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第三章【三夏を渡った先に】

始まる夏③

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「分かった。では、この話は保留にしよう」

 誰かと違って切り替えが早い。あっさりと輝一郎は体を起こした。

「そうしてくれ」
「さて、じゃあ話を戻そう。君の今後についてなんだけど」

 真詞は黙って頷いて先を促す。

「我が家に修行に来て欲しい」
「は?」
「俺が術をかけて神に見つかりにくくすることはできるが、それは持って数日だ。切れるたびにこういう時間を作るのは余りにも効率が悪いだろ。だから、いっそ我が家で修行して」
「断る」
「――そうか。なら、こちらも今日は引こう。でも、この話については諦めるわけにはいかないんだ。そのつもりでいてくれ」

 本当に引く気の一切なさそうな目でこちらを射抜く。普段は眼鏡で隠されているけど、きっとこの強さが彼の本性だ。
 真詞は精一杯の強がりで「覚えておく」と答える。

「ああ、じゃあ。術をかけるな。これは目隠しと呼ばれる術なんだ。一時的に君の神力を抑え込む。さっきも言ったように一時的なものだから、一週間後にでもまたかけ直す必要がある。いいな?」
「分かった」
「よし。早速始めようか」

 そう言って輝一郎は唯神から何かを受け取った。

「日柴喜? なんだ? それ」
「そうだな。分かりやすく言うなら触媒と言ったところか?」
「でも、それ……」
「アイピローだな」
「しかも使い捨てだな」
「新品の方がいいんだ。あいつらは古いモノだからな」

 言っていることに納得できてしまうのがどうにも悔しい気持ちになった。そりゃあ、向こうはこの件の専門家だ。その彼が言うのだから間違いないのだろうけど、相変わらず変に現代的だ。
 輝一郎はアイピローの入った袋を左手に持つと、右手を広げてその上にかざす。

「俺の意思の元、お前に力を与える。これを付ける者、名を【渡辺真詞】彼の者の神力を誰の目からも隠せ。決して見つからないように」

 文言も簡単で分かりやすい。真詞の名前の部分にだけ違和感があったけど、それだけだ。この前がいかに大掛かりな術だったのか、このとき初めて意識した。
 しばらくして右手を下ろすと、最後に右手でトン、と眉間を突かれる。

「これでも付けてリラックスしてくれ。次は一週間後の昼休みにまた、ここで」
「……もういいのか?」
「ああ、この程度の術ならこんなものだ」

 アイピローの入った袋が差し出される。ジッと睨みつけても何も変わらないので、静かに受け取って踵を返す。

「分かった。じゃあな」
「ああ、また」

 背中にかかった『また』の意味を考えるのが嫌で、答えることなく教室へ戻った。


 その日帰宅すると、まるで狙ったかのように玄関に入った瞬間にスマホからSNSの通知音がした。相手に予想が付いてしまうのがすでにイライラする。
 手洗いうがいを済ませて冷蔵庫からお茶を取り出すとグラスに注ぐ。一気に仰いで空になったグラスはダンッ! とカウンターに置き去りにされた。
 気付かないフリをして未読無視してしまいたいのに、それをするのも何だか負けた気がしてしまう。

 スマホを机の上に滑らせるように放って制服を脱ぐ。部屋着に着替えている間も、リュックから勉強道具を出すときも、さっき出し忘れた弁当箱の袋を見て舌打ちしたときも、小さなLEDは点滅し続けていて嫌でも目の端に入ってくる。
 勉強するにしても、色々とスマホは使う。部屋に置き去りにするわけにもいかない。暫く睨みつける。当り前に何も変わらない。はぁ、と大きなため息を付くと、わしづかみにしてスウェットのポケットに押し込む。

 勉強道具を持って階下へ降りると、リビングで課題と復習を始める。どうしても必要になるまでスマホは見ないことにした。
 今日は英語と物理で課題が出ている。どちらを先に進めるかで一瞬右手が悩んで、英語からすることにした。
 明日はこの内容から小テストがあるので、まずは単語を覚える必要がある。習った単語の意味と使い方を確認しながら例文を作っていく。
 真詞は英語が得意だ。あとは古典も。どちらもパズルのようで楽しい。決まったキーワードとルールを覚えてしまえばスルスルと解けるからだ。

 そう言えば、巡は覚えるのが苦手だと言っていたな、とそこまで考えてハッとする。知らない内に真詞は笑みを浮かべてシャーペンは動きを止めていた。フルフルと頭を左右に振ってノートに意識を集中させる。
 考えない。
 考えない。
 それが、真詞がこの一週間過ごすことができた呪文だった。

 英語の課題と復習、好きな教科なために予習までしてしまって、手が止まった。この先に進むには、自分に勢いをつける必要がある。大きく深呼吸をして、教科書を開いてタブレットを起動する。配布された問題は得意になってしまった摩擦の応用問題も入っていた。――イライラする。

「あー! クソッ!」

 両手で髪をかき上げる。上体を起こすと開いていた教科書がパタンと閉じて、表紙が見える。書いてあるのは『高校物理基礎』と明朝体らしき分かりやすいタイトル。
 パッと脳裏に柔らかな笑顔が浮かぶ。

 何もかも。
 本当に何もかもが真詞をイラつかせた。
 勢いに任せてポケットに手を突っ込んでスマホを取り出す。何かに追い立てられるかのように画面を凝視した。
 通知の相手は予想通りに岬だった。

『昨日はいきなりDMをしてごめん。でも、どうしても君と話がしたいんだ。わがままだって』

 そこまでが画面に映る。次をスクロールするつもりは無かった。メッセージごと削除する。岬をブロックしようと指が迷い、止めた。
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