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1章・家族の絆

血縁

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 出発から半月近く。

「着きましたよ」

 御者席に座る密使の男が言う。

 彼は道中に着替え、郵便屋の格好から黒い執事服になっていた。
 どこからどう見ても貴族の馬車を牽く使用人だ。

「カイエン様。お忘れ無きよう。御者はこのバンドラですよ」

 人を見下す眼の小太りなバンドラは、態度の割に確かに優秀だったようで、予定よりもだいぶ早く王都へ到着した。
 
 王都ラクマージと呼ばれるその都は大きな大きな城壁に囲われている。
 城壁に負けず劣らずの大きな城門は夜間と戦中を除き常に開放されていた。
 なぜならば、ラクマージの周囲には、首都もかくあるやという程の大きな町々があり、その町との往来が盛んであるため、人が来る度に一々と門を開け閉めしてる余裕など無いほどに人が行き来するからだ。

 また、都会の生活や仕事を求めて、遠方より人々も集まるため、ますます人の往来が激しいのである。

 馬車が開け放たれている城門からラクマージへ入れば、建ち並ぶ家々と、活気に湧く人々。

 サニヤもリーリルも、こんなに家と人が大量にある景色をまるで見たことが無いので、感嘆の声を漏らして窓から外を見ていた。

 カイエンはそんな二人を見ながら、心底安堵の息を吐く。
 この道中、カイエンの心配をよそに何も問題は無かったからだ。
 いいや、むしろ、ほのぼのとした旅であった。

 道端に見える鮮やかな花。
 行商(キャラバン)の牽いている見たことがない積荷。
 草原に立つ鹿の親子が、珍しそうに馬車を見ている。

 そのような景色をリーリルは、あれは何だろう。これは何だろう。あっちを見て。こっちを見て。と笑いながらサニヤに話していた。

 かつて、リーリルが小さい時に赤ん坊のサニヤをあやしていたような景色だ。
 もちろん、昔とは違って、サニヤはどこか接しづらそうにしながらも、決してリーリルを無視すること無く、リーリルの指差す先を見ていた。

 カイエンはそんな光景が懐かしくて懐かしくて、涙に目を潤ませながら二人を見ていたのであった。    

 サニヤは二人に積極的に話しかけたりはしないが、時々には笑みも見せるし、応答もする。
 もはやかつての冷え切った関係では無かった。

 そんなカイエン達を乗せた馬車は王都の中心へ進み、ある大きな屋敷の前で車軸を軋ませながら停まった。

 ラクマージは王城を中心に幾つかの区画に分かれている。
 中心のラクマージ城。
 それを囲むように貴族区。
 さらにその周囲に豪商の住まう商業区。
 そして、さらに周囲を平民と普通の商人が住む住宅区となっていた。

 貴族区はラクマージ城に勤務する貴族の他、周辺地域へ領主として派遣されている貴族達の王都での住まいもある。
 今回、カイエン達が到着した屋敷はそんな住まいの一つだ。
 剣と大鷲と獅子の描かれた盾が扉の上に掛かっている。

 ガリエンド家の一族が王都へ招集された際に用いる家だ。

「ここがあなたの実家なのね」

 三階建ての大きな家。
 真っ青な屋根瓦。
 整えられた庭と獅子の顔があしらわれた玄関。

 威圧感のある荘厳さを感じ、リーリルは少しばかり気圧されていた。
 
「実家……では無いんだけどね。ガリエンド家は代々、王都を守る家系だ。この家は王都へ訪問した時用の駐留地と言った所かな」

 ガリエンド家は王都西の町の領主で、西端の領土で戦争が起こると、後詰めとして兵を率いて出陣するのが主な任務である。
 なので、カイエンの両親が住んでいる家は西方の町であった。

 カイエンもかつては、王都のすぐ西側にある町の領主であったが……。

「さて、行こうか」

 王都に近い栄えた町の領主から左遷されたが、お陰でサニヤとリーリルという至宝に出会えたのだから、何も後悔する事無く、カイエンは二人を連れて屋敷のドアノックを叩いた。

