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第三章 港町の新米作家編
来訪者
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これまでの経緯を語り終えると、私は冷めてしまったカップの中身を全て飲み干す。目の前のマミーは、目元にハンカチを押し当て、啜り泣いていた。
「この一年、大変な思いを……されてきたのですね」
「まあね、ここでの暮らしにもようやく慣れてきて、楽しむ余裕も出てきた感じ」
以前の私であれば「そんな事ない」と否定するところだけれど、数少ない心を許せる相手には、本音を言う事を覚えた。今までは我慢するばかりで、弱音だって吐き出せずに自分の中で溜まっていく一方だった。結局、大切なものを奪われ続けた私に残されたのは、つまらない意地と後悔だけだったのだ。
「アイシャ様……正直言いますと、わたくし、K・ホイール先生が貴女であると確かめたのなら、すぐにでも旦那様にお知らせして連れ帰るつもりでしたの」
「……」
「ですが、それはやめておいた方がいいと分かりました。今の状況では危険過ぎますし、お二人にはまだ時間が必要です」
「助かるわ」
マミーはそう言ってくれたものの、内心では納得していないだろう。何せ、彼女はカーク殿下の乳母だったのだ。殿下たちの方を信じると言われても当然なのだけれど、それでも今は私の心情を慮って早まった真似はしないと約束してくれる。だからこそこうして、私の所在を明らかにしたのだけれど。
「もちろん、ずっとこのままでいられないのは分かっています。けれど……公爵様とお話する時は、私の方から動きますので」
「それを聞いて安心しましたわ。以後、わたくしはもうこちらには参りません。アイシャ様、次また公爵家でお会いできる日をお待ちしております」
マミーは目元を拭いながら立ち上がり、深々とお辞儀をして店を出て行った。
その様子をしばらく見送り、大きく溜息を吐いた私は、パンッと両頬を叩いてから席を立った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ガラン新聞社に戻ると、チイさんから私に会いに来た人がいるので応接スペースにお通ししたと告げられた。この日はガッツ先輩は出張で、編集長も社長代理に呼ばれ席を外しているので、編集部内は閑散としている。
「あの……他の人たちは?」
「ああ、お客様が物凄い美人なので、みんなそわそわしちゃって。仕事にならないから外でネタ集めてこいって叩き出してやったのよ、まったく」
「ええ……」
頬を膨らませるチイさんに思わず苦笑する。言われてみれば、応接スペースには今までなかった敷居が立てられていて、ここからでは中に誰がいるのかよく見えない。
「それで、私を訪ねてきた人とは?」
「何でもローズ侯爵令嬢のご紹介で来たんですって。心当たりある?」
「ええ、まあ」
「よかったわ。彼女、貴女の事を一瞬『アイシャ』と言いかけたものだから、警戒していたの」
チイさんが編集部員たちを部屋から出した理由が分かった。来訪者がベアトリス様の名を騙り、私の居所を探りに来た可能性――そうでなくとも、『アイシャ』と呼ばれる事で私の正体を周りに知らせないための配慮だ。
処女作【妖精王子と悪役姫】の出版直前にお会いしたベアトリス様は、こんな事を打診してきた。
『護衛とわたくしとの連絡係を兼ねて、もう一人新しいメイドを置いて欲しいのよ。もちろんエルシィとの事もあるから、貴女も完全には信用できないでしょう? だから、公爵家にいるどの勢力にも属さない、わたくしの知己を推薦しておくわ。雇い主はわたくしだから、お金の心配も不要よ』
マミーがここを訪ねてくる時には、紹介状を持たせて新聞社に向かわせるから、直接会って決めてくれと。
(それにしても、彼女と会ったその日に来るとは思わなかったわ)
もちろん、エルシィのように情報を嗅ぎ付けたスパイの可能性もある。そのために、私たちはあらかじめ面接の内容を決めておいたのだ。
私が応接スペースに入ると、ソファに腰かけていた来訪者はゆっくりと顔を上げた。
確かに、物凄い美人だ。
三つ編みにされた艶やかな黒髪は、光の加減で海のように青くも見える。肌は透き通ったように白く、造形一つ一つが芸術のように整っていて、まるで女神が降臨したと言われても信じてしまうかもしれない。
ただ、それを台無しにしているのが、彼女の格好だった。
何故かメイド服を着ている……いや、ベアトリス様はメイドをと言っていたけども、採用も決まっていないのに気が早いんじゃないだろうか。そのままの格好でここまで来たのかしら?
