6 / 7
第3話 昔からの友達と焼き魚をいただきます 前編
しおりを挟む
まだまだ風は冷たいけれど、日が照らす時間が少しずつ延びてきた2月下旬。カレンダーを見るともう3月はすぐそこだ。
他の月よりも2日3日少ないだけなのに、毎年のように2月は短いなあと感じてしまうのは何故なのだろう。
同時に思い浮かんだのは、私はもうすぐ3回生になるんだな、という漠然としたイメージだった。それも、希望を抱くというよりは、不安を撫で回すような。
うちの大学は3回生からゼミを決めなきゃいけないし、同時に行きたい業界の先輩に聞き取りとかインターンとか、卒業後の話も出てくるし…うーん、考えることが増える…。
そして私は21歳になる。20歳になった時は嬉しかったし、待ちに待った飲酒デビューができて感無量だったのだけど。
「21歳って、なんか凄いオトナ感」
女子高生時代など、すでに古の記憶となりつつあるなあ。
独り言のついでに頬杖をつき、ため息を一つ。カウンターには飲みかけのビールジョッキ。こうしてみると、すでにオトナになったんだな。
そんな物思いに耽る私の思考を蹴破るように、男の人の、低く、唸るような声がした。
「おいテメエ、今何つった」
あーあ、スイッチ入っちゃったなコレは。
その言葉は私の独り言に向けられたわけではない。彼の隣に座る別の男性に言い放たれたものだ。
午後7時を少し過ぎたころ、相変わらずの食堂かがみの店内が、一瞬にして険悪な空気に染まっていった。
「まったく、お前の耳は飾りか? だから、コンビニのおにぎりはツナが最高であり到達点だと言っている」
「何だとコラァっ!! ふざけたことぬかしてんじゃねえぞモヤシがぁっ!!」
「やれやれ、早速外見の批判か。おにぎりの具という本題に触れもしない発言は、すでに反論ですらないからな。よく考えてから発言しろ、この脳筋め」
「脳筋とは何だ脳筋とは! 脳みそが筋肉なわけねえだろ!」
「おお、その程度の知識はあるんだな。安心したよ」
「おちょくるのもいい加減にしろや!!」
叫び声の主が立ち上がった勢いで、イスがガタンというけたたましい音を立てて倒れた。
立ち上がったその人…タケくんこと猿渡猛行(さるわたりたけゆき)くんは怒りで顔を真っ赤にして、もともと真っ赤な髪を振り乱しながら話し相手であるケンちゃん、つまり犬童健介(いぬどうけんすけ)くんに今にも掴みかかりそうな勢いで迫っている。
浅黒い肌に筋肉質の身体、太い眉毛がトレードマークのタケくんが声を荒げているが、そんな彼の威圧ぶりをまったく意に介することなく、ケンちゃんはサラッサラの黒髪をサッとかき上げてから、冷ややかな視線をタケくんに返した。もともと切れ長の目が、さらに鋭さを増している。
タケくんがモヤシと表現したように、ケンちゃんはスラリと細い。そのため、今お店で起きている状況は明らかにガラの悪い人が気弱そうな人に絡んでいるという図式なわけで。
ちょっと通報したくなる。
さて、今日はどうなるかなー? とうとう殴り合いになっちゃうのかなー?
はい、私こと高木由良はただいま心の中で実況に徹しています。カウンターでビール片手に、しらすと春菊の和物をつまみながら。
「いいか健介。おにぎりは、鮭だ。鮭こそ最強なんだよ!」
「最強だと? 妙な評価の仕方だな猛行。料理に強いも弱いもあるものか」
「そんな話はしてねえよ!」
「そんな評価をしただろう」
鼻息の荒いタケくんの顔を見ようともせず、ケンちゃんは軽くため息をついてから、気を取り直すようにお酒を一口。日本酒飲んでる姿がめちゃくちゃ似合っている。
「表出ろや健介。今日はもう、いろいろ白黒はっきりさせようじゃねえか」
「お断りだ」
「おいおい、逃げんのかよ」
「お前相手にか? よくできた冗談だな、おもしろいよ」
「テメッ…!」
タケくんがケンちゃんの肩をガッシリと掴もうとする。ヤバい、これはダメなヤツ!
