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十六章 忘却
一
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「はぁ~ぁ……」
この日、私は半ば眠気と闘いながら電車に揺られていた。啓介と過ごした幸せなクリスマスや、琴乃や真妃たちと過ごした楽しい初詣もとっくに過去の思い出となってしまった。また今日からあいつと同じ教室での生活を虐げられなくてはならない。できることなら啓介や琴乃たちとのプライベートレッスンにでもならないだろうか。そんなことを考えながら、私は久しぶりとなる学校への道のりを通っていた。
「よぉっ」
「おっす!」
「きゃーっ、あけおめ!」
「あけおめ!」
私は廊下を歩いていた。みんな友人との学校での再会を楽しそうにわいわいがやがやはしゃいでいた。
あーあ……まったく……。こっちはそんな気分じゃないっつーの!
若干イライラ気味の私は1-Bのプレートが付いた教室へ辿り着くと黙ってドアを開け中へ入った。
「おはよう」
「あっ、おはよー。はい、これ」琴乃だ。そう言うと私にペンのようなそれを手渡した。一瞬気分が和らいだ私だったが、すぐさま自分の席の方を確認した。
「うわっ! もういるよ……」普段なら私が登校する時間にはまだ空席のはずの私の後ろの席は、この日に限ってはその主によって埋まっていた。
「ちょっと置いてくるわ」
「ああ……、ペンの先端が後ろを向くようにさりげなく置くんだぞー」
私は教壇近くの自分の席の方へ歩いて行った。
的場のやつ何やってんだ……? また私の席に細工でもしているのか? ……でももう大丈夫。これがあれば、やつの行動なんて全てバレバレよ!
〈回想〉
「えっ! そんなことできるの!」
「だろ! いいアイデアだと思わないか! いろいろ考えたんだけど、やっぱこれが一番いいと思って。これ使えば、あいつがいくらこそこそしたって無駄だ」
「すごーい! ……というかそんなの琴姉よく見つけたね~」
「まあ、実は私が見つけたんじゃないんだけどな……」
それは真妃たちとの初詣の帰りのことだった。二学期の終わりに琴乃が言っていた的場からの嫌がらせ対策。そのアイデアを思いついたということで琴乃が私に話を持ちかけてきたのだった。
聞いてみると……、なんと、琴乃は後ろの的場を隠し撮りしたらいいとかいうことみたいだった。
そんなことしたら絶対バレるって。どうせスマホかなんかで撮るんでしょ?
はじめはそう思っていた私だったけど、琴乃の話を聞いているうちに驚きを隠せなくなってしまった。
あーあ、今日で二学期も終わりかー、早えーな~。あーそうだった……、的場の百合絵嫌がらせ対策、どうすっかな~?
終業式後のホームルーム。私はずっと考え込んでいた。
これが終われば次にあいつに接触するのは三学期の始業式、冬休みの間になんとか策を打ちたいが、何かないのか?
「おい、何考え込んでんだー? 山手線のE231がもうすぐ見れなくなって寂しいよ~、とか考えてんのか?」
「違げーわ! つーかなんだそりゃ? 余計な口挟むんじゃねーよ! こっちは真剣なんだから!」
「ははははー。で、何真剣に考えてんの?」
「はぁ? おまえには関係ねーだろ! いい加減黙れよ!」
「おー、怖い怖い」
ったく……。こっちは真剣に人助けの策考えてんのに……。てめえみたいに電車のことばっか考えてんじゃねーんだよ。……あー、でもなー、こいつバカだから絶対また訊いてくるよな~。うわー、マジうぜぇ~。
そう考えていた時だった。
「なあ、ところで、俺に関係ないことっていったい何のことなんだ?」
ブチッ!
