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はぐれ騎士は図書室で物語を憂う

第二話

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「と、いうことがあってな」



 ――それから一カ月が過ぎた日の事。



 月に一度の非番の日にイーデルは城を出て、城下町の隅の方にある酒屋に行っていた。彼の前には幼馴染であるシハンという男が座っている。



 二人で酸味の方が遥かに強い安い葡萄酒を飲んでは他愛のない話や互いの近況のような話で駄弁っていた。



 酒屋と言っても酒を考えなくてでも使えるこの店は、イーデルが子供の頃から通っている馴染みの店であった。休みの日に家に戻った際にはほとんどと言って差し支えないほど立ち寄る。そしてその際には必ずと言っても過言ではない程、シハンが同席しているのだ。



 シハンは街道沿いの森の中にある小屋に一人きりで住んでいる。家族は他になく、小さい頃はとある人の弟子になってとある技法を習っていた。イーデルが仕事や都合でシハンの誘いを断ることは偶にあるが、シハンがイーデルの誘いを断ったことは過去に一度もない。



 こうして二人で安酒を飲んで他愛もない話をするのが、イーデルは妙に気に入っていた。



「ふうん。相変わらずなんだな、そのお姫様は」

「お、おい」



 人に聞かれたらマズイと思い色々と誤魔化しを入れて話していたのにと、イーデルは慌てて制した。けれどもシハンはどこ吹く風でナッツをポリポリと齧っている。



「気にすんな、こんな安っぽい酒場で王族の話をしていると思う奴がいる訳ないだろ」

「いや、しかしだな」

「お前の心配性は死んでも治らないだろうな」

「騎士は心配性なくらいが丁度良い」



 揶揄われてモヤモヤした気持ちを葡萄酒で洗い流した。



「その騎士様がこんな昼間っから酒飲んでていいんですかね」

「今日は月に一度の非番だ。このくらいは神であっても許してくださるさ」

「と言ったって大して飲まないくせに」

「当たり前だ。騎士たるもの酒に酔って、万が一の事態に後れをとる訳にはいかん」

「けど、お前は一応近衛騎士だろ? 高給取りなんだからもう少し良い酒場に行ってもいいじゃねーか。そんでついでに奢ってくれ」

「無理だな」

「なんで」

「俺の給料の大抵は本になる」



 そういうと、シハンは鼻で笑った。そして遠慮なしに酒のお代わりを頼んだ。



 イーデルはしんみりとした声で続ける。



「それに」

「それに?」

「そもそも俺は近衛騎士になれるような家の出じゃない。高い飯なんて緊張して味がわからないよ」

「御伽噺が得意なお蔭で出世する騎士なんて、それこそ御伽噺だぜ」

「全くだな」



 二人は笑った。



 酒を飲み終えたイーデルは、酔いで火が付いた空腹を満たすために色々と料理を注文し始めた。痩せの大食いとはよくいったもので、イーデルはその細さに大して驚くほどよく食べるのだ。シハンの近況を聞いている間に、テーブルの上には所狭しと皿が並んでいく。



 反面、シハンはその見た目通りの量しかものを食べない。その代わりに恐ろしく酒に強い。葡萄酒を一通り飲んだ後は、酒精の強い蒸留酒に手を出していた。そしてイーデルの頼んだ料理から病人に食べさせるくらいの量を小皿にもらうと、さらにそれを溶かすように食べ始めた。