「わー! ちょっと! ちょっとストップ!! 本当にケンカするつもり!?」
私はとうとう声を張り上げ二人に近づいた。本当に殴り合いになってはダメだ。
「あぁ? って、由良じゃねえか」
「こんばんわ、由良。いつから来てた?」
「いつから来てた?じゃないよ! 30分以上前から近くに座ってたの気付いてなかった? 二人とも、なんかゲームの話で盛り上がってたけど」
「おー! へへへ、そうなんだよ。やっぱ格ゲーは最高だなって話をだな」
「同感だ。一瞬の操作ミスもなくし研ぎ澄ますことで、さらなる高みに昇ることができる体験は何物にも変え難い」
「あ、そう…」
急にニコニコしちゃって、毎度何なの、このコンビ。
二人はともにこの商店街近くの出身で生まれた時からの幼馴染だ。基本的にはとても仲が良いのだけれど、その反動なのか意見が合わなかった時のケンカも凄まじい。
私が二人と出会ったのは小学生の時で、祖父の家に帰省していた時に近くの公園かどこかで出会ったのだろう、いつの間にかお盆や正月は親戚だけでなく二人に会うのも当たり前になっていた。
「まあ座れよ、一緒に呑もうぜ」
「はーい」
倒れたイスを戻し、タケくんが隣の座席を勧めてきたので移動することにする。
あ、ちゃんと断りを入れないと。
「覚さんすいません、席、移動してもいいですか?」
声を掛けるが、やはり返事はない。
どこかに行ってしまったわけではなく、覚さんはちゃんとそこにいて、今日もおいしい料理を作ってくれている。しかしその視線がこちらに向くことはない。
何故なら覚さんは今、七輪で魚を焼いているからだ。
昔、「焼き魚を調理する時は目が離せないんです」と覚さんは申し訳なさそうに説明してくれたことがあったけど、まさかここまで集中するだなんて、初めて見た時は本当に驚いた。
覚さんはさっきから瞬きしてないんじゃないの、っていうくらい真剣な表情で焼き魚と七輪の火加減を注意深く見つめている。
そのかわりに存在しているのは、焼きたての魚が振り撒く食欲をそそる匂いだった。
他の月よりも2日3日少ないだけなのに、毎年のように2月は短いなあと感じてしまうのは何故なのだろう。
同時に思い浮かんだのは、私はもうすぐ3回生になるんだな、という漠然としたイメージだった。それも、希望を抱くというよりは、不安を撫で回すような。
うちの大学は3回生からゼミを決めなきゃいけないし、同時に行きたい業界の先輩に聞き取りとかインターンとか、卒業後の話も出てくるし…うーん、考えることが増える…。
そして私は21歳になる。20歳になった時は嬉しかったし、待ちに待った飲酒デビューができて感無量だったのだけど。
「21歳って、なんか凄いオトナ感」
女子高生時代など、すでに古の記憶となりつつあるなあ。
独り言のついでに頬杖をつき、ため息を一つ。カウンターには飲みかけのビールジョッキ。こうしてみると、すでにオトナになったんだな。
そんな物思いに耽る私の思考を蹴破るように、男の人の、低く、唸るような声がした。
「おいテメエ、今何つった」
あーあ、スイッチ入っちゃったなコレは。
その言葉は私の独り言に向けられたわけではない。彼の隣に座る別の男性に言い放たれたものだ。
午後7時を少し過ぎたころ、相変わらずの食堂かがみの店内が、一瞬にして険悪な空気に染まっていった。
「まったく、お前の耳は飾りか? だから、コンビニのおにぎりはツナが最高であり到達点だと言っている」
「何だとコラァっ!! ふざけたことぬかしてんじゃねえぞモヤシがぁっ!!」
「やれやれ、早速外見の批判か。おにぎりの具という本題に触れもしない発言は、すでに反論ですらないからな。よく考えてから発言しろ、この脳筋め」
「脳筋とは何だ脳筋とは! 脳みそが筋肉なわけねえだろ!」
「おお、その程度の知識はあるんだな。安心したよ」
「おちょくるのもいい加減にしろや!!」
叫び声の主が立ち上がった勢いで、イスがガタンというけたたましい音を立てて倒れた。
立ち上がったその人…タケくんこと猿渡猛行(さるわたりたけゆき)くんは怒りで顔を真っ赤にして、もともと真っ赤な髪を振り乱しながら話し相手であるケンちゃん、つまり犬童健介(いぬどうけんすけ)くんに今にも掴みかかりそうな勢いで迫っている。
浅黒い肌に筋肉質の身体、太い眉毛がトレードマークのタケくんが声を荒げているが、そんな彼の威圧ぶりをまったく意に介することなく、ケンちゃんはサラッサラの黒髪をサッとかき上げてから、冷ややかな視線をタケくんに返した。もともと切れ長の目が、さらに鋭さを増している。
タケくんがモヤシと表現したように、ケンちゃんはスラリと細い。そのため、今お店で起きている状況は明らかにガラの悪い人が気弱そうな人に絡んでいるという図式なわけで。
ちょっと通報したくなる。
さて、今日はどうなるかなー? とうとう殴り合いになっちゃうのかなー?
はい、私こと高木由良はただいま心の中で実況に徹しています。カウンターでビール片手に、しらすと春菊の和物をつまみながら。
「いいか健介。おにぎりは、鮭だ。鮭こそ最強なんだよ!」
「最強だと? 妙な評価の仕方だな猛行。料理に強いも弱いもあるものか」
「そんな話はしてねえよ!」
「そんな評価をしただろう」
鼻息の荒いタケくんの顔を見ようともせず、ケンちゃんは軽くため息をついてから、気を取り直すようにお酒を一口。日本酒飲んでる姿がめちゃくちゃ似合っている。
「表出ろや健介。今日はもう、いろいろ白黒はっきりさせようじゃねえか」
「お断りだ」
「おいおい、逃げんのかよ」
「お前相手にか? よくできた冗談だな、おもしろいよ」
「テメッ…!」
タケくんがケンちゃんの肩をガッシリと掴もうとする。ヤバい、これはダメなヤツ!