「てめえ! ……あーわかったよ! 話せばいいんだろ話せば! 知り合いが後ろの席のやつに嫌がらせされてて困ってんだよ! で、それをやめさせてーんだよ! もういいだろ! それだけだ!」私はムカついてしまいつい話してしまった。まあ百合絵の名前は伏せといたけど。
「なーんだ。そんなの、もういじめないで~ってお願いすればいいじゃねーか」
「バカかおまえは! それができたら苦労しねえよ!」
「はははー、それなら嫌がらせしてる証拠突き出して、もういじめないで~ってお願いすればいいじゃんか~。証拠くらい持ってるんだろー?」
「証拠かー……、やっぱそれだよなー」
「おっ? おまえ証拠の一つや二つも握ってねえでそんなこと考えてんのかー?」
「チッ! 悪いかよ……」
「ははー、そんなの適当に隠し撮りしてそれを証拠にすればいいんじゃねー?」
「隠し撮り? ……なるほどな、おまえにしては案外まともなこと言うじゃねーか。でもなー、どうやってそんなことするんだよ? スマホとかデジカメとかで撮っても絶対バレるぞ」
「あーそんなの簡単簡単。はい、これ」そう言われ、私は秦野からこれを手渡された。
「何だ? ただのボールペンじゃねーか」
「ははははっー、先端の穴、よーく覗いてみ」
「何だよ……、! おまえ、これ⁉ まさか……⁉」
「はははー、今の時代こんなもんアキバとかネットとかどこでも手に入るぞ~。隠し撮りするならこういうの使ったらいいんじゃね~」
「ほぉー。ま、隠し撮りすることになったらこういうの使うことにするわ。……で、何でおまえ、こんなもん学校に持ってきてんだ……? 裏でこそこそ隠し撮りとかしてんじゃねーかこのど変態が!」
「わわっ! そんなことしてねーよ~」
「……と、まあそういうわけだ」
「へぇー、ペン型のカメラ……。そんなものあるんだね~」
「つーか本当、あいつよくそんなもん持ってたよなー、絶対学校で盗撮してるだろ」
「あの秦野がねー、……というか琴姉、席替えしたのにまた隣なんだね~」
「チッ……、そのことは言うんじゃねーよ……。何でよりによって私があんなキモい鉄ヲタの隣なんかに……」
「何かの運命なのかもねー。あっ、案外琴姉のこと盗撮してたりして~」
「なっ! あっ……、そういえばあの時なんか挙動不審だったような……、まさかあいつ……! 画像データとか出てきたらぜってえぶっ殺してやる!」
「まあまあまあ……」
琴乃から渡されたペン型カメラを握りしめ、私は堂々と的場と自分の席の方へ近づいていった。
またカッターの刃でも仕込んでんのか? 少しくらい胸がでかくてかわいいからって調子に乗ってんじゃないわよ!
しかし、私の想像とは裏腹に、巨乳の的場はおとなしく机に座って本を読んでいた。
「なーんだ……、動きなしか……」とりあえずはよかった。でも今の私にとってはなんだかつまらない気持ちの方が勝っていた。
「あっ! 西谷さんおはよー」
「……⁉」
突然の挨拶に私は驚きを隠せなかった。その拍子に例のペンが手から滑り落ちそうになった。
「えっ! 的場⁉」
言いようのない緊張感が私を襲った。
どういうこと⁉ なぜあいつが⁉ ……さては、この私を油断させといて、また何か仕掛けようとでもしているのね……? そうだ……、絶対そうだ! おのれ~小癪な的場め、その手には乗らないわよ!
そう思いながら、私は睨みつけるような目つきで振り返った。
「えっ……? 西谷さん……どうしたの?」
「ええっ⁉」ガタッ!
