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五章 消失

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「おーい、飯ですよー」
「あっ……、琴姉」
 次の日の昼休みも、琴乃は私のもとへやってきた。ありがたいのやら迷惑なのやら、私にとってどちらなのかはよくわからなかったのだが、今日も琴乃は隣の席の男子、生田朋彦を蹴散らして私の横に座ってきた。

「ふぅ~、やっと飯にありつけるよ~」
「今日は何なのよ?」
「何って? 別に。用がなかったら来ちゃダメか?」
「べ、別にそんなこと……」
 琴乃にしてはやけにソフトな回答だ。最近は本当に面白いからとか、観察するとか、そういう類のことは一切口にしない。やはり私の思い過ごしなのだろうか? 案外琴乃もとっくに私の観察など飽きてしまっていて、もう私の言動なんか眼中にないのかもしれない。
「それにしてもよ~、今日も一日眠そうだったよな~。ほんと大丈夫か~? あっ、ちなみに今のところは六回な」
「なっ! し、しょうがないじゃない! 眠いもんは眠いのよ! ったく、またそんなくだらないもん数えてたのね」
「ははははっ」
「笑うなっ! もーっ!」

 残念ながら、私のかすかな希望は瞬く間に消え失せてしまった。一気に不機嫌になった私は琴乃のことなど見向きもせずに、待ちに待ったランチタイムを堪能することにした。
 今日のお弁当は中華っぽい。チャーハンにシュウマイそして小籠包、そして何気に酢豚も入っている。めんどくさがりな割には毎度毎度お弁当の中身だけは凝っているなと母に感心しながら、今日も私はそれらを頬張り、些細な幸せを感じていた。

 うっ!
 あまりの一気食いに喉を詰まらせかけた私は、すかさずカバンの中をがさがさとあさり緑茶の入ったペットボトルを手に取る。
 ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ……。「ぷはぁ~っ……」
 何とかその場をしのいだ私は胸をポンポンとたたいてなで下ろした。
「ぷっ! 何つまらせてんだよ。だっせーの」
「別にいいでしょ! もうっ!」
 ぐちゃぐちゃにしてしまったカバンの中身を片付けようと中身に手を伸ばす。そして内ポケットの中に手を入れた時、ざらざらとした小さいものの感触に気づいた。

 あっ、これ……。

 目の前のピンクと赤色の小さなお守り、それは紛れもなく私自身のお守りだった。しかし、それをこんなにじっくりと目にしたのは久しぶりだった。なぜだろうか?

「あっ、そうだ」

 思い出した。なぜ私が最近このお守りを目にする機会がなかったのかということを。そのことに気づいた私はさらに何かを思い出してしまった。琴乃がばかげたように私に話しかけている。そしてそれを私は全力否定している。
 そうだ、このお守り! まさかとは思うけど……、もし本当にそうだとしたら!?

 お守りを握りしめた手を机についてすかさず席を立つ。直接会って話がしたい。不思議そうなまなざしの琴乃をよそに、私はその一心でドアの方へ駆け出した。

 廊下に出て、すぐさま隣の教室へ。物理的な距離の近さもあって、その瞬間はすぐに訪れた。

「萌花!」
 彼女の姿をとらえるや否や思わず声が出た。今日も優希と葵と一緒に三人で一緒に昼食を食べている。私はすかさずそばに駆け寄った。

「あっ! またっ! も~今度は何なのよ!」
「萌花これ! 覚えてる? お守りよ!」
 握りしめていた手を開いて、彼女の前に突き出す。怒りながらも目を丸くした萌花は一瞬戸惑っているように見えたが、すぐに表情を険しくした。
「ちょっと! このお守りがどうしたっていうのよ! 何よいきなり、目の前に手なんか突き出して! ほんと、あなたあたしに何したいわけ!」

