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 たったの1週間でよもぎは一回り太ったように見えた。留守の間、お婆さんの知り合いに預かっていてもらっていた のだが、そこでたらふく食べさせてもらっていたのだろう。

 旭葵の両親とは成田空港で別れた。本当にいきなりであっという間の1週間だった。自由奔放な両親に振り回されて生きてきた16年間だったが、今回もかなりのものだった。

 旅行中、湊と隼人から一生に関するメッセージをもらった。一生は2日間だけ検査入院をして、3日目から普通に登校したらしい。

 怪我という怪我はなく、元気だから何も心配することはないと2人は念を押し、また一生は事故でスマホを失くしたみたいなので、メッセージや電話をしても繋がらないと教えてくれた。

 一生から連絡が来ても来なくても気になるところだったから、それを聞いて旭葵はほんの少しだが気持ちが軽くなった。

 九州で温泉巡りをしている間、片時も一生のことを考えない時はなかった。

 1週間で肌はツルツルになったが、心はざらついたままだった。1週間という時間は何の役にも立たなかった。

 バス停を降りて海のあるこの町に戻ってきた時、まるで過去に戻ってきたような気分になった。あれから1週間が過ぎているはずなのに、町は1週間前の顔で旭葵を出迎えた。




 一生とバス停で会わないように、1本早いバスに乗って登校した。

 教室に行く前に温泉まんじゅうを持って職員室に行く。母親に担任に持って行けとしつこく言われたのだった。

 担任は遠慮せずに温泉まんじゅうを受け取ると、「桐島、たいしたことなくて良かったな」と、旭葵の温泉旅行ではなく、いきなり一生の話題を振ってきた。

 旭葵と一生が小学校から一緒で仲が良いのを担任は知っていて、最近は旭葵が暴れそうになると『桐島を呼べ』と言うようになったぐらいだ。

「事故のことを知らせた時は、教室がお通夜みたいになったからなぁ、女子なんか泣き出す子もいちゃって、あ、どうもどうも」

 話に加わって来たのは旭葵の担任から温泉まんじゅうを受け取った一生のクラスの担任だった。

 そこへ1人の女生徒が職員室に駆け込んで来た。

「先生大変です! また1年の子とクラスの女子が揉めてます」

「またかっ。桐島は?」

「まだ来てません」

 一生の担任は包み紙を剥いて今にも口に入れようとしていた温泉まんじゅうを机に置くと、渋々といった感じで立ち上がった。

「またうちのクラスの子がすみません。私も行きます」

 少し離れた席の若い女性教師も立ち上がると、一生の担任と一緒に職員室を出て行った。その様子から見るからに1年生の担任なのだろう。

 出ていった2人とは対照的に呑気に温泉まんじゅうを食べている旭葵の担任に話しかける。

「あの、1年の子と一生のクラスの女子が揉めてるって、何かあったんですか?」

「桐島から何も聞いてないのか?」

「一生は事故の時にスマホを失くしたらしくて、俺、旅行に行ってたし全然話してないんです」

 そうじゃなくても一生と連絡を取ってはいなかっただろうけど。

「おおっ、おまえ桐島の親友なのに何も知らないんだな」

 大袈裟にのけぞる担任にイラッとする。

「如月が温泉に浸かっている間に、おまえの親友は年貢を納めたぞ。退院してから甲斐甲斐しく世話をされてほだされたんだろうなぁ。相手の子は過去に2度も桐島にフラれてたって言うじゃないか、それなのにそんな健気なことされたら、そりゃ男は落ちるわなぁ。逆にこれでまたフったりなんかしたら男がすたるってもんだろ。その辺、桐島は潔かったぞ。クラスの女子達もそれを分かってやりゃいいんだけどな。なんか『私達は認めなーい』とか言ってるらしい」

「あの、分かりやすくはっきり言ってもらえますか」

 鼓動が速くなる割には、身体から熱が奪われていくような感覚に襲われる。

「如月がいない間に、桐島は1年の女子と公開恋人宣言をしたんだよ」

「1年の女子って、げっ、激カワ……」

「ああ、生徒の間ではそんなふうに呼ばれてる子らしいな。最近人気のアイドルによく似た可愛らしい子だよな。もっとも俺は桐島がその子を2度もフッたのは、桐島には誰か他に好きな相手がいたんじゃないかと思うんだけどなぁ。けどそっちは叶わぬ恋というか、訳ありだったんだろうな、あの桐島がどうにもできない相手だったんだから。如月、おまえ何か知ってるか?」