思わず椅子から転げ落ちそうになった。
それはこっちのセリフだ。的場、おまえこそどうしてしまったのか。きょとんとした目つきで私の方を見ている。その顔は、これまで嫌というほど見せられてきた厭味ったらしい作り笑顔や、蔑むような目つきでガンを飛ばして睨むような顔つきとはまるで違った。ぱっちりと、しかしとろんとしてこちらを見つめているたれ目の中の瞳を見て私は確信した。
やばい、こいつ本気だ……。
「ね、ねえ……、私が誰だかわかる?」おはよう、と返す前に、思わず私の口から漏れてしまった。
「え……、何言ってるの……? あなた西谷さんじゃないの? ふぁぁーあ……」
「はっ⁉」
そう言い返して軽いあくびをした的場は相変わらずきょとんとしていた。まるで私の方がおかしい人になってしまったような気分だった。驚きと焦りが入り混じって私は考え込んでしまった。
なぜだ? なぜ厭味ったらしくないのか? これまでは幾度となく睨みつけたり、蔑んだり、文句を言ったり、嫌がらせをしたり、私が啓介と付き合うようになってから敵意丸出しだった。しかし今日は何だ⁉ まるで何事もなかったかのように私に話かけてくる。 おまけに馴れ馴れしくおはようとか言ってきやがった……。いったいどうなってんだ⁉ お正月に何か起きたのか……⁉」
「おっす!」
「よー、啓介!」
そうだっ!
とっさに私は、教室に現れた啓介のもとへ走り制服の袖をつかむと、そのまま的場のもとへ引っ張って連れて行った。
「見て見て! 舟渡く~ん! 私の彼氏になったの~」
「おいっ!」私は啓介の右腕に抱きつきにっこりと的場を見た。
「お~」
「新年早々アツアツだな~」
「ヒューヒューッ!」
クラス中から沸き立つはやし立てる声。自分でも少し恥ずかしかったけどそんなことどうでもよかった。
「西谷⁉ 何だよ急に⁉」啓介も動揺しながら頬を赤らめていた。
「ごめん舟渡くん……。わけは後で話すから……」
これくらいすればさすがに怒りだすだろう。だってこいつは私にこの彼を奪われたんだから! さあ、何か言ってみろ、的場萌花!
啓介の腕をしっかりと抱きながら自信に満ちた私は的場が怒り出すのを待ち望んでいた。普段ならあり得ないことだけど、今だけはいつもの的場を見ないと気が収まらなかった。
「あーっ! 何か最近舟渡くんと仲いいなーって思ってたけど、西谷さん、やっぱり付き合ってたんだ~。いいな~」
その瞬間、私の中で何かが崩れる音がした。急に私の鼓動は激しくなるとともに、サーッと血の気が引くのを感じた。
「えっ……、えっ! えっ! えっ! そんな……嘘でしょ⁉」的場が何と言ったのか、いまだ私の中ではそれを飲み込めずにいた。
「ち、ちょっと待って! 的場! 何言ってんのよ⁉」
「えっ……、何って…………、それより西谷さん、あたしのこと呼び捨てするなんてひどーい!」
「あっ……、ま……、的場さん……、だ……、だってあなた……、舟渡くんと付き合ってたじゃん……」
「えっ? 何言ってるの西谷さん? あたしが舟渡くんと……? そんなわけないじゃない」
「はーい! 体育館へ移動してくださーい!」
先生の掛け声と教室のざわめき声が聞こえてくる。
「あっ、始業式始まっちゃうよ。行きましょ」
「……」
震える私を横目に的場は慌てて駆け出していく。もはや何が何だかわからなかった。
あんなに啓介にラブラブでべったりだった的場が……。しかも『西谷さん』って……。これはいったい……⁉
なぜだ……? いったい何が起こってるんだ……? なぜあいつ、こんなこと……。違う、これは演技なんかじゃない……。マジだ! あいつ……啓介と付き合ってたこと完全に忘れてやがる……。
始業式の合間も私の思考は止まらなかった。誰とも話すこともなく、私は自分の頭の中を整理することで手一杯になっていた。
教室に戻るとすぐにホームルームが始まった。
「西谷さん、早くプリント配ってよー」
「あっ!」
後ろの的場からの声で我に返った。私の机の上にはいつの間にかプリントの山が置かれていた。後ろを向いた。プリントを手渡す手が自然と震えてくる。そしてそれを不思議そうに見ながら目の前の的場は私からプリントを受け取った。勢いをつけて奪い取ったりガンを飛ばすこともなく、ごく普通に落ち着いた様子でプリントを受け取り、後ろの人へ回した。
「あ……あ……、あの……」
「ん?」
「あ、あのさ……、私のこと……、ど……どう思ってる……?」