それに、せっかくの長い睫毛とくっきりした二重を覆い隠すようなサングラス。これも叔父様が発明した商品で、日光を遮る事ができる色付き眼鏡だ。目が弱いのかもしれないが、室内でもかけたままなのは少し異様だった。
そのサングラスの奥の瞳が、私を捉えた瞬間、大きく見開かれる。立ち上がり、呆然としたように形の良い唇が僅かに動き……ぐっと引き締められたかと思うと、礼を取られた。
「突然このように押しかけてしまい、申し訳ありません。その……貴女が、K・ホイール先生ですか?」
「はい。ローズ侯爵令嬢から、貴女の事は伺っておりました。紹介状を拝見しても?」
彼女から差し出された紹介状には、確かにベアトリス様のサインが入っていた。
これだけでも本物と認めていいのだけれど、念のためにもう一段階確認しておく。紹介状を裏返し、魔力を流せば私自身が書いたサインが浮かび上がる。これは叔父様が用意してくれた魔法の紙で、お母様が私に母娘遺産を引き継がせるための契約書も、彼が作ったのだとその時に知った。
(それにしても、こんな気後れするほどの美人だとは思わなかったわ。ベアトリス様とはまた違うタイプだけど、美しさだけなら類を見ないほどの人が私のメイドだなんて……いえ、顔は関係ないけども)
並んで歩けば、どう見ても使用人は私の方だと思われるだろうな……とかバカな事を考えつつも、私は彼女に着席を促してから向かい側に座った。
「この一年、大変な思いを……されてきたのですね」
「まあね、ここでの暮らしにもようやく慣れてきて、楽しむ余裕も出てきた感じ」
以前の私であれば「そんな事ない」と否定するところだけれど、数少ない心を許せる相手には、本音を言う事を覚えた。今までは我慢するばかりで、弱音だって吐き出せずに自分の中で溜まっていく一方だった。結局、大切なものを奪われ続けた私に残されたのは、つまらない意地と後悔だけだったのだ。
「アイシャ様……正直言いますと、わたくし、K・ホイール先生が貴女であると確かめたのなら、すぐにでも旦那様にお知らせして連れ帰るつもりでしたの」
「……」
「ですが、それはやめておいた方がいいと分かりました。今の状況では危険過ぎますし、お二人にはまだ時間が必要です」
「助かるわ」
マミーはそう言ってくれたものの、内心では納得していないだろう。何せ、彼女はカーク殿下の乳母だったのだ。殿下たちの方を信じると言われても当然なのだけれど、それでも今は私の心情を慮って早まった真似はしないと約束してくれる。だからこそこうして、私の所在を明らかにしたのだけれど。
「もちろん、ずっとこのままでいられないのは分かっています。けれど……公爵様とお話する時は、私の方から動きますので」
「それを聞いて安心しましたわ。以後、わたくしはもうこちらには参りません。アイシャ様、次また公爵家でお会いできる日をお待ちしております」
マミーは目元を拭いながら立ち上がり、深々とお辞儀をして店を出て行った。
その様子をしばらく見送り、大きく溜息を吐いた私は、パンッと両頬を叩いてから席を立った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ガラン新聞社に戻ると、チイさんから私に会いに来た人がいるので応接スペースにお通ししたと告げられた。この日はガッツ先輩は出張で、編集長も社長代理に呼ばれ席を外しているので、編集部内は閑散としている。
「あの……他の人たちは?」
「ああ、お客様が物凄い美人なので、みんなそわそわしちゃって。仕事にならないから外でネタ集めてこいって叩き出してやったのよ、まったく」
