上 下
80 / 98
第三章 港町の新米作家編

経緯⑥

しおりを挟む
 手続きを済ませた私たちは、新聞社を出てから歩いてすぐの場所に辿り着いた。ここは領外から出稼ぎに来た人たちが暮らす、格安のアパートなのだとか。二階建てで、渡り廊下からは噴水付きの小さな公園が見える。

「魔法の鍵があるからどこでもいいんだが、役所には登録しとかないとな。お前じゃまずいから、そこのメイドの名前で」
「えっ、わ、私がですか??」

 唐突に指名されて、目を白黒させるクララ。まあ、血眼になって探されている私とテッドと違い、クララは巻き込まれただけだから、目を付けられてないのよね。

「クララ、お願いできる?」
「しょ、承知いたしました……失礼ですが、外からの人間ばかりが集まる場所なんて、治安は大丈夫なのでしょうか? 袖の下を渡されて、私たちの情報が売られたりなどは」
「ああ、ならな。けど、ここの大家も俺と顔見知りだから」

 叔父様、知り合い何人いるの……そして普通じゃない人間って一体? 気にはなったけど、テッドを狙う勢力に屈しないと言うなら、それだけで私にとっては安全圏だ。

 ちなみに新聞社の方は頻繁に人の出入りがあるから、あまりドアをガチャガチャされたり外で騒がれるのも耳障りだからと、こちらになったらしい。その配慮はかなりありがたいと思う。騒音の事もあるけど、妊娠中はずっと公爵邸から動く事はなかったので、これからも狭い範囲に行動が制限されるとなると……運動不足が気になって。

「使わないと思うが、一応部屋の鍵を渡しておく。それと、テッドには……これだ」

 そう言って、サンバイザー付きのフードをくれた。半透明のバイザーはテッドの顔半分を覆い尽くし、目の色を緑っぽく見せてくれる。とりあえずの処置という事だけど、これを着けていれば外にも出られるだろう。

「叔父様、本当に何から何まで……」
「礼を言うのはまだ早いだろ。まずはここでの生活に早く慣れる事だな。俺は新しい事業を立ち上げるから、ずっとここには居られないが……魔法の鍵の部屋に『妖話』を設置するよう手配しといてやるから、連絡はくれよ」

 えっ、また何か始めるつもりなの? まあ、叔父様もネメシス様の監視対象になってしまった今、あまりここに長居しては特定されてしまう。
 寂しくはあったけれど、私も一人でやっていける強さを、早く身に付けなくちゃ。

 そして馬車を見送った私たちは、役所にクララの名前で住所を登録し、港町キトピロでの生活を始めたのだった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

「ちーっす、ただいま戻りましたぁ……っと」

 ガラン堂新聞社の二階にある編集室に、やけに忙しない様子で青年が入ってくる。金髪を短く刈り上げた、青い目の陽気な男性。どうやら記者の一人らしい。

「戻ったか、ガッツ」
「ほい。編集長の見立て通り、明日の一面はこれで決まりですよ。いやー、いい写真撮れたなぁ!」
「お疲れ様。お茶淹れたから、一息入れたら?」

 編集長やチイさんの労わりに、軽快な調子で返すと、『ガッツ』と呼ばれた青年は自分の机にドカッと座る。

「あれ、社長来てたの? 久しぶりだな~」
「社長が来たのは、数日前だ。何か分かるのか?」
「お茶請けのこれだよ。新しく事業を興すからって俺、試作品食わされた事あるもん。『イマガワ』だったっけ? 甘く煮た豆なんて俺の口には合わなかったけど……あれ、これカスタードだ」

 叔父様の新商品を一口食べて、『ガッツ』さんは首を傾げる。と、そこで初めて向かい側の席に座っている私に気付いたようだ。

「あんた誰?」
「あ、あの……」
「彼女がそれを持って来てくれたのよ。うちの新聞で小説を書いてくれる事になったの。
……あとそれ、『イマガワ』なんて商品名じゃないから」

 私が社長の姪である事を、チイさんは伏せてくれるようだった。上層部は社員の素性を把握しているものの、全員がそれを共有する必要はないという事か。情報なんて、どこで漏れるか分からない以上、慎重にならざるを得ないのは分かる。

 試作品はいまいちでも、このお茶請けは口に合ったのか、あっと言う間に平らげた『ガッツ』さんは、手を拭きながら面白そうに私を覗き込んできた。

「小説~? あんた作家さんなのか……まあいいや。俺はトム=フィッシュアイ。人手が足りない時にちょいちょい記事を書いたりするけど、本業はカメラマンなんだぜ」

 そう自己紹介されて、首を傾げる。『ガッツ』さんじゃなかったの? 手を握り返す前にその事が気になって間ができてしまうと、チイさんにクスクス笑われた。

「『ガッツ』ってのは、あだ名よ。ここ、訳ありな人材が集まってくるもんだから、お互い本名では呼ばない事にしてるの。基本的には記者名と同じね」
「おう、あんたも『ガッツ』でいいぜ」

 なるほど、私のペンネームと似たようなものか。小粋な調子が何となくジャックを連想させて、思わず笑みを零す。改めて、私は彼と握手を交わした。

「はじめまして、今日から『ガラン堂新聞』に連載する事になりました、『K=ホイール』と言います。これからよろしくお願いしますね、ガッツ先輩」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

私が消えた後のこと

藍田ひびき
恋愛
 クレヴァリー伯爵令嬢シャーロットが失踪した。  シャーロットが受け取るべき遺産と爵位を手中にしたい叔父、浮気をしていた婚約者、彼女を虐めていた従妹。  彼らは自らの欲望を満たすべく、シャーロットの不在を利用しようとする。それが破滅への道とも知らずに……。 ※ 6/3 後日談を追加しました。 ※ 6/2 誤字修正しました。ご指摘ありがとうございました。 ※ なろうにも投稿しています。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?

こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。 「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」 そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。 【毒を検知しました】 「え?」 私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。 ※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

いじめられ続けた挙げ句、三回も婚約破棄された悪役令嬢は微笑みながら言った「女神の顔も三度まで」と

鳳ナナ
恋愛
伯爵令嬢アムネジアはいじめられていた。 令嬢から。子息から。婚約者の王子から。 それでも彼女はただ微笑を浮かべて、一切の抵抗をしなかった。 そんなある日、三回目の婚約破棄を宣言されたアムネジアは、閉じていた目を見開いて言った。 「――女神の顔も三度まで、という言葉をご存知ですか?」 その言葉を皮切りに、ついにアムネジアは本性を現し、夜会は女達の修羅場と化した。 「ああ、気持ち悪い」 「お黙りなさい! この泥棒猫が!」 「言いましたよね? 助けてやる代わりに、友達料金を払えって」 飛び交う罵倒に乱れ飛ぶワイングラス。 謀略渦巻く宮廷の中で、咲き誇るは一輪の悪の華。 ――出てくる令嬢、全員悪人。 ※小説家になろう様でも掲載しております。

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

処理中です...