「えっ……、何よそれー。西谷さんって変な人」
「え……? 怒ってないの……?」
「えーっ⁉ なんであたしが西谷さんに怒らなくちゃいけないのよー」
「もしかして……私があなたにしたこと……、覚えてないの……?」
「えっ? あたし何かされたっけ…………。あ、あーもしかして二学期の授業のグループワークのこと?」
「……!」
やっぱり忘れているみたいだ。的場は本当に自分が啓介と付き合っていたことや、私にその啓介を奪われてしまったことのすべてを完全に忘れてしまったのだろうか。何かの拍子に記憶が蘇って、またこれまでのように嫌がらせをされてしまうのだろうか。
そんな疑念を抱いていた私だったが、彼女は突如意外なことを言ってきた。
「あっ、そうだった……。西谷さんごめ~ん。私間違って持って帰っちゃたみた~い」そう言って的場は自分のカバンから風呂敷包みを取り出したかと思えば、その結び目をほどいて、中から二冊のノートを取り出した。それは紛れもなく二学期の終わりになくなってしまった私の水色のリーディングのノートと、黄緑色と黄色の縞模様の数学のノートだった。
「本当にごめん!」ペコッと頭を下げて申し訳なさそうな顔をしている。的場のこんな姿は初めて見た。
ああ……、やっぱり……。
そう思ったけれども一つだけ疑問が生まれた。
「あ……、ああ……、ノートね……。それはいいんだけど……、他に何か覚えてない?」
「えっ⁉」
拍子抜けしたように目を丸くして驚く的場。ただでさえ丸っこい彼女の目はさらに丸っこくなってしまった。
「えっ、え……と……」視線をそらしおどおどし始める的場。
どこまで知っているのだろうか。別に彼女を問い詰めたり怒りをぶつけたりしたいわけではなかった。ただ、今の彼女がどこまで知っているのか手がかりをつかみたかったのだった。
「なんかこの前背中にシミがついてたんだけど」
「……!」的場は何かに気がついたみたいだったが無言だった。私はさらに淡々と話を続ける。
「あー……そういえばこの前……、椅子の背もたれの隙間にカッターナイフの……」
「わああっ! ごめんなさい! ごめんなさい! そんなつもりじゃなかったの! 大丈夫⁉ ケガない⁉」泣きだしそうになりながら、慌てた様子の的場は私の手を両手で優しく握ってきた。突然の反応に、私は一瞬戸惑った。
それにしても、やっぱりあの嫌がらせは全部彼女の仕業だったようだ。
嫌がらせのことは覚えてるみたいだな……。本当にいったいどういうことなんだ? というか、的場の手って案外もちもちしてて気持ちいんだな~。
「わかったわかった……もういいから、手のケガも大丈夫だから」そう言って私は的場につかまれている手を慌てて引き寄せた。
「……それより、本当に舟渡くんと付き合ってたこと覚えてないのね?」
「……」
無言のままうなだれながら小さく首を縦に振った。
やっぱ覚えてないのか~。
そう思いながら私は前を向きなおした。
「あっ! あの時の洋服は⁉、クリーニングして……」
「いいよ、もう落ちたから」
「……」
黒板の文字をぼうっと見ながら頬杖をついた。
「さーて……、マジでどうなってんだ?」目の前に置いてあるペン型カメラのことなどすっかり忘れて、私はひたすら考え更けていた。
「おっす、百合絵~。どうだ~? あれなら向きさえ気をつければいい感じに撮れそうだろ~?」ホームルームの後、琴乃が話かけてきた。慌てて辺りを見渡す、後ろの的場はすでに帰ってしまったようだ。
「おい、どうした~? 何ぼーぅとしてんだよ? また、あいつになんかやられた……」
「琴姉聞いて! 大変なことになっちゃってるの!」
「あ……、あ? どした?」
「ま、的場がおかしくなっちゃったのよ!」
この日、私は半ば眠気と闘いながら電車に揺られていた。啓介と過ごした幸せなクリスマスや、琴乃や真妃たちと過ごした楽しい初詣もとっくに過去の思い出となってしまった。また今日からあいつと同じ教室での生活を虐げられなくてはならない。できることなら啓介や琴乃たちとのプライベートレッスンにでもならないだろうか。そんなことを考えながら、私は久しぶりとなる学校への道のりを通っていた。
「よぉっ」
「おっす!」
「きゃーっ、あけおめ!」
「あけおめ!」
私は廊下を歩いていた。みんな友人との学校での再会を楽しそうにわいわいがやがやはしゃいでいた。
あーあ……まったく……。こっちはそんな気分じゃないっつーの!
