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第三章 港町の新米作家編
経緯③
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「叔父様……」
「アイシャ、無事でよかった」
こちらが二、三歩近付く間に立ち上がったガラン叔父様は、私を抱きしめ頭を撫でてくる。お母様が亡くなってから、私が心から信頼できるのはこの人だけだった。ルージュ侯爵家でありながら何者にも縛られない自由人。ただそれ故に、常に私のそばにいてくれるというわけでもなくて。
「お嬢様、あの……ミカワ屋の社長が貴女の叔父というのは」
「ああ、そうだった。紹介するわね」
赤ん坊を抱きながら戸惑った様子で見守っていたクララに、私は彼の正体を告げる。
「こちらは先代ルージュ侯爵の三男、ガラン=ドゥ=ルージュ様。私のお母様の弟にあたる御方なの」
「ええー……っ!?」
衝撃の事実に声を上げかけ、咄嗟に口を手で覆うクララ。こんな至近距離で大声を上げたら、赤ん坊がびっくりしちゃうものね。
「お嬢様は、ご存じだったのですか?」
「確証はなかったけど、薄々は……昔から魔界を含む世界中を冒険してきたって聞いていたし」
話半分だったけどね。叔父様の話によれば、魔界に来た時に通貨を浸透させ、商売を始めたのだという。魔物たちを子分……もとい、従業員にして教育し、人間の言葉を教え、たまに魔界に紛れ込んだ者たちの手助けもしてやる。そうした儲けで造ったのが、この城と人間の世界を繋ぐ馬車だった。
「お母様の遺産を作ったのも、叔父様なのね?」
「正確には姉貴と二人で、だ。救世主ケイコ=スノーラの遺した蛍光金属は『血』と『魔力』を媒介にした特殊な魔道具を作るのに最適だったし、ルージュ侯爵家には王国の闇について記された禁書がゴロゴロしてたからな。
ある意味、俺たちだからこそ作れた、この世で唯一無比の秘宝と言えるだろう」
お母様が私に託した遺産は、そんなとんでもない代物だったの……便利な魔法だと無邪気にはしゃぐにはスケールが大き過ぎて、正直手に余る。ただ――
「おかげで私たちは、何度も命を助けられてきました。だけど今回、魔界に閉じ込められてしまって……貴方を頼りに、サブちゃんに頼んでここへ連れてきてもらったのです。
お願いです、叔父様。どうかクララだけでも元の世界へ帰してあげられないでしょうか」
「お嬢様、何を仰るのです!」
今度こそクララは声を張り上げ、赤ん坊が火が点いたように泣き出してしまう。あやしながらも非難めいた視線を投げてくるクララを、私は諭した。
「今まで私を支えてくれてありがとう。だけどね、この子を……私を取り巻く状況は思った以上に厄介だって、思い知ったのよ。これ以上貴女を巻き込む訳にはいかないわ」
「私はお嬢様が幸せになるまでおそばを離れないと誓ったのです。弟たちだって理解してくれていますわ。それに、坊ちゃまはどうされるのです。味方は一人でも多い方がいいでしょう?」
「少なくとも、ここにいれば向こう側の人たちに害される心配はないもの。そうよね、叔父様?」
人間界は敵だらけだが、この城にいれば私もこの子も安全なはず。そう思って振り仰いだ叔父様の顔は浮かなかった。
「残念だが、一生というわけにはいかないぞ。こっちにはこっちでデメリットがある。
まず、魔界の瘴気は長期間ただの人間が住むのに適していない。人体にどんな影響があるのか未知数だ。魔性を帯びて悪魔になったり、生まれた子供が亜人だったり……なんて事もないとは言えん」
「えっ!? でも……」
「この城には結界を張っているからな。とは言え、お前の息子は城から一歩も出られねえぞ。俺が死ねば結界は解かれるから、魔界の連中が見逃してくれんのかも分からねえし。まさか一生ここに閉じ込めとくつもりだったのか?」