「ところで一つ聞きたいんだが」

「なんだ?」

「俺にその話をしたのは、姫さんを会わせたいからか?」



 その言葉にイーデルの手が止まった。他のテーブルで食事をしている客たちの食器が皿に当たる音が、どうしてだかよく響く。



「どうなんだろうな」

「俺が聞いてんだよ」

「会ってくれるのか?」



 イーデルがきっとした態度で聞いたのにも関わらず、シハンはどうでもいいような調子で応える。



「会うくらいならなんも問題ないだろう。姫と平民って身分の差以外はな」

「・・・お前がどう思うかと心配しててさ」

「ただな、姫さんが仮に誰かを蘇らせたいと思っていても、俺が言う事を聞く保証はないぞ?」

「それは俺が口を挟むことじゃない。それにチャリス様が本当に誰か死人を復活させたがっているかすらわからない。全部俺の勝手な想像だからな」

「何にせよ、件のネクロマンサーに会えると伝えて、その上で会いたいというのなら俺に断る理由はないよ。用事がなければな」



 かくして件の意外にもあっさりと、ネクロマンサーの許可がおりた。



 せめてもの感謝と機嫌を取っておこうと打算的なことを考えて、イーデルはその日の食事代と酒代を全て奢った。あれだけの酒を飲んでおきながら、シハンの顔色は変わらず、ほろ酔いしたくらいの様子であった。



 外に出ると、秋の太陽がすでに傾いている



 普段なら次の店に梯子したり、シハンの家に寄って奇妙な話の一つでも聞かせてもらうのだが、イーデルはすぐにでも城に戻りたかった。



「今日はもう帰るよ。姫様にお伺いを立てる」

「そうか。じゃ気を付けてな」



 名残惜しさなど微塵も見せず、シハンは帰路についた。イーデルは何故か立ち止まったまま、それを見送っていた。そしてハッとして自分も歩き出そうとしたタイミングで声を掛けた。



「シハン」



 まさか呼び止められると思っていなかったシハンは、驚きながらも振り返った。その様子がおかしかったのか、それとも別の感情が湧いたのかは分からないがイーデルは笑いながら言った。



「ありがとう」

「ひょっとしたら俺まで王宮お抱えになったりしてな」

「それは勘弁だ」



 互いに笑い合うと、今度こそ二人は別れた。イーデルは足早に城に戻っていく。



 黄昏に染まる街並みは、見慣れているはずなのに妙に違って見える。それはまるで、御伽噺の中に登場する怪物たちの町の様だった。それでも恐怖ではなく、郷愁が生まれるのは自分が大人になったからだろうかと、イーデルはほろ酔いの残る頭で考えていた。



 ■



 シハンと会った翌日。



 イーデルは公務をこなしながら、チャリスとコンタクトを取れる機会を伺った。けれども思い起こせば自分から姫を部屋に呼んだことなどないので、一体どうしたものかと考えていた。



 そこでイーデルはチャリスが常用している合言葉を使うことを思いついた。チャリスは予めイーデルの部屋に顔を出すことを決めている日は、そうやって合図を送っていた。とは言っても急な要件などで来られなかったり、この前のように何の前触れもなく訪れることもあるので、合言葉と言えどもあってない様なものだった。



 一応は人目を気にしつつ、ぼそりとそれを呟く。



 一瞬驚いたように見えたが、流石は公人と言うべきかすぐにいつもの平然たる態度に戻ってしまった。なのでイーデルは、本当に伝わったのかどうか不安に駆られてしまった。



 しかし、それは単なる杞憂であったと夜には分かる事であった。



 ◆



「珍しいではないか。其方の方から私を呼ぶなど…いや、考えてみれば初めてのことか」



 チャリスは驚きの中に、期待感を持たせたような顔つきをしている。



「申し訳ございません。わたくしから声を掛け、あまつ自室へお越し頂くなど」

「よいよい。私は愉快な気分なのだ。それで話とは?」

「チャリス様」



 普段の公務と同じ態度と口調で、イーデルは話を切り出した。



「うん?」

「どうお感じになられますか…わたくしには見当もつかないのですが」

「いつになく物怖じしておるな。構わぬ、其方の思う通りに申してみよ」

「いつかお話し致しました、ネクロマンサーに会えるとしたら、どうなさいますか?」

「・・・それは言葉の通りに受け取ればよいのか?」



 イーデルは首を縦に振って肯定した。



 するとチャリスはきっとした鋭い眼差しを向けてきた。一挙手一投足から何かを見破ろうとしている意思が感じられた。けれども、イーデルに他意がないことが分かると、糸が切れるかのように緊張をほどいたのだった。



