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第二章 針の筵の婚約者編

幽閉の塔

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 目を覚ますと、見慣れない景色に動揺する。私の部屋、こんな豪華だったっけ…? と思いかけて徐々に覚醒する内に、昨日からウォルト公爵邸に移っていた事を思い出した。

 色々あって疲労が溜っていたところにお腹も膨れて、一気に眠気が押し寄せてベッドに入った途端、爆睡してしまったのだ。

「お目覚めになりましたか、お嬢様」

 クララが顔を覗かせ、着替えと身嗜みの準備を始める。実家では部屋の鍵は許されなかったが、ここでは私の許可がなければ入室はできない。(昨日の例があるのであてにはできないが)
 なのでクララは私から離れないよう、同室にしてもらっている。

「今、何時…? 朝のご挨拶しなきゃ」
「お昼前です。公爵様は既に出かけられましたよ」
「えっ!?」

 ぎょっとして眠気が吹き飛んだ。いくら疲れていたからって、こんな日が高くなるまで寝ていたなんて……クララも起こしてくれればよかったのに。

「公爵様から、そのままゆっくり寝かせておくよう言われまして。お食事も、お嬢様が目を覚まされてから準備するように、との事です」

 鏡台の前で髪を梳かれながら、私は昨夜のチャールズ様を思い出す。メイドに書斎に侵入されて魔法薬ポーションを盗まれ、保護対象に危害を加えられそうになるなど、己の油断が招いた事態に相当ショックを受けていた。またカーク殿下から預けられていた料理人を冤罪でクビにしようとした事もあり、自分を許せなかったらしい。何度も頭を下げた上に、私を殴ってくれとまで詰め寄り、ジャックをドン引きさせていた。
 だけどチャールズ様は、子供の頃からこの屋敷で監視されながら育っていたのだ。彼等への対処も自衛手段も身に付いていたはずなのに、守るべき人数が増えれば、その分イレギュラーに弱くなるのだろうか。
 ならば私は、やっぱりチャールズ様にとって厄介者なのだ。

(だからここに嫁がなくていいって言ったんだけど。チャールズ様が優先して護るべきは、カーク殿下なのだし――)

 彼だって、それを望んでいる。私にも言える事だけど、あの御方にとって家とは安らぎの場ではない。四六時中気を張ってなきゃいけないなんて、それが日常になっているのなら頭がおかしくなっても不思議じゃない。そりゃ、カーク殿下しか心を許せないわよね。

 …いや、この家にはたった一人いたな。

 一旦食事を受け取りに行く、と出て行ったクララが戻って来た時には、後ろにはジャックがくっついていた。チャールズ様がいない時はこの部屋まで持って来てくれるとの事で、二人で準備を整えている。
 朝昼兼用の食事は、パンにベーコンエッグ、コーンポタージュ、野菜スティック。飲み物はオレンジをその場で絞ってジュースにしてくれた。

「んー、おいしい! こんなほっぺが落ちそうなご飯を家で食べられるなんて」
「大袈裟だな……まあ調理してる間、可愛い子ちゃんから熱い視線を送られて悪い気しなかったけど」
「あんたがまた粗相しないか見張ってただけよ。勘違いすんな」

 昨日のアレでクララにはすっかり嫌われているが、素っ気なくされてもおちゃらけた態度を崩さないジャック。そんな中でもチラチラ見え隠れする本心は、もしや……

「ねえジャック、貴方クララが好きなの?」
「はあっ? お嬢様、胸糞悪い冗談は止して下さい」

 即座に容赦なく斬り捨てるクララ。一方、ジャックの方は嬉しそうにニヤッと笑う。

「そうだなぁ…最初から可愛いとは思ってたけど、昨日もらったパンチはなかなかだったし……あれでノックアウトされた感じかな」

 殴られて恋に落ちるとは、意外と武闘派な……まあ趣味は人それぞれだし、直後にチャールズ様に上書きされてたのは置いといて。
 こちら側に好意を持ってくれているのは助かるわね。何せせっかく実家を出られたんだから、悪意からこの子を守るためにも仲間は増やしておきたい。…クララには悪いけど。

