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閑話休題

皇太子 アンドリュス・マース・ヴァルマ ④

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「……ところで、ブライトル。今のマスターランクは何になる」

 肩の力を抜いて、背もたれに背中を預けた陛下が微笑む。先ほどまでの張り詰めた空気が一気に霧散する。
 ブライトルは居住まいを正すと、どこか控えめに言った。

「来月にでもイエローを拝する予定です」
「その年でか……。よくやった。褒美を遣わす。なんでも望むものを言ってみなさい」

 陛下――父上が目尻を緩ませる。イエローランクなど、一生をかけてもなれない者が多いくらいだ。文武両道で誇りに思う。きっと、父上も同じだろう。

「ありがとうございます。――実は、心より欲しい物が一つございます」
「ほぅ? 面白い。申してみよ」

 そこでブライトルは一度口を閉じた。覚悟を決めるような、何かを始めるような間が開く。
 違和感を覚えた。きっと父上も、側近もそうだったに違いない。何にも大きな興味を示したことのなかった彼が欲しがる物とは何なのか、一瞬でも良い淀むほどの物に好奇心を刺激される。

 ああ、これか。と分かった。きっとこの後、彼は波乱を巻き起こす。ブライトルが美しい笑みを浮かべる。

「……僭越ながら申し上げます。私が欲しているのはエドマンド・フィッツパトリック。フィッツパトリック元帥のご令孫です」
「取り込むことは難しいのか」

 聞き返した父上も、気付いている。ブライトルの言う意味は、そうではない。

「――伴侶に迎えたいと考えています」

 その場がシンと静まり返った。雷が落ちたかのような一瞬の間。

「ブライトル……」

 許可なく発言しない方がいいけれど、つい名前を呼んでしまっていた。このような状況では誰も咎めたりはしないだろう。表情に出さないのが精一杯で、私は勿論、父上も内心は多少なりとも困惑していたはずだ。

「フィッツパトリック……。ニュドニアの鋼鐵か。元帥とはいえ市民の、しかも男子と、か」
「はい」

 さすがの父上も表情が硬くなる。私は二人を注意深く見守った。

「――理由を聞こう。ただの酔狂じゃ済まない話だぞ」
「彼を愛しております。様々な可能性、対応を検討した上で、今ここで発言をお許しいただいております」

 例えば愛人にするとか、そもそも相手のことを諦めるとか。必死に考えただろう全ての可能性ではダメだと、そう判断したということだ。
 本気なのだ。ブライトルは本気でフィッツパトリック元帥閣下のご令孫を娶ろうとしている。しかも、そのための行動をすでに起こしている可能性がある。このタイミングで発言したのは、虎視眈々と狙っていた結果だろう。

 しかし、いくらトーカシア国で同性婚が許可されていたとしても、王族が行ったは前例はない。どうしても次世代を期待されるからだ。

「そうか」
「家格については、彼を我が国へ帰属させようと考えております。養子先はチャックボーティ家かオルティアガ家辺りが妥当だと考えております」
「よい」
「父上」
「今はお主の父ではない」
「――国王陛下」
「認めることはできない」
「陛下……」
「ブライトル、この話はここで終わりだ。褒美は他の物を考えておきなさい。――話は以上だ」

 とうとう父上は陛下の顔になってしまった。こうなっては、臣下の私たちにできることはない。ブライトルを気にかけながらも、私たちは執務室を後にした。


 我が国の行く末については数日後に議会へかけられ、数度の論争の後、正式にニュドニア国の支援に回り、同盟を組むことが決まった。ブライトルが帰国して、すでに三ヶ月が過ぎていた。

 その間、ブライトルは決して元帥閣下のご令孫を諦めなかった。私から見ても恐ろしい執念だった。

 あるときは家族全員が揃った食事の席で気難しい顔をしていた父上へ問いかけた。

「父上、お食事が余り進んでいないようですが、どうされましたか」
「お前がそれを聞くのか、ブライトル。何を言っても許可するつもりは無い」
「父上。確かに彼はニュドニア国では一般市民の扱いですが、血筋は由緒あるものです。何より、かの有名なニュドニアの鋼鐵のご令孫。家格に大きな問題はないかと存じます」

「家格の問題ではないことは分かっているだろう」
「はっきりとおっしゃってください」
「我に言わせたいのか」
「私は何一つ問題のない相手だと信じておりますので」

 二人のやり取りのせいで緊張感の増してしまった食卓を和やかにするため、末の弟がかなり苦心したことは記憶に新しい。

 また、あるときは議会が終わるや否や唐突に陛下へ進言した。まだ誰も席を立っていない。他の者にも聞かせるつもりの発言だった。

「陛下。恐れながら申し上げます。後ほど、王位継承権についてご相談出せていただきたく存じます」
「ブライトル……」

 はっきりと継承権放棄の件と言わなかったのは彼の周到さだろう。しっかりと空気を読んだ上で、ある程度の波風を立てている。議会まで巻き込んで。
 陛下、――いや、あのときの雰囲気はもう父上と呼ぶべきだっただろう――は珍しく疲れた顔を見せた。しつこすぎない程度に、忘れられない程度に。折を見て、手を変え品を変え。ブライトルは父上の了承を得ようとした。

 だから、見かねた私が声をかけても誰も止めようとはしなかった。

「陛下、少しよろしいでしょうか」
「ああ」
「私もブライトルの選択には疑問を持っています。伴侶に他国の、しかも男性を選ぶのは余りにも無責任と取られる」
「……そうか」
「私としては、やはり男性だということに関して不安がありますが、陛下はどのようにお考えでしょうか」
「なるほど。お前は、ブライトルの選択を肯定するか」

 私は眉を下げた。遠回しに少しでも彼のための後押しができればと思ったけれど、陛下には見透かされていたようだ。本当は、私が否定することで少しでも前向きな言葉を引き出せたら、と考えていた。

「率直に申し上げて、現状男性だということ以外には欠点が見られない状態です。そして、男性であることすら、もう問題ではないように考えております」
「続けなさい」
「王族での前例を出すことで、市民の戦争への反発を抑える効果は期待できます。また、ブライトルを擁立しようとする勢力も抑えられる。唯一の難点はあれだけ優秀な男が王位継承権を放棄するつもりでいることでしょう。ですが、今なら」
「あいつの気持ちを留めておける、か?」

 私は深く頷いた。

 そして、とうとう父上は折れた。メリットがあったとは言っても、もしかしたら一人の父親としての気持ちもあったのかもしれない。
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