「うむ・・・どうやら揶揄われている訳ではないようだな。もしそうなら、それはそれで面白いのだが」

「まさか。チャリス様に嘘を申し上げる訳がありません」



 クツクツと、噛みしめるかのような笑いが響いた。そしてチャリスはいかにも毅然とした態度でイーデルに尋ねる。



「本当におるのか。ネクロマンサーというのは」

「はい。確かにおります」

「・・・前々から其方を不思議な者と思ってはおったが、それほど奇妙な友人を持っておるとはのう」

「恐れ入ります」

「一つ聞きたいことがある」

「はっ」

「何故今になってそんな事を言い出したのだ? 言おうと思えば一番初めに言えたことではないか」

「そのネクロマンサーは極力自分の力を隠匿したいと考えております。私が彼の魔術を知っているのは、ただ単に旧知の仲柄であるという、それだけの理由です。彼の許可なく口外することは憚られました」

「ふむ、道理じゃな。なぜ其方に話すことは許したのかどうかは本人にしか分からぬか」

「何分変わり者です故」

「知っておる。『類は友を呼ぶ』というのであろう」

「・・・」



 再び、部屋の中にクツクツという笑い声とため息とが聞こえた。



「気まぐれであろうと何であろうと、またとない機会じゃ。会ってみたい。イーデルよ、頼めるか」

「心得ました」



 シハンとチャリス姫の二人を引き合わせたいという考えは思惑通りに進んでいるのだが、イーデルには一つ引っかかっている事がある。チャリスの期待を裏切らないためにもはっきりとさせておかねばならない問題だ。



 その思い悩みは、聡いチャリスにはすぐに伝わったようだった。



「どうかしたのか」



 イーデルは意を決して尋ねることにする。



「恐れながら・・・姫様には蘇らせたい方がおいでですか」

「・・・うむ。一人おる」

「期待を裏切るような事を申しますが、御引き合わせするまではお約束いたします。しかし、彼が姫様の望みのままに死者を蘇らせる術を使うかどうかまでは分かりません」

「分かっておる。そもそも私自身が半信半疑なのだ。死者を蘇らせるなど、本当にできるものなのかどうか」



 沈黙があった。



 二人とも続けたい言葉が頭の中で纏まっていない。蝋燭の芯が燃えるジリジリという音がよく届く。イーデルは揺らめく灯が照らす影をじっと見ている。するとチャリスが静寂を破った。



「そう言えば、其方はどうしてその者を信じておるのだ」

「と、申しますと?」

「まさか口だけで死者蘇生術ネクロマンスを信じた訳ではあるまい。そこまでの物言いをするには、かつて誰かを蘇らせてもらったことがあるのではないか?」

「仰る通りです」

「一体誰を?」

「申し訳ありませんが、それはお教えできません。特別な理由があるのです」

「そうか・・・なら仕方あるまい」



 チャリスは聞き分けよく、それ以上は言及しなかった。



 立場と権力を使えばイーデルの口など簡単に割ることが出来るだろうが、チャリスはそんな事を考えさえしない。



「恐れ入ります」



 イーデルはこの一言に最上級の敬意と感謝と込めておいた。



「ともかく念願のネクロマンサーとやらに会えるのだ。感謝するぞ、イーデル」

「勿体なきお言葉」



 再び夜は更けていく。



 いつものように姿のないチャリスと見送ったあと、イーデルはベットの下から木箱を取り出した。中には丁寧に包まれた酒のボトルが入っている。それをグラスに注ぐと、ちびちびと大事そうに飲み始めた。酒のアテはなかったが構わなかった。



 そうしているうちに、一つ無視することのできない大きな大きな懸念を思い出したのだった。
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