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六章 これは偶然か?

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 得意げな表情の小竹さんを前にして、私は何も話すことができなくなってしまった。

「とはいってもね~、高校卒業してからは結局聖夜くんともお別れしちゃったんだけどね。なんか知らないけど、一人暮らしのために国分寺に引っ越したら彼のことなんてどーでもよくなっちゃってさ~。あーあ、あれだけ卒業した後も連絡とりあおうとか言ってたのにね~、結局聖夜くんの方も何一つ連絡くれなくなっちゃったしな~」

 相変わらず得意げな表情の小竹さん。しかし私は、やはり何も話すことができなかった。

 何かが……おかしい。

 確かに彼女の小学校時代のモテモテっぷりには全く異議はなかった。しかし、私の中では何か腑に落ちないことがあった。

 というか引っ越したらどうでもよくなっちゃったって一体どういうこと? 聖夜くんっていう男子とはめちゃくちゃラブラブって感じだったみたいだけど。彼のことナイトって呼んでるくらいだからこれは本当なんだろう。まあ今の話聞いた感じだと、四年生のはじめに聖夜くんが小竹さんに告白をしてから状況が一変してきたって感じだったけど。……もしかして、聖夜くんって転校生か何かなのかな?

「ねえ、小竹さん。もしかして聖夜くんって転校生?」
「えっ? うふふふっ、違うわよ。小学一年の頃から同じ学校だよ。クラス合同の授業の時とかも普通に話してたし」
「はあっ?」

 まさかの答えにますます分からなくなってきた。では一体彼はなぜ四年生になって突然告白などしたのか? だんだん好きになってきてこらえきれずにって可能性もあるけど、それだったら一年生から三年生になるまでの三年間特段何も変わりなく接していたということにも何か不自然さを感じる。小学校低学年の男子って言ったら理性なんて何もないようなものなんだから、好きになった女子に対しては一緒に遊んだり、告白したり、あえて意地悪してきたりとか、すぐに何かしらのアクションを起こしてもおかしくないはずなのに。

「転校生じゃないなら、聖夜くんじゃあなんで四年生になってから急に告白なんてしてきたのよ?」
「知らな~い。そういうお年頃になったんじゃないの?」
「知らないって、小竹さんの方から特に何かしたわけでもないの?」
「うん」

 ダメだ。ますますわからない……。まあいいや、とりあえず授業授業。

 これ以上考えても埒が明かなかった。とりあえず今は目の前の授業に集中しなくちゃ。そう自分に言い聞かせ、私は再び前を向いた。


「え~、それではですね。東京書籍の教科書の十八ページを開いてください」

 教壇に立つ先生の声で、私は目の前の教科書を開いた。大学で使う教科書って言ったら、全ページにわたってびっちりと難しい文章やら数式やら英語やらで埋め尽くされた分厚いものを思い浮かべるかもしれない。しかし、今私が目を通しているのはごく一般的な家庭科の教科書だった。しかもそれは中学校時代に見慣れたものそのものだった。
 とはいっても仕方がない。というか一応きちんとした理由がある。所詮私がいる学部は中学校の家庭科の先生になるための学部。それだったらこんな中学校の教科書に大学生になってもお世話になるっていうのは当然と言えば当然だ。

 そんな見慣れた教科書を開きながら、私は指折り何かを数えていた。どうしても頭の中からは先ほど彼女から聞いたあの話が消えることはなかった。そればかりか、湧き上がる探求心がますますあの思い出話を記憶に定着化させていった。

 聖夜くんが小竹さんに告白したのは小学校四年生になってすぐの頃。だとしたら今は二〇二二年だから彼が告白したのは二〇一三年の四月ってところね。……ということはその直前――二〇一三年の二月とか三月とかにかけて、小竹さんでも知らないようなきっかけが何かあったのだろうか?