若干イライラ気味の私は1-Bのプレートが付いた教室へ辿り着くと黙ってドアを開け中へ入った。
「おはよう」
「あっ、おはよー。はい、これ」琴乃だ。そう言うと私にペンのようなそれを手渡した。一瞬気分が和らいだ私だったが、すぐさま自分の席の方を確認した。
「うわっ! もういるよ……」普段なら私が登校する時間にはまだ空席のはずの私の後ろの席は、この日に限ってはその主によって埋まっていた。
「ちょっと置いてくるわ」
「ああ……、ペンの先端が後ろを向くようにさりげなく置くんだぞー」
私は教壇近くの自分の席の方へ歩いて行った。
的場のやつ何やってんだ……? また私の席に細工でもしているのか? ……でももう大丈夫。これがあれば、やつの行動なんて全てバレバレよ!
〈回想〉
「えっ! そんなことできるの!」
「だろ! いいアイデアだと思わないか! いろいろ考えたんだけど、やっぱこれが一番いいと思って。これ使えば、あいつがいくらこそこそしたって無駄だ」
「すごーい! ……というかそんなの琴姉よく見つけたね~」
「まあ、実は私が見つけたんじゃないんだけどな……」
それは真妃たちとの初詣の帰りのことだった。二学期の終わりに琴乃が言っていた的場からの嫌がらせ対策。そのアイデアを思いついたということで琴乃が私に話を持ちかけてきたのだった。
聞いてみると……、なんと、琴乃は後ろの的場を隠し撮りしたらいいとかいうことみたいだった。
そんなことしたら絶対バレるって。どうせスマホかなんかで撮るんでしょ?
はじめはそう思っていた私だったけど、琴乃の話を聞いているうちに驚きを隠せなくなってしまった。
あーあ、今日で二学期も終わりかー、早えーな~。あーそうだった……、的場の百合絵嫌がらせ対策、どうすっかな~?
終業式後のホームルーム。私はずっと考え込んでいた。
これが終われば次にあいつに接触するのは三学期の始業式、冬休みの間になんとか策を打ちたいが、何かないのか?
「おい、何考え込んでんだー? 山手線のE231がもうすぐ見れなくなって寂しいよ~、とか考えてんのか?」
「違げーわ! つーかなんだそりゃ? 余計な口挟むんじゃねーよ! こっちは真剣なんだから!」
「ははははー。で、何真剣に考えてんの?」
「はぁ? おまえには関係ねーだろ! いい加減黙れよ!」
「おー、怖い怖い」
ったく……。こっちは真剣に人助けの策考えてんのに……。てめえみたいに電車のことばっか考えてんじゃねーんだよ。……あー、でもなー、こいつバカだから絶対また訊いてくるよな~。うわー、マジうぜぇ~。
そう考えていた時だった。
「なあ、ところで、俺に関係ないことっていったい何のことなんだ?」
ブチッ!
