 子供の眼では無かった。

「邪魔立てするなら子供でも殺す」

 ルーガは目をカッと開いた。

 ルーガは感情を面に出さないが、怒ったときだけ、目を思いっきり見開く癖がある。
 しかも、ルーガの怒りは突如湧き出す間欠泉の如き怒りだ。
 誰もルーガの怒りをコントロール出来ない。怒った彼は間違いなく、子供でも殺すだろう。

「ルーガ! やめろ!」

 ルーガがサニヤへ剣を振り下ろそうとした時、今度はカイエンがその剣を弾いた。

 ルーガの木の剣は鈍い音をたてて根元からポッキリ折れる。
 そして、宙を回転すると地面へ落ちた。

 恐らくはサニヤの一撃で芯が折れていたのであろう。
 そこへカイエンの一撃を喰らい、へし折れてしまったようだ。
 
「サニヤに手を出すと言うなら、僕も黙ってはいない」

 カイエンがルーガを睨む。

 ルーガは何も言わずに構えを解き、両手をダラリと下げて脱力した。

 そして、目を閉じると、鼻で深く息を吐き出して、ゆっくりと目を開ける。

 その眼はいつも通りの開き具合であった。
 少なくとも、もう憤怒に支配はされてないようだ。

「今回の手合わせ、私の完敗です。兄上」

 ピシッと礼をすると、キビキビと歩いて、折れた木の剣を拾い、またキビキビと歩いて屋敷へ戻っていった。

「私の完敗です」この言葉が示す意味は、つまり、カイエンを父に従わせようとすることを諦めたという意味に他ならない。
 カイエンは勝ったのだ。

 この勝利によってカイエンが苦難の道を進むことになろうと、少なくとも、カイエンは勝ったのだ。

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