 私の味方をした事でジャックの身の安全は危ぶまれたが、彼は元々カーク殿下の推薦で雇われている。何かあればカーク殿下を敵に回すと彼等も分かっているのだろう。加えて被害に遭った当事者の私が、贖罪と言う形で専属にしたのが大きかったようだ。ゾーン伯爵令嬢如きに顎で使われる屈辱は、公爵家の使用人にとって同情すべき事らしいぜ、とジャックは鼻で笑っていた。何だかなあ……まあ消されずに済んで何より。


 食事が済んだ後は、彼に屋敷を案内してもらった。一階は厨房以外には使用人部屋、二階には私たちの部屋と書斎、三階の部屋はすべて来客専用になっていて、たまに殿下がいらした時にも寝室を利用されているらしかった。
 次に庭園は思ったよりも広くはなく、最低限に整えられていたが、異様だと思ったのは屋敷より少し高いくらいの、石でできた塔だった。まるで罪人を閉じ込めておくための牢獄に見えてぎょっとする。

「ビビッただろ? 最初にスティリアム王家から罪人が出た時、この塔に幽閉していたらしいぜ」
「それじゃ王国ができて間もない頃から、この塔はあるのね」

 今はスティリアム歴二九八年。三百年近く、裁かれた王族たちを見てきたのだろう。そう思うと薄ら寒くなってきた私は、早々に屋敷に戻った。



 夕食の準備があるので、ジャックと彼を監視しているクララは厨房へ向かう。それを待つ間、暇だったので窓の外を眺めていた。日が暮れていくにつれ薄暗さを増していく塔は、まるで異界への入り口のように気味悪く感じ、私はカーテンを閉めて視界から追い出す。
 …さて、何をして時間を潰そうか。ここには地下に書庫やワインセラーがあるらしく興味をそそられたが、

「埃っぽいしお体を冷やしますので」

と止められてしまった。仕方ないので日記帳を開く。公爵家に来てからも、私は日記を続けてきた。母の遺産の一つであるせいか、日常の何気ない出来事を綴るだけで母を感じられ、交換日記でもしている気分になれるのだ。


 チャールズ様が帰宅された頃を見計らい、部屋を出て食堂を目指す。クララは厨房を監視するのに忙しいし、屋敷に残っている侍女たちには恨まれている。ならばこの屋敷の主人にとってベストのタイミングで行けばいいのだ。もう玄関先で昨日とは違う女性といちゃついてようが知った事じゃない。この子がお腹空かせているもので、ちょっと失礼しますよ。

 周りのピリピリした空気などどこ吹く風で、私たちは夕食の席に着いた。チャールズ様からは、メイドの全員解雇をカーク殿下に報告したと伝えられた。そんな何でもない風に告げられても、反応に困るな…

 他に上った話題と言えば、私の主治医が決まった、と言う話。

「マックウォルトと言う民間の助産医だが、腕は確かだし信用できる。君が聞いておくべき話も詳しくしてもらえると思う」
「左様ですか」

 こちらの味方が増えてくれるのは心強いが、平民出身の医師と言うのも珍しい。ゼロではないと思うが、医学を修めるのにはとにかくお金がかかるから。よほど裕福な方なのか……

 それはともかく、信用できると断言するチャールズ様の顔がいつになく綻んでいたのが気になった。この御方がカーク殿下以外に心を許せる相手と言うのは、何気に平民が多い。ジャックもそうだし、殿下のお気に入りであるリリオルザ嬢もまた……裏を返せば王侯貴族を信用できない表れとも取れるが。

 穿ち過ぎだろうかと思いつつ観察していたら、目が合ったチャールズ様に柔らかく微笑まれ、変な汗が出るのを誤魔化すように、ひたすら無心に食事を口に運んだ。

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