 あまりの突然のことで、優希たちも固まっているようだった。しかし私は必死だった。すかさず目の前の萌花にさらに詰め寄る。

「ご、ごめん、いきなり。ねえ、でもお願い、覚えてるでしょこのお守り。お揃いだって言って、昔私たち、一緒に持ってたじゃない。ねえ、どうなの? 答えてよ!」
 目の前のほのかに茶色く丸っこい目の中心を、ただひたすら見つめていた。このお守りのことを覚えているのか? そして今も持っているのか? その答えを求め、私はただひたすら問いかけていた。
「わ、わかったわよ、ちょっと落ち着きなさい! 西谷さん、あなた少し興奮しすぎよ。お守りくらいでそんなに怒らなくてもいいじゃない。あたしだって別に西谷さんに意地悪したいわけじゃないんだからね。……まずはあたしの肩をつかむ手を離してちょうだい」
「あっ、ご、ごめん……」

 どうやら無意識に私の左手は萌花の肩をつかんでいたようだ。右手を彼女の顔の前に突き出し、左手で肩をつかんでいた。まあ、萌花が不機嫌になっても当然と言えば当然だった。
 猛省した私は、慌てて両手を彼女から遠ざけて後ろで組み、落ち着きを取り戻した。

「ふーっ。で、さっきのお守りもう一度見せてくれない?」
「あっ、うん」

 そう言って、お守りを握る右手を再び彼女に近づける。そして手のひらのそれを見るや否や萌花はすぐに口を開いた。
「あっ、これあたしの家の近所のお寺で売ってるやつじゃない。な~んだ、西谷さんも同じの持ってたんだ~」
 その一言で、私は頭の中の靄が消えかけていくのを感じた。

 よかった。お守りのことは覚えてくれてるんだ。だとしたら、これをきっかけにまた元の関係を。

 すかさず、私はさらに問いかけた。
「そっかー、覚えていてくれたんだ~。じゃあそれ、今も持ってるってことだよね?」
「えっ? ええ、別にカバンから出した覚えもないからあるはずだけど……」
「ほんと!?」
「うん、確かカバンの中の……」

 そう言って萌花は机の横に掛けてあった通学カバンをあさり始めた。彼女のカバンのチャームポイント、オレンジ色の巾着袋は今日も健在だった。

「あっ、そのオレンジの袋の中は?」
「ん? あっ、そうだったわ。確かこの中に入れっぱなしだったかも……」
 うずくまって小さなオレンジ色の袋を開け、中身を調べる萌花。その姿を見て私は安堵した。

 はーっ、あとはこれでお守りを持っていてくれれば……。

「あれっ! おかしいわ!」
 彼女の感嘆が耳に入った私は、すぐに窮地に立たされたような気分となった。じわりじわりと冷や汗が湧き出てくる。

「も……萌花?」
「見当たらないわ。ちょっと待ってね、ええと……」
 カバンを膝の上に置き、中身を取り出して行く萌花。目の前の教科書とノートの山が次第に高くなっていく。

「手伝おうか?」
「しょうがない、見てあげますか」
 すかさず、優希と葵が助け船を出した。私も彼女たちに交じってお守りの捜索に手を貸した。

 かなり散らかってしまった。目の前には食べかけの昼食のお弁当の他に、学校で使う勉強道具の山、予備校の教科書類、筆記用具に、メイクやコスメ用品、そして女子だけが常備するような衛生用品がつまったポーチなど、彼女の持ち物のありとあらゆるものが散乱し、まるで展覧会のようになってしまった。……けれども、肝心のピンクと赤色のそれが姿を見せることはなかった。

「はぁ~っ」
 どんよりとした空気に包まれたまま、私たちは目の前のものの片付けにいそしんでいた。ふと目を横にやると、……まずい。萌花はかなり機嫌を悪くしてしまっているようだった。ふてくされたような表情でカバンに荷物を詰め込む。そこには、先ほどまでの素直で従順な彼女の姿は微塵もなかった。

