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第一章【桜、新緑を越えて】

二人きりの時間①

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「巡、久しぶり」
「……真詞、大きくなったね」

 再開した二人の会話だ。巡は真詞を覚えていたのだ。

 真詞の心臓は震えた。ビリビリと音を立てて、まるで漫画か何かのようにハートに電気が流れているのを眺めている気分だった。


「渡辺君、おはよう」
「ああ、おはよう、久世」

 登校すると、教室の前で顔と名前が一致するだけの、まだ余り会話したことがないクラスメイトに声をかけられた。小柄で、髪の毛をポニーテールにしている。

 何かを期待する瞳に、ああ、自分と仲良くなりたいんだなと直感が訴えるけど、違うクラスや上級生からの視線と同じように気付かないフリをする。

 悪意でないなら、どんな感情を向けられても気にしないようにしている。気にしたところで、何かができるわけでもないからだ。

「渡辺おはよー。なあ、昨日なんかすげぇ走ってなかった?」

 始業までまだかなり時間があるのに、昨日一緒にザストに行ったクラスメイトの一人はもう来ていた。何か用事があったのか、学校が好きなのか知らないけど、好都合だと思った。

 やはり見られていたことに、真詞はわざと悪戯っぽい顔を意識して笑った。

「ああ、見てたのか?」
「やっぱ、あれ渡辺かー。えらい急いでたけど、どした?」
「実は……、部屋に母親が入りそうだとの情報が父親からリークされて……」

 クラスメイトの目が比喩じゃなく光る。瞳孔が開いて光を集めるからそう見えるんだろうな、とどこか冷静な部分が状況を分析する。

「お前まさか本か? それともDVD? アナログ派なんだな?」
「いや、そりゃ基本は動画。でも、グラビアくらいは普通にある」
「ふむ。――それで? 戦況は?」

 両親には見られたくない色っぽい品々の話だ。段々と声を潜めていき、額が付きそうなほど距離が近づく。

「侵入は許したものの、防衛には成功した」
「任務お疲れ様です!」
「ああ」

 無駄に真剣な顔をして頷き合う。とんだ茶番だ。

「おはよ、二人とも。なに楽しそうにしてんの?」
「お、山岸はよー」
「おはよう」
「聞けよ。昨日あの後、渡辺がさ――」

 嬉々として山岸に話しかける姿を、頬杖を付いて眺める。グラビアがあるのは嘘じゃないけど、暇つぶしに買った漫画雑誌に付いていたもので見られて困るような際どいものじゃない。

 父親からのリークに至っては完全に嘘で、楽しそうに笑う二人を見ているとジワッと罪悪感が滲む。

 残りの一人にも真詞が走っていた理由は共有されたけど、それだけで話は終わった。

「お前でもそういう見るんだな」

 なんてやけに安心した風に言われたことも目論見通り。

「今日、俺ん家で昨日言ってたゲームやるけど、渡辺はどするー?」
「今日は止めておくよ。また誘って」
「おう、りょうーかい!」

 山岸が気さくに声をかけてくれるのは本当にありがたいと思っている。

 ただ、当然のようにがあることが不思議で、何だか皮肉な気分になった。


 放課後になると、またスポーツウエアに着替えて大藪神社行きのバスに乗る。この路線に乗るのも四回目で、そろそろ景色も見慣れてきた。

 停留所に降り立ち、草むらに体を向けて腕を組む。人通りの多いこの時間に擁壁をよじ登るのは余りに目立つ。仕方なく神社の中に入って林の奥に向かうことにした。

 いくらか心音が早くなる。この間のモノがいないとは言い切れないからだ。

 気を抜かずに前と同じ辺りまで歩いて行って左右を見回す。

 人気がなければ他の気配もない。もう、ここにはいないようだ。大きく息を吐いてそっと柵を越えた。

 草むらに降り立ち目を凝らすと、真詞が体を張って作った道が蛇のようにうねうねと藪の方へ続いているのが見える。柵の前には好き放題に伸びた草木があるから、草を踏みしめて道を繋いだ。

 そのままずんずんと前に進んで、今朝よりも苦労なく祠の場所までたどり着いた。

 鬱蒼と竹が生える藪の中。

 開けている分まだ幻想的だけど、誰も来ないだろう奥まって寂れた場所。

 そこに、昔見た記憶のままに甕覗きに大判の菊の模様が入った着物を着た男の背中があった。

「誰……?」

 長い銀色の髪の毛が振り向いて真詞を認識する。

「巡……。巡だな……?」
「君……、君……!」

 見覚えがあると言わんばかりの顔をされて、嬉しくなる。

 そうして再開の挨拶をして、二人は探り探り会話をした。

「あんたはあんまり変わらないな」
「そりゃあ、そうだよ。成長なんてしないよ」
「それもそうか。あんた、神様の何かなんだろ? 眷属? みたいな?」

 昨日見た藤色の髪の男を思い出す。ついでに勝ち誇ったような顔も思い出されて、少しムッとする。

「眷属? 何の話? オレはオレだから……。何なのかは分からないよ?」
「おい、そのことも分からないのか? それとも覚えてないのか?」
「何の話? ――真詞は何を知ってるの?」

 真詞は抱え込んでいた疑問と今の状態を話して聞かせた。

 藤色の髪の男の存在。

 どうして祠の場所が移動したのか。

 何故、真詞が急に厄介そうなモノに追いかけられるようになったのか。


「そう……そんなことがあったんだ……。でも、ごめん。どれもオレには分からないことばかりだ。祠が移動したのも今知ったよ……」
「いや、そっか……。分からないなら仕方ないよな。俺だって、どうやってこの場所が分かったのかを聞かれても、何となくとしか答えられない」

 どうしてか、巡であれば回答を得られると無条件に思っていたので、少し呆然とする。

「ただ……」
「なにか分かるのか?」
「真詞は神稚児(みちご)として狙われてるのかもしれない」
「ん? み? 何?」
「神が気に入った人間の子供を自分の体に取り込むことを言うんだ。詳しいことはオレも分からないんだけど、神稚児を得ると、神は力を強くすることができるらしいよ」
「そんなこと、何で知ってるんだ? ――いや。いい。ごめん」

 言った後に真詞はすぐに謝った。多分、これも巡は分からないだろうと思ったからだ。

「うん、ごめん。オレも分からないんだ。ただ知ってる。そうとしか……」
「分かってるのに聞いた」
「気にしないで。こっちこそ、中途半端でごめんね」
「いや、いい。それより……」

 緊張でグッと喉が詰まる。これからもここに来ていいか、と聞きたいのに言葉が出てこない。子供の頃は言えたのに。

「真詞?」

 呼ばれて巡の目をジッと見る。記憶にあるよりも切れ長で、眉毛も凛々しくて男らしい印象だ。そう思うと、余計に緊張してしまう。

「ねぇ、真詞」
「え、あ、なに……?」
「オレさ、ここにずっと一人なんだ。誰も会いにこないし、誰とも話をしてない。前はさ、色々な人やモノが近くにいる感じがしてたのに。今度は本当に一人なんだ。真詞、オレさ、寂しいよ」
「巡……」
「君さえよかったら、また話をしに来てくれない?」

 真詞の言いたいことを汲んだようなタイミングだった。

「ほんとに、またお節介か?」
「ん? 何のこと?」
「いや……」

 変わらずにこやかな様子に苦笑する。そんなの、真詞にとっては願ったり叶ったりだ。

「分かったよ、来る」
「うん! ありがとう。待ってる」

 そうして二人は五年ぶりの約束を交わした。
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