 担任は2つ目の温泉まんじゅうに手を伸ばそうとして旭葵に視線を向けた。

「し、知りません」

 旭葵は逃げるように職員室を出た。足でしっかりと廊下を踏みしめていないとよろけそうだ。

 一生が激カワちゃんと公開恋人宣言をした。

 教師が知っているくらいだから本当のことなのだろう。

 想定外すぎて頭がついていかない。まさか旭葵が叩きつけた絶交宣言がこんな形で返されようとは。

 自分への当てつけか? それともヤケを起こした? 一生の自分への気持ちはそんなものだったのか? こっちがダメならあっちに。そんな軽いものだったのか?

 旭葵が1週間身を削るようにして悩んでいたのはなんだったのだ。いや、1週間じゃない、もっと前、あの肝試し大会の夜からだ。

 こんなに簡単に他へ行ってしまえるのなら、なんで自分を抱きしめたりなんかしたんだ、なんでラストダンスを踊ってくださいなんて言ったんだ、なんで、なんでキスなんかしたんだ。

 胸の中を大型台風が吹き荒れているようだった。

「なんで、あんなことをしたんだよ」

 旭葵は頭を抱えるようにその場にうずくまった。

 うす暗い畳の上を転がっていったシャツのボタン。一生の荒い息遣い。口の中に広がる苦い血の味。

 こうやって女の子と付き合えるなら、なぜ今まで築いてきた自分たちの友情を壊すようなことをしたんだ。

 こんなことになると分かっていたら、あの時もっと殴っていたのに。今からでも遅くない。これから一生を殴りに行こうか。殴って殴って、殴り飛ばして、土下座して謝らせて……。

 違う。旭葵がしたいのはそんなことじゃない。九州から帰ってきた時、自分は一生にどんなふうにして待っていて欲しかったのだろう。

 今回のようなことでないのだけは確かだ。

 一生を事故に遭わせたのは自分なのに、それほど一生を追い詰めながら、旭葵は一生にどうあって欲しかったのだ?

『おまえとは絶交だ!』

 突き放したのは旭葵だった。今さら一生のすることに口を出す権利があるのか? 

 ない。頭では分かっている。けど……。

 公開恋人宣言と暗闇の中で吐き出された秘められた想い。

 2人の知らなくてよかった扉を開けたのは一生なのに。そこへ旭葵を引っ張ったのは一生なのに。

 一生だけが明るいところへ行ってしまったような気がした。旭葵を置き去りにして。

 吹き荒れる風が扉を激しく揺らす。

 ならば旭葵もそこから出ればいいだけの話だ。なのに……、身体が、足が、うまく動かない。

 心が音もなくバラバラになっていくようだった。




 
 スマホを覗き込んでいた湊が顔を上げた。
「旭葵、職員室に寄ってくるって」

「俺は本当のことを言った方がいいと思うけどな」

「隼人、それは3人でもう決めたことだろ」

 大輝が軽く舌打ちする。

 結局旭葵が旅行から帰ってくる1週間で一生が旭葵を思い出すことはなかった。

「とりあえず一生に旭葵を見せよう。それでも一生が旭葵を思い出さなかったら、そのとき旭葵に本当のことを知らせよう」

 湊はすでに何度もこうやって隼人を諭していた。

 病室で一生に旭葵の写真を見せることができなかった3人だったが、湊の妹が撮ったチャランゴを弾く旭葵の動画や、昔のアルバムに子どもの頃の一生と旭葵の写真があることにはあった。そうでなくとも、文化祭で女装した旭葵を写真に収めていたクラスメイトが多くいた。

 けれど変に昔の写真や女装に南米衣装と、仮装した旭葵を見せるのは一生の記憶を混乱させて逆効果じゃないかということになった。  

 生の旭葵を見せるのが一番。

 3人はその結論に至った。
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