考えの甘さを指摘され、項垂れてしまう。叔父様に頼りさえすれば何とかなるだなんて、他力本願もいいとこだ。それでも数年匿うぐらいはしてやると約束してくれたけど、それとは別に元の世界で生きていくための対策も立てなければいけない。
「そうだ、叔父様は馬車があるでしょう? あれで国外まで逃げる事はできないの?」
「それがなあ……あのババア、最近になって出入国を厳しく取り締まるよう、国に通達を出したんだ。俺もそれに引っ掛かっちまって……出国停止命令が大奥様から出てますってよ。恐らく、お前が俺を頼る事も想定済みなんだろうな」
取り締まり!? 公爵家にも息のかかったメイドたちが送られてきたし、この子絡みなのは間違いないだろう。元々は黄金眼球の持ち主の国外逃亡を防ぐために結界が張られていたが、それに加えてこの国では規格外の魔法を使える叔父様を封じ込めにかかってきた。もしここで無理に国境を突破してしまえば、お尋ね者になってしまう。
「ご、ごめんなさい……叔父様は完全にとばっちりよね」
「まあ魔界であればどこでも行けるし、国内であってもあの馬車を掴まえる事なんて、そうそうできるもんじゃないから心配するな。要はその坊主がどっかの勢力に利用される事なく、平穏無事に暮らしていければいいわけだ。
よければ俺が住むとこと仕事を紹介してやるよ。そこでしばらく潜伏しながら、打開策を考えよう」
結局頼る事になってしまったが、叔父様はあらかじめこうなった時の事を考えて用意してくれていたらしい。ありがたいと同時に、心苦しくもある。
あの時、叔父様は「幸不幸はその場だけでは決められない」と言った。ならば、今この状況は幸せかと言えば……エルシィが死んでクララを魔界に閉じ込めてしまった事は、間違いなく不幸だ。しかも不確定ながら、どちらもチャールズ様が絡んでいるともなれば。
もし……もしもあの時。
「アイシャ、お前こいつを産んだ事を後悔してるのか?」
叔父様に私の内心を見透かされ、ドキリとして顔を上げる。チャールズ様の事は置いておくとして、私はこの子を愛しているし、そのためなら命すらいらない。今となっては、チャールズ様の御母君の気持ちが痛いほど分かってしまうのだ。
けれど、そのために他の誰かが死んでもいいのかと言われると……心が揺れてしまう自分がいる。あの時の選択は、本当に正しかったのかと。
「そういう時はな、絶対に譲れないのは何かを決めておくんだ。たとえ他人に迷惑かけようとも、最後まで捨てられない何かを……そうすりゃ誰がなんて言おうが、それがお前にとっての正解だよ」
「私にとっての、正解……」
私は自分に自信が持てなかった。地獄から逃げ出す事すらせず、諦めてただ受け入れるだけ。だって選ばないって、とても楽なのだもの。何もしていないのだから、嫌な目に遭っても私のせいじゃない。
だけどそんな臆病な自分がとても嫌で、とても嫌いで……心の中に、鏡の中にお友達を作って、いつも自分を慰めていた。そして迷った時はこう言わせるのだ。
『ボクはいつでもアイシャの味方だよ』
私は閉じていた目を開けて、カランコエに向き合う。そこには少し寂しそうな笑顔があった。つまり、私も同じ表情をしているという事。私、こんな顔できたんだ……きっと大丈夫って顔が。
『キミにとって一番大切なものが何なのか、分かったんだね。おめでとう、アイシャ。お人形遊びも、これで卒業だね』
(カランコエ、ありがとう……今までずっと、そばにいてくれて)
『何も変わらないよ。ボクはいつでもキミの中にいる。それを忘れないで』
カランコエの目から、涙がポロリと零れた。それは、成長という名の『別れ』――カランコエはもう、どこにも居ない。
「大丈夫ですか、お嬢様!?」
「平気よ、ありがとう……クララ」
クララが慌ててハンカチで目元を拭ってくれる。大丈夫、もう私は大丈夫だから。
「本当に申し訳ないけれど、私とこの子の幸せのために、力を貸してくれる?」