「てめえ! ……あーわかったよ! 話せばいいんだろ話せば! 知り合いが後ろの席のやつに嫌がらせされてて困ってんだよ! で、それをやめさせてーんだよ! もういいだろ! それだけだ!」私はムカついてしまいつい話してしまった。まあ百合絵の名前は伏せといたけど。
「なーんだ。そんなの、もういじめないで~ってお願いすればいいじゃねーか」
「バカかおまえは! それができたら苦労しねえよ!」
「はははー、それなら嫌がらせしてる証拠突き出して、もういじめないで~ってお願いすればいいじゃんか~。証拠くらい持ってるんだろー?」
「証拠かー……、やっぱそれだよなー」
「おっ? おまえ証拠の一つや二つも握ってねえでそんなこと考えてんのかー?」
「チッ! 悪いかよ……」
「ははー、そんなの適当に隠し撮りしてそれを証拠にすればいいんじゃねー?」
「隠し撮り? ……なるほどな、おまえにしては案外まともなこと言うじゃねーか。でもなー、どうやってそんなことするんだよ? スマホとかデジカメとかで撮っても絶対バレるぞ」
「あーそんなの簡単簡単。はい、これ」そう言われ、私は秦野からこれを手渡された。
「何だ? ただのボールペンじゃねーか」
「ははははっー、先端の穴、よーく覗いてみ」
「何だよ……、! おまえ、これ⁉ まさか……⁉」
「はははー、今の時代こんなもんアキバとかネットとかどこでも手に入るぞ~。隠し撮りするならこういうの使ったらいいんじゃね~」
「ほぉー。ま、隠し撮りすることになったらこういうの使うことにするわ。……で、何でおまえ、こんなもん学校に持ってきてんだ……? 裏でこそこそ隠し撮りとかしてんじゃねーかこのど変態が!」
「わわっ! そんなことしてねーよ~」
「……と、まあそういうわけだ」
「へぇー、ペン型のカメラ……。そんなものあるんだね~」
「つーか本当、あいつよくそんなもん持ってたよなー、絶対学校で盗撮してるだろ」
「あの秦野がねー、……というか琴姉、席替えしたのにまた隣なんだね~」
「チッ……、そのことは言うんじゃねーよ……。何でよりによって私があんなキモい鉄ヲタの隣なんかに……」
「何かの運命なのかもねー。あっ、案外琴姉のこと盗撮してたりして~」
「なっ! あっ……、そういえばあの時なんか挙動不審だったような……、まさかあいつ……! 画像データとか出てきたらぜってえぶっ殺してやる!」
「まあまあまあ……」
琴乃から渡されたペン型カメラを握りしめ、私は堂々と的場と自分の席の方へ近づいていった。
またカッターの刃でも仕込んでんのか? 少しくらい胸がでかくてかわいいからって調子に乗ってんじゃないわよ!
しかし、私の想像とは裏腹に、巨乳の的場はおとなしく机に座って本を読んでいた。
「なーんだ……、動きなしか……」とりあえずはよかった。でも今の私にとってはなんだかつまらない気持ちの方が勝っていた。
「あっ! 西谷さんおはよー」
「……⁉」
突然の挨拶に私は驚きを隠せなかった。その拍子に例のペンが手から滑り落ちそうになった。
「えっ! 的場⁉」
言いようのない緊張感が私を襲った。
どういうこと⁉ なぜあいつが⁉ ……さては、この私を油断させといて、また何か仕掛けようとでもしているのね……? そうだ……、絶対そうだ! おのれ~小癪な的場め、その手には乗らないわよ!
そう思いながら、私は睨みつけるような目つきで振り返った。
「えっ……? 西谷さん……どうしたの?」
「ええっ⁉」ガタッ!
