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第三章 港町の新米作家編
経緯⑥
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手続きを済ませた私たちは、新聞社を出てから歩いてすぐの場所に辿り着いた。ここは領外から出稼ぎに来た人たちが暮らす、格安のアパートなのだとか。二階建てで、渡り廊下からは噴水付きの小さな公園が見える。
「魔法の鍵があるからどこでもいいんだが、役所には登録しとかないとな。お前じゃまずいから、そこのメイドの名前で」
「えっ、わ、私がですか??」
唐突に指名されて、目を白黒させるクララ。まあ、血眼になって探されている私とテッドと違い、クララは巻き込まれただけだから、目を付けられてないのよね。
「クララ、お願いできる?」
「しょ、承知いたしました……失礼ですが、外からの人間ばかりが集まる場所なんて、治安は大丈夫なのでしょうか? 袖の下を渡されて、私たちの情報が売られたりなどは」
「ああ、普通の人間ならな。けど、ここの大家も俺と顔見知りだから」
叔父様、知り合い何人いるの……そして普通じゃない人間って一体? 気にはなったけど、テッドを狙う勢力に屈しないと言うなら、それだけで私にとっては安全圏だ。
ちなみに新聞社の方は頻繁に人の出入りがあるから、あまりドアをガチャガチャされたり外で騒がれるのも耳障りだからと、こちらになったらしい。その配慮はかなりありがたいと思う。騒音の事もあるけど、妊娠中はずっと公爵邸から動く事はなかったので、これからも狭い範囲に行動が制限されるとなると……運動不足が気になって。
「使わないと思うが、一応部屋の鍵を渡しておく。それと、テッドには……これだ」
そう言って、サンバイザー付きのフードをくれた。半透明のバイザーはテッドの顔半分を覆い尽くし、目の色を緑っぽく見せてくれる。とりあえずの処置という事だけど、これを着けていれば外にも出られるだろう。
「叔父様、本当に何から何まで……」
「礼を言うのはまだ早いだろ。まずはここでの生活に早く慣れる事だな。俺は新しい事業を立ち上げるから、ずっとここには居られないが……魔法の鍵の部屋に『妖話』を設置するよう手配しといてやるから、連絡はくれよ」
えっ、また何か始めるつもりなの? まあ、叔父様もネメシス様の監視対象になってしまった今、あまりここに長居しては特定されてしまう。
寂しくはあったけれど、私も一人でやっていける強さを、早く身に付けなくちゃ。
そして馬車を見送った私たちは、役所にクララの名前で住所を登録し、港町キトピロでの生活を始めたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ちーっす、ただいま戻りましたぁ……っと」
ガラン堂新聞社の二階にある編集室に、やけに忙しない様子で青年が入ってくる。金髪を短く刈り上げた、青い目の陽気な男性。どうやら記者の一人らしい。
「戻ったか、ガッツ」
「ほい。編集長の見立て通り、明日の一面はこれで決まりですよ。いやー、いい写真撮れたなぁ!」
「お疲れ様。お茶淹れたから、一息入れたら?」
編集長やチイさんの労わりに、軽快な調子で返すと、『ガッツ』と呼ばれた青年は自分の机にドカッと座る。
「あれ、社長来てたの? 久しぶりだな~」
「社長が来たのは、数日前だ。何か分かるのか?」
「お茶請けのこれだよ。新しく事業を興すからって俺、試作品食わされた事あるもん。『イマガワ』だったっけ? 甘く煮た豆なんて俺の口には合わなかったけど……あれ、これカスタードだ」
叔父様の新商品を一口食べて、『ガッツ』さんは首を傾げる。と、そこで初めて向かい側の席に座っている私に気付いたようだ。
「あんた誰?」
「あ、あの……」
「彼女がそれを持って来てくれたのよ。うちの新聞で小説を書いてくれる事になったの。
……あとそれ、『イマガワ』なんて商品名じゃないから」
私が社長の姪である事を、チイさんは伏せてくれるようだった。上層部は社員の素性を把握しているものの、全員がそれを共有する必要はないという事か。情報なんて、どこで漏れるか分からない以上、慎重にならざるを得ないのは分かる。
試作品はいまいちでも、このお茶請けは口に合ったのか、あっと言う間に平らげた『ガッツ』さんは、手を拭きながら面白そうに私を覗き込んできた。
「小説~? あんた作家さんなのか……まあいいや。俺はトム=フィッシュアイ。人手が足りない時にちょいちょい記事を書いたりするけど、本業はカメラマンなんだぜ」
そう自己紹介されて、首を傾げる。『ガッツ』さんじゃなかったの? 手を握り返す前にその事が気になって間ができてしまうと、チイさんにクスクス笑われた。
「『ガッツ』ってのは、あだ名よ。ここ、訳ありな人材が集まってくるもんだから、お互い本名では呼ばない事にしてるの。基本的には記者名と同じね」
「おう、あんたも『ガッツ』でいいぜ」
なるほど、私のペンネームと似たようなものか。小粋な調子が何となくジャックを連想させて、思わず笑みを零す。改めて、私は彼と握手を交わした。