「わー! ちょっと! ちょっとストップ!! 本当にケンカするつもり!?」
私はとうとう声を張り上げ二人に近づいた。本当に殴り合いになってはダメだ。
「あぁ? って、由良じゃねえか」
「こんばんわ、由良。いつから来てた?」
「いつから来てた?じゃないよ! 30分以上前から近くに座ってたの気付いてなかった? 二人とも、なんかゲームの話で盛り上がってたけど」
「おー! へへへ、そうなんだよ。やっぱ格ゲーは最高だなって話をだな」
「同感だ。一瞬の操作ミスもなくし研ぎ澄ますことで、さらなる高みに昇ることができる体験は何物にも変え難い」
「あ、そう…」
急にニコニコしちゃって、毎度何なの、このコンビ。
二人はともにこの商店街近くの出身で生まれた時からの幼馴染だ。基本的にはとても仲が良いのだけれど、その反動なのか意見が合わなかった時のケンカも凄まじい。
私が二人と出会ったのは小学生の時で、祖父の家に帰省していた時に近くの公園かどこかで出会ったのだろう、いつの間にかお盆や正月は親戚だけでなく二人に会うのも当たり前になっていた。
「まあ座れよ、一緒に呑もうぜ」
「はーい」
倒れたイスを戻し、タケくんが隣の座席を勧めてきたので移動することにする。
あ、ちゃんと断りを入れないと。
「覚さんすいません、席、移動してもいいですか?」
声を掛けるが、やはり返事はない。
どこかに行ってしまったわけではなく、覚さんはちゃんとそこにいて、今日もおいしい料理を作ってくれている。しかしその視線がこちらに向くことはない。
何故なら覚さんは今、七輪で魚を焼いているからだ。
昔、「焼き魚を調理する時は目が離せないんです」と覚さんは申し訳なさそうに説明してくれたことがあったけど、まさかここまで集中するだなんて、初めて見た時は本当に驚いた。
覚さんはさっきから瞬きしてないんじゃないの、っていうくらい真剣な表情で焼き魚と七輪の火加減を注意深く見つめている。
そのかわりに存在しているのは、焼きたての魚が振り撒く食欲をそそる匂いだった。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
人形の中の人の憂鬱
ジャン・幸田
キャラ文芸
等身大人形が動く時、中の人がいるはずだ! でも、いないとされる。いうだけ野暮であるから。そんな中の人に関するオムニバス物語である。
【アルバイト】昭和時代末期、それほど知られていなかった美少女着ぐるみヒロインショーをめぐる物語。
【少女人形店員】父親の思い付きで着ぐるみ美少女マスクを着けて営業させられる少女の運命は?
小児科医、姪を引き取ることになりました。
sao miyui
キャラ文芸
おひさまこどもクリニックで働く小児科医の深沢太陽はある日事故死してしまった妹夫婦の小学1年生の娘日菜を引き取る事になった。
慣れない子育てだけど必死に向き合う太陽となかなか心を開こうとしない日菜の毎日の奮闘を描いたハートフルストーリー。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
俺がママになるんだよ!!~母親のJK時代にタイムリープした少年の話~
美作美琴
キャラ文芸
高校生の早乙女有紀(さおとめゆき)は名前にコンプレックスのある高校生男子だ。
母親の真紀はシングルマザーで有紀を育て、彼は父親を知らないまま成長する。
しかし真紀は急逝し、葬儀が終わった晩に眠ってしまった有紀は目覚めるとそこは授業中の教室、しかも姿は真紀になり彼女の高校時代に来てしまった。
「あなたの父さんを探しなさい」という真紀の遺言を実行するため、有紀は母の親友の美沙と共に自分の父親捜しを始めるのだった。
果たして有紀は無事父親を探し出し元の身体に戻ることが出来るのだろうか?
マンドラゴラの王様
ミドリ
キャラ文芸
覇気のない若者、秋野美空(23)は、人付き合いが苦手。
再婚した母が出ていった実家(ど田舎)でひとり暮らしをしていた。
そんなある日、裏山を散策中に見慣れぬ植物を踏んづけてしまい、葉をめくるとそこにあったのは人間の頭。驚いた美空だったが、どうやらそれが人間ではなく根っこで出来た植物だと気付き、観察日記をつけることに。
日々成長していく植物は、やがてエキゾチックな若い男性に育っていく。無垢な子供の様な彼を庇護しようと、日々奮闘する美空。
とうとう地面から解放された彼と共に暮らし始めた美空に、事件が次々と襲いかかる。
何故彼はこの場所に生えてきたのか。
何故美空はこの場所から離れたくないのか。
この地に古くから伝わる伝承と、海外から尋ねてきた怪しげな祈祷師ウドさんと関わることで、次第に全ての謎が解き明かされていく。
完結済作品です。
気弱だった美空が段々と成長していく姿を是非応援していただければと思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる