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 旅館の朝食の味噌汁の蓋を開けると少女の顔が写っていて、オレンジジュースを飲もうとすると、コップの中から少女が隼人を覗いていた。

 少女の白いバンダナに何か書かれていたような気がするが、半分前髪に隠れていたせいもあって、よく見えなかった。

 その土地を離れ難かった。後ろ髪を引かれながら車に乗り込み、奇跡を信じて窓の外に少女の姿を探した。

「なんだか道が混んでるな」

 父はいつもの半分くらいのスピードで車を走らせる。道の向こうに横断幕のようなものが見えた。昨日は見なかった人だかりができている。

「何かやってるのかしら」

 両親は歓迎しない様子だったが、隼人はせめてゆっくりここから遠ざかれることに感謝した。





 あの時の少女に似ている。

 旭葵を一目見た時から思った。

 久しぶりに開いた記憶は少しも色褪せず、あの時と同じように隼人を魅了した。

 退屈になるかと思った田舎での高校生活。新宿のど真ん中にいるより刺激的になりそうだ。

 教室の窓から外を眺めると、遠くに海が見えた。

「さっそく後から肩慣らしに泳いでみるか」

 隼人はぐるりと肩を回した。





 旭葵は慌てて停車ボタンを押すと、バスから飛び降りた。町の薬局でお婆さんの薬をもらってきた帰り道、走るバスの振動が心地よく居眠りをしていたら危うく乗り過ごすところだった。

 海際の道を歩いていると、浜辺に沿って誰かが泳いでいるのが見えた。旭葵は立ち止まり、白く光る波に見え隠れする影を目で追った。旭葵はそのまま浜辺に降りると水際に向かって歩いた。

 その泳ぎ方を旭葵はよく知っていた。クロールで呼吸する時、横ではなく前方に顔を上げるヘッドアップはトライアスロンの選手が使うテクニックだ。

「一生?」

 しなやかなで、それでいて力強く前進する泳ぎ。やがて、ゆっくりとその手は動きを止め水から上がると、こちらに向かって歩いてくる。

 その後ろから太陽の光が眩しく照りつける。体にフィットした競泳用の水着にゴーグル。逆光でよく見えずともそのシルエットから鍛えられた体であることが分かった。けどそれは一生に似ていて一生のものではない。

 男は旭葵の前までくるとゴーグルを外した。

「やぁ」

 旭葵はくるりと背を向け歩き出した。

「ちょっと待ってよ」

「なんだよ、また殴られたいのか」

「今日は悪かったよ。あれは冗談だよ、冗談。にしてもあの蹴り、すごかったな。すっげぇ男らしかったわ」

 旭葵は立ち止まると隼人を振り返った。

「俺、喧嘩で負けたことほとんどないんだからな」

「だろうな、喧嘩強いなんて羨ましいわ。男の中の男って感じがする」

「……」

「な、俺にも喧嘩の仕方教えてよ。俺も旭葵みたいに強い男になりたいからさ」

「強い男……」

「な、いいだろ? 」

「どうしてもって言うなら」

「まじ!? サンキュー!」

 隼人は大袈裟に喜びながら、旭葵に聞こえないよう、こっそり呟く。

「ちょろいぜ、ベイビー」

「なんか言ったか?」

「いやいやいや、なんでもない」

「じゃ、始めるぞ、まずは構えからだな」

「え? 今からここで? あ、はいはい、やります!」
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