「うーん、とりあえずここにはないってことは、家のどこかにあるんじゃね?」
「まあでも、お守りくらいまた新しいの買えばよくない?」

 優希と葵の何気ない一言が胸に突き刺さる。もはや私は今平常心でいることなどとてもできなかった。
 萌花がお守りを持っていないということ。それは私と彼女とのこれまでの関係がお守りの力によるものである可能性も暗示していた。私と萌花の関係が良好でラブラブだったあの時、私も彼女も同じピンクと赤のお守りを持っていたことは確かなはずだ。一緒に見せ合った記憶もあるし、現に萌花もこれまでお守りを持っていたことは覚えていると言っている。なのに……、彼女との関係が崩壊してしまった今、彼女はお守りを持っていない。そして、関係が崩壊してしまったそれ以外の直接的な原因が見つからない。
 だとしたら……、もう……。

「はぁーっ、やっと終わったわ」
 萌花のため息を聞いた私はまた、何かがこみあげてくるのを感じた。

「ねえ、萌花! お願い! お守りを見つけて! それか同じお守り、今すぐに買ってきて!」

 無意識に体が動く、気づくと目の前にはまた萌花のきょとんとした顔があった。両手の握りこぶしに力が入る。何をつかんでいるのかはわからないが、右手に異様な柔らかさと弾力を感じていた。それは机ではない、何か別のものだった。恐る恐る手元に視線を落とした私の視界に飛び込んできた光景を見るや否や、表しようのない危機感を感じ、全身がビクッと震え上がる。

 やばっ! これって、萌花のおっ……。
 考える間もなく、左の頬に電光石火のごとく強烈なビンタが飛んできた。

 バシィッ!
「こらぁ~っ! どぉこつかんでんのよぉぉ~っ!」

 燃えるように熱い頬を抑えてうずくまる。その痛みを感じるにつれて、私の中ではとんでもないことをしてしまったという自責の念がこみ上げてくるのだった。

「西谷さん! 女子だからって調子に乗らないでくれない! 何なのよいきなりおっぱいなんかつかんできて! この変態! バカッ!」

 この上なく恐ろしい剣幕で、鋭い罵声が頭上から降り注いでくる。彼女を直接見ていなくても、鬼のように恐ろしい形相が脳裏に浮かんでくるのだった。鼓動の高まりを感じながら、私はまだ顔を上げられずにいた。

「……もう嫌。西谷さんなんて最低! 大っ嫌い!」

 少しばかり震えるような彼女の声に、瞬間的に危機感を感じた私は、思わず体が動いてしまった。
「ま! 待って! だからあのお守り! あのお守りさえあればもう一度私たち……!」
「うるさい! うるさい! もう嫌! 出て行って! …………ふえぇぇぇぇぇん……」

 ハンカチを握った両手を顔に当てて泣きじゃくる萌花を前にした私の頭の中は真っ白になってしまった。異様な興奮がおさまり正気を取り戻した私は、初めて事の重大さを思い知った。

 もうダメだ……。もうおしまいだ……。
 自分自身に言い聞かせていたその時、優希たちが口を開いた。

「あ~あ、何やってるのよ。大丈夫、萌花?」
「どうしよ……。でもとりあえず今後は萌花を西谷さんに会わせないようにした方がよさそうね。……う~ん、西谷さん、悪いけど当分の間うちらのクラスには来ないでくれない」
「まっ、申し訳ないけど、あんなことされちゃあねー。西谷さん、A組出禁で。あっ、あとLINEとかもダメだからねー」
「えっ……」

 優希たちの突然の警告にぐうの音も出なかった。反論したいことはないと言えば嘘になるけれど、やはりいきなり胸をつかんだりした私の方に非があるのは明白だった。私の中でも萌花との関係はもう終わってしまったものだと踏ん切りをつけていたこともあって、その警告を受け入れるのも思いのほか早かった。

 彼女たちを見ることもなくうつむいたままの私は、廊下へ出るドアの方へ向かってとぼとぼと歩いていった。
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