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第二章 針の筵の婚約者編

婚約者の行方①

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 学園内の研究室で、ハロルド先生監修の下、最後の実験が行われていた。これが成功すれば、いよいよ人体への投薬が開始できる。殿下の、望みが叶う。
 眠そうな目を擦りながら薬を調合するリリー嬢を眺めながら、私の心は大きな腹を抱えて屋敷で待っている婚約者の事で占められていた。ここにいる以上は、殿下とリリー嬢の護衛に全力を尽くさねばならないのに、約束を違えた事だけがずっと引っかかっている。

(連絡が来れば、すぐにでも帰っていいと言われている。何を心配する事がある……!)

 先ほどから拭えない不安に気を揉みながら、私は剣の柄にかけた手を握りしめた。
 そこへ、ずいっと小瓶を持つ手が差し出される。

「ハロルド先生」
「護衛の君に倒れられては、僕が殿下に怒られるからね。これ、リリオルザ君が作った栄養ドリンクだけど、飲む?」
「いただきます……」

 実験クラブのメンバーは交代で研究所に寝泊まりしているが、私はリリー嬢に合わせてもう三日は寝ていない。少しでも体力を回復させておくに越した事はなかった。
 そこへ、来客の知らせがあった。

「……マックウォルト先生!?」
「ウォルト公爵、奥方が出産の準備に入る頃だ。そろそろ帰る準備をした方がいいのではないか」

 まさか彼が学校まで押しかけてくるとは思わなかった。私もそうしたいところだが、何かあれば連絡が来るはずだと伝える。

「それは知っているが、妙な胸騒ぎがするんだ。気のせいならばいいが……私の瞳の魔力は知っているだろう。奥方の胎から感じていたのと同じ魔力が、外に出ようとしている」

 マックウォルト先生によれば、あれほど強い魔力は一度記憶すれば離れていても何となく感じ取れるのだとか。もちろん、同じ黄金眼球の持ち主だからこそできる事ではあるが。
 もう生まれかけていると聞いて、疑念が沸き起こった。何故、誰も言いに来ない? マミーには信頼できる者を寄越すように頼んであるが、もしも生まれたのが男児であれば、各勢力が一気に動くと見て間違いないだろう。

「……何か、あったのかもしれない」

 私は急いでリリー嬢に一旦家に戻る事を告げ、代わりの護衛をスイングに頼む。

「殿下によろしくお伝え願えませんか? 何事もなければすぐに戻りますから」
「……分かったわよ。なるべく早くね」

 疲れているせいか、不満そうに口を尖らせるリリー嬢だったが、婚約者が出産間近と聞いて「お大事に」と送り出してくれた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

「……この道は、こんなに混み合っていただろうか?」

 いつもは見晴らしのいい大通りのはずが、今日に限って馬車でごったがえしていた。トラブルでもあったのかもしれないが、どしゃ降りのせいか何が起こっているのか把握できない。懐中時計で確認したところ、時刻はもう深夜に近い。さっきから不安ばかりが膨らんでいく。

「私の魔力の読みが正しければ、お子さんは先ほど生まれているはずだ」
「そうか……早く帰ってアイシャを安心させてやらないとな」

 焦る気持ちを押し隠して、私は椅子に凭れかかった。恐らく彼女も生まれてくるのは女であればいいと思っているだろう。……けれど今はとにかく、無事に産んでくれる事だけを願う。

(父と母も、そうだったのだろうか)

 この世に産み落とされたのを恨んだ事もあったが、同じく親になったせいか、彼らがどんな気持ちだったのかを思う時間が増えた。魔法の鍵の部屋でアイシャと過ごすようになってからは、特にそうだ。
 日に日に大きくなっていく胎に手を当て、慈しむ彼女を見る度に、義務ではなく守りたいという想いが強くなっていった。たとえ不自由な人生を強いる事になっても、生まれてきて欲しい……いや、幸せにしてみせる。自分が悲劇の下に生まれたからこそ、この子とアイシャだけは。

「公爵、しばらく動きそうにないですし、仮眠を取っては?」
「いや、それが栄養ドリンクが効いて、今は目が冴えているんだ」

 隣のマックウォルト先生からの気遣いに苦笑で返していると、馬車のドアがドンドン叩かれる。

「旦那様、俺です。ジャックです!」
「ジャック? こんな時間にどうした!?」

 ドアを開けると、びしょ濡れのジャックが馬を引いて立っていた。公爵邸から勝手に連れ出してきたようだ。何かが起こったのだと察した私を前に、ジャックは息も絶え絶えに報告する。

「奥様は先ほど無事、男の子を出産されたのですが……何者かによって誘拐されたようです。クララと御子息のいる部屋の鍵ごと……。馬を連れてきましたので、すぐにお戻り下さい!」

 一瞬、息をするのも忘れていた。

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