「もちろんです、お嬢様!」
「アイシャ、無事でよかった」
こちらが二、三歩近付く間に立ち上がったガラン叔父様は、私を抱きしめ頭を撫でてくる。お母様が亡くなってから、私が心から信頼できるのはこの人だけだった。ルージュ侯爵家でありながら何者にも縛られない自由人。ただそれ故に、常に私のそばにいてくれるというわけでもなくて。
「お嬢様、あの……ミカワ屋の社長が貴女の叔父というのは」
「ああ、そうだった。紹介するわね」
赤ん坊を抱きながら戸惑った様子で見守っていたクララに、私は彼の正体を告げる。
「こちらは先代ルージュ侯爵の三男、ガラン=ドゥ=ルージュ様。私のお母様の弟にあたる御方なの」
「ええー……っ!?」
衝撃の事実に声を上げかけ、咄嗟に口を手で覆うクララ。こんな至近距離で大声を上げたら、赤ん坊がびっくりしちゃうものね。
「お嬢様は、ご存じだったのですか?」
「確証はなかったけど、薄々は……昔から魔界を含む世界中を冒険してきたって聞いていたし」
話半分だったけどね。叔父様の話によれば、魔界に来た時に通貨を浸透させ、商売を始めたのだという。魔物たちを子分……もとい、従業員にして教育し、人間の言葉を教え、たまに魔界に紛れ込んだ者たちの手助けもしてやる。そうした儲けで造ったのが、この城と人間の世界を繋ぐ馬車だった。
「お母様の遺産を作ったのも、叔父様なのね?」
「正確には姉貴と二人で、だ。救世主ケイコ=スノーラの遺した蛍光金属は『血』と『魔力』を媒介にした特殊な魔道具を作るのに最適だったし、ルージュ侯爵家には王国の闇について記された禁書がゴロゴロしてたからな。
ある意味、俺たちだからこそ作れた、この世で唯一無比の秘宝と言えるだろう」
お母様が私に託した遺産は、そんなとんでもない代物だったの……便利な魔法だと無邪気にはしゃぐにはスケールが大き過ぎて、正直手に余る。ただ――
「おかげで私たちは、何度も命を助けられてきました。だけど今回、魔界に閉じ込められてしまって……貴方を頼りに、サブちゃんに頼んでここへ連れてきてもらったのです。
お願いです、叔父様。どうかクララだけでも元の世界へ帰してあげられないでしょうか」
「お嬢様、何を仰るのです!」
今度こそクララは声を張り上げ、赤ん坊が火が点いたように泣き出してしまう。あやしながらも非難めいた視線を投げてくるクララを、私は諭した。
「今まで私を支えてくれてありがとう。だけどね、この子を……私を取り巻く状況は思った以上に厄介だって、思い知ったのよ。これ以上貴女を巻き込む訳にはいかないわ」
「私はお嬢様が幸せになるまでおそばを離れないと誓ったのです。弟たちだって理解してくれていますわ。それに、坊ちゃまはどうされるのです。味方は一人でも多い方がいいでしょう?」
「少なくとも、ここにいれば向こう側の人たちに害される心配はないもの。そうよね、叔父様?」
人間界は敵だらけだが、この城にいれば私もこの子も安全なはず。そう思って振り仰いだ叔父様の顔は浮かなかった。
「残念だが、一生というわけにはいかないぞ。こっちにはこっちでデメリットがある。
まず、魔界の瘴気は長期間ただの人間が住むのに適していない。人体にどんな影響があるのか未知数だ。魔性を帯びて悪魔になったり、生まれた子供が亜人だったり……なんて事もないとは言えん」
「えっ!? でも……」
「この城には結界を張っているからな。とは言え、お前の息子は城から一歩も出られねえぞ。俺が死ねば結界は解かれるから、魔界の連中が見逃してくれんのかも分からねえし。まさか一生ここに閉じ込めとくつもりだったのか?」
考えの甘さを指摘され、項垂れてしまう。叔父様に頼りさえすれば何とかなるだなんて、他力本願もいいとこだ。それでも数年匿うぐらいはしてやると約束してくれたけど、それとは別に元の世界で生きていくための対策も立てなければいけない。