思わず椅子から転げ落ちそうになった。
それはこっちのセリフだ。的場、おまえこそどうしてしまったのか。きょとんとした目つきで私の方を見ている。その顔は、これまで嫌というほど見せられてきた厭味ったらしい作り笑顔や、蔑むような目つきでガンを飛ばして睨むような顔つきとはまるで違った。ぱっちりと、しかしとろんとしてこちらを見つめているたれ目の中の瞳を見て私は確信した。
やばい、こいつ本気だ……。
「ね、ねえ……、私が誰だかわかる?」おはよう、と返す前に、思わず私の口から漏れてしまった。
「え……、何言ってるの……? あなた西谷さんじゃないの? ふぁぁーあ……」
「はっ⁉」
そう言い返して軽いあくびをした的場は相変わらずきょとんとしていた。まるで私の方がおかしい人になってしまったような気分だった。驚きと焦りが入り混じって私は考え込んでしまった。
なぜだ? なぜ厭味ったらしくないのか? これまでは幾度となく睨みつけたり、蔑んだり、文句を言ったり、嫌がらせをしたり、私が啓介と付き合うようになってから敵意丸出しだった。しかし今日は何だ⁉ まるで何事もなかったかのように私に話かけてくる。 おまけに馴れ馴れしくおはようとか言ってきやがった……。いったいどうなってんだ⁉ お正月に何か起きたのか……⁉」
「おっす!」
「よー、啓介!」
そうだっ!
とっさに私は、教室に現れた啓介のもとへ走り制服の袖をつかむと、そのまま的場のもとへ引っ張って連れて行った。
「見て見て! 舟渡く~ん! 私の彼氏になったの~」
「おいっ!」私は啓介の右腕に抱きつきにっこりと的場を見た。
「お~」
「新年早々アツアツだな~」
「ヒューヒューッ!」
クラス中から沸き立つはやし立てる声。自分でも少し恥ずかしかったけどそんなことどうでもよかった。
「西谷⁉ 何だよ急に⁉」啓介も動揺しながら頬を赤らめていた。
「ごめん舟渡くん……。わけは後で話すから……」
これくらいすればさすがに怒りだすだろう。だってこいつは私にこの彼を奪われたんだから! さあ、何か言ってみろ、的場萌花!
啓介の腕をしっかりと抱きながら自信に満ちた私は的場が怒り出すのを待ち望んでいた。普段ならあり得ないことだけど、今だけはいつもの的場を見ないと気が収まらなかった。
「あーっ! 何か最近舟渡くんと仲いいなーって思ってたけど、西谷さん、やっぱり付き合ってたんだ~。いいな~」
その瞬間、私の中で何かが崩れる音がした。急に私の鼓動は激しくなるとともに、サーッと血の気が引くのを感じた。
「えっ……、えっ! えっ! えっ! そんな……嘘でしょ⁉」的場が何と言ったのか、いまだ私の中ではそれを飲み込めずにいた。
「ち、ちょっと待って! 的場! 何言ってんのよ⁉」
「えっ……、何って…………、それより西谷さん、あたしのこと呼び捨てするなんてひどーい!」
「あっ……、ま……、的場さん……、だ……、だってあなた……、舟渡くんと付き合ってたじゃん……」
「えっ? 何言ってるの西谷さん? あたしが舟渡くんと……? そんなわけないじゃない」
「はーい! 体育館へ移動してくださーい!」
先生の掛け声と教室のざわめき声が聞こえてくる。
「あっ、始業式始まっちゃうよ。行きましょ」
「……」
震える私を横目に的場は慌てて駆け出していく。もはや何が何だかわからなかった。
あんなに啓介にラブラブでべったりだった的場が……。しかも『西谷さん』って……。これはいったい……⁉
なぜだ……? いったい何が起こってるんだ……? なぜあいつ、こんなこと……。違う、これは演技なんかじゃない……。マジだ! あいつ……啓介と付き合ってたこと完全に忘れてやがる……。
始業式の合間も私の思考は止まらなかった。誰とも話すこともなく、私は自分の頭の中を整理することで手一杯になっていた。
教室に戻るとすぐにホームルームが始まった。
「西谷さん、早くプリント配ってよー」
「あっ!」
後ろの的場からの声で我に返った。私の机の上にはいつの間にかプリントの山が置かれていた。後ろを向いた。プリントを手渡す手が自然と震えてくる。そしてそれを不思議そうに見ながら目の前の的場は私からプリントを受け取った。勢いをつけて奪い取ったりガンを飛ばすこともなく、ごく普通に落ち着いた様子でプリントを受け取り、後ろの人へ回した。
「あ……あ……、あの……」
「ん?」
「あ、あのさ……、私のこと……、ど……どう思ってる……?」
「えっ……、何よそれー。西谷さんって変な人」
「え……? 怒ってないの……?」