「小竹さん。さっきの話のことなんだけど。そもそもなんで聖夜くんのこと好きになったのよ?」
 先生に気づかれない程度の小声でこっそりと話しかけた。

「あっ、百合ちゃんまだ気にしてるの? ふふふっ。百合ちゃんにも紹介してあげようか? 聖夜くん」
「だから、違うっつーの」
「ふふっ。まあいいわ。でもごめんね百合ちゃん。実はね、あたしもあまりよく覚えてないのよ」
「えっ?」
「なんかこう、ある日突然ビビッと雷に打たれたように。不思議よね~。今になって思えば、聖夜くんなんて小学一年の頃からの付き合いだったから一目ぼれってわけでもないんだけど。なんなんだろうね~。本当にあの時の感覚は、一目ぼれした時みたいだったんだけどね」

 えっ、そんなことも覚えてないの?

 ますます腑に落ちなくなってしまった。一目ぼれってわけでもないので、普通誰かのことが好きになるって言ったら、少なくとも一つや二つ、ここがこうだから好きとか、そういうのがあってもいいはずなのだけれど。

「そういえばあたし、さっき話してて思ったんだけど、もしかして百合ちゃんが思ってるほど、健くんや聖夜くんとのあの時のこともあまり覚えてないのかもしれない?」
「はあっ? 何言ってるのよ。さっきなんてあんなにすらすらと」

「こらっ、西谷さんに小竹さん。どうしたんですか? 何か質問でもあるんですか?」
「え……! あっ、いえー」
「あっ、すみません。ちょっと学生時代の家庭科の授業の思い出話にふけってしまいまして」
「……ああ、そうですか。まあいいですけど、少しは静かにしてくださいね」
「すみませーん」

 小竹さんに救われた。なんとかその場をやり過ごすと、先生は授業を再開してしまった。

「ご、ごめん」
「いいのよ。で、さっきの話なんだけど、あれはね、実はあの時の日記とか写真を見返して思い出した断片的な記憶を何とかつなぎ合わせたものなの。ゴールデンウイーク前にも話してあげたと思うけど、あれもそう」
「マジで?」

 ある意味先生の認可済みの思い出話をこそこそと再開させていた私たちだったが、時折襲ってくる驚きを抑えるのには苦労してしまうのだった。今この瞬間だってまさにそうだ。

「うそでしょ? あれだけ気になってた男子たちの思い出なのに? しかも三人だよ、三人。私だったらそんなことあったら忘れることなんて絶対に」
「ごめんねー、本当にこれ以上は無理なのよ。日記に書いてないようなこと――どこのお店行ったとか、何食べたとか、何して遊んだとか、実はそういうことまでは全然わからないの」

 今度は申し訳なさそうな表情の小竹さんを前にして、私はまた、何も話すことができなくなってしまった。

 原因不明の一目ぼれのような感覚……。付き合っていた頃の記憶があまりない……。そして、当時の健くんと雄くん、聖夜くんとの関係性……。しかも健くんはライバル関係にあたる聖夜くんを刃物で襲った……。
 …………こんな経験……、私もどこかで……。

「あっ、そうそう思い出した」
「えっ!」

 ふいに、小竹さんは口を開いた。

「思い出しちゃった。そういえば聖夜くんと付き合い始めてすぐの頃、いいことが起こったのよ」
「ん?」
「なんか知らないけどね、聖夜くんの家にもね電車で一本で行けるようになってたんだ」
「えっ? 電車で一本?」
「うん」

 電車がどうとか、なんだかどうでもいいようなことみたいだけど、今の私にとっては彼女の言葉すべてが疑わしく思ってしまって仕方がなかった。

「ふ~ん。……あっ、ちょっと待って。行けるようになってたって、これまでは違ったの?」
「うん、三年生の頃まではね。地下鉄の地下深くのホームからエスカレーター何回も上がって乗り換えしなくちゃいけなかったからめんどくさかったんだよ。まあ聖夜くん、田園調布暮らしのお金持ちだったからさー、彼の家行くときは乗り換え云々だけじゃなくていろいろ大変だったんだよ~」
「そっか~。お金持ちの彼氏だもんね。確かにいろいろ気い遣っちゃいそうだよねー」
「そうそう」
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