「はじめまして、今日から『ガラン堂新聞』に連載する事になりました、『K=ホイール』と言います。これからよろしくお願いしますね、ガッツ先輩」
「魔法の鍵があるからどこでもいいんだが、役所には登録しとかないとな。お前じゃまずいから、そこのメイドの名前で」
「えっ、わ、私がですか??」
唐突に指名されて、目を白黒させるクララ。まあ、血眼になって探されている私とテッドと違い、クララは巻き込まれただけだから、目を付けられてないのよね。
「クララ、お願いできる?」
「しょ、承知いたしました……失礼ですが、外からの人間ばかりが集まる場所なんて、治安は大丈夫なのでしょうか? 袖の下を渡されて、私たちの情報が売られたりなどは」
「ああ、普通の人間ならな。けど、ここの大家も俺と顔見知りだから」
叔父様、知り合い何人いるの……そして普通じゃない人間って一体? 気にはなったけど、テッドを狙う勢力に屈しないと言うなら、それだけで私にとっては安全圏だ。
ちなみに新聞社の方は頻繁に人の出入りがあるから、あまりドアをガチャガチャされたり外で騒がれるのも耳障りだからと、こちらになったらしい。その配慮はかなりありがたいと思う。騒音の事もあるけど、妊娠中はずっと公爵邸から動く事はなかったので、これからも狭い範囲に行動が制限されるとなると……運動不足が気になって。
「使わないと思うが、一応部屋の鍵を渡しておく。それと、テッドには……これだ」
そう言って、サンバイザー付きのフードをくれた。半透明のバイザーはテッドの顔半分を覆い尽くし、目の色を緑っぽく見せてくれる。とりあえずの処置という事だけど、これを着けていれば外にも出られるだろう。
「叔父様、本当に何から何まで……」
「礼を言うのはまだ早いだろ。まずはここでの生活に早く慣れる事だな。俺は新しい事業を立ち上げるから、ずっとここには居られないが……魔法の鍵の部屋に『妖話』を設置するよう手配しといてやるから、連絡はくれよ」
えっ、また何か始めるつもりなの? まあ、叔父様もネメシス様の監視対象になってしまった今、あまりここに長居しては特定されてしまう。
寂しくはあったけれど、私も一人でやっていける強さを、早く身に付けなくちゃ。
そして馬車を見送った私たちは、役所にクララの名前で住所を登録し、港町キトピロでの生活を始めたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ちーっす、ただいま戻りましたぁ……っと」
ガラン堂新聞社の二階にある編集室に、やけに忙しない様子で青年が入ってくる。金髪を短く刈り上げた、青い目の陽気な男性。どうやら記者の一人らしい。
「戻ったか、ガッツ」
「ほい。編集長の見立て通り、明日の一面はこれで決まりですよ。いやー、いい写真撮れたなぁ!」
「お疲れ様。お茶淹れたから、一息入れたら?」
編集長やチイさんの労わりに、軽快な調子で返すと、『ガッツ』と呼ばれた青年は自分の机にドカッと座る。
「あれ、社長来てたの? 久しぶりだな~」
「社長が来たのは、数日前だ。何か分かるのか?」
「お茶請けのこれだよ。新しく事業を興すからって俺、試作品食わされた事あるもん。『イマガワ』だったっけ? 甘く煮た豆なんて俺の口には合わなかったけど……あれ、これカスタードだ」
叔父様の新商品を一口食べて、『ガッツ』さんは首を傾げる。と、そこで初めて向かい側の席に座っている私に気付いたようだ。
「あんた誰?」
「あ、あの……」
「彼女がそれを持って来てくれたのよ。うちの新聞で小説を書いてくれる事になったの。
……あとそれ、『イマガワ』なんて商品名じゃないから」
私が社長の姪である事を、チイさんは伏せてくれるようだった。上層部は社員の素性を把握しているものの、全員がそれを共有する必要はないという事か。情報なんて、どこで漏れるか分からない以上、慎重にならざるを得ないのは分かる。
試作品はいまいちでも、このお茶請けは口に合ったのか、あっと言う間に平らげた『ガッツ』さんは、手を拭きながら面白そうに私を覗き込んできた。
「小説~? あんた作家さんなのか……まあいいや。俺はトム=フィッシュアイ。人手が足りない時にちょいちょい記事を書いたりするけど、本業はカメラマンなんだぜ」
そう自己紹介されて、首を傾げる。『ガッツ』さんじゃなかったの? 手を握り返す前にその事が気になって間ができてしまうと、チイさんにクスクス笑われた。
「『ガッツ』ってのは、あだ名よ。ここ、訳ありな人材が集まってくるもんだから、お互い本名では呼ばない事にしてるの。基本的には記者名と同じね」
「おう、あんたも『ガッツ』でいいぜ」
なるほど、私のペンネームと似たようなものか。小粋な調子が何となくジャックを連想させて、思わず笑みを零す。改めて、私は彼と握手を交わした。
「はじめまして、今日から『ガラン堂新聞』に連載する事になりました、『K=ホイール』と言います。これからよろしくお願いしますね、ガッツ先輩」
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