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そして狐は微笑む
しおりを挟む地車は横から見ると三段構造になっている。最下部が車輪と土呂台になっており、その上に床が二段分「くの字」に曲がる様に乗っかっていて、階と階とを短い階段が繋ぐ。床のそれぞれの一面は大体二十畳程度である。材料は木材であるが、実際は不明だ。木で出来ていたとしたら、いくら何でも重すぎて動かせない。この地車は見た目に反し軽く、軽さに反し丈夫にできている。
小生は『方手前』と呼ばれる二階部分に上がる。既に欅と青鹿が父たちと合流していた。ここならば、他家の者がいたとしても上の階が目隠しとなる。小生が来るのを見ると、怪しまれないようにと父と数匹のお付きは上の『飾り台』に上がってしまった。
「青鹿。姫はどこにいると思う?」
「十中八九、最初は富沢のところだろうねぇ。恐らくは山王蔵様のお付きの連中もいるはずだ」
「そうだよな」
右方を見ると富沢家の地車が見えた。海潮はともかく、小生はコソコソする必要はないから、直接乗り込もうかと考えた。
「悪いこと考えてる顔ね」
狐の指摘に、思わず表情が綻んだ。
「一番のご法度が乗っているんだ。どうせなら、やりたいようにやった方が楽しいだろ」
「そうね」
「その通りだと思うよぉ」
二匹の賛成に後押しされると、心臓が一跳ねするのが分かった。熱い血が全身に流れる。欄干を飛び越えるとカササギに化けて富沢家の飾り台を一直線に飛行した。
小生が地車の上を少し旋回すると、何匹かの狸は気が付いて指差した。堂々と真ん中に降り立つと馴染んだ人間の姿へと変じた。
「萩太郎だ」
「よう」
すぐさま不信感剥き出しの鶴子と、高揚感をひた隠しにした雁ノ丞が現れた。燕治は他の狸に囲まれ、辛うじて頭が見えるくらいだった。
「まさか七夕に出るとは思いませんでした」
「ちょっとストレスが溜まっててね。祭りで羽目を外したくなったのさ」
まさかここで暴れでもするのかと、狸たちの顔に不安が浮かび上がるのが分かった。さぞかし緊張が走っている事だろう。
「それで、当家に何用です」
「宣戦布告のつもりだったんだけど、一つお願いがあってね」
「お願い?」
「今日限りで姫とは会えないんだろう。最後にサヨナラだけでも言わせてくれないか?」
鶴子は押し黙った。
ちらりと燕治を見たが、いつのまにか方手前に消えていた。
「何を仕出かすか心配なら、また大勢でふんじばってくれても構わないぜ」
「残念ですが、最早私たちもお会いすることはできません。山王蔵様のご側近に伝言を伝えるのが関の山です」
「…そうか。残念だな」
あわよくばここで姫に海潮が来ている事だけでも伝え、逃げ出せる準備をしておいて欲しかったが、やはり甘かった。それは致し方ない。
「どこかで見ていてはくれてるんだろ?」
「ええ、御上座敷で御覧になる手筈です」
鶴子は白く細い指をピンと伸ばし、御上座敷と呼ばれる建物を指差した。
雁ノ丞を見ると、嘘ではないと意味を込めて、尚且つ他の狸に気が付かれないよう小さく頷いた。せめて、居場所を明確にできただけでも良しとしよう。
「なら精々、目立つように化けるのが餞かな」
感慨深く、名残惜しく、もう全てを諦めているかのように振る舞う。
「じゃあな」
小生は再びカササギに戻り、自分でも気が付かないボロを出す前に退散した。去る間際に鶴子の顔を見る。皮肉にも富沢家が風梨家の為に滅私で動く気持ちがよく分かった。小生も海潮のために動いているのだから。
戻る途中、御上座敷に目をやった。改めてみると、取って付けた様な楼塔のような見櫓があることに気が付いた。目を凝らせば婚礼の様な飾りつけがされている――と見えなくもない。
「どうだった?」
戻ると、いよいよ作戦を決めるために上がってきていた海潮がいた。
「お目通りは叶わなかったがけど居場所は分かった。御上座敷で七夕見物するそうだ」
「こっちにも使いがあった。例によって狐狸貂猫の順に七夕比べをする。そしてその後に、神婚の儀を執り行うそうだ」
「て事は…」
「化け比べをしている間だけしか機会はないねぇ」
青鹿がやることを明確にするために明言した。
「時間としては十分だけど、問題なのは」
未だ頭を捻っているであろう男の方を見て言った。
「海潮をどうやって連れていくかと、側近をどう遠ざけるかだな」
「ちなみに策は?」
海潮の問いに、ほでなす三匹はすかさず答える。
「ない。八木山家の出番になったら、なるたけ目を引かせて」
「手すきのオイラ達が上手く手助けする」
「作戦とは程遠い作戦ね」
沈黙があったが、それは一瞬で破られた。
「やるしかないさ」
海潮の声が風鈴のように静寂に響く。
「女の子に告白するってだけで、こんなにしてくれたんだ。ここに連れてきてもらっただけでも十分、少しは自分で頑張らないと申し訳ない。それに――」
海潮はそこにいた三匹の目をマジマジと見た。
「それにその方が俺たちに合ってる気がする」
「かかか、この人も立派にほでなすだなぁ」
出番が来るまで、海潮はまたさっきの隙間に戻っていった。だが、階段を下りる一歩手前でピタリと立ち止まった。
「海潮?」
「上手く行っても、行かなくても、終わったらみんなで呑もう」
酒の話題に小生らはニヤリと笑った。
「勿論ですよぉ」
「祝杯…いえ、三々九度かしら?」
「当然、海潮のおごりでな」
海潮は拳で自分の胸を叩くと降りて行った。下で他の貂達にも挨拶をしたのか、士気高い声が遠慮がちに上にまで届いた。
間もなくすれば、化け比べ開始の合図があるだろう。青鹿は先に戻っていったが、欅は朧げなものを見るかのように遠くに目をやるだけで中々戻らなかった。そろそろ戻った方がいいんじゃないかと言おうとしたところで、向こうから話しかけられた。
「雁ノ丞はどうだった? ま、聞くだけ野暮ね」
自問自答で自己解決したようなので、小生はそれについては何も言わず、煙草を一本催促した。
欅は驚いたが、器用に煙草を一本だけ箱から押し出すと、それを差し出してきた。
「どうぞ」
狐火で先端に火を付けても貰うと、見様見真似で生まれて初めての煙草を味わった。だが、肺は素直に受け入れてはくれなかった。
「いきなり吸うには強すぎたかしら」
咽る小生を見て欅はケタケタと笑いながらも心配してきた。そして、
「なんでこんなに心躍るのかしら」と、意味深に聞いてきた。
「そりゃ一から十まで、自分の事じゃないからさ」
「なるほどね」
欅は今まで見たことのない微笑みを見せて去って行った。欅の姿が見えなくなって後、不覚にもその笑顔に魅了された自分に気が付いたのだった。
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