 すぐに扉が開き、鉤鼻に老眼鏡を乗せた皺の深いメイドが出てくる。
 鋭い眼光でカイエンを睨んだ直後、カッと目を見開いた。

「やあ。ラサニッタ。随分と老け込みましたね」
「お坊ちゃま!」

 口を押さえて感激したように叫ぶと、すぐに胸をトントンと叩いて気分を落ち着けようとする。

「ああ。失礼しました。私としたことがついつい取り乱してしまいました」

 貴族のメイドとして、騒がず、お淑やかに優雅に居なければ主人の名誉に関わるというもの。
 なので、ついつい大声を出した事を謝罪した。

「しかし、お坊ちゃま。ご立派になられまして……。十年も前には子供らしさも残っていたというのに。よく成長されました」
「ラサニッタは白髪が目立つようにならましたね。今はメイド長でしょうか?」
「ええ。ええ。もちろん。随分前からですよ。若い子にメイド長を譲って引退したいのですがね、最近の若い娘はどうにも気立てが悪くて……。いえいえ、私の事より、どうぞお入り下さいませ。皆様お待ちかねですよ」

 ラサニッタは扉を大きく開けて、カイエン達を中へ入れようとし、そこで初めてリーリル達に気付いた。

 そして、リーリルのお腹が細い四肢の割に膨らんでいるのを見て、すぐに妊娠だと判断する。
 この状況で身籠もっている女性など、カイエンの妻に違いないと推察した。

「パーリル。ヤェロゥ。来なさい。カイエン様の奥方様です。見てないで丁重に迎えなさい」

 ツンとした態度で命令を飛ばすと、玄関横に迎えのために並んでいたメイドの中から二人がやって来た。

「あ。そんな、お気遣い無く。私は……そのような、えっと……」

 二人のメイドがリーリルの両脇に立ち、共に歩こうとしだす。
 倒れたりしないように警戒する役目だ。
 カイエンの夫人ではあるが貴族の扱いなど受けたことのないリーリルは困惑し、遠慮した。

 そんなリーリルへカイエンは「気にしないで大丈夫だ」と言う。
 この行為は訪問した夫人に対して、あなたを歓迎しますよという儀礼の意味合いの方が強いのであるから、遠慮は無用であった。

「ところで、カイエン様。あちらの子は?」
 
 そっと耳打ちで、サニヤの事を聞いてくる。

「ああ。僕の娘です。気にせず通して下さい」

 ラサニッタは眉をひそめた。

 伴侶に関しては、十年もの長い間独り身というわけにもいかずに結婚する事もあるだろうから、ちゃんとした家柄の相手でなくても結婚したのは分かる。
 だが、ラサニッタはサニヤがちょっと分からない。
 なぜ肌の色がまるで違う子が娘なのか全く分からないのである。

「何か問題でもありましたか? ラサニッタ」

 しかし、カイエンがまるで気にも留めないように言うので、ラサニッタは触れてはいけないと思い、サニヤもカイエンの娘として通すことにした。

「パラー。カイエン様の娘様を案内なさい」

 またメイドが一人やって来て、サニヤの前についた。

 サニヤは自分がお姫様にでもなったような気分で、満足げににやついているのであった。

「さ、こちらへ」とラサニッタが三人を案内する。

 玄関には五人ばかりのメイドが並んでいて、三人が通ると頭を下げた。
 その五人以外にも、忙しそうに歩き回るメイドがおり、彼女たちもカイエン達が通ると廊下の隅によって頭を下げる。

「数日前より、カイエン様の為に皆様お集まりになりました。ご一族がお集まりになられるのは一体何年ぶりでしょうか? 三年前に旦那様がご昇任なさったときにはカイエン様はいらっしゃいませんでしたから……」

 ラサニッタは本当に嬉しそうにカイエンへ話をしていた。

「父上が昇任? 初耳です」
「はい。カイエン様もお気付きでしたでしょうが、ご勘当も同然の扱いでしたので、報せる必要も無いとなっていたのです。旦那様は防府公から防府太尉への昇任でございます」
「そうか。それは喜ばしい事です」

 防府とは王都の守りを行う者の事で、ガリエンド家は代々防府の役職に就いている。
 ようは国防の要として認められて昇進したという事だ。
 また太尉に任命される者は十人と居ない。大変に栄誉な事なのである。

 そして、公が将軍職なのに対して太尉は宰相の位であり、カイエンの父が戦働きの出来ない歳であり、王の補佐として戦争を司る事を意味していた。

「カイエン様が喜んで頂けるなら、旦那様もきっと嬉しい事でしょう」

 ラサニッタはクスクスと笑いながら歩き、そして、ダイニングの前で足を止めた。

「こちらへ皆様お集まりになられるのをお待ち下さい」

 そう言ってダイニングの扉を開ける。

 そこはダイニングと呼ぶことすらはばかれるほどに広い部屋である。
 真っ白なシーツの掛かった長机。
 大量の椅子。
 机の中央には均等に置かれた燭台。

 ダイニングというよりも、パーティーの会食場とでも言えようか。
 サニヤが広い広いと喜ぶが、リーリルは自分は場違いなのではないかと気圧されていた。

「僕達は手前の席に座ろう」
「座る椅子が決まってるの?」
「ああ。そうだよ。偉い人から順番に奥から座っていくんだ」
「ええー」

 サニヤはただ椅子に座るのにも順番があるなんて、面倒くさいと思って不服の声を漏らした。

 椅子に座る事に順番なんて意味が分からないのだ。

 納得出来ない事に頬を膨らませて駄々を捏ねるまったく子供らしい態度である。

 そんなサニヤをニコニコと微笑んで見ているリーリル。

「サニヤも貴族になるんだから、慣れなくちゃダメよ」

 そんな事を言う彼女も、実の所、椅子の座る順番というものに不安を感じていた。
 椅子に座るのでさえルールがあるのだ。
 一体、貴族というものの日常にどれだけのルールが敷かれているのか。

 リーリルは内心、カイエンの妻としてやっていけるのか不安であった。

 その時、扉が開いて人が入ってくる。

 一、二、三……十名以上は入ってきた。
 中にはカイエンに似た顔の人も居る。
 とはいえ、カイエン程に柔和な顔付きのものは居らず、皆一様に凶相が現れていた。

 部屋に入ってきた彼らの反応は様々で、カイエンを無視する者。
 少しばかり頭を下げる者。
 ニヤリと笑って軽く手を上げる者。

 様々な反応だ。
 また、かなり若い者を除いて、殆どの者は夫人を同伴させている。
 その夫人はいずれも、真っ赤や真っ黄、青や緑といった派手なドレスに包んでいたが、アクセサリーに関しては、胸に薔薇をあしらった飾りだけであったり、慎ましやかな指輪であったりと、ドレスの派手さに対して随分と地味な具合であった。

 また、サニヤと同い年位の少年も居る。
 誰かの息子だろう。ほのかにカイエンと似ている所がある少年であった。

 屈託の無い顔でサニヤに近づくと「君はガリエンド家?」と聞く。
 サニヤは何だか、顔が火照るような感覚に襲われながらコクりと頷いた。

「ボクはサナリー。君は?」
「サ、サニヤ……」
「何だか似ている名前だね。まるで運命の出会いだ」

 サナリーはサニヤの手を取ると、手の甲に口付けをする。

「な、何をするの!」

 突然の事に驚き戸惑い、サニヤは手を素早く引っ込めた。

 この態度にサナリーは困ったように整えられた眉を八の字にすると、口髭を生やした一人の男を見る。

 その男はサナリーの父親だ。
 サナリーは貴族式の男から女への礼を習った通りにやっただけなのだ。
 完璧にやったのに怒られてしまい、話が違うよ父様と思ったのである。

「サナリー。気にするな。その子はガリエンド家の者じゃない。そもそも貴族ですらないからな。お前の礼は完璧だった。物を知らぬ教養がない方が悪い」

 サニヤはガリエンド家のものじゃないと言われ、憤慨すると同時に、サナリーがただ貴族式の礼をしただけなのに意識した自分が恥ずかしくて恥ずかしくて顔から火が出そうになり、俯いた。
 
 カイエンはそんなサニヤの肩を抱き寄せる。

「サリオン兄様。私の娘に酷い言い様では無いですか」

 サナリーの父はカイエンの兄で、サリオンと言う名であった。

 サリオンは鼻でフッと笑うと「お前はガリエンド家の名声を落とすつもりのようだな」と言い、サナリーへ向かって「こっちへ来なさい。品位の劣る相手と接すると、自分の品位を下げてしまう」と言うのである。

 そしてサリオンは静かに目を瞑り、何でも無いかのように口元に笑みを浮かべた。
 一方のカイエンは相変わらず柔和な顔でいる。
 二人とも何のことは無い顔なのであるが、しかし、この二人の間に何とも言えぬ不穏な空気が流れた。
 その流れる何とも言えぬ険悪な空気がダイニングを支配し、ダイニングに居る全員が気まずそう顔や居づらい顔をするのである。

 そんな不穏な空気のダイニングルームに、最後に一組の男女が入ってくる。

 白と黒の混じる鬚は胸元まで長く、同じく白と黒の混じった髪を後頭部に纏めている男。
 目元の鋭い壮年の男は、どこかカイエンを彷彿とさせる精悍さに溢れていた。
 彼の連れる女性は、もう顔に皺がだいぶ見えるものの、非常に堂々と胸を張っているために、それ以上の威厳を感じさせる女性で、ネックレスやブレスレット、胸には小鳥と椿の装飾品を付けている。

 常識として、女性は三十歳を越えて大人として一段階成熟したことを認められて初めて派手にお洒落をして良いと言われているのだ。
 なので、この派手な装飾は彼女が三十歳以上の年齢であることを示していた。

「父上。母上。会いとうございました」

 そう言ってカイエンが立ち上がる。

 そう、彼らはカイエンの両親だ。

「随分と……揉めていたようだな?」

 父、ニルエドはサリオンとカイエンを交互にギラリと睨みつける。

 心の奥底まで冷えそうな程に恐ろしい眼だ。

 しかし、サリオンとカイエンは涼しい顔をしたまま「いえ、久しぶりに会った兄弟の挨拶です」と慣れた様子で答えるのみである。

 ニルエドは、まあ良いと前置きして妻を座らせてから自分も座る。

「カイエン。お前は今日の主役だ。こちらの席へ来い」

 ニルエドは自身の隣の空席をトントンと叩いた。

 だが、カイエンは首を左右に振り、「椅子が二脚ほど足りませんので、こちらで構いません」と答える。

 ニルエドの隣の席は一脚のみ。
 これではサニヤもリーリルも、カイエンの隣に座れないのだ。

「ふむ。その二人か。片方はカイエンの妻か? しかし、そちらの娘は何者だ。小間使いか?」
「いいえ」

 カイエンは相変わらずの涼やかな笑顔でニルエドを見ている。

 しかし、実は、緊張で心臓はドキドキと鳴り、汗が少しずつ浮き出ていた。

 父ニルエドは見た目の通りに恐ろしい人物だ。
 憤怒に身を任せる事はしないが、常に攻撃心を蓄えている威圧的な人なのだ。
 それに、カイエンの両親は模範的な貴族であり、格式を重んじ、伝統の継続を是とする人である。

 そんな二人へ、明らかに自分の血が流れていないサニヤが娘だと言うのは、非常に言いづらい事だ。
 だが、言わねばならぬ。
 サニヤがカイエンの娘である以上、言わねばならぬ事なのだ。

 息を深く吸い込み、意を決する。

「この子は私の娘です」

 言ってやった。
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