「えーっ⁉ なんであたしが西谷さんに怒らなくちゃいけないのよー」
「もしかして……私があなたにしたこと……、覚えてないの……?」
「えっ? あたし何かされたっけ…………。あ、あーもしかして二学期の授業のグループワークのこと?」
「……!」
やっぱり忘れているみたいだ。的場は本当に自分が啓介と付き合っていたことや、私にその啓介を奪われてしまったことのすべてを完全に忘れてしまったのだろうか。何かの拍子に記憶が蘇って、またこれまでのように嫌がらせをされてしまうのだろうか。
そんな疑念を抱いていた私だったが、彼女は突如意外なことを言ってきた。
「あっ、そうだった……。西谷さんごめ~ん。私間違って持って帰っちゃたみた~い」そう言って的場は自分のカバンから風呂敷包みを取り出したかと思えば、その結び目をほどいて、中から二冊のノートを取り出した。それは紛れもなく二学期の終わりになくなってしまった私の水色のリーディングのノートと、黄緑色と黄色の縞模様の数学のノートだった。
「本当にごめん!」ペコッと頭を下げて申し訳なさそうな顔をしている。的場のこんな姿は初めて見た。
ああ……、やっぱり……。
そう思ったけれども一つだけ疑問が生まれた。
「あ……、ああ……、ノートね……。それはいいんだけど……、他に何か覚えてない?」
「えっ⁉」
拍子抜けしたように目を丸くして驚く的場。ただでさえ丸っこい彼女の目はさらに丸っこくなってしまった。
「えっ、え……と……」視線をそらしおどおどし始める的場。
どこまで知っているのだろうか。別に彼女を問い詰めたり怒りをぶつけたりしたいわけではなかった。ただ、今の彼女がどこまで知っているのか手がかりをつかみたかったのだった。
「なんかこの前背中にシミがついてたんだけど」
「……!」的場は何かに気がついたみたいだったが無言だった。私はさらに淡々と話を続ける。
「あー……そういえばこの前……、椅子の背もたれの隙間にカッターナイフの……」
「わああっ! ごめんなさい! ごめんなさい! そんなつもりじゃなかったの! 大丈夫⁉ ケガない⁉」泣きだしそうになりながら、慌てた様子の的場は私の手を両手で優しく握ってきた。突然の反応に、私は一瞬戸惑った。
それにしても、やっぱりあの嫌がらせは全部彼女の仕業だったようだ。
嫌がらせのことは覚えてるみたいだな……。本当にいったいどういうことなんだ? というか、的場の手って案外もちもちしてて気持ちいんだな~。
「わかったわかった……もういいから、手のケガも大丈夫だから」そう言って私は的場につかまれている手を慌てて引き寄せた。
「……それより、本当に舟渡くんと付き合ってたこと覚えてないのね?」
「……」
無言のままうなだれながら小さく首を縦に振った。
やっぱ覚えてないのか~。
そう思いながら私は前を向きなおした。
「あっ! あの時の洋服は⁉、クリーニングして……」
「いいよ、もう落ちたから」
「……」
黒板の文字をぼうっと見ながら頬杖をついた。
「さーて……、マジでどうなってんだ?」目の前に置いてあるペン型カメラのことなどすっかり忘れて、私はひたすら考え更けていた。
「おっす、百合絵~。どうだ~? あれなら向きさえ気をつければいい感じに撮れそうだろ~?」ホームルームの後、琴乃が話かけてきた。慌てて辺りを見渡す、後ろの的場はすでに帰ってしまったようだ。
「おい、どうした~? 何ぼーぅとしてんだよ? また、あいつになんかやられた……」
「琴姉聞いて! 大変なことになっちゃってるの!」
「あ……、あ? どした?」
「ま、的場がおかしくなっちゃったのよ!」
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比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。
寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。
プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い?
そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない!
スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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