「ええ……」
頬を膨らませるチイさんに思わず苦笑する。言われてみれば、応接スペースには今までなかった敷居が立てられていて、ここからでは中に誰がいるのかよく見えない。
「それで、私を訪ねてきた人とは?」
「何でもローズ侯爵令嬢のご紹介で来たんですって。心当たりある?」
「ええ、まあ」
「よかったわ。彼女、貴女の事を一瞬『アイシャ』と言いかけたものだから、警戒していたの」
チイさんが編集部員たちを部屋から出した理由が分かった。来訪者がベアトリス様の名を騙り、私の居所を探りに来た可能性――そうでなくとも、『アイシャ』と呼ばれる事で私の正体を周りに知らせないための配慮だ。
処女作【妖精王子と悪役姫】の出版直前にお会いしたベアトリス様は、こんな事を打診してきた。
『護衛とわたくしとの連絡係を兼ねて、もう一人新しいメイドを置いて欲しいのよ。もちろんエルシィとの事もあるから、貴女も完全には信用できないでしょう? だから、公爵家にいるどの勢力にも属さない、わたくしの知己を推薦しておくわ。雇い主はわたくしだから、お金の心配も不要よ』
マミーがここを訪ねてくる時には、紹介状を持たせて新聞社に向かわせるから、直接会って決めてくれと。
(それにしても、彼女と会ったその日に来るとは思わなかったわ)
もちろん、エルシィのように情報を嗅ぎ付けたスパイの可能性もある。そのために、私たちはあらかじめ面接の内容を決めておいたのだ。
私が応接スペースに入ると、ソファに腰かけていた来訪者はゆっくりと顔を上げた。
確かに、物凄い美人だ。
三つ編みにされた艶やかな黒髪は、光の加減で海のように青くも見える。肌は透き通ったように白く、造形一つ一つが芸術のように整っていて、まるで女神が降臨したと言われても信じてしまうかもしれない。
ただ、それを台無しにしているのが、彼女の格好だった。
何故かメイド服を着ている……いや、ベアトリス様はメイドをと言っていたけども、採用も決まっていないのに気が早いんじゃないだろうか。そのままの格好でここまで来たのかしら?
それに、せっかくの長い睫毛とくっきりした二重を覆い隠すようなサングラス。これも叔父様が発明した商品で、日光を遮る事ができる色付き眼鏡だ。目が弱いのかもしれないが、室内でもかけたままなのは少し異様だった。
そのサングラスの奥の瞳が、私を捉えた瞬間、大きく見開かれる。立ち上がり、呆然としたように形の良い唇が僅かに動き……ぐっと引き締められたかと思うと、礼を取られた。
「突然このように押しかけてしまい、申し訳ありません。その……貴女が、K・ホイール先生ですか?」
「はい。ローズ侯爵令嬢から、貴女の事は伺っておりました。紹介状を拝見しても?」
彼女から差し出された紹介状には、確かにベアトリス様のサインが入っていた。
これだけでも本物と認めていいのだけれど、念のためにもう一段階確認しておく。紹介状を裏返し、魔力を流せば私自身が書いたサインが浮かび上がる。これは叔父様が用意してくれた魔法の紙で、お母様が私に母娘遺産を引き継がせるための契約書も、彼が作ったのだとその時に知った。
(それにしても、こんな気後れするほどの美人だとは思わなかったわ。ベアトリス様とはまた違うタイプだけど、美しさだけなら類を見ないほどの人が私のメイドだなんて……いえ、顔は関係ないけども)
並んで歩けば、どう見ても使用人は私の方だと思われるだろうな……とかバカな事を考えつつも、私は彼女に着席を促してから向かい側に座った。
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