「そうだ、叔父様は馬車があるでしょう? あれで国外まで逃げる事はできないの?」
「それがなあ……あのババア、最近になって出入国を厳しく取り締まるよう、国に通達を出したんだ。俺もそれに引っ掛かっちまって……出国停止命令が大奥様から出てますってよ。恐らく、お前が俺を頼る事も想定済みなんだろうな」
取り締まり!? 公爵家にも息のかかったメイドたちが送られてきたし、この子絡みなのは間違いないだろう。元々は黄金眼球の持ち主の国外逃亡を防ぐために結界が張られていたが、それに加えてこの国では規格外の魔法を使える叔父様を封じ込めにかかってきた。もしここで無理に国境を突破してしまえば、お尋ね者になってしまう。
「ご、ごめんなさい……叔父様は完全にとばっちりよね」
「まあ魔界であればどこでも行けるし、国内であってもあの馬車を掴まえる事なんて、そうそうできるもんじゃないから心配するな。要はその坊主がどっかの勢力に利用される事なく、平穏無事に暮らしていければいいわけだ。
よければ俺が住むとこと仕事を紹介してやるよ。そこでしばらく潜伏しながら、打開策を考えよう」
結局頼る事になってしまったが、叔父様はあらかじめこうなった時の事を考えて用意してくれていたらしい。ありがたいと同時に、心苦しくもある。
あの時、叔父様は「幸不幸はその場だけでは決められない」と言った。ならば、今この状況は幸せかと言えば……エルシィが死んでクララを魔界に閉じ込めてしまった事は、間違いなく不幸だ。しかも不確定ながら、どちらもチャールズ様が絡んでいるともなれば。
もし……もしもあの時。
「アイシャ、お前こいつを産んだ事を後悔してるのか?」
叔父様に私の内心を見透かされ、ドキリとして顔を上げる。チャールズ様の事は置いておくとして、私はこの子を愛しているし、そのためなら命すらいらない。今となっては、チャールズ様の御母君の気持ちが痛いほど分かってしまうのだ。
けれど、そのために他の誰かが死んでもいいのかと言われると……心が揺れてしまう自分がいる。あの時の選択は、本当に正しかったのかと。
「そういう時はな、絶対に譲れないのは何かを決めておくんだ。たとえ他人に迷惑かけようとも、最後まで捨てられない何かを……そうすりゃ誰がなんて言おうが、それがお前にとっての正解だよ」
「私にとっての、正解……」
私は自分に自信が持てなかった。地獄から逃げ出す事すらせず、諦めてただ受け入れるだけ。だって選ばないって、とても楽なのだもの。何もしていないのだから、嫌な目に遭っても私のせいじゃない。
だけどそんな臆病な自分がとても嫌で、とても嫌いで……心の中に、鏡の中にお友達を作って、いつも自分を慰めていた。そして迷った時はこう言わせるのだ。
『ボクはいつでもアイシャの味方だよ』
私は閉じていた目を開けて、カランコエに向き合う。そこには少し寂しそうな笑顔があった。つまり、私も同じ表情をしているという事。私、こんな顔できたんだ……きっと大丈夫って顔が。
『キミにとって一番大切なものが何なのか、分かったんだね。おめでとう、アイシャ。お人形遊びも、これで卒業だね』
(カランコエ、ありがとう……今までずっと、そばにいてくれて)
『何も変わらないよ。ボクはいつでもキミの中にいる。それを忘れないで』
カランコエの目から、涙がポロリと零れた。それは、成長という名の『別れ』――カランコエはもう、どこにも居ない。
「大丈夫ですか、お嬢様!?」
「平気よ、ありがとう……クララ」
クララが慌ててハンカチで目元を拭ってくれる。大丈夫、もう私は大丈夫だから。
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「もちろんです、お嬢様!」
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